ep36 反逆者
その声は背後から聞こえた。
もしかして、いまだに自分は王太后達に疑われているのだろうか、とエルオーシュは警戒しつつも振り向く。
「妃殿下の達者な剣技。感服いたしました」
声の持ち主はロベルトのもの。
意外にも、なぜか彼は笑みを浮かべてエルオーシュを見つめていた。
「ロベルト殿…?まだ私を疑っているのか…?」
「まさか」
なら、ひき止める理由はなんだろう。
そう思い眉をひそめた瞬間、後ろの扉がバタンと音をたてた。
とっさに剣を構えながら、振り向く。
そこには、扉を閉め、出入り口を封鎖するように立ち塞がった見知らぬ男がいた。
騎士然とした服装の若い男は、片手に剣、もう片方の手に袋を抱えている。
見るからに怪しい。賊のひとりだろうか。
「ランフォード……」
隣でカルロスが驚いたように小さく呟くのを、エルオーシュはかすかに聞いていた。
「剣を捨てて下さい」
その声にもう一度背後を振り向いたエルオーシュの視界には、信じられない光景が映っていた。
「母上!」
恐怖に顔をひきつらせた王太后の首筋に、白銀に輝く短剣が押し当てられていた。
白いその首に、鮮やかな鮮血が細く一筋流れ落ちる。
震えることもなく、当たり前のようにその短剣を手にしているのは、
他でもない、
―――ベルリオール王国、宰相ロベルトだった。
「まったく…。誤算でしたよ、妃殿下。あなたがこれほどに剣術に秀でているとは。一番始めに殺しておけばよかった」
「ロベルト殿……?」
なにが、起こっている?
「剣を捨てて下さい」
ひい!と近づいた短剣に悲鳴を上げた王太后の様子に、エルオーシュとカルロスは剣を捨てた。
「ロベルト。母上を離せ。自分が何をやっているのか分かっているのか?」
「何を?……ええ。十分に。心配しなくとも大丈夫ですよ、陛下。王太后陛下だけではなく、あなたも王妃さまも皆、すぐに殺して差し上げますから」
狂気をはらんだ顔で、クスクスと笑ったロベルトはまるで別人のようだった。
「裏切り者!このために私とレオン殿を騙したのか!お前があの魔物を殺すためと言うたから、私は策にのったというのに!すべて、このためだったとは!」
煩くわめく王太后に、顔をしかめたロベルトは、どすっとそのみぞおちに拳を入れた。
長剣を抜いた彼は、一瞬にして崩れ落ち気絶した王太后の首筋に剣先を向ける。
「うるさい方だ」
「…っ…!ロベルト!母上に何の話を持ちかけた」
カルロスが低くうなった。それを見て、ロベルトは口のはしをつり上げて、くっと笑う。
「ただ、アーウェス殿下を殺したいのなら協力しないかと言ったのですよ」
意外にも、あっさりと口火をきったロベルトは、もうすべて隠さずに真相を語る気のようだった。
それは、もう明かしてもエルオーシュたちに何も出来ないと思っているからだろう。
「王太后陛下は、昔から殿下に流れる血を嫌っておられる。喜んで資金を出し、カルロス陛下の暗殺未遂の計画も認めてくれました」
ちらりとランフォードと呼ばれた男を見る。
あの暗殺でカルロスを殺すつもりは最初からなかったのだ、とふたりは顔を見合わせて笑った。
「最初からお前とつながっていたのか。…たいした名演技だ」
顔まで殴っていたのに、とカルロスは心底嫌そうな顔で彼らを交互に見つめた。
「ええ。我ながら名演技だったと自負いたします。王太后陛下も、またその裏にある計画になど微塵も気付かずに、アーウェス殿下がいなくなることに浮かれていましたからね。よもや私がそれを利用して、彼女の愛する息子までも殺そうと企んでいることなど、考えもしなかったでしょう」
カルロスを王師軍であるランフォードに襲わせ、それをアーウェスの仕業に見せかけたのは、最初から仕組まれていた計画だった。
そして、遠征したアーウェスから連絡がなかったのもすべて…
「アーウェスが長く籠城しているのも、当然、お前の仕業だな」
「焦らないで下さい。…すべてを語る前に、まず首謀者を知りたくはありませんか?」
「首謀者?お前だろう」
いいえ、と首を横にふったロベルトは、腕を持ち上げ指を差した。
差した先には、ランフォードが持っている袋があった。
「彼です」
彼?と首を傾げたエルオーシュ達に、にやりと笑ったランフォードは、突然袋を逆さにした。
ごろんと玉のようなものが地面に跳ねる。
それは、首だった。
きゃあああああ!
王妃の大絶叫が室内に木霊した。
「叔父上……!」
その首は、紛れもなく前宰相、先王の王弟レオンであった。
カルロスが息を呑む。そのとき、隣のアナソフィアがふっと人形のように崩れ落ちた。
気絶したらしい彼女を、カルロスは慌てて抱きかかえる。
そして、憎しみと怒りをはらんだ瞳でロベルトを睨みつけた。
エルオーシュは、すぐ傍に転がる首に動揺しながら、この状況を見ていることしかできなかった。
「どういうことだ!?お前が殺したのか!?」
「叔父上を殺されて怒っているのですか?…それには及びませんよ。彼がすべての首謀者。あなたを殺そうとしていた人物ですよ」
「…わけがわからない。そのような虚言を…!ならば、お前は叔父上の仲間だろう!なぜ殺した!」
「ええ、まあ。彼を補佐するのが私の仕事でした。レオン殿は先王陛下の王弟。昔から王位に執着がおありでしてね」
前宰相と、現宰相という関係の彼らは、それだけではない繋がりがあった。
王位を狙う叛逆者。目的を同じとする唯一無ニの同志であったはずだった。
「計画を立てたのはこの私でした。彼を王にするために。しかし、私は途中で気づいてしまったのです」
笑わずにはいられないといったように、ロベルトはくっくっと喉を鳴らした。
その姿を目に映したエルオーシュの背筋に、ぞくりとした寒気が這い上がる。
「私でも、王になれると!!」
両手を広げた彼は、今にすべてが手に入ると確信したかのようだった。
国王カルロスがいなくなり、
王弟アーウェスがいなくなり、
先王弟レオンもいなくなる。
そうすると次の王は、王の次に国を支えている権力の強い宰相。
それは、不可能なことではない。
むしろ自然なことのようにエルオーシュには思えた。
「叔父殺し、王太后殺し。どちらもアーウェス殿下に罪をきせやすい。不仲なのは、はた目からでも明らかですから。そして陛下、貴方もです。王弟に殺される王など珍しくはない」
「……そして、その後おまえが王位につく。アーウェスは私が出した兵に討たれるというシナリオで」
「ええ、陛下。その通りです。しかし、あの戦上手な殿下のこと。討伐軍だけで殺せる可能性は低いでしょう」
口ではそう言いながら、ロベルトは余裕ありげに悠然と言い放った。
その対策は早々にとってある、と言いたげだ。
「お前は、アーウェスに何をしたんだ。アーウェスから一月以上も連絡がないなんて」
ぎゅっと、エルオーシュの胸が不安にしめつけられた。
鼓動が早くなる。
「トラファニア帝国と協定を交したのですよ。そして今回の計画にも協力するという契約も結びました。殿下に無理に和議を勧め、足止めするように、と」
「あの大国と協定だと?何を取引きにつかった」
トラファニア帝国は、ベルリオール王国に劣らない豊かな国であった。
経済的にも、武力的にも大陸の中では優勢な情勢である。
ベルリオール王国の勢力を長年疎ましく思っているそのトラファニア帝国が、安易に協約を結ぶはずがなかった。
よほどの条件がないかぎり。
「それは、妃殿下の国、アルライド王国を」
ロベルトのその言葉に、エルオーシュは愕然と息をのんだ。
アーウェスを殺す協約に、祖国が使われていた。
数百万人という民のいる王国が、ただの物のように二つの国の間で取り引きされていたのだ。
「アルライド王国の領地は惜しいが、トラファニア帝国との協定を結べるなら安いものです。私の国王としての地位が絶対的なものとなる。そして、私にとっては英雄ではなく、ただの脅威となる殿下も消してくれるのだから」
ベルリオールの支配国であるアルライドを売り渡し、トラファニア帝国と協定を結び、揺るぎのない大国を作り上げる。
それがロベルトの野心。
そのための邪魔者はすべて排除する。
新たな国のために、清掃をする気なのだ。
「殿下にはトラファニアから使者を借り、和議を結びたいとする者を遣わしています。きっと兄君に忠実な殿下は、足止めのための虚偽であるその和議を結ぶ。できるだけ戦をしないという陛下、あなたの方針に従って。だが、あなたに指示を仰ごうとする殿下の伝達は届かない。もちろんあなたの伝令も。アーウェス殿下は待ちくたびれているでしょう」
「……虚偽だと?お前は何を企んでいる」
「もう一つ、足止めの他にトラファニア軍に頼んでいましてね。ベルリオールの王都から貴方様が出した軍が到着したと同時に、トラファニア軍はアーウェス殿下に刃をむけろと。そうそう、昨日届いた報によると、王都の軍はすでに到着し、いまや戦場になっているとか」
戦場。
その言葉の響きに全身の血が引いていく。
エルオーシュは、自分の鼓動がさらに早まるのを感じた。
全身に汗が滲み出し、口の中が渇きを覚える。
じわじわと、強い不安と焦燥感が体中に広がってゆく。
虚偽の和議。
ただアーウェスを陥れるためだけの契約。
「かわいそうに。王都からの討伐軍と、後ろに控える和議を結ぶはずのトラファニア軍。そのふたつの敵の板挟みになり、無様に死んでゆくのでしょうね」
討伐軍を迎え討とうと、背中を見せた途端にトラファニア軍が襲いかかる。
逃げ場はどこにもない。
どうすることもできずに死んでゆくだけ。
たとえ、それが英雄であろうとも。
「…っ許さない!」
王太后に剣を向けるのを忘れ、だらりと腕を揺らすロベルトに、エルオーシュは地面の剣を掴み上げた低い姿勢のまま動いた。その懐めがけて足を踏み出す。
その素早い動きにも、ロベルトはすぐに反応して剣で防ぐ。
耳障りな金属音が、鼓膜を打った。
間近で目があう。
剣を重ねたまま、エルオーシュは相手を睨みつけた。
「勇ましいですね、妃殿下。殿下のために無謀を承知で私を殺そうと?泣かせるじゃありませんか」
にやりと笑った彼は、剣に体重をかける。
当然、男の体重に押されたエルオーシュははじき飛ばされ、よろめいた。
その瞬間、体に重い衝撃がはしる。
腹を蹴られ、はね飛ばされたエルオーシュは、壁に背中を叩きつけられていた。
一瞬にして息ができなくなり、体をよじる。
激痛にうめいたエルオーシュを見て、ロベルトはにやりと笑った。
「あなたが男だったのなら勝てたかもしれませんね。しかし、王女であるあなたは男には一生勝てないのですよ」
男には、一生勝てない?
――なめるな
悔しい、と奥歯を噛む。
もう一度剣をとって、この男を斬り伏してやる、とエルオーシュは剣を探した。
「ご無理はいけませんよ。病み上がりなのでしょう?」
エルオーシュの闘志に気づいたロベルトが、わざと剣を遠くに飛ばした。
体の心配をしながら、思いっきり病み上がりの腹を蹴ったのはどこのどいつだ、とエルオーシュは蹴られた腹をかばいながら薄く微笑む男を睨みつけた。
「さあ、誰から殺しましょうか」
場に似合わない柔らかな声を出したロベルトは、楽しそうにエルオーシュの頬に剣先をあてる。
「しかし、私は手を染められない。返り血がつくと後がやっかいですからね」
ロベルトはそう言いながら、ちらりとランフォードに視線を向ける。
彼は頷いて、カルロスの元に歩みよった。
カルロスを、殺す気だ。
剣先が頬にあることを忘れたエルオーシュは、つい身を乗り出す。
しかし、ぐいっとロベルトに髪を捕まれ、後ろによろめいた。
「大人しくして下さい、妃殿下。陛下の次は、あなたにしましょうか」
エルオーシュは呆然と、薄く笑うロベルトを見上げた。
どうする?何をすれば?
ランフォードが楽しげにカルロスに近づいていく。その光景を目に映したエルオーシュは、何度も頭の中でその言葉を繰り返した。
「陛下、運命の時です。あなたをいつも守る弟も、もういない。むしろもう、あちらで陛下がくるのを待っているかもしれませんよ」
ロベルトが、微笑みながらランフォードを見て、頷く。
カルロスに向けた、ランフォードの剣が妖しく光った。
身動きの取れないエルオーシュは、がむしゃらに暴れるがロベルトに蹴られながら拘束され、身動きができない。
ただ、力の限り叫ぶ。
「陛下……!お逃げ下さい!」
悲鳴のようなその声に、カルロスがアナソフィアを抱えながら後ろに手をつき体をひいた。
――だめだ、あれでは逃げられない。
ランフォードが剣を上に掲げた。
――陛下が、殺されてしまう
「せめて兄弟仲良く送れることができて嬉しいですよ。ああ、陛下。あの世へ行ったら、英雄と呼ばれた殿下がどんなことを思って最後を遂げたのか、代わりに聞いてきて下さい」
剣をふり下ろそうとするランフォードのその動きを、エルオーシュは直視できなかった。
ぎゅっと目をつむる。
王を貫く、耳障りな音を覚悟して体を固くする。
しかし、響いたのはその残虐な音ではなく、勢いよく開け放たれ、壁にはね返る扉の小気味よい音だった。
その途端、回廊から放たれた強い光が、室内注がれる。
眩しさを感じながら誰が開けたのかと、扉の方にエルオーシュは目を向けた。
しかし、薄暗い謁見室に慣れた瞳では、強い光のせいで、その人物の影絵のように浮かびあがった輪郭しか見えなかった。
「俺がどんなことを思って最後を遂げたか?」
その声の響きに、エルオーシュはへなへなと全身の力が抜けそうになった。
まさか、と唇だけが動く。
蒼白になったロベルトに剣を向けるのは、ここにいるはずかない人物。
「それはあなたに尋ねようか。宰相閣下殿」




