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ベルリオールの花嫁  作者:
第一章
9/48

ep8 殿下の秘密②




「母上!」


 背後から、カルロスが駆けつける。母親の怒号を聞き付けたのだろう。


「私が決めたこと。アーウェスは関係ない」


「あなたは何をしたのか、わかっているのですか!?これに後ろ立てなんかを与える真似を。もしや、良いように操られているのではないか。あの女が、陛下を騙したように!」


「まだそのような馬鹿げたことを言うつもりで?」


 母親の行き過ぎた発言に、カルロスは怒りを滲ませた低い声を落とした。もはや、エルオーシュは立ち尽くすしかない。この場に、自分がいてもいいのだろうか、と感じながら。


 盛大にため息をつくカルロスを、王太后は睨み据えた。


「馬鹿げたことではないわ。汚らわしい血が流れる下賤の分際で、我らと同じ王族の名を名乗ること自体許されない事だというのに!」


「母上!」


 カルロスの怒号が響く。一瞬、辺りは静寂に包まれた。 口にしてはならない言葉だったのだ。 それは関係のないエルオーシュにも、感じとることができた。表立つことのない、王家の醜聞。繊細な事情。 そんな言葉が頭をよぎる。


 聞いてはならないことを聞いてしまったのでは、とエルオーシュは肝を冷した。


「王太后陛下」


 寂を破る声は、アーウェスの低い声音だった。その声は、この場に似合わないほどの、穏やかな声音だった。


「俺が王位を奪うことを、いまだ恐れているのですか。俺にそんな気はさらさらありませんが。この身は、兄上の影。そのためだけの存在。それでも俺が恐ろしいのなら、今ここで殺しておきますか?」


 アーウェスは、ゆっくりと腰につってあった剣をイザイラの前に差し出した。


「さあ」


 どうです、とアーウェスは脅すようにささやいた。そこには冗談などという響きは、いっさい含まれていなかった。


「そう望むなら、ここで死ねばいいわ!」


 激昂したイザイラが、剣の柄をめがけて手を伸ばした。その瞳には、憎悪の感情が隠れもせずに宿り、アーウェスにそそがれている。


「お止めください!」


 怒鳴り声が、空気を打った。王太后の隣に控えた彼ら兄弟の叔父、レオンの声だった。 アーウェスとイザイラの間に立ち、両方をにらむ。


「イザイラ様、言い過ぎですよ。確かにこの者に過ぎた婚姻ではありますが、すでに決まったこと。アルライドとの外交も考慮しなければ。私も納得していると言えば嘘になるが、ここはカルロスの判断を信じることにしよう」


「その通りです、叔父上。…母上、遠いところから疲れたことでしょう。すぐに部屋を整わせます。どうせしばらくは王都で過ごされるおつもりでしょう?近いうちに事情をお話ししましょう」


 不機嫌な顔を隠さず、カルロスはそれぞれの顔を見渡す。


「アーウェス、お前はもう下がれ。私を怒らせたくないのなら」


「御意に」


 アーウェスは優雅に腰を折り曲げ、残された者達を振り返ることもなく、エルオーシュの手をひいて彼らの脇を通り抜けた。

 薄暗い、永遠とも思われる長い回廊を、早足で歩き続きける。


 エルオーシュは恐怖を感じていた。アーウェスが、今ここで戸惑いもなく剣を自分に向けそうだと思ったからだ。その必要があるのなら、何気なく花を打折るように、簡単に自分を斬りつける。そのような危うい空気感をまとっている。


「アーウェス…」


 初めて名前を呼んだことに気がつかず、その背中に声をかける。 それでも彼は振り向かない。


「アーウェス」


 中庭まで来たとき、やっと彼は振り向いた。

 エルオーシュの予想に反して、彼はあまりにもいつもの表情をしていた。何の感情もわからない、平然とした顔だ。


「つかれた」


 何事もなかったように、男はひとつ息を吐くと、窮屈だったらしい胸元のタイを緩めた。


「私にはわけがわからない」


 心配したのに、と声には出せずアーウェスを睨む。彼はそのことに初めて気がついたように、ああ、ととぼけた。


「王太后陛下も、叔父上も、先代から王家に仕える有力貴族たちは皆、俺を嫌っている。なんせ下賤な生まれらしいからな」


 他人事のように言い放ち、アーウェスは庭園の側にあるベンチに腰かけると、上着を脱いでまでくつろぎ出した。先ほど緊張感のある応酬を交わしてきたとは思えないほどの、落ちつきぶりだ。


「どうして。…まさか、先王陛下の血を引いていないのか?」


 頭に浮かんだ最悪の事態を、エルオーシュは口にした。


 イザイラがアーウェスに向けた態度を考えると、それしか考えられなかったからだ。


「予想に反して悪いが、現王陛下と同じ父親だ。母親は違うが」


 つまりは正妃の子供ではないということだ。エルオーシュも同じ身の上だが、ここまで目の敵にされたことはない。


「俺の容貌は珍しいだろう?」


「あ…」


 オルネアの王子の言葉を思い出す。


『あの呪われたような黒髪、黒い瞳に寒気がするのでは?』


 そうだ、とアーウェスはうなずいた。


「母親は別大陸の異国人だ。国をもたず、歌や踊りを愛し、様々な国を渡り歩いている民族。このベルリオールから言わせれば、最も野蛮な人種だと認識されている。その血が王家に入ったことを、快く思わない人間が山ほどいる」


「それだけで、殺されるほど憎まれているのか?」


 信じられない、とエルオーシュは首をふった。


「ちがう。憎いんじゃない。恐れているんだ」


 アーウェスは小さく笑い、肩をすくめた。


「城に上がったのは、兄上の身代わりだった。それまでは、よその女から生まれた俺を隠そうと、王都から離れた場所に押し込められていた」


「急に連れて来られたのか?」


「そうだ。お前も経験があるだろう?」


 それまでは、穏やかに暮らしていたのに、突然まるで違う環境に放り込まれる。その経験を、この男もしていたのだ。


「俺の場合は、唯一の世継ぎ、兄上が何者かに毒をもられ、もう長くないと思われていた時、次の世継ぎとして連れて来られた。剣術を叩き込まれ、学問も何もかも、王になるための教育をいきなり強いられた。だが、本物の世継ぎが持ち直し、意外にも早く回復した。身代わりの王子はそれを機に、みごとに厄介者の地位に落ちた」


「でも父親…前王陛下は?同じ自分の息子なんだから何か考えたはずだろう?」


「さあ、すぐに死んだからわからない」


 そんな…とエルオーシュは絶句した。では、唯一の後ろ盾を彼は早くに亡くしたのだ。エルオーシュでさえも、父親に救われたというのに。


「ただの厄介者ならよかったが、その王子には、どうも戦の才があったらしい。単純な国民は、病弱で表立って活躍しない国王より、戦上手の王弟を支持している。王城の人間はそれが恐ろしくて仕方がないらしい。俺がいつかこの国の王位を奪うのでは、と」


 他人事のような口調を崩さずに、アーウェスは淡々と言葉をつむいだ。

 エルオーシュはふと悲しくなった。自分のことすら冷静に、感情的にならずに客観視する男と、自分はいつか、心を通わせることができるのか、と。


「でも、王位を簒奪(さんだつ)する気はないのだろう」


 殺されようとしていたくらいだ。


「もちろん。兄上が一番王位に相応しいことくらい、わかっている」


「カルロス陛下に忠誠を誓っているのだな」


 本人の口から聞いた事実は、エルオーシュを嬉しくさせた。エルオーシュが当初思っていたより、自分が嫁いだ夫はまっとうで誠実な男のような気がしてきた。兄のために国を守っている誠実な弟だというのに、周りからは誤解され、疎まれている。不敏な人物だとエルオーシュは切なくなった。


「忠誠?何故そう思う?」


「戦に行けないカルロス陛下の代わりに、命をかえりみず剣を持ち国を守っている。わかるに決まっている」


 アーウェスは、不可解そうに首をかしげた。


「人を斬るのが好きなだけ、と言ったら?」 


「え?」


「人を貶めるが好きだ。血を見るのも。戦いの中に身を置きたいだけで、いつか戦場で大勢の人間を殺戮した後、その血濡れた地で力尽きるのも悪くない。そのためだけに王都に留まっている。そう言ったら?」 


「な、なんだと?」


 エルオーシュは怒りに拳を握った。


「血を見るのが好き!?ひ、ひとでなし!まるで、悪魔のような…。いや、へ、変態!」


「…変態」


 くっとアーウェスが顔を背けて笑ったようだ。


「悪魔か。戦では皆、俺のことをそう呼ぶ。敵も味方も。俺に人を殺す役目をくれるというなら、この面倒くさい立場もどうでもいい。民も、国も、兄上も、生きることも」


 エルオーシュは絶望感に頭が真っ白になった。

 このように、理解のできない人間がいるのか。そんな男にわたしは嫁いだというのか。

 野望も祖国で生きてゆくことも諦めて。


「兄王に忠誠を誓っているのではないのか!?私は、尊敬の念すら抱いたと言うのに!己の役目を果たそうと、命を賭けて戦場に身を投じてきたあなたを…、それでもその功績を誇示せずに、カルロス陛下の影に徹しているあなたに、感激もしていたというのに」


 さきほど、小さく音を立てた心臓に手を這わす。そうだ。あの感情は、確かに尊敬だった。己の夫になった人は、立派な人物かもしれないと、喜んだ。


「それなのに、人を斬るために生きていると!?国もなにもかもどうでもいいと、そう言うのか!殿下、あなたは絶対に後悔をすることになるだろう。望み通り戦いの中で死にゆくときに、つまらない人生を送ったものだと後悔するだろう!」


 はあ、はあ、と肩を上下させながら、エルオーシュは感情的にびしっと男に人差し指を向けた。


「人生?まるで説教くさい年寄りみたいな意見だな。じゃあ、お前はどうだ。この人生に後悔はないのか?」


 馬鹿にしたように薄く笑うアーウェスに、頭の後ろがさらに熱くなるのを感じた。


「私だって、あなたに嫁げと言われたときは死ぬほど嫌だった!」


「そうか、死ぬほど嫌だったか」


「だけど、嫁いでも絶望するのではなく、前向きに考えようと思ったんだ。何か得るものがあるかもしれないと。私は、少なくとも殿下のように諦めてなんかいない。殿下のように生きる事から逃げていない!どんな境遇になろうとも戦うと決めている!失礼を言うが、殿下はただの腰ぬけだ!腰ぬけ!」




 空気が周りから足りなくなったのか、頭がふらふらした。肩で息をしながら、言いすぎた、と後悔する。


 アーウェスは立ち上がり、なぜかこちらに歩み寄ってきた。まさか殺されるのだろうか。斬り捨てられても不思議ではないほど、失礼なことを言った自覚はある。

 アーウェスの手がエルオーシュに伸びた。男の眼差しには、あきらかな殺気が宿っていた。脅しに負けてなるものか、と目の前の男を睨み付ける。そのとき、頬に痛みが走った。


「いたっ」


 アーウェスに頬をつねられたのだ。


「小娘が知った口を聞く。腰抜けだって?」


 言葉とは裏腹に、その声は楽しそうだった。


「こんな侮辱を、目の前で言われたのは初めてだ」 


 面白そうに口の端をつり上げた男の顔を見つめながら、エルオーシュは思わず閉口した。


「からかったな」


 わざと、すぐにも斬り付けそうな殺気を振り撒いたのだろう。

 アーウェスは答えない。不敵な笑みを口元にたたえているだけだ。


「だったら、人を斬るのが好きというのもか?殿下」


「アーウェスでいい。…どうだろうな」


 興味を一気になくしたように、アーウェスはエルオーシュの頬から手を離した。

 ベンチに置いた上着を無造作に掴んだアーウェスは、こちらを振り向く事なく歩き出す。帰る気なのだろうか。

 なにげなく、上着を掴み取った手を見つめてしまう。


 それは、エルオーシュよりも多く剣を手にしていたのだとわかる手だった。幼い頃から、自分よりも多く努力した人の…。

 彼は、エルオーシュをからかってまで、何をはぐらかしたのか。どんな事を考えていたのか。


 エルオーシュはまだ、男の指の感触の残る己の頬にそっと触れた。






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