ep46 愛しき決闘者②
「どうしたんだ?本気でくればいい」
こちらを見つめる彼の表情は、初めて見るものだった。これまでにないくらい驚いているのだろう。
その様子を見ると、いたずらが成功したようななんともいえない愉快な気持ちになった。
彼をこのように驚かせる事ができるのは、二度とないことかもしれない。
絶対勝たなければ、と容赦なくエルオーシュは剣を繰り出した。
アーウェスは強い。勝てる見込みもない。だが、やってみなければわからない。そんな駄目元な気持ちで参加したエルオーシュには、何も恐れるものなどなかった。
繰り出した剣が、アーウェスの剣に触れる。
こんな単純な攻撃など、アーウェスにとっては子供の遊びみたいなものだろう。
そう思ったとき、金属音と共に剣が宙に舞い上がった。
はっとして自分の手を確認するが、そこにはしっかりと愛剣が握られている。
まさか、と思いつつアーウェスに視線を戻す。
飛ばされた剣を避けるためにか、とっさに地に腰を下ろした姿のまま彼は、己に突き付けられているエルオーシュの剣の先を見つめていた。
信じられない光景にエルオーシュは呆然とした。
完全に、王弟殿下を打ち負かした、という光景。
人々も驚愕に声を失ったらしく、不思議とあたりは静寂に満ちた。
もしかして、…勝った…?
信じられないまま、アーウェスを見下ろす。
彼は上目づかいにこちらを見上げていた。
なぜ…?私に負けた?
驚かせすぎたのか、本当の偶然か…。何の意図があるのか。
…でも勝ったんだ、とエルオーシュは無理やり疑問を押し込め、安堵の吐息とともに気を引き締めた。
これは、始まりだ。
エルオーシュの戦いの。
いつか彼に振り向いてもらうまでずっと戦うのだ、ともし勝ったらそう決めていた。
その戦いの開始の合図は、口づけ。
エルオーシュからの宣戦布告。
エルオーシュは剣を放り投げ、アーウェスのもとに歩みよった。
ただこちらを見上げる彼は、相変わらず感情が読めない表情を浮かべていた。
いざ、自分から口づけをしようとなると、なかなか難しい。
そう思ったとき、ふいに手首を捕まれた。
力強く引き寄せられ、よろめく。
そのまま地に膝がつき、倒れ込みそうになったとき、黒い影が視界を遮った。
何が起こったのか分からないまま、気がつくと強引に唇を塞がれていた。
乱暴にも映るというのに、それはこれまでにもなく情熱的で、エルオーシュは呆然と己の唇に触れる熱さを感じていた。
「…お前は馬鹿だろう」
囁くような吐息が、耳朶に触れた。かと思ったら、彼が顔を少し離す。間近で覗き込む彼の黒耀石の瞳に、目を丸くする自分の顔が映りこんでいるのをただ見つめる。
「せっかく、人が解放してやろうとしたのに」
かい、ほう ?
何のことだと、激しく動揺したまま、髪に埋められた手のひらの熱さを感じていた。
そのまま引き寄せられ、アーウェスの方に倒れ込むようにエルオーシュは彼の肩に頬を当てた。
さらさらとした艶やかな黒髪が頬に触れる。
…これは、現実だろうか。
それとも醒めたら消える夢?
「…アーウェ…」
「自由に生きろと言っただろう」
遮る、低くエルオーシュの中に響いた声は、確かに現実の彼の声。
エルオーシュをきつく抱き寄せる腕は、確かに彼の温もり。
「…そうだよ。私は自由に生きたいところで生きる」
混乱しながらも、しかしエルオーシュは呟いていた。
「アーウェスが言ったとおりに、今度は自分で人生を決めたんだ」
毅然と言いたかったのに、震えてしまう声はどうしようもなかった。
先ほど触れられた唇が、あつい。
この温もりも、すべて現実で…
これが醒める夢でも、
気まぐれでも、
アーウェスが何を思っているのはわからないけど、
一瞬でも受け止めてくれる気があるなら
今度こそ恐れずに伝えられる。
「私は、アーウェスのそばで生きたい…!」
やっと言えた言葉のせいで、溢れる感情は止められずその首にしがみつく。
ぎゅっと、離れないように強く。
今まで、抱きつきたかった分まで。
「……っ、す、き」
好き。
アーウェスが好き。
誰よりも孤独も闇も知っていて、
誰よりも誠実で
誰よりも優しい彼が好き。
もう、止められない。
かすかにアーウェスの舌打ちが聞こえた。
「わかっているんだろうな?お前が泣きわめこうが何をしようが、もう二度と離してなんかやれなくなる」
苦しげにつぶやいた彼に、エルオーシュはさらに腕に力を込めた。
思いもよらない言葉に、泣きそうになる。
本当は自分を必要としてくれていたのだろうか?
傍にいることを許されているのだろうか。
周りの人に何度も言われても、ちっとも納得できなかった。
だが、今は……。
これがアーウェスの言葉なら…
「離さないで」
もう二度と。
随分、遠回りをしてきたような気がする。
お互い、誤解だらけで、すれ違ってばかりで。
アーウェスが何も言わないように、自分もまた彼に何も言っていなかった。
だけど、これからは…
何度傷けられても、泣いても、傍にいたい。
必要としてくれるなら、私はずっと貴方の傍に…。
平然として生きながら、本当は傷だらけの彼の傍に
昔から孤独を自分だけで支えきた彼の傍に
『あなただけは、アーウェスをいつまでも信じてあげて欲しい。―きっとあなたがやっと現れたアーウェスの光なのだろう』
すべてを癒す貴方の光になりたい。
物好きなやつだな、とアーウェスのささやきが聞こえたと思ったら、また唇を塞がれていた。
だが、いつものそれとは違っていた。
まるで真摯な想いが込もっているかのような、ただ触れるだけの…。
そのような優しい口づけは、初めてだった。
いつも、熱くむさぼるようなものしか受け止めてなかったからだ。
しばらくして唇が離れ、間近で見つめ合う。
ぼんやりとアーウェスを見上げると、彼は一瞬だけやさしげに微笑んだ。
しかし、すぐに口のはしをつり上げた、いつもの彼の微笑みに戻ってしまう。
「覚悟しろよ。一生、離してなんかやらない」
死が二人を別つまで
その口付けは、アーウェスにとっての宣戦布告だろうか。とふと考え、それと同時に、まるで神前で交わし合う、誓いの口付けのようにも感じた。
アーウェスは、きっと好きだの愛しているだの、そんなことは口にしないだろう。
だけど、それでいい。
本当の気持ちは、言葉に表せないほど、繊細で、大切なもののはずだから。
「では勝者のお望み通り、くちづけを」
エルオーシュの頬に触れながら、アーウェスはにやりと笑った。
「えっ。今、した‥」
二回もされた、とうろたえる。
「今度は自分から、奪ってみろ。自分の意志で」
エルオーシュは、それを望むと言って決闘を申し込んだのだった。
アーウェスの唇を見下ろしたエルオーシュの胸に、いまさら羞恥心がこみ上げる。
俊巡をしていると、大きく響き出す人々のざわめきがようやく耳に入った。
ようやく、鎧の挑戦者がこの国の妃殿下、つまりアーウェス殿下の紛れもない正妃だということに気付いた人々が騒ぎ出したのだろう。
観衆の目の前だったことを思い出し、慌ててエルオーシュは辺りを見渡した。
こんな大勢の中で、これまでアーウェスに抱きつき激情を告白してしまっていたのだ。
多少ならば最初から覚悟していたが、ここまでの展開になるとはまさか思うはずがなく、体中がかあっと熱く燃えていく。
アーウェスは、お好きにどうぞ、とやめさせる気などはさらさらない様子で、こちらを見上げている。
思わず、救いを求めて王族の席に目を向ける。
助けを求めたかった国王は、これまでになく楽しそうに微笑み、小さく頷いた。
エルオーシュが思いもよらない窮地にたたされているのを楽しんでいる、そういう顔だった。…ように見えたのは、たぶん気のせいだと思いたい。
ひやかしのようなものや、口笛が飛び交う中、エルオーシュはごくりと生唾を飲み、再びアーウェスに視線を落とした。
ここにいるすべての人が、エルオーシュの行動に期待していると全身に感じる。
「自分で決めた人生だろう」
嫌がらせかと思うほどに妖艶に微笑んだアーウェスに、赤くなりながらエルオーシュはむっと眉をひそめ、ゆっくりと唇を寄せた。
そうだよ。
ずっと貴方の傍を離れないと決めたんだ。
ずっと貴方のいるベルリオールに――
ベルリオールの繁栄を喜ぶ人々のざわめきを聞きながら、唇を近づける。
いずれこの出来事が誰もが知っている恋物語として、何百年も語り継がれることになるとは知らずに、エルオーシュはいつまでも最愛の人の唇のあたたかさを感じていた。




