スージーQの伝説 無敗の王者 ロッキー・マルシアノ(1923-1969)
日本人にとってのロッキー・マルシアノは、単なる遠い海の向こうの人気ボクサーではない。現役の世界ヘビー級チャンピオンとして来日した最初のボクサーであり、エキジビションとはいえ、軽量級でしか世界にPRできない日本のボクシング界に本場の重量級の迫力を披露し、ボクシングのエンターテインメント性を証明してれた恩人といってもいいほどだ。この時代に生でロッキーを見ることができた日本人ファンは生涯最高の経験をしたと言えるのではないだろうか。
無敗のまま引退するのはボクサーの夢である。一部のボクサーは無敗のままチャンピオンの座まで駆け上るが、究極の理想であるチャンピオンのまま引退となると容易なことではない。
まずは金の問題がある。勝とうが負けようがチャンピオンには高額の報酬が約束される世界戦の機会を棒に振るボクサーなどそうそういるものではない。余程金銭的に満たされているか、健康上の理由がある者以外で目の前にぶら下がった札束を無視して引退への道を歩むことは難しい。
次に名声の問題がある。チャンピオンとして常に人々の注目と尊敬を集めていた人間が、それらの名声を捨てて一介の普通人としての人生を歩めるかどうか。確かに名王者の名を欲しいままにしたごく一部のボクサーは、ボクシング史にその名を刻むとともに引退後も敬意を表され続けるかもしれないが、それは現役時代の比ではない。ゆえに無敗のまま引退しながらも、過去の名声が忘れられずにリングに復帰し、末節を汚してしまうケースも少なからず存在する。
では、金銭欲や名誉欲をかなぐり捨てて無敗のまま引退した世界チャンピオンはいったい何人いるかというと、十九世紀のジミー・バリー(バンタム級)から二十一世紀のリカルド・ロペス(ストロー、J・フライ級)まで四人を数えるだけだ。しかしそのうち「誰にも負けていない」ではなく、全てのの試合に勝利してリングキャリアを終えたのはただ一人しかいない。それがロッキー・マルシアノである。(現時点で五十戦全勝のフロイド・メイウェザー・ジュニアは完全にリングと決別したとはいい難いため保留とする)
四十九戦全勝(四十三KO)というパーフェクトレコードは、それが完璧すぎる数字であるがゆえに過大評価されている面もある一方で、多くの評論家やボクサーから粗探しの対象ともされてきた。
中でも最もケチをつけられたのが、対戦相手の質と前時代的な技術である。対戦相手に関してはたまたま彼の活躍した時代がヘビー級の過渡期であったというだけで、故意に弱い相手を選んだわけでもなんでもない。技術にしてもボクシングというスポーツは常に進化しているため、過去のボクサーの稚拙な技術をなじっても何の意味もない。
スポーツ医学という分野すら存在せず、トレーニング設備も旧態依然としていた時代背景を無視して、医学や科学、IT技術の恩恵を存分に受けた近代のボクサーを過去のグレートと比較すること自体ナンセンスである。
それでもロッキー・マルシアノというボクサーはどうも気になる存在らしい。ムハマド・アリやラリー・ホームズといったヘビー級でもずば抜けたスピードとテクニックを誇るボクサーは、「マルシアノのパンチなど俺には当たりはしない」と息巻いたものだが、あれほどロッキーを「過去の人」と見下していたホームズもデビュー以来の連勝がマルシアノの記録に近づき始めると、公の場でも「マルシアノの記録を破る」と名言するようになった(最終的には48連勝でストップされたが)。
また、マイク・タイソンがマルシアノの持っていたヘビー級ボクサーのデビュー以来のKO記録を破った時も、「マルシアノの記録」「マルシアノの記録」と、マスコミも忘れ去られていた過去の記録を引っ張り出して大騒ぎしたものだ。
結論から言えば、マルシアノはヘビー級史上最強の男ではない。しかし一七八cm八十四kgという小柄な体にもかかわらず、ヘビー級という無差別級で体格において勝るライバルたちを次々とマットに沈めた闘志と根性はいかなるボクサーも及ばないだろう。
ロッキー・マルシアノことロッコ・フランシス・マルケジアーノは貧しいイタリア移民の長男で、父親は靴の修理工だった。幼少時は肺炎で生死の間をさまよったほど病弱だったが、高校時代には野球とフットボールのかたわらボディビルに励むようになり見違えるほど逞しくなった。
メジャーリーガーを夢見ていたロッキーがボクシングに出会ったのは、太平洋戦争の最中の一九四三年三月に陸軍に入隊してからのことである。
兵役を終えた後はアマチュアボクシング大会に出場する一方で、野球の夢も忘れられず、一九四七年三月にはシカゴカブスのテストを受けている。この時はキャンプ参加までは認められたものの、二週間で整理されたため、やむなくボクシングで生計を立てることにした。
配送トラックの積み下ろし係や石炭工場で働きながらのプロデビューだったが、十六連続KOという快進撃で一躍注目を浴びる(マイク・タイソンに破られるまで、これは世界ヘビー級チャンピオン経験者の中ではデビュー以来の最長連続KO記録だった)。
テクニックなどまるでなく無骨なボクシングスタイルだったが、一ラウンドからKOを狙って全力で相手に挑んでゆく姿に観客は熱狂した。しかも対戦相手の大半は彼より大柄で、中には七十ポンドもの体重差をものともせず一ラウンドで片付けた試合もあった。
一九五〇年三月、連勝を続けるロッキーに初めてのビッグマッチの機会が訪れた。対戦相手のローランド・ラスタルザはアマチュア時代数々のタイトルを獲得したホワイトホープで、プロ入り後も三十七戦全勝(十六KO)と白星街道を驀進中である。パワーはそれほどでもないがアマ仕込みのテクニックは一流で、ハンサムなルックスと相まってその人気はロッキーを凌ぐものがあった。
ラスタルザ一万三千ドル、ロッキー八千ドルというファイトマネーが示すように、ラスタルザの方が格上と見られていたが、実際、ラスタルザは強かった。試合前半は四ラウンドにダウンを奪ったロッキーが優勢だったが、後半は立ち直ったラスタルザの前に強打は空転を続け、八ラウンドには焦りからかローブローで減点されてしまった。この減点が響いて得点集計の時点では一対一(引き分け一名)と判定が割れたが、当時のニューヨーク州には、ジャッジが三者三様の場合、ダウンを奪った選手に得点を加えるという特別ルールがあったため、その得点を加えた再集計の結果二対〇の判定でロッキーが勝者となった。特別ルールの適用がなければ、この試合は公式記録では引き分けとなり、後年の無敗の王者としての扱いは微妙に異なっていたかもしれない。
窮地を凌いだロッキーはなおも勝ち続けいつしか連勝は三十を超えるが、ベアナックルファイトのような不恰好な試合が多いせいかなかなか評価が定まらず、パーフェクトレコードも額面どおりには受け取られてはいなかった。それでも五対九で明らかに不利と見なされたレックス・レイン戦を六ラウンドKOで切り抜けた頃から、その将来性を買われるようになり、一九五一年十月、ついに前世界チャンピオンのジョー・ルイスとの対戦にこぎつけた。
二十五回防衛の世界記録を持つルイスは、一度チャンピオンのまま引退したが、税金の滞納や事業の失敗などで経済的危機に陥り再びリングに戻ってきた。それでも再起後も相変わらず強く、エザート・チャールスの王座に挑戦して判定負けした以外は全勝しており、三十七歳の老雄となった現在でも不器用なマルシアノ相手では六対五で有利と見られていた。
七ラウンドまではルイスがキャリアにモノを言わせ、試合をリード。マルシアノの大振りなパンチをダッキングとヘッドスリップでかわしてはショートのカウンターで突き放し、距離を詰めさせない。
しかし、マルシアノが並みのファイターと違うのは、通常なら疲労が蓄積してゆくはずの空振りを重ねても全くスピードが落ちないところである。下手な鉄砲ではないが、たとえ大振りのパンチでもラストラウンドまで果断なく振るい続ければそのうち一発や二発は命中する。しかもほとんどのパンチにウェートが十分乗っているため、直撃されればダウンは免れない。
八ラウンド、これまでうまくブロックしてきたマルシアノの飛び込みざまの左フックをもろに浴びたルイスがついにダウン。カウント3で立ち上がったものの足が動かず、たたみかけるマルシアノの右フックでエプロンまで叩き出され、十三年前のシュメリング戦以来のKO負けに退いた。
敗れたルイスはマルシアノの勝利を称え、潔く引退を表明したが、マルシアノは伝説のボクサーに勝ったことよりも、人々から尊敬されている伝説的な名選手を自らの拳で叩きのめしたことに対する自己嫌悪の念の方が強く、ドレッシングルームでベンチに横たわっているルイスに泣いて詫びたという。
ロッキーは子供の頃に偶然街でルイスを見かけた時の感動をずっと忘れられずにいたのだ。
ルイス戦の勝利で好評価を得たマルシアノは、一九五二年七月にヤンキースタジアムで行われた世界タイトル挑戦者決定戦で目下五十一連勝中の白人スター、ハリー・キッド・マシューズを二ラウンドKOで仕留め、ついに世界への切符をその手につかんだ。
マルシアノのボクシングは、不器用でバランスが悪いとよく言われる。それでいて小柄でリーチも短いというハンディを乗り越えて大男たちをなで斬りにできたのは、避けにくいパンチを打てたからである。
マルシアノがボディブローをブロックする際に、脇を締めずに肘を上げているシーンが時折見られるが、これは肘で相手のパンチを弾いているのだ。肘が上がった位置からそのままフックをねじ込めば、パンチのタメをつくるための予備動作が省かれるため、ノーモーションのように速く打てる。これは防御と攻撃が連動した高等技術で、マルシアノのようになめらかに繰り出すのは難しい。
もう一つの避けにくく、即KOにつながる危険なパンチといえば、身体を密着させた打ち合いの中で放つスマッシュ気味のショートフックであろう。
これは大振りの左を相手がダッキングでかわした瞬間に、返しの右をほぼ垂直に振り下ろすというワイルドなパンチで、一歩間違えば後頭部直撃である。
相手からすれば、頭上をロングフックが通り過ぎたと安心したところに真上から直角にショートが振り下ろされてくるため、視界に捉えにくいだけでなく、空手の瓦割りのように全体重をかけているぶん、こめかみや顎をかすめた程度でもダメージが大きい。
おまけにマルシアノは確信犯的に、相手が顎を引いても首筋か後頭部に当たるような打ち方をしており、見ようによっては側頭部を狙ったパンチがかわそうとして動いた相手の後頭部を偶然直撃したようにも見える。エザート・チャールスとアーチ・ムーアがフィニッシュされたのは、まさにこの反則すれすれの危険なパンチだった。
その他にも、リードの左から身体ごと飛び込んでゆくように放つフックのダブルは、スウェーしてロープを背負ったところに二発目が飛んでくるため、結構命中率が高く、この左一撃だけでKOしたこともある。
左ジャブから右アッパーのダブルというコンビネーションも、シングルアームブロックだと、ブロックごと弾き飛ばす威力があり、ガードの固いボクサー相手でも、同じ箇所を何度も狙い打たれると腕が痺れて自分のパンチが打てなくなった。
トレーナーのチャーリー・ゴールドマンは、大振りではあっても凄まじい破壊力を持つ右パンチの良さを殺さないようにしながら、動きの遅いロッキーがいかにうまく相手にパンチをヒットさせるかに砕心した。
これらの高度なテクニックは、元バンタム級ボクサーだったゴールドマン自身が体格のハンデを補うためにワンツーと接近戦に工夫をこらした末に編み出したものだ。
ロッキーは一見したところ不器用で前時代的なボクサーのようで実は、「ブロックトンの高性能爆弾」という物騒なニックネーム通り、細部に先端技術が盛り込まれたハイテク兵器だったのだ。
一九五二年九月二十三日、世界ヘビー級チャンピオン、ジャージー・ジョー・ウォルコットに挑んだ一戦は「リング」誌による年度最高試合に選ばれたほどの歴史的名勝負となった。遅咲きの王者ウォルコットはすでに三十七歳のオールドタイマーだが、チャンピオン時代のルイスから二度のダウンを奪ったこともあるカウンターの名手で、試合駆け引きの巧さにかけてはさすがのマルシアノも及ばない。ところが、試合は序盤から予想を裏切る展開となった。
距離をとってカウンター狙いかと思われたウォルコットは五対九で不利と出た賭け率もなんのその。あくまでも強気で試合開始のゴングと同時に攻めてきた。思い切りのいい右からワンツー、右のダブルとたたみかけてくるウォルコットのプレッシャーが凄い。とても三十七歳とは思えないパワフルな連打にマルシアノが一瞬ひるんだところに、ウォルコットが放った顎を抉るような左フックが直撃すると、不倒の挑戦者はよろけるように左の膝からマットに崩れ落ちた。
生涯初のダウンに「恥ずかしいやら腹が立つやらで頭に血がのぼって飛び起きた」というマルシアノは、ムキになってウォルコットに挑みかかってゆくが、そこは老練な王者の思う壺で、力んだパンチはほとんど空を切りカウンターの左を再三浴びてしまう。
若さとタフネスにモノを言わせ序盤のピンチをしのぎきったマルシアノだったが、七ラウンドには左目が完全に塞がってしまいウォルコットのペースのまま試合は終盤十三ラウンドを迎えた。実況アナが冒頭で「アンラッキー・ナンバー」と紹介したこのラウンド、一発勝負に賭けじりじりと距離を詰めるマルシアノに対して、ウォルコットも下がりながら明らかにカウンターでとどめを刺そうと狙っていた。
ほとんどパンチの交換もなく、互いに一太刀でケリをつけようと隙を伺う剣豪同士の立合いにも似た緊迫感の漂う時間が過ぎてゆく中、カウンターのタイミングをはかっていたウォルコットの左より一瞬早くマルシアノの右がきらめいた。
頭蓋骨が粉々になろうかという強烈な右を浴びたウォルコットは着弾の瞬間に失神し、スローモーションのようにゆっくりと頭からキャンバスに倒れこんでいった。片手をロープにかけ、頭と膝で身体を支えた状態で全身を硬直させたウォルコットはすでに意識はなくまるで死人のようだった。
十三ラウンド四十三秒、衝撃的な逆転KO勝利でマルシアノは世界ヘビー級王座に就いた。
ヘビー級としては十七年ぶりの白人王者、しかも無敗のハードパンチャーということもあって、マルシアノの戴冠は、ルイスの最初の引退以来、ゼール、グラジアノ、ロビンソンといったスター揃いの中量級に奪われていた人気を再びボクシング界の頂点たるヘビー級に引き戻す起爆剤となった。
ウォルコットを一撃で失神させた戦慄の右フックは「スージーQ」の異名をとり、マルシアノの代名詞となったが、この時のフィニッシュブローこそ世界ボクシング史上最高のKOパンチと言われている。
復讐に燃えるウォルコットを迎えた初防衛戦(一九五三年五月十五日)、今度は無謀な打ち合いを避けて足で撹乱しようとする前王者を苦もなく左一発で沈めると(一ラウンドKO)、二度目の防衛戦でもかつて大苦戦を強いられたラスタルザを滅多打ちにし(十一ラウンドKO)、格の違いを見せつけた。
三度目の防衛戦で対戦した元王者エザード・チャールスは手強かった。一九三九年のゴールデングローブ大会ミドル級覇者のチャールスはプロ入り当初はライトヘビー級で戦っていた。
ガス・レスネビッチ、アーチ・ムーア、ジョーイ・マキシムといった新旧王者ことごとく打ち破ってヘビー級に進出すると、ルイス引退後にウォルコットとの決定戦に勝ち王座に就いた。一八三cm八十五kgという体格はヘビー級にしては線が細いが、「シンシナチ・コブラ」の異名を取った強打とアマ仕込みのテクニックでヘビー級史上第三位(当時)となる八度もの防衛に成功している。
痩身らしからぬ強打を誇るチャールスは中盤までマルシアノと互角の打ち合いを演じていた。鋭いジャブとフックワークで中間距離を保とうとするチャールスに対し、悲しいかな歴代ヘビー級チャンピオンの中で最もリーチが短いマルシアノは、得意のインファイトに持ち込もうにも間合いが詰められない。焦燥感からか、力めば力むほどマルシアノのパンチは流れ、たまに命中してもバランスが悪いぶん威力が半減し、すかさずチャールスからショートフックを返されてしまう。
それでもチャールスがジャブと打ち下ろしの右で攻めてくるところをマルシアノがローリングでかわしながらビッグパンチを狙う至近戦はなかなか見応えがあった。垂直に突き上げるような迫力十分のマルシアノのアッパーはことごとく紙一重でかわされていたが、これだけ腰の入ったパンチを空振りしながら、次々とパンチが繰り出せるスタミナだけは大したもので、かえってパンチの命中率が高かったチャールスの方が疲労のせいか動きが鈍くなってきた。
僅少差で迎えた最終十五ラウンド、中盤以降足の止まったチャールスにマルシアノがラッシュをかけた。見た目以上に打たれ強いチャールスはガードを固めてなんとかKOは免れたが、顔面は完全に腫れ上がり形相が変わってしまった。判定は僅差でマルシアノに上がったが、チャールスも元王者の意地を見せた素晴らしい一戦だった(一九五四年六月十七日)。
三ヶ月後、完全決着をつけるべく両者は再度激突した。今度はマルシアノが終始押し気味に試合を進めていたが、四ラウンドにチャールスのパンチでカットした鼻からの出血がひどくなり、あわやTKO負けのピンチとなった。それでも、昔のボクサーはこんなことくらいでは試合を捨てたりはしない。攻撃は最大の防御とばかりさらにギアを上げたマルシアノは、八ラウンド、ロープ伝いに回り込もうとするチャールスから左フックで最初のダウンを奪うと、立ち上がったところに五連打を浴びせ再度キャンバスに叩きつけた。ひざまずいて立ち上がろうともがくチャールスだったが、レフェリーのカウントが10に達し試合は終了。マルシアノの見事なKO勝ちだった。
この一戦はウォルコット戦、ラスタルザ戦に続いて「リング」誌選出の年間最高試合に選ばれた。三年連続はヘビー級ボクサーとしては史上初の快挙であり、マルシアノ人気は否が応でも高まっていった。
一九五五年五月、英国ヘビー級王者ドン・コッケルを九ラウンドで三度倒し五度目の防衛戦に成功すると、いよいよヘビー級には相手がいなくなった。そこで次なる対戦相手に選ばれたのが、長年ヘビー級王座を狙い続けてきた現役世界ライトヘビー級チャンピオン、アーチ・ムーアである。
この時三十八歳のムーアの戦績は一二〇勝十八敗(八十KO)。年齢とこの数字だけ見れば、引退前の往年の強打者かと思いきやさにあらず。ここから八年現役を続け、さらに七十九勝(六十五KO)という数字を積み重ねてゆくのだ。黒人であるがゆえにタイトル挑戦の機会に恵まれず、初挑戦で王座を奪取した時すでに三十六歳だったが、老いて益々盛んといった感が強く、虎の子のタイトルを防衛すること三度、目下二十一連勝中と絶好調だった。
フィラデルフィア・ジャック・オブライエンの昔から、ジョルジュ・カルパンティエ、ビリー・コンとライトヘビー級王者がヘビー級王者に挑戦した例は少なからずあるが、金的を射止めたボクサーは一人もいなかった。その最も大きな理由は体格差からくるパンチ力と耐久力の違いであろう。
この中で最もヘビー級王座に近づいたビリー・コンにしても、あと三ラウンド逃げ切れば勝利というところで不用意な打ち合いに応じてしまい逆転KO負けに退いているように、ライトヘビー級王者はベストパンチでさえヘビー級からナックダウンを奪うのは極めて困難である半面、ヘビー級王者のパンチはクリーンヒットさえすればいとも簡単に形勢を逆転してしまう威力があるのだ。
史上最小のヘビー級チャンピオン、トミー・バーンズに挑戦し一敗一引分けと健闘したオブライエンは、身長こそバーンズに勝っていたが、体重は約十ポンド軽く、明らかに力負けしていた。
その点、ヘビー級に挑んだ時のムーアは一八〇cm八十五kgでほぼマルシアノと同体格であった。しかも後に史上最多となる一四五KO勝利の金字塔を打ち立てるだけあって、誰よりもナックアウトのコツを心得えている。体格が同じなら勝機ありと踏んだのだろう、ムーアは他のボクサーなら警戒して極力避けるマルシアノとの接近戦でも怖気づくことなく果敢に打ち合った。
ムーアは腕を十字に構える独特のクロスアームブロックで至近距離からのショートブローを抑え込むと、パンチを弾き返した腕を鞭のようにしならせてガードの隙間を狙い打つのが巧い。マルシアノの身体ごとぶつかるようなアッパーもこのブロックは破れない。
二ラウンド、マルシアノが右のロングフックで飛び込むと、これをダッキングでかわしたムーアの右アッパーがカウンターとなって顎に突き刺ささった。無敗の王者も稀代のナックアウト・アーティストのベストショットをまともに浴びてはたまらない、膝からガクンとキャンバスに崩れ落ちた。キャリア二度目のダウンである。
ここがKOチャンスとばかりにたたみかけるムーア。しかし、この作戦が裏目に出た。
恐るべきスタミナを誇るマルシアノは、打たれても打たれても打ち返してくる。本来ならとっくにテンカウントを数えられていてもおかしくないほどのパンチを浴びても前に出てくるマルシアノに対し、ムーアも倒そうとする意識が強くなりすぎたのか、次第にパンチがラフになってきた。
六ラウンド、ダッキングしてパンチをさけようとしたムーアにマルシアノの垂直に打ち下ろすような右が命中し、前のめりにダウン。ここからはマルシアノの独壇場で、八ラウンドにもう一度ダウンを追加して挑戦者をグロッギーに追い込むと、九ラウンドに左の連打でフィニッシュ。力尽きてコーナーにぐずぐずと倒れこんだムーアは、カウントアウトされた後もしばらく立ち上がれないほどのダメージを負っていた。
「ヘビー級のジャブは、ライトヘビー級のナックアウトパンチに相当する」さしものKOアーティストも、リアルヘビーウェイトのパンチの重さには脱帽だった。
これがマルシアノにとって最後のリングとなった。
史上唯一パーフェクトレコードを残してリングを去った男は、同じく無敗の王者として引退しながら、ヘビー級王座は白人の手にあらなければならないという偏見に満ちた世論に後押しされたあげくに、ジャック・ジョンソンにKOされて末節を汚したジム・ジェフリーズのような愚は冒さなかった。
「もはやリングで証明するものはない」という格好よい台詞がマルシアノの引退理由だったが、実際のところはマネージャーのアル・ワイルの呪縛から逃れるためだった。
ワイルは、不器用なマルシアノを人気と実力を兼ね備えた一級品のヘビー級王者に育て上げた腕利きのマネージャーであったことは事実である。ただしその反面、選手管理も徹底していて試合前ともなるとマルシアノの私生活まで支配下に置いた。世界戦に備えたキャンプに入った時のマルシアノは家族から完全に隔離され、およそ三ヶ月間に渡って手紙を含めた一切の連絡も取らず、ひたすらトレーニングに打ち込んでいたが、このストイックなまでのボクシングに対する姿勢が無敵王者を作り上げたと言っても過言ではない。
チャンピオンになるまでは強靭な精神力で自己管理を徹底出来たとしても、ひとたび金と名声を得るや次第に驕り高ぶり、よりハングリーな男に玉座を追われるのがこの世界の常識である。とりわけ酒と女はボクサーにとっては致命傷で、古くはジョン・L・サリヴァンから百年後のマイク・タイソンに至るまで、無敗の王者が遊興に溺れて無残な敗北を喫した例は枚挙に暇がない。
ワイルは過去のグレートたちの二の轍を踏ませないよう、マルシアノを囚人のように扱い、その代償として金とステイタスをもたらしたが、家族思いのマルシアノは私生活を犠牲にすることに耐えられなくなり、平凡な夫であり父親である道を選んだのだ。
ボクシングから離れてもこれほどのスーパースターを世間が放っておくはずがない。マルシアノはアイオワで農場を経営し、悠々自適の生活を送るかたわら、時折、プロレスのレフェリーとして大衆の前に姿を見せていた。
後年、ソニーリストン、キャシアス・クレイといったヘビー級の歴史にその名を残す名王者がリングを席捲すると、必ずといっていいほどマルシアノとの比較論が話題になったものだが、本人はほとんど無頓着で全く現役復帰に色気を見せることなどはなかった。その代わりというわけではないが、偶然、一部のプロレスファンがマルシアノの番外ファイトを目にする機会が訪れた。
一九六五年六月、ジョージア州アトランタ市で行われたプロレスのローカルチャンピオンシップにマルシアノがスペシャルレフェリーとして招かれた時のこと。「狼男」と恐れられる悪役レスラー、マリオ・ガレントの度重なる反則にマルシアノが厳重注意を与えたところ、逆上したガレントにリング下まで引きずり落とされて首を絞められたあげくにメッタ打ちにされてしまったのだ。
不意打ちとはいえ、これが試合ならKO負けである。生涯無敗の男にとってこんな屈辱はない。
怒りに我を忘れたマルシアノはレフェリーという立場も省みずガレントに襲いかかると、現役時代を彷彿とさせる連打を浴びせ、この二メートル近い巨漢を血だるまの失神KOで病院送りにしてしまったのだ。
ガレントは元ボクサーで、レスラーとしても、日本でもおなじみの「銀髪鬼」フレッド・ブラッシーら同業の悪役連中を震え上がらせるほどの存在だったが、いくら鍛え上げた現役のレスラーといえどもベアナックルの「スージーQ」を存分に振舞われてはひとたまりもなかった。
かつての名王者デンプシーが四十五歳で、後に悪役レスラーとして名を馳せるブル・カリーとエキジビションで対戦した時は、二ラウンドまで手加減していたカリーがローブローを喰らったことで本気になり、顎へのパンチでダウンを奪った後、報復のローブローでデンプシーを悶絶させている。
結果はカリーの反則負けだったが、デンプシーより小柄でレスラーとしての実力もガレントには遠く及ばないカリー相手でさえ、十年近いブランクがあったデンプシーはまるで歯が立たなかったことを考えれば、試合に備えてのトレーニングをしているわけでもなく突発的な喧嘩に巻き込まれながら一流レスラーを素手の殴り合いでのしてしまったマルシアノの強打とタフネスがいかに傑出していたかがわかるだろう。
数々の激戦を勝ち抜いてきたロッキーにとって最もタフな試合だったのはウォルコット戦でもチャールス戦でもない。生前のインタビューによれば、一九四九年十二月にMSGで行われたカーマイン・ヴィンゴとの一戦こそ「リングキャリア中、最もタフな試合だった」そうだ。
この試合は初回からマルシアノの強打が火を吹き、キャリアの浅い二十歳のヴィンゴは一、二ラウンドにそれぞれカウント9のダウンを奪われ絶体絶命のピンチに陥った。ところが、マルシアノの詰めが甘くKOチャンスを逃すと、五ラウンドには一九三cmの長身を生かしたヴィンゴの切れの良いパンチがマルシアノを捉え始め、形勢は一気に逆転する。
ヴィンゴの回復力にはさすがのマルシアノもたじたじだったが、いかんせん五ラウンドで余力を使い果たしたヴィンゴは六ラウンドに入ってめっきり手数が減ってきた。明らかに疲れているのを悟ったマルシアノがここぞとばかりにラッシュをかけると、さしものヴィンゴも頭からキャンバスにダイブし、そのままピクリとも動かなくなった。
昏睡状態のまま病院に運ばれたヴィンゴは後日意識を回復したが、頭蓋骨にひびが入っていたうえ脳に受けたダメージが原因で半身不随となった。病院まで付き添い勇敢な対戦者の回復を神に祈り続けていたマルシアノは、退院後も人知れず物心両面でヴィンゴを支え続けていたという。
マルシアノは現役世界ヘビー級チャンピオンとして日本を訪れた最初のボクサーでもある。
一九五三年十二月十七日、読売新聞社の主催でマルシアノのエキジビションマッチが両国国技館で挙行された。それ以前にも偉大なるジョー・ルイスが進駐軍の慰問試合で来日しているが、前チャンピオンだったルイスと現役のマルシアノの迫力は段違いで、マルシアノの右は十六オンスのグローブにもかかわらず、ヒットするたびに「ガチッ、ガチッ」と金属性の音が響いたという。
不死身のマルシアノも事故だけには勝てなかった。一九六九年八月三十一日、講演に向かう途中に自家用セスナ機の操縦を誤って墜落死したのだ。四十六歳の誕生日の一日前の出来事だった。
操縦ミスの原因は不明だが、当時のマルシアノは現役時代に蒙ったパンチのダメージによる偏頭痛に悩まされていたとも言われており、間接的であるにせよもしそのことが原因であれば、マルシアノは魂を削って戦っていたということになる。
ジョー・ウォルコットは「あの試合の後、彼と私は本当に心の通じる親友になった」と涙し、麻痺性の難病で寝たきりのエザート・チャールスは「ロッキーは私の治療費を集める運動をやってくれた」とかつて激闘を繰り広げたライバルたちもその早すぎる死を惜しんだ。
マルシアノの死から八年後、シルベスター・スタローン脚本・主演の映画「ロッキー」は爆発的大ヒットを記録し、アカデミー作品賞を受賞した。アメリカ建国二百年のイベントの一つとして無名のボクサーが世界タイトルに挑戦し惜敗するという筋書きは、ムハマド・アリ対チャック・ウエップナー(アリの十四ラウンドKO勝ち)そのものだが、主人公である“イタリアの種馬”ことロッキー・バルボアのキャラクターはマルシアノに酷似していた。
小柄で不器用ながら、タフさだけは折り紙つきのイタリア系白人ボクサーとくれば、人々が心に思い浮かべるのは一人しかいないだろう。心優しきタフガイ、ロッキー・マルシアノはアメリカ人の心の中に生きている。
ボクシングは同じ体重区分の選手同士が競う競技だが、唯一ヘビー級だけは無差別級である。メイウェザーがいくら無敵でも戦った相手は常に同じ体重だが、ロッキーは大半の相手が自分より5~10kgは重いのだから、しょっちゅうハンデを背負って戦ったことになる。だからこそヘビー級では小柄なロッキーが、並み居る大男たちを真っ向勝負で蹴散らして積み上げた49連勝は、それ以上の連勝記録より価値があるはずだ。




