ep4 花嫁の素性②
アーウェスに手をひかれた場所は、人気の無い庭園だった。明るい日差しが差す庭園には、色とりどりの花々が咲き誇っていた。
柔らかい日差しが目に眩しく、暖かい風が背に流れたくせ髪をさらっていく。
エルオーシュは一瞬、危機的な状況など忘れ、穏やかな雰囲気にほっと息をついた。それほどまでに、ベルリール王城の庭園は国力を現しているかのように美しかったのだ。
しかし、エルオーシュの夫はなごやかに会話する気など、まったくもって無いのだろう。彼が少し離れた所でエルオーシュをじっと見ていることに気がつき、慌てて顔を引き締める。
覚悟を決めてエルオーシュは、正面からアーウェスに向きなおった。
「王女殿は剣が扱えるようだな。しかも、ずいぶんと手慣れている」
やはりそれか、とごくりと唾を飲み込んでしまう。
「いえ。まさか‥、わたくしのような者が」
一歩、威圧するようにアーウェスはエルオーシュに歩み寄った。
「王女殿は先日、俺に言った。俺と心を通わせたいと。夫婦なのだからお互いに知り合わなければならない、と」
「‥それは」
「ならば、隠しごとはいけない」
アーウェスは優雅に微笑むが、目だけは笑ってはおらず鋭い光を残したままだった。
エルオーシュは言葉に詰まった。
なんと言えば正解なのか。
正直に言ったら、もっと相手にされなくなるに決まってる。
エルオーシュは困り果てた末に黙秘を続けた。
「王女殿はアルライドから送られた暗殺者か?」
予想外の言葉に顔を上げる。
アーウェスはいっそう鋭い眼差しで、刺すようにエルオーシュを睨んでいた。
最初の印象である自由奔放ないい加減な、威厳がない雰囲気とは一変して、王族にふさわしい尊大な空気を纏っていた。
「違います!暗殺者など!」
「では、なぜ剣が使える?あの腕だと、遊びでやっているものではないのは明白だ」
もう、明かすしかない。
「‥‥趣味です」
「‥は?」
「決して暗殺者などではありません。神に誓って申し上げます。父が殿下の花嫁にふさわしくなるよう、王女らしくない私の趣味を隠すように命令したのです」
アーウェスは悩んだように額を押さえた。信用すべきか悩んでいるのだろうか。
「花嫁?いざという時に、わざと粗を出しているのも命令なのか?素直そうに見せようと、間抜けを演じろとでも?」
「ま、間抜け‥?」
苛立ったように、アーウェスはさらにエルオーシュに詰め寄った。
「もう一度聞く。何が目的だ。狙いは俺か?お前は本当に王女か?」
おまえ、また言った。
‥偉そうに。
アーウェスは、むかつきに必死に黙るエルオーシュの手をひねりあげた。
「‥‥っつ!」
痛みに声を上げるが、アーウェスが手を離す気配がない。
「悪いが、偽王女にはらう敬意なんてない」
偽、だと!?
本気で腹が立ってきた。
「は、‥‥離せ!!偽王女だと!?私はれっきとしたアルライドの王女だ!暗殺者など、馬鹿げたことを父上が考えるはずないだろ!それに、私がそんなせこい真似などするか!暗殺するくらいなら、正々堂々と一騎打ちを申し込む!」
エルオーシュの怒号を聞いたアーウェスが、不可解そう眉をひそめた。
「それに、またお前って言っただろう!?だったら私もそう呼んでやる!私だって、人の手をひねりあげる無礼者に払う敬意などない!私のことを面倒くさい女だと言ったが、私にとってもお前は面倒くさい男だ!」
そこまで言って、さすがに我に返った。
‥しまった。猫が矧がれた。
父上、やっぱり私には無理でした。
嫌な沈黙が流れる。
「‥もしかして、お前もそれが素か?」
今さら取り繕ったところで、もはやどうにかなるものではない。そう悟ったエルオーシュは、開き直ることにした。
「そうだ。色気がないから猫を被れと言われていた。悪いがこれでも王の娘だ。間違いなく」
アーウェスは、考え込むように眉間を指で押さえている。
もう逃げよう、とエルオーシュはやけになって踵を返した。
しかし、腕を捕まれる。
「待て」
見上げると、アーウェスは呆れたような表情を浮かべていた。
「最初から猫などかぶらなければ良かったろう」
「こんな性格だと知ったら相手にしないだろう」
「どっちにしろ、相手にしない」
むっとしてエルオーシュはアーウェスを睨み据えた。
「何をしたって、夜に訪ねてくれないということか?」
アーウェスの黒曜石のような瞳に、初めて感情が宿る。珍しい玩具を見つけた子供のような、はたまた馬鹿にしてるような光を宿しながら、その瞳を細めている。
「はっ。ずいぶん大胆だな。そんなに寵愛が欲しいのか?」
「ちがう。殿下の子が欲しいだけだ」
きっぱり言うと、一瞬目を見開いたアーウェスが、すぐに面白そうに笑った。
「それが暗殺ではなく、国王からの任務だというのか?」
「そうだ」
エルオーシュは覚悟を決め、真正面からアーウェスを見返した。
「私はあきらめない。どんなに殿下が私を相手にしなくたって、あきらめない」
きっぱりと、そう告げる。
「猫を被っていたのは私が悪かった。私からお互いを知り合うべきだと言ったのに。偽っていたのでは意味がない。だから、本当の私の姿で宣戦布告をする。私はどんな手を使っても、殿下の寵愛を頂いてやるからな」
へえ、と腕を組んだアーウェスが珍しい生き物でも見るように、こちらを見下ろしている。
「名はなんといった?」
こいつ‥、一度だけならまだしも二度までも。
「エルオーシュだ。アーウェス・ディーク・イブン=ベルリス殿」
「よく覚えているな」
「夫の名前だから当然だ!」
妻の名を二度も聞くほうがおかしい。
それだけ、私には興味がなかったということか。
「エル」
「え?」
「エルオーシュだと長い。面倒くさい」
別に長くはない。
どれだけ、この男は面倒くさがりなんだ。
人の名前を面倒くさいなどと。
「‥‥好きに呼んだらいい」
もう名前なんかどうでもいい。
エルオーシュは一気に脱力感に襲われた。
あきらめない、と言ったはいいが、次の一手はどのように進めれば良いのだろう。名前を覚えてもらえた。次は誘惑?…どうやって?
頭を悩ませた時、近くで馬のいななきが聞こえた。この庭園近くに、厩があるのだろう。
「馬が‥」
無類の乗馬好きであるエルオーシュは知らずに瞳を輝かした。
「馬が好きか」
頷くと、ため息が聞こえた。
「本当に変わった王女さまだな」
「遠乗りがしたい」
もう隠す必要がないと思い出すと、エルオーシュの欲求が膨れあがった。
どれくらい、大好きな乗馬が出来なかっただろうか。
アーウェスをじっと見つめると、彼は不快そうに眉をひそめた。
「今から?女は着替えたり、色々面倒くさい」
面倒くさくなかったら連れて行ってくれるつもりなのだろうか。
意外だ。
そして、アーウェスはまだ、私のことなど全然知らない。
宣戦布告をしたからには、本当の自分を見てもらわなければいけないのだ。
心を通わせたいのなら、己を偽ってはならない。
うまい誘惑の仕方など思いつきもしない。ならば自分は自分なりに、命令に向けて頑張れば良いのだ。
そう思うと、気持ちがすっきりとした。
そして、ベルリオールに来て初めて、心から笑顔をつくった。
着替え?そんなものいらない。
「馬小屋はそこか?」
近くの建物を指して、アーウェスを見上げる。
「そうだ」
「なら行こう。今すぐに」
「‥は?」
エルオーシュはためらいなく、ドレスの裾を持ち上げた。
そのはしを、白い足が見えるのも無頓着に太ももまでたくしあげ結ぶ。
これで邪魔にならない。
「お前‥」
さすがにアーウェスは驚き、すぐに呆れたようにエルオーシュを見下した。
「私は宣戦布告をしたぞ。これが私だ。もう隠すつもりはない。自分を偽っておきながら、殿下のことを知れるなど思っていたのが間違いだった。私のことをありのままに知ってくれ。嫌いなところがあったなら、直す努力をしよう。そして、頑張って殿下に愛される女になる」
呆気に取られたようにアーウェスはエルオーシュの言葉を聞いていた。
ますます失望されたかもしれない、と少し自信を無くしかけたエルオーシュにアーウェスは、ため息を漏らして肩をすくめた。
「俺は、とんでもない妃を迎えたのかもしれない」
アーウェスはそれだけ言って、馬小屋へと足を向けた。
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唐突に現れた王弟夫妻に、馬丁は驚いた様子だった。ただ単に、驚いたのはエルオーシュのドレスをたくしあげた姿のせいかもしれないが、すぐに馬の準備をしてくれた。
エルオーシュの馬は、アーウェスの所有する三頭のうちの、一番気性が穏やかな雌馬を貸してもらうことになった。
こちらに未だ警戒心を持ったアーウェスが、なぜ、遠乗りに連れて行ってくれるのかはわからない。だが、エルオーシュは楽しくて仕方がなかった。
あともう一つ。腰に剣が戻れば文句はないのだが。
「よっと」
軽快に小川を越えたエルオーシュの馬術を、アーウェスは後方で呆れたように見つめている。
「いい馬だな、殿下。あまっているのなら、私にくれ」
「いやだ」
けちな男だ、と心の中だけで呟き、エルオーシュは馬の背を撫でた。
森を抜け、緑の丘へ来ると、アーウェスは颯爽と馬から降りた。つられてエルオーシュも地に足をつける。
「ここからベルリオールの王都、セントフォリアが一望できる」
指を差すほうに視線をやると、そこには美しい町並みが広がっていた。エルオーシュの祖国とくらべものにならないくらいの、豪奢な街だ。都会的な大きな建物が立ち並ぶ様は、ベルリオールの歴史と、国力をよく反映させていた。
「すごい」
「五百年も続く、大陸最古の国だからな」
「そして、殿下が体を張って守っているわけか。このような美しい国ならうなずける」
「‥守る?まあ、客観的に見たらそうなるか」
エルオーシュの言葉を不思議そうに受けとったらしい彼は、何の感情もうつらない瞳で、城下を見下ろしている。
その様子にひっかかるものを感じたが、エルオーシュは同じ方向に視線を落とし、言葉をつづけた。
「私も祖国が大切だ。私にできることなら、何をしても守りたい。男だったのなら、殿下と同じように剣をとって戦に赴くこともできただろうが」
「女だから、こうやって祖国のためにしかたなく嫁いできたというわけか」
「まあ、そういうことだ」
「夫の前で、馬鹿正直なことを言う」
鼻で笑われ、しまった、と口をつぐむ。せめて仕方がなく、というのを否定すればよかった。
「国のためか。ずいぶん立派なことだ」
「‥立派じゃない」
思わず、そう返していた。アーウェスにそう言われれば、自分の言葉はたいそう国を憂う、理想的な王女に聞こえる。
しかし、本音はそのように褒められるものではない、と自分でよく知っていた。
「…私は、確かに王女らしくはないだろう。幼い頃は、城の外で育ったんだ。側室だった母と、祖父と一緒に。出自など知らず、田舎の町の子と一緒になって遊んでいた。剣術を教えてくれた祖父が死に、すぐに母が死んで…、父上が迎えに来て下さった。独りになった私に、様々なものを与えてくれた。だから、私は…」
父上が喜んでくれるのなら…、と隣の男を見上げる。彼は話を聞いているのかいないのか、相槌すら打たない。
まったく興味のない話だったのだろう。
はあ、と余計な事を言ってしまった自分にため息をつきながら、エルオーシュは景観に視線を戻した。
「良い気晴らしになった。礼を言おう。これ以上付き合わせてしまうと、もっとうんざりさせそうだ。そろそろ帰ろう」
馬の背に乗ろうと手綱を引いたとき、アーウェスが振り向いた。
「剣はいつからふっている?剣によくなじんだ手をしている」
自分の手に目をおとす。マメがつぶれて固くなった手だ。いつ見たのだろうか。
「五歳くらいからずっと。ここに来るまで毎日稽古はかかさなかった」
「へえ。どうりで」
慣れたように馬にのりながら、アーウェスがどのような顔で言ったのか、エルオーシュには見えなかった。しかし声の響きは、 意外に心地よく耳に届いた。