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ベルリオールの花嫁  作者:
第三章
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ep40 想いの交錯

 

 王城を襲った国賊は、遅れて駆けつけたアーウェスの軍によって一掃された。

 

 しかし負傷者は絶えず、手当てをする医師や女官があちらこちらで忙しそうに駆けている。

 争乱は去ったとはいえ、王城はいまだ騒然としていた。


 ナーナ達の無事を確認したエルオーシュは、そんな王城の様子を目にとめながら、ある人物を探し歩き回っていた。


 怪我をしているというのに医務室にもいない。


 自室に戻っている様子もなければ、王と一緒に争乱の後始末に追われているわけでもなさそうだった。

 謁見室の前を通りかかったエルオーシュは、ふと中を覗いてみた。開放されたままの部屋は、いまだに荒れたままだった。


 王城の喧騒がぼんやりと聞こえる。そう思いながらさらに奥に足を進めた。


「あ」


 いた。

 アーウェス。


 開け放たれたバルコニーに足を踏み入れたエルオーシュは、そこでずっと探していた人物を見つけた。

 疲れたように背を壁にあずけ、座り込んでいるようだ。


 腕に布を巻き付けたアーウェスは、慣れたように口を使ってぎゅっとその布を結んでいた。

 怪我を自分で手当てしているようだ。


「…パストール先生が心配していた。きっと自分で手当てしているだろうって。国王陛下も探していたよ」


 勇気を出して声をかけてみると、アーウェスはかすかに視線をあげてエルオーシュを確認した。

 帰ってくる返事はない。


「……医師に見てもらわなくていいのか?」


「たいした怪我じゃない」


 干渉されることを嫌がるような、そっけない声が帰ってきた。

 しかし、めげるものか、とエルオーシュは拳を握る。


 アーウェスが生きて帰ってきたら、すべて伝えようと決めていたのだから。


「こんなところで何をしていたんだ?」


 まずは軽い会話から始めようと再び話しかける。

 夕方の寒い風が、握った手をさらに冷たくさせた。


「見つかると面倒だから」


 エルオーシュとは会話する気がないのがあからさまに分かる、簡潔な言葉だった。

 しかし、それだけでなぜこんな所にいるのかエルオーシュは分かった気がした。


 きっと今、事態を聞き付けた諸貴族や家臣達が城に駆けつけている。

 一度は国賊とされたアーウェスが説明を求められるのは明白だった。


 アーウェスを敵視している者たちの反応が、どういうものか容易に想像できる。きっと冷静な会議はできないだろう。


 そして困るのはすべての責任を負う陛下本人だろう。


「………そう」


 その言葉が最後に、沈黙が落ちた。

 何から話そうか、とエルオーシュは頭をめぐらせた。何を話すか考えていたはずなのに、いざ本人を目の前にするとまるで分からなくなる。


 …最後に会ったのはいつだったろう。

 それから、聞きたいこと、伝えたいことがたくさんあったのだ。


 戦でどんな目にあったのか。どんな苦労をしたのか。


 エルオーシュのことを本当はどう思っているのか。

 眠っているエルオーシュの髪を撫でてくれたのはアーウェスなのか。

 そして子を流してしまった事をどう思っているのか。


 そのことについて、アーウェスがどう思っているのかまったくわからない。

 呆れてエルオーシュに愛想をつかせたのかもしれない。

 それとも最初から関心がないかもしれない。


 声に出すのが怖くて、エルオーシュはうつむいた。


「…エル」


 つぶやきに似た声が静かにに響いた。

 驚いて顔をあげる。


「体はもういいのか」


 そう言ったアーウェスがちらりと腹部に視線を向けた。

 もしかして、気にしてくれていた……?


「う、うん。もう平気…」


 思いもよらないことに、気の抜けた返事しかできなかった。

 まったく関心を寄せられていないと思っていたのに…


「ああ、そう」


 相変わらず冷たい態度だというのに、胸がじんわり熱くなる。

 そして、少し泣きそうになった。


「アーウェス…、私のせいで…子ども、が‥」


 子供が流れたのも、そして、この国を揺るがす陰謀も…


「それに…、私の存在が、アーウェスにとってどれほどやっかいなものか、ちっとも気付けなかった」


 ロベルトに聞かされるまで、エルオーシュを正妃にしたアーウェスの地位か変わることになるなんて思いつきもしなかった。


 それでも、アーウェスがエルオーシュを正妃として扱ってくれたのは、父に裏切られたエルオーシュを哀れに思ったからだろうか。


 意外に優しい彼は、絶望したエルオーシュをつき放せなかったのかもしれない。


 それなのに、そんなアーウェスの事情などわからずに、エルオーシュは自分のことばかり考え、愛情を向けてくれないことばかり気にしていた。


 そんなことは、この政略結婚においてくだらないことだったのに。


「……ごめん……、わたし…」


 声が震えた。

 たまらなく申し訳なくて唇を噛む。


「別に、お前のせいじゃない」


 先ほどと変わらない淡々とした声音だったのに、どこか優しげな響きがそこにはあった。

 目の奥がつんと染みる。


 どこか救われたような気分にそっと息をはく。

 苦しいくらいに胸が締め付けられた。


 それは、彼をたまらなく恋しいと感じているから。


 好き。会いたかった。

 そう伝えたら、もう少し歩み寄れるだろうか。


 その首に抱きついて、生きて帰ってくれて良かったと素直に伝えられるだろうか。

 突然だまりこんだエルオーシュを覗き込むように、アーウェスは顔を向けた。その視線に己の瞳を向ける。


「…これからは、アーウェスの不利にならないような、役立つような正妃になるよう努めるから…ちゃんと考えるから…」


 だから、傍にいたい。

 愛情を持たれてなくとも、少しだけ大切にしてくれるだけでいい。


 エルオーシュ、と呼んでくれたのが事実ならそれだけでいい。


 正妃としてもやっかいな立場だが、政略結婚として嫁いだエルオーシュにまだ利用価値もあるなら役に立ちたい。


 そうやって正妃として彼を支えたいと思う。

 妻として愛されなくても、ずっと傍にいたら少しずつ心を通わせることもできるかもしれない。


 違う誰かを想っていても、それでもこうやって会話できる距離にいたい。

 そう言おうと口を開いたエルオーシュの耳に、重いため息が届いた。


 すべてに踏ん切りをつけるような、そんな響きがある。

 びくりと震えてアーウェスを見つめる。


 こちらを見上げる彼の瞳には、どんな感情の色も窺えなかった。


「国に、…アルライドに帰りたくはないか?」


「……え?」


 何と言ったのだろうか。

 信じられない思いでアーウェスを凝視する。


「アーウェス……?」


「俺の正妃という立場をなくして、(まつりごと)から離れ自由に暮らせる」


 アーウェスの言葉がぐるぐると頭の中をめぐる。

 つまり、帰れと言いたいのだろうか。


 アーウェスにとって、エルオーシュはただやっかいな者でしかないのだろうか。

 彼を(まつりごと)の渦中においやり、アルライドの世継争いにまで巻き込んだ。


 だから、アーウェスはもううんざりしてエルオーシュを追いやるのだろうか。


 それでも、やっかい者というだけではないと思える瞬間もあったのに。

 それは、やはり錯覚だったのだろうか。


「正妃としてふさわしくないから?」


 かすかにアーウェスは目を細めた。

 それは、くだらない質問をするエルオーシュに苛立ったように見えた。

 ふさわしくないのは、聞かなくとも明白なのに。


「…正妃の地位をなくして、国に戻り帰ることが恥だと感じるのなら、気にしなくていい。アルライドはベルリオールの配下国だ。誰にも文句を言わせないようにできる」


「…陛下の命令?」


「いや、俺の独断だ」


 ひどく困惑しているエルオーシュは、やけに落ち着いているアーウェスの顔を眺めることしかできなかった。


 なんと言葉を返していいのかわからない。


「…国に帰っても、私にはここ意外に役目がない」


 戻っても、何を目的に生きればいいのかわからない。

 義務づけられた世界にしか、エルオーシュは生きたことがないのだ。


 それに、アルライドの王女といっても、きっともう母国は歓迎してはくれないだろう。


「役目も義務もない。ただ自分の思うように生きればいいだろう。ただ自由に、今度は自分で決めた人生を」


 自由に生きる。

 それはエルオーシュには許されないことだった。

 だから、今さらそう言われても自由に生きるということが、どういうものかわからなかった。


「……政治のからまらない所で、次は好きな男の子供を無事に生めばいい」


 諭すようなアーウェスの言葉に、エルオーシュは息をのんだ。

 胸をえぐられたかのような痛みが全身にはしる。


「……本心からそう言っているのか…?」


 苦しさを紛らわすために小さく息をはく。

『次は好きな男の子供を無事に生めばいい』

 好きな男の。


 それはアーウェスではない、他の男の、という意味だろう。


「それが、お前にとって一番いい」


 アーウェスが、何を思ってそう言っているのかまるでわからなかった。

 エルオーシュのことを考えてくれているようで、本音は穏便に追い出したいと思っている。エルオーシュにはそんなふうにしか受け止められなかった。


「私にとって一番いいことだとか、そんなの私はいらない。知りたいのは、……アーウェスがどう思っているかだ」


 震えた声でやっと言葉を紡ぐ。

 不可解そうにかすかにアーウェスは瞳を細めた。


「アーウェスが私のことをどう思っているのか。アーウェスにとって、私は必要なのか。…それが私は知りたい」


 アーウェスにとっているのか、いらないのか。


「アーウェス」


 切実な思いを込めて彼を見つめる。

 アーウェスは、しっかりと真っ直ぐエルオーシュを見上げた。


「俺にとって、お前は必要ない。エルオーシュ」


 しっかりとした響きは、エルオーシュを絶望に突き落とした。

 鋭い痛みが胸に突き刺さる。


『必要ない』

 私は、彼にとって必要ない。


「……わかった。少し、考えさせて欲しい」


 なんとかそう言い残し、エルオーシュはアーウェスに背を向けた。

 溢れ出そうな涙を、どうしても見られたくなかった。


 頬を流れる雫が、先ほどまで自分がいた場所に落ちたことなど気付かずに、エルオーシュは心が折れないように気丈さを装い、謁見室を立ち去った。






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