ep31 英雄の疑惑②
その夜のことは、瞬く間に家臣・諸侯達に広まった。
王弟殿下、謀反の疑惑あり
城を駆け巡る噂は、当然エルオーシュにも届いていた。ありえない、という言葉がまず頭に浮かぶ。アーウェスは、カルロスを裏切る真似などしない。
「ぜったい何かの間違いだわ」
エルオーシュの部屋に訪ねてきたアナソフィアが、怒ったように眉をつり上げた。
「ありえないもの。アーウェスは、カルロスのことが大好きよ。昔から」
「私もそう思います、王妃さま。陛下がお倒れになったとき、アーウェスはひどく心配していました」
アナソフィアは一瞬きょとんと目を見開き、そして小さく笑った。
「…そう。そうなの。昔から変わらないのね、ふたりは」
幼いときから、王城で王子達と同じ時間を過ごした彼女は誰よりも、ふたりのことを知っているのだろう。家族のように、慈しむような笑顔を浮かべ、ゆっくりと語りだす。
「昔からね、カルロスは体が弱かったのだけれど。寝込むたびに、アーウェスがわたしを連れて寝室に忍びこんだものよ」
アーウェスのおかげで、アナソフィアはカルロスと言葉を交わす仲となったという。それまで病弱な王子は、表にはあまり出てこず、姿を見たことはなかった遠い存在だった、と彼女は語った。
「兄弟ちっとも似ていなくても、カルロスは弟が出来たことをとても喜んでいた。でも、出会った頃のアーウェスはカルロスにもなつかないし、ひどく警戒していたのですって。でも、カルロスが無理矢理呼びつけて可愛がっていたら、徐々に心を溶かしていってくれたと、カルロスは喜んでいたわ。無口でいつも誰とも話さないアーウェスが、カルロスの前だとぽつりぽつり話し始めるの。わたしはその時、嬉しくていつもそんな二人を眺めていた」
幼い兄弟が、穏やかに向き合って語り合う。そんな情景を想像し、エルオーシュの顔にも自然と笑みが浮かんだ。
「カルロスは、アーウェスを大切に思っているわ。私のことをそっちのけで、アーウェスのことばかり心配するの。うるさい母親のようだ、とアーウェスに文句を言われているけれど、それでもお節介ばかり」
くすくす、とアナソフィアの鈴のような笑い声が漏れる。
「仲のいい兄弟ですね」
エルオーシュは目を閉じる。きっと、大丈夫だと。
アーウェスもすぐに戻ってくるに違いない。
「失礼」
コンコンと響くノックの音に、ふたりは眉を潜めた。
「どなた?来訪は侍女を通してちょうだい」
アナソフィアの厳しい声に、エルオーシュも警戒を強めた。
普段の来訪は、からなず前もって侍女を通すのが礼儀だ。突然女性の部屋を訪ねるのは、失礼に値する。
「そうはいきません」
突然、乱暴に開いた扉の奥にはずらりと衛士達が並んでいた。何事か、と侍女たちが悲鳴を飲み込む。
「王妃さま。ただちに妃殿下から離れ、ご自分の居室に戻ってください」
「なにごと?無礼にもほどがあるでしょう」
「では、申し上げます。アーウェス殿下は今日を持ちまして謀反者と確定しました。妃殿下にも、然るべき処遇をとの陛下のお達しです」
目の前が真っ白になる。エルオーシュは呆然と立ち尽くし、衛士たちの言葉を反芻した。
アナソフィアも同じように、立ち尽くしたままだ。
「では、妃殿下。こちらへ」
衛士の促す先は、どこにつながっているのか。エルオーシュにはそんな事など今はどうでもよかった。
アーウェス…。
ただ彼の名だけを吐息にのせた。
******
会議の間では緊急に集まったその者たちが、早朝から渋面な顔をつき合わせていた。
先日の会議よりも少し多い参列者の中には、珍しく前宰相でありカルロスの叔父レオンと母親である王太后の姿もある。
普段ならばこんな事態になったとたん怒り狂うだろう彼らは、今回は首を傾げたくなるほどに冷静な態度をとっていた。
「やはり、あれは国を奪おうとする卑しい魔物だったのですね。いつかこうなると思っていた…」
王太后が嘲るような笑いを漏らした。
「カルロス、今こそあれを葬るときです」
高らかに響かせた声は、神の声のように純然に皆に届いた。
それに賛同した者たちが次々に立ち上がり、その通りだとそれぞれに声をあげる。
カルロスには、その声がひどく耳障りに聞こえた。
一方、賛同しなかった者は騒然した室内を、ただ動揺したように見守っているだけだ。
恐らく、英雄を恐れている者や、アーウェス側につこうかと迷っていた者たちだ。
真実がどうであれ、ベルリオール王国が二つに割れる。
その危機をカルロスは全身で感じていた。
このままではいずれこの王国は滅びの道を辿るだろう。
このような状況こそ、ひとつにならなければならないというのに。
それが王の役目。国民を導く担を背負った国王の役目なのだ。
犠牲を惜しんでは国を守るなど、到底無理なこと。
きっと彼がそれを一番理解している。
ベルリオールに君主は二人もいらないのだ。
無意識に、テーブルの上で組んでいた手に力が入り、赤く爪の跡がついていた。カルロスはぎゅっと目をつむったあと、室内を見渡しながら颯爽と立ち上がった。
「ロベルト。城の兵たちを整えよ。各々方の私兵も城に寄越してほしい」
「陛下、では…」
「皆よく聞け。これより私は、我が王国の国賊を討つことを宣言する。このことをおのが兵に伝えられよ」
どよめく声が室内を満たす。
カルロスは冷えてゆく心を意識しながら、朗々と告げた。
「兵の数など問題ではない。狙うのはただひとり
――我が王弟、アーウェス・ディーク・イブン=ベルリスを、逆賊として討て―――
国王の命を受けたベルリオール軍が城から出陣し、北へ向かったのは、国王が宣言してすぐのこと。
白雪が深々と降り積もる日のことであった。




