第十七話 「龍の子太郎」
真貴は本屋で「龍の子太郎」の本と出会った。
この本は自分のことかもしれない……
三人は同じフロアの書店に移動した。真貴は現代仮名使いがわかるようになっていた。絵が文を補ってくれるので絵本は読みやすかった。結衣から絵本を借り、次々に読んでいた。文字の多い本も次第に読めるようになった。本の楽しみがわかってきたので、無数の本が背表紙を並べて立てられ、平置きの台の上に色鮮やかな表紙の雑誌類が並べられている風景に真貴は心躍った。真貴は児童文学書のコーナーを見て回った。結衣から借りて読んだ絵本を何冊か見つけた。
そのうちに真貴の目は一冊の本にくぎ付けになった。表紙には龍に乗った少年が描かれ「龍の子太郎」と表題がつけられていた。この物語は自分に関係する話かもしれないとの思いが胸に浮かんだ。真貴は本を手にしたところで動けなくなった。
圭は真貴が一冊の本を手に立ち尽くしているのに気づいた。
「真貴、何の本が気になっているのかな?…『龍の子太郎』ね。とてもいいお話よ。うちになかったかしら?」
結衣も寄ってきた。
「その本ね、うちにあったんだけど、お姉ちゃんのすごいお気に入りで、学校に行くため荷物をまとめたときに、一緒に持って行っちゃった」
「あらあら、知佳が持って行ったの。そうか……真貴、これ、買いましょう」
真貴はうれしかったが、申し訳なかった。
「いいんですか…うれしいです。すごくうれしいです」
「真貴が初めて選んだ本だもの。いい記念になるわ」
龍口家に帰るとすぐに真貴は「龍の子太郎」を読み始めた。話にぐいぐい引き込まれた。おやつの時間も、夕食の時間も、お風呂に入る時間も、トイレに行く時間さえももったいなかった。「龍の子太郎」に夢中の真貴を、圭と美和子は笑顔で見守っていた。結衣は真貴の熱心さにあきれるとともに、おいてけぼりになったようで、ちょっと寂しかった。
いつもの就寝時間を一時間近く越えて、真貴は「龍の子太郎」を読み終えた。龍口家に来て以来、封印してきたいくつもの感情がほとばしり出て、動悸が高まり手が震え、いつのまにか頬に涙が伝っていた。
『龍の子太郎』の物語は、山の中の寒村で祖母と暮らす、怠け者とされる少年・太郎が、赤ん坊のときに生き別れた母親を探しに旅に出るところから始まる。太郎は、幼なじみのあやとともに旅をしながら、さまざまな人々と出会い、困っている人を助けながら成長していく。やがて、母親が貧しさのあまり湖に身を投げて龍となったことを知り、湖で母と再会する。太郎は母と心を通わせ、貧しさに苦しむ村人たちのため、母と力を合わせて湖の水を岩山を越えて海に流し、新たな肥沃な土地を生み出す。そして、太郎とあや、村の人々はその新しい土地で力を合わせ、幸せに暮らすようになる。
物語のあちこちで真貴は生贄に立つまでの日々を鮮明に思い出した。太郎に笛を聞かせるあやは勢多で父や叔父に笛の練習成果を披露していた自分だった。村人を襲い、あやをかどわかした鬼は野盗の群れであった。太郎の母がひもじさに耐えきれず禁じられていたイワナを食べる場面では空腹で胃が絞られる痛みを思い出した。ついに巡り合ったおっかあが盲目の龍になっている姿を見たとき、目が見えなくなった理由が赤子だった自分がしゃぶれるよう目玉を与えたと知ったときの太郎の心の痛みは、畑仕事で疲れ果てて死んだ母の姿を目にした時の真貴の痛みだった。しかし物語は悲しみを知るだけでは終わらない。龍となった母は棲家を失い死んでしまうことを覚悟で太郎とともに岩山に体当たりし血を流す。そしてついには湖を田んぼに変え人間の姿を取り戻し、村を救う。
真貴はその夜、夢を見た。真貴は白装束を着て、小舟で渡った湖のほとりに立っていた。あの日と同じ雲が多い夜だった。閃光がほとばしり地面が揺れ、湖が激しく波立ち、龍が姿を現した。真貴が思わず後ずさりすると、龍は頭を真貴のまえに置いた。真貴は龍が頭に乗るように求めているとわかった。真貴が龍の頭に乗り角をつかむと龍は空中に舞い上がった。不思議と怖くなかった。龍は雲を突き抜けた。雲の上の夜空には天の川が横たわり無数の星が煌めいていた。気が付くと東の空が白み、日が昇りはじめた。足元の雲海が晴れ、湖はやがて細い川へと姿を変え、田んぼが広がっているようだった。
龍は田んぼを見下ろす丘に舞い降りた。真貴は龍の頭から降りると田んぼがよく見えるように駆けだした。朝日が一面緑の田んぼを照らし出した。振り返ると龍はおらず、亡くなったはずの母の姿があった。真貴は母に駆け寄って抱きついた。母は優しく真貴の髪を撫で、語りかけた。
「まき、よくがんばりました。まきならきっとできると信じてました」
母に何か言おうとしたとき、真貴は目が覚めた。まだ胸がどきどきし、手には母に抱きついた時の感触が残っていた。夢だと分かっても悲しくもがっかりすることもなかった。ふと、生贄の洞穴から千年の未来へと自分を連れてきてくれたのは龍になった母ではないか、自分には大事な役目があるのではないか、との考えが浮かび胸が熱くなった。時刻は五時半くらいだった。昨晩、寝るのが遅かったのに早く目が覚めたのだと気づいた。
喉が渇いていた。真貴は台所に行って冷蔵庫の麦茶をグラスに注いで飲み始めた。一口飲んでグラスを置いたとき美和子が起きてきた。
「おばあ様、おはようございます」
「真貴、おはよう。昨日はずっと本を読んでいて遅かったのに、早起きさんね」
「はい、目が覚めてしまいました」
「『龍の子太郎』は面白かった?」
「面白かったです。こんなに本で感動するとは思ってもみませんでした」
「それはよかった。もう国語は大丈夫そうね」
「はい。今日もう一度初めから読みたいと思ってます」
美和子が小さくうなずき微笑んだ。
「龍の子太郎」の本を読んだ夜、真貴は亡き母に会った夢を見た
目が覚めても悲しくはなかった
自分には何か使命があるかもしれない……ふと、真貴は思った




