第十話 千年の変遷
マキが目にする千年後の世界。
まったく分からないものがある一方で、変わっていないものもある……
千年後の世界でマキの目に映るもの耳にするものは、まったくなじみがなく、どうやって作られているのかも、どうしてそのように機能するのかもわからないものがほとんどだった。しかし、なかには千年前の姿やなごりをとどめているものもあった。
はじめのうち、言葉はまったく異なるもののように思えていたが、仁と美和子の指導を受けていると、変わっていないところがかなりあることに気づき、変わってはいてもその変化が理解できるようになってきた。安心したのは山、川、空、家、道などの名前がそのままだったことである。気持ちや行動を表す言葉は変化しているものが多かった。仁が教科書に書いてくれた例文や結衣に借りた小学校一年生二年生の国語の教科書の例文を、美和子に教えられながら音読をしていると、次第にこつがつかめてきた。
衣服は千年前のなごりをとどめている系統のものとまったく別の系統のものがあることに気が付いた。美和子に尋ねてみると、前者は「和服」あるいは「着物」と呼ばれ、後者は「洋服」と呼ばれ百年ほど前から着られるようになったことがわかった。マキは、はじめて義弘と仁とに病院で会ったとき、二人が和服姿であったことを思い出した。二人がマキを少しでも安心させようと配慮していたのだとマキは気が付いた。
食べ物は、そのぜいたくさと量にマキは圧倒された。マキや村の人がいつも食べていたものは麦やアワ、キビなどの雑穀のお粥だった。食事は朝晩の一日二回だった。野菜の煮物がついていればいい食事で、年に何度か鳥や猪肉があるときは特別だった。勢多で暮らしていた時の正月に、白米が出て煮魚が付きお汁の椀がついていた食事が、マキが口にしたことのある最高の食事だった。ところが、この世界の食事は朝昼晩の一日三回で、おやつと呼ばれる間食まであった。どの食事にも、白いご飯といくつものおかずが並び、『ひもじい』という感覚がまったくない世界だった。マキは満ち足りた食事をするたびに、弟や村の人々のことを思い出し、申し訳なさに手が止まることがあった。
マキには龍口家母屋の一室が与えられた。その部屋は仁が大学に行くまで使っていた部屋だと聞いてマキはもったいなく感じながらもとてもうれしかった。部屋には畳が敷かれていた。マキはお寺の仏壇の前に敷かれていたゴザを思い出したが、畳は細かな目が均一にそろっていて手触りがはるかによかった。
部屋には本棚と座り机が置かれていた。マキは仁からもらった教科書、結衣から借りた教科書類を本棚に並べた。義人と美和子がノートと呼ぶ紙をきれいに製本したものと鉛筆、消しゴムという筆記具、さらには机の上を照らす電気スタンドという照明器具を持ってきてくれた。部屋全体を明るくする照明と電気スタンドのおかげで、日が落ちてもマキは勉強をつづけることができた。
マキが最も驚いた千年前の姿がそのまま残っていたものは、朝食前の義弘の日課だった。義弘は雨が降っていない日の朝は、いつも庭に出て木剣の素振りを行っていた。勢多にいたとき、マキの父と叔父は朝餉の前に上半身裸になって木剣の素振りを行っていた。マキは父から軽い木剣を与えられ、ときどき一緒に素振りをした。家にはいくつもの刀や槍といった武具が備えてあった。千年経た龍田家では見えるところに武具は置かれていない。にもかかわらず義弘が武者の修業を行っているのを見るのは感慨深かった。
天気のいい早朝、マキは義弘の素振りを庭の片隅から見学していた。義弘がマキに気づいて手を止めた。マキは慌てて朝の挨拶をした。
「義弘様、おはようございます」
義弘は汗をふきふき返事をしてくれた。
「マキちゃん、おはよう。やってみたいの?」
思いがけない提案だったがうれしかった。
「はい。いいんでしょうか……」
「もちろんだ。ちょっと待ってて」
義弘は母屋に戻り、短く細い木剣を持って戻ってきた。
「これでどうかな?」
マキは木剣を手にした。しっくりくる感じがあった。父から教わった通りに青眼に構えた。目を閉じて呼吸を整えると、かつての感覚が戻ってくるのがわかった。軽く振りかぶり、一声を発しながら一歩踏み出しながら振り込んだ。
義弘は思い返していた。父親の影響で小学校に入ると同時に剣道を習いはじめた。中学、高校、大学では剣道部に属し、実績を積み段位をあげてきた。実家に戻り、役所に勤め、結婚しても、子供が生まれても、町議員になっても町長になっても、七十年近く剣道をつづけてきた。若い頃は単に強くなるための手段だったが、競技者を退き七十歳を越えたころからは、生きているうちに伝説の子に会うため、そしてその子を守るため、自分を律する手段になっていた。
それがついにその子が現れ素振りの姿を見られると少し恥ずかしくもうれしかった。マキがやってみたいと言ったので、義弘は孫の知佳が使っていた木剣を手渡した。その構えに息をのんだ。
何も教えていないのに、マキの青眼の構えは余計な力が抜け背筋は伸び顎が引けていた。切先がすっと上がると、気合とともに切先がまっすぐ仮想の対戦相手に伸びるのが見えた。孫の知佳は剣道では申し分のない才能を発揮し、中学の時には地域の大会で優勝したが、今、義弘が目にしているのは、それを上回る才能だった。
「マキちゃん、剣を習っていたの?」
「はい。父に教わりました」
「これから、朝、私と練習をするかい?」
「お許しいただけるようでしたら喜んで」
義弘は、これからのマキの成長に自分が貢献できると思うと、修練を続けてきてよかったと感じ、心に力が満ちてきた。
義弘はマキに剣の才があることに気が付いた
伝承の子の成長に貢献できる 胸が躍った




