ep28 禁断の告白①
季節はずれに、急に暖かくなったその日、長く続いた雨があがった。
もう少し冷え込むと、そろそろ雪がちらつく季節になる。
雨の匂いが残る中、エルオーシュが目を覚ましたのは、いつものようにもう朝とは言いがたい時間だった。
まただ、とエルオーシュはうんざりして目をこすった。また遅い時間に起きてしまった。
国が大変な時に何をしているのだろう、とエルオーシュはたまらなく情けなくなった。
まだ療養中のため、誰も文句は言わないが、しっかりしなくては、とエルオーシュは己の頬を軽く叩く。
少しだけ遅い昼食が終わったあと、いつものように老医師が訪ねてきた。
伸ばしっぱなしの白髪にくたびれた衣服を着ているが、れっきとした王家直属の名医師だという。
その威厳なく、だらしない様子からは想像できないが、自然体な老人にエルオーシュは親しみを感じ、好意をもっていた。
「うむ。食欲も戻ってきたようだし、心配ないようですな」
脈をみながら、国一番の医師、パストールは柔和に微笑んだ。
「しかし、体と心は一体ですからな。心も元気にならねば。今は殿下がいなくてお寂しいとは思いますが、なに、すぐに元気に帰ってくるでしょう」
「すぐ、ですか?」
それはちょっと難しいような気がする。なにしろ相手は大国だ。
「すぐです。まず間違いはない。ベルリオールの英雄と呼ばれていますからな。それに殿下は妃殿下に劣らず丈夫な方。風邪もひかずに帰ってきますとも」
「…アーウェスのこと、よく知っているのですか?」
「それはもう、小さい頃から知っていますよ。殿下は小さい頃から怪我のたえない方で、…まあすぐに治るのですがね。そういえば、いつも応急処置は王妃さまがやっていましたね。心配そうにいつも殿下にくっついていて」
王妃、という単語にかすかに胸に痛みが走った。
小さい頃から一緒にいたふたり。
エルオーシュの知らない過去だ。
やはり、アーウェスは昔から王妃のことを想っていたのだろうか。
「…あの、昔は王妃さまとアーウェスが結婚するのではと、言われていたという噂を聞いたのですけど……、あの…」
こんなこと聞いてどうするんだ。
もっと落ち込むだけじゃないか、と思いながらも言葉を紡いでしまっていた。
「ああ、確かにそんな噂が…」
なぜか、パストールはおかしそうに口元に手をあてた。
なんだろう、と追求しようとしたとき、ノックの音が聞こえた。
訪ねてきたのは、王妃だった。
「エルオーシュさま。今日のご気分はどう?」
花束を抱えた彼女は、心配そうな顔と共に現れた。
彼女は時折、エルオーシュの寝室の花瓶の花をこうして自ら変えに来てくれるのだった。
「もう、すっかり元気です」
先ほどまで話していた内容が内容だけに、アナソフィアにどんな反応をしていいのかわからず、とりあえずエルオーシュは微笑みをうかべた。
しかし、かなりぎこちない笑みになってしまったことだろう。
「いつもお花をありがとうございます」
無理に微笑んだことを後悔しながら、なんとかエルオーシュは声を出した。
「今、王妃さまの話をしていたのですよ」
パ、パストール先生!
何を言い出すつもりか、とエルオーシュはぎこちない微笑みをうかべながらも内心は尋常ではなかった。
「あら、本当?何?何?教えて」
なぜか瞳を輝かせる王妃に、エルオーシュはまずい、と汗ばんだ手を握りしめた。
「えっと、王妃さま。ただの世間話」
「王妃さまの初恋の話をしようとしていたのですよ」
言葉を詰まらせたのは、エルオーシュだけではなかった。アナソフィアも、手に持っていた花瓶を落としそうになって慌てて直していた。
「パストール先生…!そんなことをエルオーシュさまに!?」
真っ赤になって、慌てるアナソフィアに、やっぱりアーウェスが好きだったんだ、とエルオーシュは衝撃を受けていた。
自分で推測するのと、本人から聞くのではまるで衝撃が違った。
「懐かしいですな。殿下にふられたと医務室で大泣きしていたおてんば少女が、いまや立派な女性におなりになって」
「ちょっと、パストール先生!…あ、違うのよ、エルオーシュさま。誤解なさらないで!うんと昔の話なの。まだ子供の頃の話なのよ?」
「…子供の頃、ですか?」
「そうよ!私の知っている男の子がアーウェスしかいなかった頃の話なの。今は全然違うのよ?今の私にはカルロスだけなんだからっ」
一気に言い終わったアナソフィアは、ぜーぜーと息を整えた。
「しかし、王妃さまに平手うちされた殿下の方が気の毒でしたなー」
はは、とパストールは呑気に笑った。
平手うち?
エルオーシュは展開がまったく見えず頭がさらに混乱していた。
「だ、だって何だか平然と断るアーウェスが憎たらしかったんだもの…。でも今ではすごく後悔しているのよ。それからすぐにカルロスとの婚約話が来て、…なんだかアーウェスに気をつかわせちゃったみたい。兄の妻になる娘から恋心を告げられたのだものね…」
目を伏せて呟いたアナソフィアは、ため息をついた。
「それからだもの。私をよそよそしく義姉上と呼ぶようになったのは。まだ婚約だけだったのに。…でも、本来の距離を取り戻したかったのね。私ったらアーウェスの立場なんて知らずに、いつも追いかけ回していたから…」
ちっとも、想像ができない。こんなに女らしくおしとやかなアナソフィアがアーウェスを追いかけまわしてただなんて。
「いや、私が思うに殿下は最初から王妃さまのことを『姉上』と呼びたかったのだと思いますぞ。きっと本当の姉上になってくれて嬉しかったのでしょう」
そうだろうか、とエルオーシュは思った。
アーウェスは最初から自分の立場を知っていたのだ。
王妃はベルリオール貴族の中でも発言力の一番強い侯爵家の娘だ。
だから、アナソフィアの告白を断った。
叶わないと知っていたから。
「……アーウェスも、本当は王妃さまのことがお好きだったのではないでしょうか」
エルオーシュの呟いた言葉にアナソフィアはまさか、と驚いた。
「絶対ないわよ」
「ないですな」
きっと、アーウェスは隠していた。アーウェスなら誰にもばれないようにするくらい簡単だろう。
けれど、エルオーシュは聞いてしまったのだ。
あの夜、はっきりと彼は王妃の名を呟いた。
夢の中では、心を偽れなかったのだ。
アーウェスはずっと想いを殺してきたのだと思う。
皮肉にも、ずっと苦しいくらいアーウェスのことを考えていたエルオーシュにしか分からなかったことに違いない。
「アーウェスが私のことを好きになるなんて、ありえないわ。いつもとても冷めた目をしていて、この人は誰かを愛することがあるのかしらって思ったほどだもの」
アーウェスは、きっと想っている。
きっと、愛している。
エルオーシュはぎゅっと拳を握って、泣きそうになりながらアナソフィアを見た。
しかし、目があった瞬間、なぜか彼女は嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
「でもいたわ。アーウェスが冷めた瞳以外を向ける女の子が」
「え?」
アナソフィアは、固く握りしめたエルオーシュの手を柔らかく握った。
「エルオーシュさまと初めて会ったときから思っていたの。アーウェスがもし誰かを愛するなら、エルオーシュさまみたいな女性だろうなって。私の予感は的中したわ」
まったく違う次元のことを言われたような気がして、エルオーシュはその言葉の意味を理解することができなかった。
「初めて見たの。アーウェスの焦ったような顔。エルオーシュさまが倒れたときよ」
倒れたとき?
階段から落ちたときのことだろうか。
まさか…
あの時の声は本当にアーウェス…?
抱きとめてくれたのも…?
心臓がばくばくとうるさく音を立てた。
そこを無意識に押さえる。
「誰に対しても淡白だったあの殿下が、妃殿下のことになると、そうもいかないらしいですからな」
パストールは楽しそうに喉を鳴らした。
「知っていましたか?妃殿下。妃殿下がお倒れになっている間、殿下はずっと傍を離れなかったのですよ。わしが怒っても聞く耳を持たず、ずっと妃殿下のお顔を眺めていらしたのですよ」
………うそ。いや、ありえない。
アーウェスがそんなことするはずがない。
倒れたエルオーシュを抱きかかえてくれたのがアーウェスだと、大きく期待して、信じてもいいが、それに関してはまったく信じられない。想像もできない。
『せめて夢だけは彼女に幸福を』
なぜか、その言葉がふいに蘇った。
やさしく響いた声。
たしか、これは夢の中で聞いたのだ。
飽くこともなくエルオーシュの髪をずっと撫でてくれた夢の中の、優しい人。
なぜ、それが今蘇るのか。
「私、嬉しいの。アーウェスにそんな女性ができたのが。エルオーシュさま。アーウェスの傍にいてあげてね。アーウェスは小さいときから独りで、誰も味方がいなかったから。あなただけは彼の味方でいてあげて。アーウェスを、信じてあげてね」
少女の頃、アーウェスに恋をしたアナソフィアの顔には、いっさい恋情は消えていて、そのかわり兄弟を思うかのような親愛の情が窺えた。
エルオーシュはその微笑みを眺めながら、わけもわからず呆然と頷くことしかできなかった。




