第十四話 お祝い
七月第三週の金曜日の夕方、龍口家ではお祝いが行われた
伝承の子マキは、「望月真貴」という名で現代で生きて行くことになった
七月第三週の金曜日の夕方、龍口家に仁がやってきた。玄関でマキと結衣とが迎えた。座敷に腰をおろすと、仁は、まず結衣に声をかけた。
「結衣、習字で賞を取ったんだって?」
「佳作だけどね」
「誰のおかげかな?すごい苦手からしたら大進歩じゃない」
「次は入選したい!」
「じゃぁ、今回の倍くらいは練習しないとね」
結衣が笑いながら首をすくめたのを見て、マキに声をかけた。
「マキちゃん、裁判所に行って、一人でお話しできたんだって?頑張ったわね」
「裁判所のおじさんが優しく話を聞いてくれたのでよかったです」
「そうか、よかったね。今日は新しい教科書を持ってきたわよ。美和子さんから聞いたよ。マキちゃんの勉強の進み方が早いのにびっくりしたわよ。大急ぎで作ったのよ」
マキが中をめくると、現代語の少しややこしい言い回しや、慣用句、常套句、オノマトペなどが解説されていた。
「ありがとうございます。とてもうれしいです」
マキは早速、オノマトペのいくつかを口の中で繰り返してみていた。
結衣が仁に尋ねた。
「叔母様、今日は泊まって行かれるんでしょ?」
「そうよ。お祝いなんだから」
居間のほうから美和子の声がした。
「結衣、マキちゃんも、居間に来てちょうだい。お祝いの前にお着換えしますよ」
「はーい」
二人が居間のほうに行くのと入れ替わりで座敷に義弘が入り腰をおろした。
「姉さん、来てくれてありがとう」
「こちらこそ、呼んでもらってうれしいわ」
「礼司にも声をかけたんだけど、今は途上国の農業支援ということでアフリカにいるんだ」
「あれも頑張るわね。そうそうマキちゃんの戸籍ができるんだって?」
「ああ、マキちゃんが頑張ったのと、義人が丁寧に手続きをすすめたのでね。今朝、長野家裁から就籍のための許可審判書謄本が書留めで送られてきたよ」
「よかった。ついに伝説の子が龍口家に来るなんてねぇ」
「姉さんのおかげで、本当に順調にマキちゃんを迎えることができたよ」
義人がお盆にビールと枝豆を載せて持ってきた。
「叔母さん、父さん。ちょっと早いけどいかがですか?」
「いいわねえ、義人も座る?」
「僕はまだです。今、圭と一緒に料理を作っているんで」
「楽しみにしてるよ」
義人は台所に戻って行った。
いくらもしないうちに、今度は美和子が結衣とマキを連れて現れた。結衣はピンクが基調の花火柄、マキは水色が基調の紫陽花柄の浴衣姿になっていた。美和子が楽しそうに言った。
「どう?二人ともすごく似合っているでしょ。ほらクルっと回って見せて」
結衣はうなずくと両手を広げて軽く回って見せた。それを見ていたマキはやや恥ずかしそうに回った。
「いいねえ、二人とも。かわいいっ!」
仁が楽しそうに声をあげ、義弘はニコニコしながら見つめていた。
「じゃあ、きれいになったところで写真を撮りましょう。お庭がいいかな」
美和子がスマートフォンを手にして二人と玄関に向かった。三人の声が庭から聞こえ始めたところで仁が義弘に語り掛けた。
「義弘、とうとう始まるのね」
「始まるね。無事にやり遂げるまでは元気でいたいな」
夕食は圭が考えた「ちょっと平安貴族風パーティー料理」になった。鳥の照り焼き、ヤマメの包み焼きに、野菜の煮物がいろいろあって、強飯(餅コメのおこわ)に汁物である。デザートには糖蜜をかけたかき氷が用意されていた。マキは初めて氷を食べる体験にびっくりした。
義人がかき氷を食べながら圭に尋ねた。
「圭さん、平安時代にかき氷なんてあったの?」
「それがあるのよねえ、叔母様」
「義人、『枕の草紙』にあるのよ。『削り氷に甘葛入れて新しき鋺に入れたる』って」
「えっ?」
義人が戸惑うとマキが静かに答えた。
「『氷を削ってあまい汁をかけて新しい器にいれた』という意味だと思います」
「うーん、平安の貴族ってやりたい放題だったんだな…マキちゃんたちが食べるのがままならなかったのに…」
仁が続けた。
「そう、平安時代って優雅イメージがあるけど、あれはほんの一部。国民のほとんどは生きていくのが精いっぱいだったのよ」
夕食が終わりお茶がいきわたると義弘が姿勢を正して座り直し、皆に話し始めた。
「今日はマキちゃんを正式に我が家で迎えることができるようになったお祝いでした。ここで、とても大事な話があります」
義弘は封筒の中から一枚の書類を取り出した。
「これは、マキちゃんが、これから学校に行ったり仕事につけたり結婚できるために、どこの誰かを国に認めてもらう書類の写しです。ここにはマキちゃんの名前が書かれてます。マキちゃんの名前をどう届け出るかを皆で考えました。そして漢字二文字で“真貴”と書いて、“まことにとうとい”という意味を込めた名前にしました」
義弘は真貴に書類を渡した。マキは「申請者 望月真貴」と書かれている欄を何度も確認した。
「これからはマキちゃんは“望月真貴”です。そしてこれから私たちは結衣とおなじように 真貴と呼ぶことにします。いいかな真貴」
真貴は書類を握りしめて答えた。
「うれしいです…ほんとうにうれしいです」
結衣があわてて声をあげた。
「えーっ、私も真貴って呼ぶの?」
義人が答えた。
「結衣は真貴ちゃんでいいよ。大人が呼ぶときの呼び方だよ」
真貴が結衣に話しかけた。
「私も結衣ちゃんって呼びます、これからも。義弘様、立派な漢字をありがとうございます。自分で書いてみたいです」
「もちろんだ。義人、何か書くものを持ってきてくれ」
真貴は義人から紙と筆ペンを受け取り、何度も“真貴”と書いてみた。
しばらくその様子を見ていた義弘が真貴に声をかけた。
「そうそう、これから私たちのことは、結衣と同じように、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさんと呼んでくれないかな」
真貴はちょっと困った顔をし、少し考えてから答えた。
「おそれおおいので……おじい様、おばあ様、お父様、お母様でいいでしょうか?」
「あら、真貴らしくていいじゃない」
美和子の発言に大人たちがうなずいた。
急に結衣が立ち上がり少し大きな声で発言した。
「皆さん、ここで私たちからも発表があります、ねえ真貴ちゃん」
真貴が小さくうなずくと結衣が続けた。
「ちょっと準備があるので、しばらくお待ちください。真貴ちゃん、行こう」
結衣と真貴は連れ立って座敷から真貴の部屋のほうに向かった。
二人はすぐに戻ってきた。結衣は小さな和太鼓を持って、真貴は篠笛を持っていた。
義人が結衣に尋ねた。
「あれ?その太鼓は知佳が神楽の練習につかっていたやつ?」
「そうだよ。姉ちゃんの部屋から借りてきちゃった。あのね、真貴ちゃんから、わたし、相談をされたの。真貴ちゃんは皆にお礼がしたいんだけど、言葉だけじゃなくて何かしたいって言ってたの、そうだよね」
真貴が小さくうなずいた。結衣が続けた。
「わたし、真貴ちゃんが横笛を持ってたのを思い出して聞かせてもらったの。それがとっても良かったので、二人でやろうって誘って練習したんだよ」
仁がびっくりした。
「えっ、平安時代の曲!ぜひ聞かせて」
結衣と真貴は座敷の一角に並んで座った。二人で目を合わせタイミングをはかると、まず真貴の篠笛の長い一息で始まった。結衣が控えめに小太鼓でリズムを刻み始めた。大人たちは皆黙って曲に聞きほれた。
夏の夕暮れに平安の響きが広がっていった。
浴衣姿の結衣と真貴が奏でる平安の響きが、夏の闇に広がっていく




