ep44 独占欲
肌寒い風が、やがてやわらかなものに変わった季節。
ベルリオールが負った傷痕も、ようやく雪どけ水とともに緩やかに溶け流れはじめていた。
耳を澄まさずとも聞こえる喧騒と歓声を、アーウェスは少々鬱陶しくも頼もしく聞いていた。
兄が築くベルリオールは揺るがない、と実感できる。
だが今日は、自分が兄に代わり、王家の威光を示さなければならない日。
年に一度の、国が主催する大がかりな剣技大会は、戦以外で唯一、アーウェスが活躍しなければならない場であった。
剣士達の集まる剣技大会は、人々の娯楽。貴族から庶民まで、会場に足を運び盛り上がりを見せる。
どのような戦いが見られるのかと、人々の話に花が咲く。
しかし、今年も優勝者の話は誰も口にしなかった。
それはもう、わかりきっているからだ。
集まった、その強靭な剣士達の頂点をこれまで極めていたのが、ベルリオールの王弟であるアーウェスであった。ここ数年間、連勝を見せる優勝者の座は揺るがないと人々は確信していた。
「アーウェス」
身支度を整えていたアーウェスの背に、聞き慣れた声が届く。アーウェスはゆっくりと振り向いた。
「たまには、手加減するというのはどうだ。おまえがいつも優勝なのはそろそろ飽きた」
「ご冗談を。俺は今年も兄上に勝利を捧げるため、一心に励みますよ」
アーウェスが淡々とそう返すと、カルロスは楽しそうに喉を鳴らし、瞳を細めた。
「すごい活気だ。あんなことがあった後だというのに、見ろ。ベルリオールはたくましい」
「…当たり前です」
「去年と変わらずの盛り上がりだ。なにもかも元通り…だというのに、ひとつだけわだかまっているものがあるな」
意味深な微笑みを浮かべる兄に、アーウェスはあきらめの気持ちでため息をつきながら、その顔を見返した。
何が言いたいのかは、聞かずとも重々承知だ。
「エルオーシュを帰す手筈は、どこまで進みましたか」
彼女がローネリアの刑に意見をしてきたあの日から、アーウェスはまったくエルオーシュと言葉を交してはいなかった。
たまに見かけることはあったが、目が合ってもお互いに視線をそらしていた。
…いや、そらしていたのは常にアーウェスだ。
「素直じゃないな、お前は。本当は帰したくないのだろう?お前が行くなと行ったら、彼女は帰らないだろうに」
「面白いことを言いますね。俺が、そんなにひとりの人間に執着するように見えますか?」
執着しているだろう?
とカルロスは声に出さずに、アーウェスの瞳を見返した。
執着、ね
目を閉じて、己を嘲笑する。
執着しているから、わざわざ手放すのだ。
これはエルオーシュにあげた逃げ道だ。
まだ、アーウェスがエルオーシュを手放せる時に手放してやれなかったら、きっと彼女は幸福にはなれない。
自分に女を幸せにできる能力はないと、アーウェスはわかりすぎるほどに知っている。
できるのは、傷つけて、巻き込んで、泣かせるだけ。
傷つき、子供のようにひどく泣いていたあの姿は、もう見たくはない。
きっと、心から彼女を大切に想う者が現れる。
アーウェスが傷つけた分、幸福を授けてくれる者が。
その場所でなら、彼女は幸せに笑っているはずだ。
今は、それだけを願う。
身勝手な執着心で、傍に置くべきではないのだ。
だから、取り返しがつかなくなる前に、彼女を解放する。
「私も王女殿に執着している」
ふいに響いた兄の謎な言葉に、さすがにアーウェスも眉をひそめた。
「彼女はお前に必要な人だ。だから私は、彼女に行って欲しくない。光をまた見失しなうつもりか、アーウェス」
また。
その言葉がひっかかり、目を細める。
うなずいたカルロスに、再度アーウェスはため息をついた。
ああ、そうか。と
いったい、いつのことを話しているのだ、この人は。
弟の、幼いあの頃の誰もが経験するような淡すぎる感情を、いつまで気にしているのか。
そう思うと、だんだん可笑しくなってきた。
「殿下、そろそろ…」
控え室に現れた者は、アーウェス付きの騎士だった。そろそろ、出番らしい。
「今向かう」
愛用の剣を腰に吊し、手袋に指を通す。
「では、陛下。今年も貴方のために勝利をつかみましょう」
優雅に兄に腰を折り、アーウェスは踵をかえした。
「アーウェス、自覚しているのか?」
ふと、その呼びかけに足を止める。
「お前は王女殿を愛しているのだよ」
柔らかく響いた声に、振り向かずにアーウェスは笑った。
愛?
違います。
歪んだ独占欲というのです、兄上。
心の中だけで言いながら、アーウェスはその場を後にした。




