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第一話 消えた湖

洞に入ったマキは龍神が現れるのを待った。

時間が経っても何事も起きない……異変は突然始まった。地面が揺れ洞が光に満たされた。

そしてマキを待っていた世界は……


洞穴の口が塞がれ身が闇に包まれると、マキは目を閉じ一心に念仏を唱え続けた。しかし何も起きなかった。


 時間がたつと恐怖が薄らぎ、様々なことを考え始めた。龍神はどこから現れて自分を喰らうのであろうか。湖から出てくるのか、空から舞い降りてくるのか、それとも洞穴の奥から這い出てくるのだろうか。ただ洞穴は狭く、龍神が頭を突っこみ自分を一呑(ひとのみ)にするには不向きなように思える。なかなか龍神が現れないのは、自分が生贄として相応しくないと思われているからではないだろうか。


 考えを巡らしていたが長い時間が過ぎていった。マキは考え疲れ、空腹も相まって洞穴の床に横になり眠りに陥った。


 マキは異変を感じて目が覚めた。洞穴の奥から地鳴りが響きはじめていた。起き上がり座りなおすと地面が揺れ、地鳴りが大きく土の匂いが強くなり、天井から小石がこぼれ落ちて、あたりが赤黒い光で浮かび上がった。ついに龍神が現れるのだと思い、マキは両手で懐の笛を固く抱きしめた。次の瞬間、光は鮮やかな赤に変わり、すぐさま黄、緑、青と移り、紫色になると白色に変わった。地鳴りの音は鋭く高い連続した音に変わった。光も音もたちまち激しさを増していった。マキは目を閉じ両手で耳をふさいだが耐えきれず気を失いかけた、そのとき、光も音もいきなり止んだ。


 マキは龍神が現れたと思い、目を閉じ、体を固くしていたが、静寂のほか何も訪れなかった。やがて洞穴に弱い風が流れ込んでくるのに気が付いた。洞穴の入口を見ると、石積みが一部崩れ、外の光が薄っすらと差し込み始めていた。


 石積みにはマキが通れるほどの隙間ができていた。マキはおそるおそる洞穴から外に出た。まだ日は昇っていなかったが、空は晴れわたり、東の山際が明るくなっていた。マキは薄明かりの中、洞穴から小舟を降りた岸のほうに下り始めた。祠がなくなっていた。空気もどこか変わっている気がした。低木の茂みを抜けると足元に御幣のついたしめ縄が落ちていた。


 そのまま進むと、いきなり大きな建物の裏手に出た。表に回ると立派な神社であった。輿に乗って登ってきた細い道は神社の前からは石段になり、その先は立派な石畳の参道に変わっていた。参道を下ると石造りの鳥居が見えてきた。鳥居の先にはさらに道があった。驚くほど平たいその道を進むとあたりが開け、朝日がさしはじめた。


 彼方の山々の形は変わらぬまま、小舟で渡った湖は姿を消し、緑にあふれる農地が広がっていた。見たことがない様式の立派な建物がいくつも見えた。マキは目にしていることがまったく理解できず恐ろしくなり洞穴に戻ろうとした。しかしながら参道を少し登ったところで足がもつれ意識が遠くなった――。



 意識が戻り始めたとき、マキには規則正しい鳥の鳴き声のような音が聞こえてきた。空気は乾いていて、草や土の匂いはせず、嗅いだことのない匂いが漂っていた。ゆっくり目を開けるとまず目に入ったのは天井だったが、見たこともない白い平らな天井だった。


 部屋は何とも不思議な光で満ちていた。マキは死後の世界に来たのかと思ったが様子がおかしかった。鳥の鳴き声は左側から聞こえているが、その方向にはいくつかの光を放つ箱があった。箱からは紐のようなものが垂れていた。首を動かして周りを見ると、マキは自分が白い布を掛けられて寝かされていることが分かった。左の肘のあたりには布が巻かれ、左側にある衣紋掛(えもんか)けのような金属の支柱から吊るされた袋と紐でつながっているようだった。左手の指先と胸元には何か器具が着けられていたが不快さはなく、いままで経験したことが無い寝心地のよさで安心感に包まれていた。


 ほどなく女性の声が聞こえたところで、自分は死んではいないようだと思えてきた。

「あら、気が付いたみたいね。痛いところはない?」

 マキを覗き込んだ女性は微笑んでいた。女性は襟がない水色の衣を着ていた。マキは声を出そうとしたが口がうまく動かなかったので頭を小さく横に振った。

「無理に話さなくていいからね」


 意味は分からなかったが女性の声は優しかった。しばらくすると男性の声が聞こえてきた。

「意識戻ったんだって?バイタルはどう?」

「はい、徐々に安定してきています。下の血圧も50を下回ることはなくなりました。脈拍はおおむね75前後で、呼吸も落ち着いています」

「よし、それならひとまず急性期は脱したな。状態が安定していれば、もう少しでICUから一般病棟に移せるだろう。病室の手配はどうなってる?」

「院長の指示で個室を準備しているところです」


 マキにはまったく意味が分からない言葉が話されていた。なぜ自分がこのような状態になっているのかもまったく分からなかった。ただ身の危険はなさそうだと思えた。身体が落ち着き、瞼がゆっくりと閉じた。


マキが目を覚ましたのは、まるで馴染みのない場所だった……

ここは、どこか……

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