第20話 それでもまだ、“好き”を信じたくて
この回は、完全版と同じ内容でお届けします。
編集による省略はありません。
あまりにも鮮やかで、夢のようだった1か月が、とうとう幕を閉じる。
いつかは終わると分かっていた季節が、ゆっくりと、でも確実に背中を見せるように、最終日が静かに訪れた。
「終わりがあるから、始まりは輝く」
そんなふうに、誰かが言っていた気がするけれど、そんな綺麗ごとで割り切れるほど、人の心は整っていない。
むしろ逆で、始まりがあまりにもまぶしかった分、終わりの影は深く長く伸びて、心をじんわり冷やしていく。
でも――。
それでも俺は、決心していた。
密かに、でも確かに、自分なりの未来を描こうとしていた。
ずっと実家でのぬくぬく暮らしに甘えていた俺が、「一人暮らしを始めよう」と動き出したのは、他でもない、みーちゃんの存在があったからだ。
いや、存在なんてもんじゃない。
みーちゃんのことで頭の中はパンパンで、それこそ、現実のあらゆる音が遠のいてしまうくらい、彼女のことしか見えていなかった。
この関係が、やがて終わることは分かっていた。
むしろ、最初から分かっていたはずだったのに、俺の中では、終わりの先に続く未来を勝手に夢見ていた。
どうしようもなく、勝手に。
自分でも手に負えないほど募る想いを、どこかで吐き出さなければ、破裂してしまいそうだった。
だから俺は決めたんだ。
最終日に、もう一度――正式に、彼女に想いを伝えようと。
この1か月、ただの「仲良し」だったわけじゃないと信じたかった。
いや、信じたかったというより、信じていた。盲目的に。
それがどれだけ無謀で、どれだけ自分勝手で、どれだけ彼女を困らせるものだったとしても。
一人暮らしの部屋を借りたのも、全部その先を見据えてのことだった。
みーちゃんがもし、また遊びに来てくれたら――
今度は誰の目も気にせず、ふたりきりの時間を、もっと自由に、もっと大胆に過ごせる。
そんな未来を、俺は勝手に描いていた。
そして、いつか、仕事もちゃんと変えて、もっと稼げるようになって。
たくさん稼いで、たくさん与えて、彼女を笑顔にできるような男になりたかった。
…いや、本当にもう、あの時の俺はどこか壊れてたんだと思う(笑)
恋って、時に人をとんでもない方向へ連れていく。
現実感なんて薄れて、まるで少年漫画の主人公みたいに、俺は自分の未来を脳内で熱く語ってた。
そんな自分が、今ではちょっと恥ずかしい。
でも、どこかで誇らしくもある。
だって、みーちゃんがいろんなことをしてくれて、俺は変われたから。
自分なんて…と、ずっと下を向いてばかりいたヲタク青年が、まさかこんなにも自信過剰で、自己肯定感バク上がりの勘違い野郎になるなんて――
もう、それだけで奇跡だった。
そしてその奇跡が、今日、終わろうとしている。
わかってる……わかってるよ。
終わりはもう目の前で、残された時間はあとわずか。
けれど、それでも俺は。
最後の最後まで、自分にできることを精一杯しようって、そんなふうに思っていた。
たとえそれが、彼女の記憶にほんの少しだけ残るような、優しい勘違いだったとしても――。
◆最初で最後の告白
さて、そんなふうにして――
生まれ変わった俺と、みーちゃんの、仮初めの恋人としての最終日が、始まった。
いつもと同じように見える一日の中に、今日だけは、何かが確実に違っていた。
けれど、あえてその違和感には触れずに、俺は車を出す。
みーちゃんを迎えに行く道のりは、何度目か分からないはずなのに、どこか、少し遠く感じた。
言葉にできない不安と、かすかに甘く腐りかけた希望が、胸の内でぐるぐると混ざり合っている。
俺たちは、人通りの少ない田舎道に車を停めた。
周囲を包む沈黙は、まるで、この先に言葉を重ねるな、と警告するようだった。
けれど、それでも俺たちは、いつものように後部座席に移動して――
何もなかったかのように、触れ合った。
抱きしめあい、唇を重ねた。
でも、どこか違う。
甘くとろけるような空気は、そこにはなかった。
口づけは深く、それでいて、どこか寂しかった。
それは、愛おしさのなかに、別れの苦味が混ざっていたからかもしれない。
しばらくして、俺は、ぽつりとつぶやいた。
「今日で、終わり……なんだよね」
たったそれだけの言葉に、息が詰まる。
「……そうですね。そういう、約束でしたし……」
淡々と話しながらも、心のなかはぐしゃぐしゃだった。
取り繕っても、意味がない。
だから俺は、最後の想いを、そのままにぶつけるしかなかった。
「……あのさ、もう困らせることが分かってるから、先に謝る。ごめん。本当に申し訳ないって思ってる。でも俺、もう、みーちゃんのこと、本気で好きになっちゃってるんだ。ダメなのは分かってる。困らせるのも分かってる。でも……自分に嘘はつけないんだ。本当に、みーちゃんが好きだ。離れたくない。これからも付き合っていたい。こんなこと言って本当にごめん」
泣くまいと、必死にこらえていた涙は、堰を切ったようにあふれた。
情けなくて、かっこ悪くて…
そんなの分かってる。
それでも止められなかった。
嗚咽が、車内に静かに響く。
みーちゃんは、そんな俺を見つめながら、優しく、苦しげに微笑んだ。
「ありがとうございます……。あっくんは、本当に優しいから。気遣いもできて……本当に、素敵です。私も、あっくんのこと、好きです。でも、このまま付き合い続けることはできない。本当に……ごめんなさい。でも、あっくんのことが好きって気持ちは、嘘じゃないから。だから……だから、ごめんなさい」
彼女の言葉もまた、涙に濡れていた。
俺はそれでも、伝え続けることしかできなかった。
「……ごめんね。本当にごめん。でも、離れたくない。わがままなのは分かってる。それでも、気持ちを抑えきれない。困らせたくない。でも、どうにもできなくて……好きで、好きで……みーちゃんのことしか、考えられない……」
ふたりして、「ごめん」を繰り返した。
言葉が通じないわけじゃない。ただ、どうしようもないだけだった。
気持ちが通じ合っているからこそ、なおさら苦しい。
俺は泣いた。
本当に、泣いた。
過去のどんな悲しみも、怒りも、悔しさも。
今日という日には、敵わなかった。
(生まれてから今まで、こんなに泣いたことないな)……って、どこか冷静な自分が、心の片隅にいた。
でも、その冷静さは、涙の熱でどんどん溶けていく。
これから先の人生で、果たして、こんなに泣くことがあるだろうか。
いや、きっと、ない。
確信できる。
あまりにも真っすぐすぎて、傷だらけになった愛情が、自分の中に満ちすぎて、もう、涙という形でしか出てこない。
格好悪いとか、そんなのどうでもいい。
恥ずかしいなんて、そんな気持ちはどこかに消えた。
とにかく、ただ、みーちゃんと一緒にいたかった。
たったそれだけだった。
100%純粋に。
好きな人と、一緒にいたかった。
でも、それが叶わない。
それが、どうしようもなくて。
だから、泣いた。
涙が止まらないのは、別れが悲しいだけじゃない。
今まで、自分の中に押し込めていた感情が、全部いっぺんに押し寄せてきたから。
みーちゃんを困らせていることも、ちゃんと分かっている。
こんなに泣いたら、彼女はますます優しい刃を俺に向け続けなければならない。
でも、それでも――
どうしても、止まらなかった。
気持ちが止まらなかった。
どこまで言っても、伝えても、届かない。
届いたところで、変わらない。
そう分かっていても、伝えずにはいられなかった。
そして今、俺は――
たったひとりの人を、好きになってしまったことの重さに、涙を流している。
彼女の「優しさ」という刃が、俺の心を、じわじわと、丁寧に裂いていく。
それでも、彼女を責めたいとは思わない。
むしろ、こんな俺を好きだと一瞬でも言ってくれたことに、感謝しかなかった。
どうしようもない終わりの中で、どうしようもない恋を、俺は全力で生きていた。
そう思えたから――
涙は、誇りでもあった。
◆彼女の優しさに、最後の希望を重ねた
そして――
あの時の俺は、あまりにも泣きすぎていて、みーちゃんが何を伝えようとしていたのか、うまく受け取れなかった。
いや、違う。
「分からなかった」というより――
たぶん、都合のいいように、思い込もうとしていたんだと思う。
心が壊れかけているその瞬間、わずかでも希望の言葉が欲しかった。
何度も、何度も、想いを伝えているうちに――
みーちゃんの気持ちが、少しずつ動いてきている気がして。
そんな気がして、気がして、気がして――
気づけば俺は、彼女の言葉を、自分の中でこう理解していた。
『今すぐに、あっくんと正式に付き合うことはできません。
でも、近いうちに結論は出します。
私も、あっくんが好きです。
あっくんと付き合いたいとも思っています。
……今すぐに答えが出せなくて、ごめんなさい』
そんなふうに、みーちゃんが言ったような――
そんな気がした。
本当に、そんなふうに言ったのかは、今となってはもう、分からない。
涙で視界も声も曇っていて、正確な言葉は思い出せない。
でも、確かに――
そのときの俺は、みーちゃんの中に「脈」を見ていた。
ただの希望ではなかった。
ただの願望でもなかった。
「これは、本当に可能性がある」と、確信してしまった。
みーちゃんは――彼氏と別れて、俺と付き合おうとしているんだと。
そう信じて疑わなかった。
だから、彼女が言ったとき――
「一旦、約束通り、元の友達に戻しましょう。呼び方も、全部……」
その言葉に、本当は――
「嫌だ」って言いたかった。
今まで通りでいたかった。
手を繋ぎたかったし、名前もそのままでいたかった。
もう、戻れないところまで来てしまっていた。
俺の心は完全に、みーちゃんのものだったから。
でも――
脈があるのに、これ以上わがままを言い続けたら。
その小さな可能性すら、彼女の手からこぼれてしまうかもしれない。
押せば壊れる。
引けば遠ざかる。
そのギリギリのラインを、何度も、何度も想像した。
だから――
俺は、本心とはまったく逆の返事をした。
「……分かったよ。待ってるから」
静かに、そう言った。
心の奥では、泣き叫ぶように「嫌だ」ってわめいていたけれど――
それでも、みーちゃんをこれ以上困らせたくない、って思った。
だから気持ちを、無理やり切り替えた。
そうするしかなかった。
そして俺たちは、いったん、恋人という形を手放した。
でも、それは“終わり”ではなかった。
少なくとも、俺の中では。
これは、未来へ続くための「一時停止」なんだと――
そんなふうに思っていた。
きっとみーちゃんも、気持ちの整理をして、
もう一度、俺のもとに戻ってきてくれる。
今はその準備期間なんだ、と。
ただ、ほんの少しだけ、時間が必要なんだと――
そう信じていた。
信じて、疑わなかった。
ほんの少しの不安と、
それを打ち消すくらいの期待が、
胸の中でぐるぐると渦を巻いていた。
あのときの俺は、まだ知らなかった。
この“待つ”という日々が、どれほど長く、どれほど苦しいものになるのかを。
でもそれでもいい。
唯ちゃんがまた笑ってくれるなら、
俺は何度でも――何年でも――
待てると思った。
ただ、それだけだった。
だから、俺は、唯ちゃんとの別れを――”受け入れた”。
◆季節は進む。想いだけが、止まったまま
次の日からも、LINEは続けた。
朝、目が覚めたとき。
仕事が終わった帰り道。
ふと空を見上げたとき。
何気ない瞬間に、俺は携帯を開いて、唯ちゃんに言葉を送った。
「おはよう」
「おつかれさま」
「今日も暑かったね」
「風、秋っぽくなってきたよ」
まるで何事もなかったかのように。
今までと何も変わらないかのように。
日常にひそませた、精一杯の「好き」のかけらを忍ばせて。
でも、その返信は、
少しずつ、間隔が開いていった。
文面も短くなって、
いつしか「ありがとう」と「ごめんね」が繰り返されるだけになった。
それでも俺は――信じて、待った。
何も言わずに、
焦らせずに、
ただ、待つことしかできなかった。
自分にできる唯一の誠意が、それだった。
それから、俺は引っ越しをした。
人生で初めての一人暮らし。
殺風景な部屋にベッドを入れて、
テーブルを組み立てて、
カーテンをつけて、
小さなキッチンにお気に入りのマグカップを並べた。
唯ちゃんが、この部屋に遊びに来てくれる未来を――
まだ見ぬその光景を、何度も何度も想像しながら。
いつか、ここで並んで映画を見て、
笑って、お菓子をつまんで、
「好きだよ」なんて当たり前のように伝え合える日が来ると、
心のどこかで本気で思っていた。
季節は、静かに巡る。
夏が、ふっと、通り過ぎる。
朝夕の風が、いつのまにか冷たくなって、
蝉の声が遠ざかり、金木犀の香りが街角に満ち始める。
秋がやってくる。
時間は残酷なほど淡々と進んでいくのに、
俺の想いだけが、あの日のままで、
取り残されたように、そこにあった。
でも、それでもいいんだ。
俺は、信じていた。
唯ちゃんが、また目の前で笑ってくれる日が来ることを。
――あっくんの、最終日は。
こうして、静かに終わりを告げた。
でもそれは、物語の“終わり”じゃない。
少なくとも、俺の中では。
この気持ちがある限り、
あっくんの「次」は、ちゃんと続いてる。
たとえそれが、
ただの儚い希望だとしても――。
▶ 第7章 ― 第21話につづく。
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