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ベルリオールの花嫁  作者:
第三章
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ep37 英雄の凱旋

 


 驚愕に目を瞠いたロベルトは、体をかすかに震わせた。

 ありえない、と一歩後退りをする。


 突然現れた長身の人物は、そんなロベルトのことなど少しも気にすることなく、謁見室へ大きく足を踏み入れた。

 そして、ひどく疲れ切ったような仕草で反逆者へ歩み寄る。


 光に目が慣れたエルオーシュの視界には、やっとその人物の姿がはっきりと目に映った。


 ――アーウェス…


 夢でも見ているのか、とエルオーシュはその姿を呆然と見上げた。

 かすかに息を切らし、気だるそうに目線を上げたアーウェスと目が合う。

 この場所にエルオーシュがいるとは予想だにしなかったというように、彼は眉をひそめた。

 それを、信じられない思いでただひたすら見つめる。


 漆黒の髪も、黒曜石のような瞳も、声も、すべて記憶の中にある彼と同じ。


 ――生きている

 それだけで、心が震える。


 二度と会えないかと思っていたのに。

 無事にまたここに…


 喉が熱くなる。思わず声を上げて泣き出しそうなったエルオーシュは、ぎゅっと唇を噛んだ。


「アーウェス。遅かったじゃないか」


 剣を上げたまま、凍りついたように動かなくなったランフォードに目もくれず、カルロスがにやりと笑みを浮かべた。


 その様子に、驚きの表情は見当たらない。

 待ちくたびれたというように、安堵にも似た小さなため息をつく。

 その兄の言葉に、あっさりとエルオーシュから視線を外したアーウェスは、カルロスを見て心外だというように片眉をあげた。


「遅い?これでも半日でトラファニア軍を敗走させ、その足でほとんど寝ずに七日間馬を走らせてきました。最短記録ですよ、兄上」


 確かに彼は、激しい争乱からたった今抜け出して来たかのような凄惨な姿をしていた。

 戦のための装備をすべて引き剥がしてきたらしい軍服は、泥や血の飛沫で汚れ、裾や腕は所々切り裂かれている。


 顔にも乾いた返り血らしい跡がついている。

 その乱れた姿は、不思議にも彼のぞくりとするような容貌や雰囲気を一層際立たせていた。

 もっともその美しさは神々しいものではない。


 いつもにましてけだるそうな、――だが、鋭い瞳は、暗い淵から迫り上がるような、魔性を秘めたものだった。


「………アーウェス、殿下。まさか……。なぜ」


 なぜ、ここにいるのか。

 低く震えたロベルトの声は生気を失い、空気に溶けるようだった。


「私を見くびっていたようだな、ロベルト」


 その声は力強く悠然と響いた。

 困惑するロベルトに、カルロスは笑みを浮かべる。

 その笑い方は、いつものからかいを含んだような、アーウェスの笑みとひどく似ていた。


「確かにお前が反逆者だとは、露にも思わなかった。…が、陰謀の気配に私が気付かなかったとでも?何者かが弟をはめようとする魂胆が見え透いていた」


「しかし、その見え透いた陰謀に、あなたは(あらが)えなかったではありませんか…!周りの者達の作りだす国の流れのせいで」


 口を揃えて王弟を殺せと主張する者、逆に王弟につこうと国王を裏切り画策する者。

 ふたつに分断されるかのような国の窮地に、カルロスは決断をしたはずだった。

 どうしようもない国の流れに、(あらが)うことはできなかったのだ。


「時には、信頼する家臣達を(あざむ)くのも必要だと思わないか?宰相閣下殿」


「…あなたは、何を」


「その通り、私は国のために犠牲をはらう決断をし、皆に高らかに王弟の討伐を命じた。()()()には」


 え?とエルオーシュの思考がとまった。

 きっと、ロベルトも同じだったのだろう。

 わずかに空気を短く吸う音が聞こえた。


「表向きには、討伐軍。しかし、本来はアーウェスに向けての伝令。それだけの巨大な隊列だった」


 カルロスは家臣・諸貴族をまず黙らせ、国政を落ち着かせるために討伐という嘘をついた。

 隊列の責任者の者には真実を告げ、その隊列を、王都を出た瞬間に討伐軍から伝令隊に変貌させたのだ。


「国賊にされたという噂は信じていませんでしたが、王都からの軍隊を見た時にはさすがに肝が冷えました」


「嘘をつけ」


「本当です」


 かすかに肩をすくめたアーウェスに、ふっとカルロスは笑みを浮かべた。

 ふたりの怜悧(れいり)さと絆を甘く見ていたと、その時エルオーシュは理解した。

 やはり、この二人には他人には見えない堅固な信頼関係がある。


 二人の間にそれが有る限り、ベルリオールは揺らぐことなどないのかもしれないと、ふとエルオーシュは思った。


「し、しかし!先日の報では、確かにアーウェス殿下は王都軍とトラファニア軍に挟みうちにされていると…」


「報?そんなものはどうにでもなるだろう?ロベルト殿。あなたが俺にやったことと同じなのだから」


 真実はすべて知っていると脅し、家族も知っていると人質をとれば貴方に脅されている配下を手玉にとるのは簡単、とアーウェスは人の悪い笑みを浮かべた。

 ぐっとロベルトは唇をかみ、わなわなと体を震わせる。

 屈辱と怒りに顔を赤くする彼を、アーウェスは見下すように鼻で笑った。





 

 ―――一月(ひとつき)前、

 陰謀の気配を感じたアーウェスは、カルロスからの何等(なんらか)かの知らせを待っていた。トラファニアの話に乗る振りをしてひたすら息をひそめていた。


 カルロスも気づいているだろう、とアーウェスはむやみに動き出すことをやめたのだ。

 かならずカルロスからの合図がくるだろうと。

 ふざけたトラファニアの提案に、心惹かれたふりをしながら。

 帝国の王は、そんなアーウェスに気付いていたのかは知らない。腹の底が見えない男だった。


 やがて、王都からの巨大な伝令隊が到着し、王城で巻き起こっている事態を知ったアーウェスは急速に動き出した。


 まず、アーウェスからの王都に向けた報告を止め、その代わりに真の反逆者に情報を流す者を探しあて、あらいざらい吐かせ、仕返しと言わんばかりに、こちら側に引き込んだ使者をロベルトに送りつけたのだ。




「そして、先ほど兄上に言った通り、トラファニア軍を敗走させた後、まっすぐ王都に向かった。おそらくあなたが動くなら、報を受け取った直後と思ったが、それが本当に当たるとは」


 確信していたくせに、しらじらしくそう言ったアーウェスは、ロベルトにこれまでもなく腹立っているようだった。声に冷たさが宿る。


「トラファニアはあっさりと退却したぞ。どうやらあなたは初めから、踊らされていたようだ」


「そんなはずはない!」


「事実だ。あの大軍を半日で敗走させることができると思うか?用が済んだとばかりに国に帰っていった」


 床に転がる叔父レオンの首、青白い顔で気を失っている王太后、兄の中で気絶した王妃、そしてロベルトの隣でへたり込むエルオーシュをひとりひとり確認したアーウェスは、ゆらりと血がこべりついている剣を片手でまっすぐに持ち上げ、ロベルトに向ける。


 そして、怒りを静かに押し込めながら、彼は首を傾げてひどく妖艶な笑みを浮かべた。

 狂気をかすかに含むその顔に、エルオーシュの背筋が震えた。


「さあ、ここからは反撃の時間だ。ご容赦願おう。宰相閣下殿」


 アーウェスの標的の隣にいるせいで、狙いは自分ではないと分かっていても、その殺気に震えだしそうなほどの寒気を感じた。


 剣の行方を見守りながら、思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。

 隣にいるだけのエルオーシュでさえこうなのだから、ロベルトの恐怖は計り知れない、と宰相を見上げると、額に脂汗をにじませていた彼は、しかし、なぜか低く笑いだした。


 何かを含むように体を震わせ笑っていた彼は、やがて室内に響かせるような声で笑い出した。

 誰もがそれを見て眉をひそめたとき、彼はやっと言葉を発した。


「反撃、…と?分かっていませんね、殿下。まだ私の計画は終わってはいない。シナリオなど、簡単に書き換えることができるのだから」


 その言葉に、アーウェスはすっと瞳を細めた。

 それに怯むことなく、ロベルトはなおも言葉を紡ぎ出す。

 自分の勝利は揺るがないというように。


「あなたが帰って来るとは確かに予想外でしたが、ならばこうすればいい。討伐軍を送られ激昂した貴方は、単身で陛下を殺そうと王城に。その間、討伐軍とトラファニア軍がぶつかりトラファニア軍が敗走。王城に乗り込んだ貴方は、前宰相レオンを殺し、さらに王太后、王妃、陛下を次々に手にかける。――しかし、駆けつけた王師軍によって討ち死にに……というのは?」


 にやりと笑ったロベルトは、静聴していたランフォードに視線を向けた。

 やるべきことを察した王師軍の彼は、歪んだ笑みを主に返す。


「そんな無茶なこと、誰が信じる」


 呆れたようなカルロスの言葉には、エルオーシュも共感していた。

 なにがなんでも無理矢理すぎて、無茶過ぎる。


 この争乱に巻き込まれた人々が、ロベルトが語る歪められた真実をすぐに信じるとは、到底考えられない。


「そうでしょうか、陛下。真実を知る者がいたとしてもそれはわずか。この騒動に巻き込まれたほとんどの下々の者が、分けもわからずただ陛下に従っているだけです。そして、殿下の下で戦った者達もです。真実を知り、あなた方を真に信頼する邪魔者はすべて排除すれば良い。そして何より、アーウェス殿下、あなたは信用されていない」


 造られた真実を疑い、口を挟もうとするものは全て排除する。

 非道な言葉は、ロベルトの強い野心が滲んでいた。


「全てを、俺のせいに?…それはずいぶんな侮辱だ」


「そうでしょうね」


 ふっと乾いた笑いをこぼすロベルトを、なぜかアーウェスはひどく尊大な態度で、誰もかれも見下すような視線を向けた。


「王城に入った者達は、かき集めの傭兵ばかり。そんな奴らを従えて王位を乗っとろうと考えたと?俺なら、こんな甘い計画など立てない。そして、その計画を考えたあなたは、俺があっさりその男に殺されると思っている。やはりどこまでも愚かで甘い」


「侮らないで頂きたい。そこの男は下賤の生まれですが、稀に見る剣の才をレオン殿に見込まれ王城にやって来た者。王師軍などの下々の者にあまり興味を示さない貴方はご存知ないと思いますが、この男は王師軍の中でも一、二を争うほどの腕前です。……貴方と互角と言っても良いでしょう」


「……互角…?」


 その単語がかなり気に障ったらしいアーウェスは、ぴくりと眉をひそめた。

 その様子に、ロベルトはさらに笑みを深めた。ランフォードの腕によほどの自信があるのだろう。


「ええ、殿下。しかも今の貴方なら互角とまでいかないでしょう。戦を早々に終わらせ、寝ずに何日も駆けてきた貴方は、もはや体力の限界なのでは?それに、体もご無事ではないようだ」


 ロベルトの言葉に、アーウェスは隠すように右腕を掴んだ。

 エルオーシュははっとする。

 返り血だろうと思っていた腕の血は、アーウェス自身の物だったのだ。

 

「愚かなのは殿下、貴方の方です。王族のわりには剣の腕がおありになるから、大げさに騒がれているだけだと、気づく時が来たのです」


 それまでやり取りを見守っていたランフォードが、喜々としてアーウェスの方へと歩みよった。


「嬉しいですよ。まさか、かの有名な王弟殿下殿と手合わせできるとは。貴方に勝ったら俺は英雄の称号を(たまわ)れるのでしょうね」


 白銀の剣をアーウェスに向け、歪んだ笑みを浮かべる彼は武者震いなのか体をかすかに震わせていた。

 短く息を吐いたアーウェスは、仕方なくといったように男と向き合う。


 しかし、体を動かした途端にふらりと倒れ込みそうになり、それを床についた剣で支える。


「おや?ずいぶんとお疲れのようで。軍神といえども、やはりか弱き王族なのですね。残念です。普段の貴方と戦いたかった。でも少しは楽しませて下さいね。そうでなければ、勝つ喜びも半減する」


「……うるさい。疲れた」


 ひどく剣呑な瞳でアーウェスは男を見据えた。


「まさか、陛下を見捨て戦いを放棄する気ですか」


「お前の(うるさ)いお喋りを聞くのが疲れた。来るなら早く来ればいい」


 むっと顔をしかめたランフォードは剣をしっかり握り直した。


「そんなに早く死にたいのなら、死なせてあげますよ!」


 はっと笑い飛ばしたランフォードは、アーウェスの方へ足を踏み出し素早く剣を降り下ろした。

 すべては一瞬の出来事だった。


 二人がぶつかりあった、と思った瞬間に、ランフォードが前のめりに倒れた。

 ランフォードの剣はアーウェスにかすりもせずに床に滑り落ちる。


 血が流れ出す腹を押さえて小さくうめく彼を見もせずに、アーウェスは空で血振りをした。

 

「……アーウェス、謁見室を血で汚すな」


「申し訳ありません、兄上。寝不足で必要以上に気が立っていて、手加減という配慮ができませんでした」


 そう言いながら、アーウェスは今度こそロベルトに歩み寄った。

 蒼白な顔したロベルトは、さすがに絶望を悟ったのだろう。


「申し訳ないが、ロベルト殿、あなたの計画はこれで完全に絶たれた。さあ、どうする?」


「化け物め…」


 ロベルトの反応を楽しむように柔らかく囁いたアーウェスの声は、彼にとっては絶望を告げる悪魔の囁きに聞こえたのかもしれない。


 握った拳が震え出すのを、エルオーシュは目にした。


 これで、すべてが終わる。


 そう安堵したのが、間違いだった。







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