ep30 英雄の疑惑①
「殿下は何をしているのだ!」
ベルリオール王城の政すべてが行われる国府の中央。その会議の間に、その苛立ちを抑えない声が響いた。
国王から宰相、重臣という王国の中枢を担う者達が数十名座する室内は、異様な圧迫感を感じさせる。
それも無理はない。
国の行く末に関わる事柄に、老獪な家臣達はおろか国王自身も眉間に深いしわを刻んでいた。
「異例なことですぞ、陛下」
その落ち着いてはいるが鋭い声音に、カルロスは目を閉じた。
異例か…、とため息をつきそうになる。
「恐れながら、アーウェス殿下は、戦う気があるのかどうか。よもや、トラファニア帝国と繋がっているのではあるまいな」
ざわり、とあたりは騒ぎだした。
「口を慎め、証拠もないことを…」
「では、ご説明願いましょう、陛下!なぜ、殿下は敵軍を目前にして戦をせずに沈黙しているのですか?もはや籠城して一ヶ月もたっておられる!」
晩秋に出陣したベルリオール軍は、雪と氷に閉ざされた季節に移り変わっても我慢強く籠城していた。
睨みあっていたトラファニア帝国との間に何か問題が生じたのなら、一ヶ月程籠城するのは特に珍しいことではない。
しかし、その報告が何もない。問題が生じたのならこちらに報告がくる。それでなくとも定期的に様子を伝えるという命令を下してあるのだ。
籠城して一ヶ月、アーウェスからは何の連絡もなかった。
それだけでも異例なことだが、違和感を感じることが他にひとつだけある。
英雄と讃えられるアーウェスの戦いは、今まですべてが迅速に行われてきた。
籠城すると、兵達の士気と体力が減少するとアーウェスは知っているからだ。
兵たちが疲れないうちに、多少強引でも迅速に戦をしかけるのが今までのアーウェスのやり方だった。
そうだったというのに、そんな彼が一ヶ月も動かないのは実に奇妙で異例なことであった。
「……陛下、使者を殿下に出した方がよろしいのでは?」
「…とうに出したが、いずれも帰ってこない」
その言葉がさらに疑心を煽る。
やはり、殿下は、と囁く者の声がざわめきのうねりの中から聞こえた。
「…アーウェス殿下は、はたしてお味方でしょうか?陛下、王城に残る兵達を整えた方がよろしいのでは?」
その言葉の意味に、カルロスは机を叩くようにして立ち上がった。
「我が弟を『討て』、というのか?」
ありえない。
アーウェスは、裏切ったりはしない。
自分が一番良くわかっている。
憤りを隠しもせずに、カルロスは家臣たちを睨み据えた。
「陛下。可能性の問題です。ベルリオールをあらゆる危機から守るのが貴方のお役目なのですから」
カルロスをたしなめる宰相の声が、ひとつ冷静に響いた。
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トラファニア帝国とベルリオール王弟がつながっている、という噂は日に日に王城に暮らす者達の不安を募らせた。
ベルリオールに劣らない勢力を持つトラファニア帝国に自国の軍神が味方するとなると、ベルリオール王国にとっては最大の脅威となる。
英雄が裏切った場合、この国がどのような状況になるのか気づいた者達は、その脅威に脅えるしかなかった。
その状況の中、家臣・諸貴族達は国の勢力の行方にぼんやりなどはしていられなかった。自家の浮沈が関わる事柄に、乗り遅れてはなるまいとお互いの出方を探りあう毎日を過ごしている。
ベルリオール王族直系である正当正式な国王、カルロスか。
下賤の生まれだが、武力とトラファニア帝国と繋がるアーウェスか。
ベルリオールの勢力は、どちらにつこうかと策謀する者達に溢れかえり、もはや二つに割れようとしていた。
そのことに古いしきたりを重んじる老獪な家臣達は我慢ならなかった。
「陛下!お早く殿下をお討ちになされ。あの下賤に国を奪われてはなりませぬ!」
「弟ということをお忘れ下さい!あれは国を奪う魔物。国賊ですぞ!」
いくらそう言われてもカルロスは首を縦にはふらなかった。
知っていた。弟自身が、自分を害することは絶対ないと。
あるとすれば、何者かが絡んでいるときだ。
弱味を握られた彼が、何者かに利用されたときだろう。
だが、聡く武力に優れたアーウェスがそれに屈することはないだろう。
よほどの事がない限り…
しかし、事件は起きてしまった。
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常ならば、無人の城のように静まる夜更けだというのに、国王の寝室の灯りは真昼のように燃えていた。
衛士たちがせわしなく入れ替わる中、宰相ロベルトが血相を変えて飛び込んでくるのを、カルロスは呆然としながら眺めていた。
「陛下!ご無事ですか!?お怪我は?」
「……ああ…大丈夫だ」
カルロスの体のあちこちを慌てて確かめるロベルトに呆気にとられながら、なんとかカルロスは頷いた。
「寝込みを賊に襲われたと聞いて、心臓が止まるかと思いました!」
…本当に、運が良かった。
いまさらほっと息をつきながらカルロスは思った。
襲われたのは、ちょうど、どうしてもアーウェスのことが気がかりでなかなか寝つけない時であった。
ぼんやりと天井を見ていたカルロスは、その時ふと自分が国王になった頃のことを思い出していた。
あの日、戴冠式後にアーウェスをここに呼び出した時のことを。
弟に、剣を渡したかったのだ。
カルロスが作らせた剣をアーウェスに捧げ、自分の右腕として表立って仕えて欲しいと伝えたかった。
しかしアーウェスは国王直々のその言葉を断った。
国政に関わりたくないと。関わるのは戦の時だけだと。
彼にしては、丁寧に真摯に頭を下げた。
カルロスの影に徹していたい。どのような事があっても。
あれは彼の願いだった。
カルロスに最初に言った願いだった。
アーウェスは、決して自分を裏切ることはない。
国を欲しがるわけがない。
そのことを床の中で思い出していたカルロスは、ふいに起き上がって寝室の壁に飾ってあるアーウェスのための剣をとった。
いつかまた、この剣をアーウェスに授けてやろう、と多少親しい弟への嫌がらせに似た思いを抱きながら、私室に取っておいたものだ。
なんとはなしに、手に取ったその剣を寝台の中で眺めていた。その時だった。
ほどなくして、男が入ってきたのだ。
息をつめて、カルロスは様子を窺った。
こっそり剣の柄に手を伸ばしながら。
そのおかげで襲いかかってきた男を、迎え打てた。
アーウェスまでとはいかなくても、カルロスも王家の男子のたしなみとして弟と同じ師の元で剣を習っていたのだ。腕には多少覚えがある。
そして大声で衛士達を呼び、ここに至る。
握りしめた剣をみつめながら、弟のことを思った。
まるで彼が守ってくれたようだ。
……まさか、死んではいまい。
死んで亡霊となり、助けてくれたということは…。
などと不吉なことをふと思い、いやいや、とカルロスは首をふった。
「陛下?」
「アーウェスは、生きているだろうか。…いや、馬鹿な事を考えた。あまりにも間が良すぎて。何でもない、忘れてくれ」
きょとん、とこちらを見つめるロベルトにカルロスは一瞬、己の脳内に馬鹿げた亡霊説が頭をよぎったことを恥ずかしく思った。
あの弟ならば、どのような事になっても兄を守りにくるはずた、と信用しきっているせいだ。しかし、アーウェスに守られたのは間違いないだろう、と剣を握る。
深呼吸をひとつした後、カルロスは襲いかかってきた男に歩みよった。
「…ただの賊ではないな」
手を縛られ地に伏せられた男は、はっとこちらを見て力なく笑った。
その顔を、カルロスは凝視する。まだかなり若い。新米の兵士といった風貌。
この男、見覚えがある。
「何のために私を殺そうとした?」
話すものかというように、その男は唇をぎゅっと結んだ。
衛士達に殴られたため、その唇は痛々しく血が滲んでいる。
しかし、当然ながらカルロスは同情などはしなかった。
「これ以上痛めつけられたいのか。拷問にも色んなやり方がある。爪を一枚ずつはぎ、すべての皮をはぐ。肉だるまになっても人間は死なないらしい」
単なる脅しが、カルロスは自分が言ったことを想像して寒気を感じた。
こうした脅しはいつも弟の役目だっただけに、これ以上の脅し文句が思い浮かばない。男も口を引き結んだままだった。
「彼は…ジョン・ランフォード。ベリルス王師軍のひとりだったはずです。まだ入隊したてですが…」
宰相が思い出したかのように呟いた。
王師軍というのは、国王や主の側近くに仕え守護をする特別な騎士団であった。
動かせるのは国王であるカルロスと、すべての軍を任されているアーウェスの二人だけ。
「…誰に命令された?」
カルロスは動揺を押し殺しながら、その男を見下ろした。
しかし、口を開く様子はない。
「よもや、アーウェス殿下か…?」
ロベルトがうなるように声を絞りだす。
その名が出た途端、男は痛みをこらえながら、かすれた笑い声をだした。
堰に苦しんでいるような声。止まないその笑い声に気でも狂ったのかと室内のすべての者が息をつめる中、ようやく男が口火を切った。
「陛下。すべてはもう遅い。今日偶然生きながらえても、すぐに運命の日はやってきます。そして玉座はあの方に」
にやりと笑った彼は、すぐに逆上したロベルトに殴られた。
「陛下の御前で、…畏れ多いことを…!」
「やめよ、ロベルト。……ランフォードだったか?そのお方とは誰のことだ?」
カルロスと、あともう一人しか動かせない王師軍の男の言う『あの方』。
……そんなはずは絶対にない。
顔を衛士によって床に押さえつけられながらも男はカルロスを見上げた。
「お一人しかいません。陛下もおわかりでしょう?あなたの頭をよぎった人物があのお方」
蒼白になったカルロスに、血に染まった歯を見せながら、男は再び笑みを浮かべた。




