ep38 真相と終焉①
もう悪夢は去ったのだ、と安堵したエルオーシュは立ち上がった。
真っ先にアーウェスの元へ駆け寄ろうと思ったのだ。
すぐにでも、彼が生きてここにいるのだということを確かめたかった。
エルオーシュの視界には、アーウェスの姿しか映ってはいなかった。
足を踏み出し、アーウェスの方に必死に手を伸ばす。
意外にも、驚いたようにこちらに手を伸ばそうとするアーウェスの仕草がたまらなく嬉しくて、後ろから迫る危険にちっとも気づくことができなかった。
背後から髪を引っ張られたエルオーシュは、いつの間にかロベルトの腕の中にいた。
首筋には、金属の冷たい感触がする。
その時、やっとエルオーシュは己の失態に気づいた。
アーウェスが手を伸ばしたのは、ロベルトがエルオーシュを捕まえようと動いていたからだ。
「まだ、終わってはいない!」
狂ったように叫び、震えた手で剣を握るロベルトは、追い詰められた勢いでどんなことでもしそうに見えた。
苛立たしげに舌うちをしたアーウェスを見たとき、エルオーシュはこれまでもなく自分に怒りが湧いた。
普段のエルオーシュなら、ロベルトの気配を感じることぐらいできたはずだった。
その手をかわすくらい簡単だったはずなのに。
いつもアーウェスの前だとこうなる。
アーウェスだけに意識が捕われて、足元も何も見えない、何もできないただの女になる。
それがたまらなく許せなかった。
自分の存在が足枷になるくらいなら、死んだ方がましだ。
とっさにそう思い、ロベルトの腕から逃れようともがく。
ぴたりと当てられた剣先が首筋の薄い皮を切っても気にもせずに、エルオーシはただロベルトから離れることだけを考えていた。
「エル!動くな」
珍しく強い口調のアーウェスに、エルオーシュはぴたりと動作を止めた。冷静になれ、と怒鳴られた気がしたのだ。くっと、苦い気持ちで強張った体の力を抜く。
「妃殿下を傷つけたくないのなら、そこをどいてください。殿下」
「人質をとって逃げるつもりか?…意味のないことを。王城には共にきた数人の部下達が王城の兵士をまとめ上げて、争乱を鎮圧しているはずだ。そして、間もなく援軍も到着する。逃げられるはずがない」
息を飲んだロベルトが、何を咄嗟に考えたのか、当然エルオーシュには知る由もなかった。
ただ、男の腕の力が弱まることはない。それを感じ、息をつめる。
「ロベルト、大人しく降伏しろ」
腕に大事に抱いて守っていた王妃を床に横たえさせたカルロスが、慎重に立ち上がりこちらに歩み寄る。
それに警戒したロベルトは、うるさい!と喚きながらエルオーシュの首筋に刃をさらに強く押し当てた。
「近づくな…!」
「もういいだろう。ロベルト。はやく王女殿を離せ」
「いいえ、陛下。これでは私の気がすまない。そもそもすべてが狂いだしたのは、この女が来てからだ!」
いったい何のことだろう、とエルオーシュは怒りを湛えたロベルトの顔を見上げた。
しかし、すぐにロベルトは首を横に振って己の言葉を否定する。
「いいえ、違いますね。すべてはアーウェス殿下、あなたのせいだ」
「意味がわからない」
不可解だと目を細めるアーウェスを、ロベルトはきつく睨み据えた。
憎しみと怒りをにじませる瞳で。
「貴方はいつでも邪魔をする。王家の疫病神め。あの時もそうだった」
皆が困惑する中、ロベルトは震える声で語り出した。
「あれは何年前だったでしょうか……。あなたが初めて王城にきたときも、今のように私の邪魔をした」
*******
十数年前。
元から体が弱いと知られている王太子に、宰相レオンはあることを計画した。
それは、――毒殺。
しかし、すぐに毒だと明らかになる物は使えない。
そこで目をつけたのは、他国と交友の深く、薬学にも通じているロベルトだった。
ロベルトは名門、ヴェルヌ家の生まれだが、ひそやかに王家の血を引いている者だった。
三代前の老王が、夫のいるヴェルヌ家の女に生ませた庶子。王の死により、王族だということを、この世に生を受けた時から隠され、一族で匿われた存在だったのだ。
それゆえに、正妃の子として産まれた国王と、その息子の王太子が憎かった。自分とは違い、陽の下を歩む者たちに妬みという感情を持っていた。
それを知っているレオンは、ロベルトに話を持ちかけた。
レオンの方が身分高く、年齢も上といっても、関係でいえばロベルトがレオンの叔父となる。
そんな奇妙な関係だったが、二人は気が合った。
王太子を暗殺するために、ロベルトは他国からこちらでは知られていない毒を取り寄せた。
それをレオンは、協力者であった女官に手渡し、王太子の食事に混ぜさせたのだ。
体調を崩した王太子に、誰もが毒を盛られたのだと疑うものがいなかった。
カルロス王子はもとから虚弱だったからだ。また、王もその時はすでに若くして病を患っていた。
血の近しい者で婚姻を繰り返した尊い王家の直系男子は、そのせいか代々虚弱であった。
妾の子として礼遇されたレオンやロベルトは、皮肉にもその体質は受け継がれなかったようだ。
そのため王太子が死ねば、王弟であるレオンがすぐに次期国王と決定する。
そして、ロベルトは今より高い地位に上れると確信していた。
しかし、予想もしていないことが起こった。
もうひとりの王子だと、見知らぬ子供が城にあがった。
顔を見たとき、王の重臣達はあの女の子供だとすぐに察した。
あの踊り子がこの王城に来たのは数度だけだったというのに、しかし、あの美貌は何年たってもそれを目にした人々の記憶から消えることはなかった。
ロベルトとレオンもそのひとりだった。
決して誰のものにならないという評判の女だったが、噂の通りベルリオール国王が手にして囲っていたのだとその子供を見れば分かった。
ある日をさかいに王が狂ったと、王妃であるイザイラがレオンの前でよく取り乱していたが、イザイラが言った通り、王はひとりの女に執着し、以前より政に飽いて城を空けることが多くなっていたのは事実だったのだ。
戦狂いだった王を、そこまで夢中にさせた女は一人しかいない。と、誰もが噂をした。
そのせいで、その王子が王の血を引いていないと、疑う者はいなかった。
その予想外の黒髪の王子の登場を目にしたレオンは、すぐさま計画を中断した。毒の代わりに解毒薬を王太子にのませ、命をつないだのだ。
カルロスを殺しても、いずれアーウェスが王につく。
それならば、いつでも命を狙える体の弱いカルロスを王につけ、庶子であるアーウェスからは時間をかけて王位を剥奪すればいい。
そう考え、レオンとロベルトはじっと何年も耐えた。
その六年後、国王が若くして崩御した。
それと同時に、ロベルトは宰相の位についた。
新たに王位についた若き国王は、いつでも暗殺できた。
しかし、そうしなかったのは国外の動きによるものだった。
国王が亡くなり、虚弱な王太子が今度は玉座に座る。ベルリオールが弱体化したと察した国々は、こぞって戦を仕掛けるようになった。
だが、意外にも戦の才を発揮する末の王子によって、その一時の危機は免れた。
その間、ベルリオールは内外の政策に力を注ぎ、しだいに再び揺るぎない王国となったのだ。
そこがレオンとロベルトの狙い目だった。
しかし、その計画に大きな変化が起こってしまった。
それが、ベルリオールとアルライドの婚姻であった。
********
「私は、その話し合いの最中は、流行病の調査に奔走しておりました。陛下、あなたに命じられて。それをどんなに恨んだことか。我々が反対すると踏んでの措置だったのか、と今でも口惜しく思います。僻地の領地にいたレオン殿も同じようだったようです。確かに、アーウェス殿下とアルライド王女の婚姻には驚きましたが、それほど心配はしていなかった。それは、殿下ならば王女を寵愛することはないだろうと思っていたからです」
ロベルトはわずかに顔を歪めた。
誰にも執着しないアーウェスは、きっと正妃も礼遇するはずだと確信していた。
なのに…
「しかし、貴方は意外にも王女を寵愛しはじめた。そこからだ、何もかも狂ったのは」
エルオーシュをつかむ手がわずかに震え続けている。
「レオン殿が焦るのも無理はない。無断で、無謀でもある馬鹿げた計画を実行してしまった。リンベルク国から取引をして手に入れた毒を、あの時と同じように陛下に盛った。今なら……アーウェス殿下が力を持たない今なら、次期国王は自分になると確信して」
ロベルトはカルロスが病に倒れたあの日を言っているのだ。まさか、あの出来事が陰謀の始まりだと、誰が思っていただろう。
「しかし、次期国王にあなたが選ばれた。その時私は悟った。王位を手に入れるには、陛下と殿下、二人とも葬らなければいけないのだと」
そして、またも暗殺を中断し、この計画を立てた。
「私は今でも、貴方が王位を本気で狙っていたのでは、と疑っています。だってそうでしょう?貴方がこのアルライドの王女を手放さない理由が、あと他に何がある」
自分のことを話しているというのに、エルオーシュは困惑した。自分の何がベルリオールの王位に関係があるのか、ちっとも分からなかったからだ。
「王位継承権を持つ王女をわざわざ傍に置いたのは、やはりご自分の子をアルライドの国王にするつもりがあったからですか?殿下。正妃とはいえ、裏切った国の王女を傍に置こうとする余計な貴方の動きのせいで、皆の目が変わり次期国王がレオン殿ではなくなった」
エルオーシュはその事実に愕然とした。
自分の子がアルライドの王になる‥?
しかし、少し考えはっとした。ベルリオールの王族とアルライドの王位継承権を持つ王女の子は、アルライドを属国とするベルリオールにとって貴重な存在なのだ。
当然、アルライドの王に推されると予想がつく。
そして、その父親である王弟が力を持つのは確実だった。
政に興味がない、…さらに言うとそれをひどく嫌っているアーウェスを、その渦中に置いていたのは他でもないエルオーシュだったのだ。
「何もかも、貴方のせいです!この争乱を引起したのも、レオン殿が死んだのも、そして、妃殿下が子を流されたのも」
「え…?」
突然の告白に、エルオーシュはひどく混乱した。
子が流れた。その言葉を耳に入れた瞬間に、頭の中が真っ白になる。
あの時の絶望が胸に広がる。
「お気づきにはなりませんでしたか?あなたにも子を流す毒を盛っていたのですよ。我々がここにきた時にローネリアに頼んでいたのですが、忘れずに役目を果たしていたようですね。まさか、本当に子ができていたなんて思ってもみませんでしたが」
毒を盛られていることには、気づいていた。
気づいていたのに。
では、あの時、強がらずに毒を盛られている可能性を誰かに話していれば、救えていたかもしれなかった…?
「どこまでも不幸な王女ですね、貴方は。ここに嫁いだせいで、ずいぶんお辛い目にあわれたようで…。同情いたしますよ」
嘲るようなロベルトの声に、エルオーシュは怒りに体がかすかに震えるのを感じた。
こんな男の、こんな馬鹿げた策謀にまんまと嵌っていたなんて…。
『本当のことを知っても、そう思うかしらね…』
ローネリアは、このことを言っていたのだろう。
――同情いたしますよ
ロベルトのその言葉が消えることなく頭の中で響きわたった。
無意識に下腹部に手を添え、ぎゅっとドレスの布を握る。
「……手を離してもらおうか、ロベルト殿」
アーウェスの声が低くうなるように響いた。
その声はすべてを凍てつくすような響きを持っていた。
隙があらば、いますぐにでも容赦なく斬り込むだろうと思わせる殺気を含む瞳で、ロベルトを見据えている。
脅えたロベルトは、盾にするようにさらにエルオーシュを引き寄せた。
剣を構え少しずつ距離を詰めるアーウェスを追い払うように、震えた手でエルオーシュの首筋に刃を押し当てる。
必死でアーウェスから離れようと、焦った様子で窓の布を払い、ロベルトは広いバルコニーへと足を踏み入れた。
足を進める彼は、背に手すりが当たるまで止まらなかった。
エルオーシュは、少しだけ手すりの下を見てすぐに後悔した。
四階にあるここから、地面の距離はかなりある。
落ちたら、即死…だろうか。
開け放たれた窓から、慎重にこちらを見守るカルロスとアーウェスが見え、エルオーシュはどうしようと首を巡らせた。
追い詰められたロベルトが何をするつもりかわからないが、首に当たる刃は離れる様子はない。
「ロベルト、もう諦めて王女殿を離せ!」
カルロスの叫びに、ロベルトは脅えながらも薄く笑った。
ロベルトはどうあってもエルオーシュを離す気はないのだ。




