ep43 我が儘に
少し傾いた西日が回廊を照らし、ふたつの影をつくる。
国王陛下の執務室を出たエルオーシュは、ロッソを連れ、私室へと向かっていた。エルオーシュの後ろを歩くロッソは、執務室を出たあとも一言も声を発してはいない。
久しぶりだというのに、言葉を交わさないこの状態が気まずく、エルオーシュは思い切って立ち止まった。
なぜ戻ってきたのか、故郷はどうなっていたのか。気になることはたくさんあったが、いざロッソの顔を見ると言葉が紡げない。
きっと彼女は怒っている。
恐る恐る、といった様子でロッソの顔を覗きこむように視線を上げたエルオーシュに、彼女は無表情のままそっと口を開いた。
「エルオーシュさま、私は怒っています」
……ああ。やっぱり
勝手に、話を交さぬままアルライドに返してしまったのだから。
「うん…」
「私はエルオーシュさまが一番おつらいときに、傍にいることを許されなかった」
いつも、どんなことがあっても平静な顔のロッソが、少し悲しそうに眉を下げているのを見たエルオーシュは、目の奥が熱くなるのを感じていた。
「ロッソ…」
たまらなくなって、その細い体に抱きつく。
何年も前から、ずっとエルオーシュを支えてくれていた人の香りを胸いっぱいに吸い込むと、次から次へと涙が溢れおちた。
ロッソは抱きしめ返してもくれないし、甘えさせてはくれない。
昔からそうだった。
しかし、何もしてくれなくても、すべてを受け止めてくれるのだ。
エルオーシュにとっては侍女ではなく、昔から姉のような存在だった。
「おつらい思いをなさいましたね」
優しい響きを残す声とともに、頭をそっと撫でられる。
ロッソはきっとすべて知っているのだろう。
エルオーシュに起きたすべてのことを。
「ロッソ…。私は…」
どうしたらいい?
そう続けようとした言葉を、エルオーシュは飲み込んだ。
エルオーシュは一度だって、ロッソに弱音を吐いたことはない。
吐いてはいけない。
吐いてしまったら、ロッソの主としてはふさわしくないような気が、いつだってしていた。
アルライドに帰らなければならない。
でも帰りたくない。
ベルリオールに残りたい。
何度傷ついても、どうしようもなくアーウェスの傍にいたいと思ってしまう。
しかし、それを吐き出せずにエルオーシュはロッソの胸に顔を埋めていた。
「エルオーシュさま。今のあなたは私の知っている姫さまではありません」
突き放す言葉だというのに、意外にも諭すような柔らかいその響きにエルオーシュは顔をあげた。
ロッソがそっとエルオーシュの両肩に手を添える。
「私の知っているあなたは、もっと我が儘でした」
「わが、まま…?」
「まっすぐで、迷わずに突き進む強いお方でした」
ロッソはかすかに吐息を吐き、微笑みを浮かべた。
珍しいその顔に、エルオーシュは魅入る。
「このようにぐずぐず悩んでいる性格ではないと、姫さまが一番わかっているはずです。そうでないのなら、私の主にはふさわしくない。あなたはもう、ご自分が何をやるべきか理解しているはずです」
ゆっくりと言い聞かせるようなロッソの言葉に、エルオーシュはいままで霧がかかったように重かった頭が、一気に冷えていくのを感じていた。
「思い出してください。我が儘だったあなたを」
我が儘
我がままに
自分の思うままに突き進む。
自分の望むことをする。
いつからそれをしなくなったのだろう。
そうだった。
こんなのは、自分らしくない。
いつでもそうして手に入れようとしていたのに、いつから忘れていたのだろう。
まだ自分は、一度だって本気で手を伸ばしてはいない。
「ロッソ」
腹心の侍女に呼びかけながら、エルオーシュはやっと自分を取り戻したような気がしていた。
臆病さも、迷いも、身に纏わずに突き進んでいたかつての自分。全力でぶつかってみなければ、わからないのだ。
あきらめて逃げるのは、それからでいい。
「はい。姫さま」
「陛下の所へ戻る。ついてきてくれ」
気付かせてくれてありがとう、と感謝の気持ちはあえてロッソには言わない。
それをロッソが求めているから。ロッソの主でいたいから。
心の中だけで感謝の言葉をつぶやきながら、エルオーシュは涙をふいて、踵をかえした。




