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ベルリオールの花嫁  作者:
第一章
3/48

ep2 花嫁の失態


 しかしエルオーシュの願いむなしく、アーウェスは次の夜も、その次の夜も、新妻の寝所に訪れることはなかった。


 そうして、結局ほっとかれたまま一ヶ月も経ってしまった。

 夜訪れないどころか、顔も見ていない。


「殿下は何をしているんだ?ロッソ」


 ロッソは唯一祖国から付いてきたエルオーシュの侍女だ。

 五つ年上の彼女は、いつだって冷静沈着‥、と言えば聞こえはいいが、愛想のカケラもない人間だ。それに主人にだって毒を吐く。それほどまでに正直な性分で、絶対にエルオーシュを欺くことはない人間だと信頼している、姉のような存在だった。


「姫様。女官たちにそれとなく聞きまわったところ、殿下について色々と知ることができました。やはり、どこの国でも女というものは口が軽いものですね」


 ロッソは男だったら、絶対出世まっしぐらだろう。彼女の情報網の広さにエルオーシュはたびたび驚かされる。


「全部話してくれ」

「姫様。陛下に王女らしくと言われたのでしょう?」

「‥すべて話してくださる?」


 ロッソは満足そうに頷くと、まるでひとり言のように淡々と語り出した。


「姫様のご夫君、アーウェス殿下は唯一の王弟という立場から、国王陛下の片腕として陛下から厚い信頼を寄せられています。そして、剣術に比類ない才能をお持ちで、若くして将軍という地位につき、多くの兵たちを束ねる立場でもあります。もちろん政治にも大きな発言権がある地位の高い方」


 そんなことは知っていた。わざわざ調べる事でもない。はっきり言えば周知の事実だ。

 眉根を寄せたエルオーシュに気付きながらも、ロッソは一息つき、また口を開いた。

 つまりはここからが本題だという事だ。


「しかし、普段はそのような執務も行わないでぶらぶらしているそうです」


「なんだと?けしからん奴だな」


「それでも、大半は練武場にいますが、それ以外は‥」


「どうした?ロッソ」


「‥それ以外は、女性のもとに通っているそうです」


 は?


「‥つ、つまり愛人のところか!?」


「はい。アーウェス殿下に言い寄る女性は多いらしく、都合の良さげな女性はたくさんいるらしいのです。それにすでに一人、殿下には奥方がいます」


「は?お、奥方って!なら私はなんだ!?」


 わけがわからない。


「姫さまはご正妃です」


 頭が真っ白だ。

 正室の他に、たくさんの女を囲うのは王族では珍しくない。

 しかし、エルオーシュはそんな情報など聞いてなどいなかった。いや、聞かなかったのは自分だ。


 婚姻が決まったときに、相手のことを教えてやろうと言った父の言葉を断った己が悪い。逃げたくなるような男だったら、嫁入り準備期間中にひどく憂鬱になるだろうと思ったからだ、今はそれを後悔していた。知っていたら、いろいろと作戦を練ってきただろうに。

 しかも、‥まさか


「‥‥子は?殿下に子はいるのか?」


 男児が先に産まれていたとしたら、エルオーシュの戦いは厳しいものになる。生母と権力で争う覚悟をしなければならないだろう。


「おりません」


 ほっと安堵する。

 それなら、まだ望みはある。

 だが、安堵している場合ではない。



「つまり‥殿下が私のところにこないのは‥」

「姫様をほっといて他の女性のところへ行っているからです」


 ロッソは慰めもなく、きっぱりと言い放った。

 そういうことだ。

 アルライドから赴いた正式な花嫁を放置して、普通他の女のところへゆくだろうか。

 冗談じゃない。


「馬鹿にして‥!」


 バン、とテーブルを叩いてエルオーシュは立ち上がった。


「姫様、どちらへ?」

「殿下のところに決まっている!」

「姫様。王女らしくですよ」

「‥殿下のところへ行って参りますわ」


 エルオーシュは力なくそう言って、部屋を飛び出した。





 エルオーシュの夫は練武場にいるらしい。


 目的地についたエルオーシュは、少し離れた所からその人を探していた。


 ‥しまった。アーウェス殿下に会うのならもう少し着飾ってくるんだった。


 幼いころから動きやすさ重視の服を好んで着ていたエルオーシュは、着飾ることなど知らない。

 いっそ、邪魔な髪も切ろうと思ったほどに身なりのことには無頓着だ。


 だが、男は綺麗な女が好きらしい。


 着飾ることには興味はないが、そうしなければ男に好かれないらしい。

 それは、困る。

 いったん戻ろうかと考えたとき、後ろから草地を踏む音が聞こえた。


「何をしている?」


 声にはっとして振り向くと、アーウェスが不機嫌そうにエルオーシュを見下ろしていた。


「これはアルライドの王女殿。なぜ一人でこんな所に?」


 なぜ、と?

 ふつふつと怒りが沸いてくる。


「あなたに会いにきたのです。殿下」


 睨みつけるように見上げると、アーウェスは怪訝そうに眉をひそめた。


「お久しぶりにございます。一月も放っておかれ、もう一生会えないかと思いましたわ」


 エルオーシュは可愛らしく振舞うことも忘れ、不機嫌さを隠さずに相手をにらむように見つめた。アーウェスはそれに気付いたのか、目を細めた。


「これは申し訳ない、王女殿。長旅での疲れを癒してもらおうと思ったのだか、寂しい思いをさせてしまったようですね」


 なんだか、軽くあしらわれている気がする。


「殿下はアルライド王国との和議に背く気がおありですか?」

「まさか」


 アーウェスはわずかに笑みを浮かべ、エルオーシュを見下ろした。


「ならば、私は殿下と心を通わせたいと思っています。政略結婚とはいえ夫婦。お互いに知り合わなければ、嫌いになることも好きになることもありません。知らないうちから、嫌われるのは納得いかないのです」

「王女殿?」

「つまり、一度も会わないまま私を遠ざけて、他の女性のところに行くのは、不実過ぎる、と言いたいのです、殿下」

 

 エルオーシュはアーウェスを見据えた。

 妻から愛人問題について責められているというのに、アーウェスはこのような事に慣れていると言わんばかりにみじんも慌てた様子など見せなかった。


「では気をつけましょう」


 さらりとアーウェスは言い捨てた。

 あっさり過ぎる。

 気をつける気なんてさらさらないだろう!と怒鳴りたいのを必死に我慢する。

 アーウェスは怒りに耐えるために静かになったエルオーシュの手をとり、初めて会ったときのように、手の甲にキスを落とした。


「では、俺はこれで失礼します。我が愛しい伴侶」


 軽薄そうな笑みを浮かべ、思いなど込もっていない言葉を吐き、アーウェスは練武場に消えてしまった。

 やっぱり、軽んじられている。ふわふわと、心も体もつかまらない男だと思った。

 何を考えているのかもわからない。

 しかし、諦めるわけにはいかないのだ。絶対に。







「姫さま、ご夫君との仲になにか変化はありましたか」


 不機嫌なまま部屋へ戻ったエルオーシュに、すぐさまロッソが問いかけてきた。


「‥まったく何も、変化はありませんでしたわ」

「でしょうね」


 ロッソ‥。わかっていて、確認したな。


 憤怒を抱えながら、エルオーシュは自室に帰ることしか出来なかった。負け戦をしてきてしまった、ひどく情けない。


 脱力して、そのまま寝台に寝転ぶ。

 どうせ今夜も夫はこない。


「でも、諦めるわけにはいかないんだ」


「姫様」


「私が立派に務めを果たせば、母上も浮かばれる」


 エルオーシュの母は、エルオーシュの父、アルライド国王の侍女だった。


 父がまだ王子だった頃、美人で評判だった母に一目ぼれをしたという。

 しかし、身分の高い令嬢が側妃に迎えられ、立場の弱い母は王城から遠ざけられた。

 エルオーシュはそんな没落貴族だった母の実家である忘れ去られた屋敷でひっそり産まれ、母が死に、城から迎えが来るまで辺境の地で育った。


 初めて父親に会えると期待したエルオーシュを待っていたのは、大勢の寵妃と、その娘たちだった。


『エルオーシュ。あなたは王女。だけど、強くなければいけないの。私のように弱い女にはならないで。いつか、あなたが陛下や国を守るのよ』


 後宮で女達から嫌がらせを受けた時、孤独だった時には母のその遺言を、何度もつぶやいた。

 母が残した言葉を守ることができれば、他の姉妹より容姿も素養も劣っていると言われてもかまわなかった。

 ただ、他の王女にはできないことを、父のためにすれば良いのだと思った。


 その思いが伝わったのか、いつしか父はエルオーシュに目をかけるようになった。あの世界で唯一、エルオーシュに優しくしてくれた。


 そして、大国に挟まれた小国のアルライドは今、存亡の危機なのだ。


 大国であるベルリオール王国に頼らざるをえない。

 国の存亡が、エルオーシュにかかっている。


「‥私が陛下と国を守らなければ」


「姫さま。しかし、殿下は」


 ロッソは不安そうだ。

 彼女も祖国への忠誠心に溢れているがゆえに、エルオーシュの状況が心配のようだった。


「大丈夫だ。まだ来たばかりじゃないか。試していない手もたくさんある」


「それはどのような?」


「押して、押して、押しまくる。陛下の助言だ」


「‥姫さま。陛下が言ったのは押して、押して、引く。です」


「は?引いてどうする?‥まあ、明日から作戦開始だ」


 エルオーシュは、気合いを入れて拳を握った。





********






 押して、押して、押しまくる!


 それを胸に秘めて、翌日もエルオーシュは練武場に足を運んだ。


「王女殿‥」


 また来たんですか、とアーウェスはぴくりと頬を動かした。


「もちろんです。殿下に私の心を理解してもらうまで」


 薄く笑ったアーウェスは、エルオーシュの手をうやうやしく取り、挨拶のため手の甲に唇を押し付けた。


「王女殿とゆっくり過ごしたいのはやまやまですが、練武場での務めがあるので失礼します」


 あっさりそう言うと、言葉と同じく颯爽と練武場に去って行こうとする。


「お待ちください」

「待てません」


 ‥‥手強い。


「待っています」

「は?」

「お仕事が終わるまで、ここで待っています」


 諦めるつもりは断じてない。

 エルオーシュは力強い瞳でアーウェスを捉えた。


「王女殿、いつまでかかるかわかりません。風邪をひく前にお帰りください」


「いいえ。遅くなってもかまいません。いつまでも待っています。ここで」


 アーウェスは呆気に取られた顔をしたが、やがて面倒くさくなったのか練武場に消えていった。

 その背を追ったエルオーシュは、練武場の隅に座り込み、剣に励む兵士たちを眺めていた。

 エルオーシュにとっては退屈ではない。激しい掛け合い、木刀のぶつかり合う音は、耳に心地良かったからだ。

 言葉通り、エルオーシュはそんな風景を眺めながらいつまでもじっと待っていた。


 しかし、もう夕暮れだ。

 励む兵士も少なくなってゆく。気がつけば、騎士たちに指示をしていたアーウェスの姿がどこにも見当たらなかった。


「あの、殿下は?」


 近くの男に聞いてみる。王女の問いかけに緊張したのか、声色はずいぶん固かった。


「ア、アーウェス殿なら、先ほど裏口から帰られました」


 裏口だと?

 やってくれる!


 かっと頭に血が上り、目の前の兵士に掴みかかりたくなったが、さすがに耐えるしかなかった。





 エルオーシュは翌日も同じ場所に足を運んだ。

 案の定アーウェスに軽くあしらわれたあと、また夕暮れまで待つ。

 だが、捕まらない。


 そんな日々を一週間続けていたら、練武場の兵士たちがエルオーシュの様子に同情したのか話かけて来るようになってしまった。


 頑張ってください、やら、今日こそ上手くいきます!など、様々な声をかけてくれる。

 城では、そのエルオーシュの一途なアプローチが評判になりはじめていた。


 今日こそ絶対捕まえてやる、と十日が幾分か過ぎた頃でも、エルオーシュはいつもの場所に座りこんで待っていた。


 やがて暖かい日差しに、ついつい眠気がやってくる。

 まずいかもしれない…、と思ったときには、エルオーシュはついにうたた寝をはじめてしまった。


 目を覚ましたのは夕暮れの少し前だった。

 誰かに体を揺すられたのだ。

 目を開けると二人といない端正な顔がこちらを見下ろしていた。


「で、殿下!」


 慌てて身を起こす。アーウェスはこれまで見たことがないほどの不機嫌な顔をしていた。

 いつもは、感情など読み取れないほどの涼しい顔をしているのに。


「おい。こんなところで寝るとは。おまえ、本当に王女か?」


 お前、だと?

 あの、わざとらしい丁寧な言葉づかいは?

 今までのは作り笑いだったのか、彼はエルオーシュの顔を見つめたまま心底不愉快そうな顔をしていた。


「殿下?」

「まったく面倒な‥。悪いがこれが素なんだ。もう礼儀をつくすのは疲れた」


 アーウェスはエルオーシュの腕を掴み、乱暴に立たせた。エルオーシュは絶句しながら、その不機嫌な顔を見上げる。

 もしかして、この男は性格に大きな欠陥があるのだろうか。


「見た目は、風が吹けば折れてしまいそうな深窓の姫君なのに、うざったいくらい積極的な面倒くさい女だったとは」


 面倒くさい、って。

 エルオーシュは屈辱に怒りが湧いてくるのを感じていた。

 性格に難がありすぎる。


「あ、あんまりです!私は‥」

「もうわかったろう。俺と仲良くなろうなどとは考えないほうがいい。無駄だ」


 心臓に突き刺さる言葉に、反論する気力も失う。

 アーウェスは、口を開けたまま絶句するエルオーシュを置いて、再び練武場の奥へと消えた。

 ここで逃がしたら、もう二度と会えない気がする。


 この男の性格に、どんな難があろうと、どんなにエルオーシュを疎ましく思っていようとしても、あっさり諦めるわけにはいかないのだ。

 その気持ちを背負い、エルオーシュは練武場の中央に飛込んだ。


「アーウェス殿下!お待ちください」

 

 長身の背中を追うが、追いつかない。

 聞こえているはずなのに無視をしているのだ。


「殿下が私をどんなに疎ましく思っていようが、私はあきらめません!!」


 エルオーシュの叫んだ声に、アーウェスは不可解そうにこちらを振り返ったようだった。

 しかし、ほっと息をついたのはつかの間だった。


「王女!」


 誰かが叫んだ。

 剣に励んでいた剣士が、試合中に剣を飛されてしまったらしい。それがエルオーシュの後ろ目がけて飛来しているのだ。


 エルオーシュはそれを確認する前に、本能で近くに落ちていた剣を拾っていた。すばやく剣をにぎり、振り向きながら素早く振るう。


 飛来してきた剣が、間一髪でエルオーシュに叩き落とされた。

 まわりの人々が唖然としてエルオーシュを見つめている。


 ‥‥‥‥しまった。


 やってしまった。

 こんなこと、普通の王女には出来る芸当ではない。

 顔上げると、皆と同様に目を見開いているアーウェスと目があった。

 もう、だめだ。

 父上、申し訳ありません。‥最初から駄目だったかもしれないけど。


 エルオーシュは剣を落とし、逃げるようにその場を去った。





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