ep27 波乱の予感
「兵は城から離れたか」
蜜色の灯りがゆらゆらとチェス盤を照らす。眩しすぎないその淡い灯りのともるランプがぽつりとひとつだけ置かれた部屋で、彼はひとり含み笑いを漏らした。
…そして、兵を率いる騎士も。
王に寄り添う騎士の駒に手をのばし、そしてそのままコトリと静かに倒した。
王の影であるやっかいな黒い騎士も、もういない。
残るは‥、と王の駒に彼は触れる。
ガラ空きになったルークとキング。
あとは、チェックメイトだ。
王の駒をとった彼は、微笑を浮かべながら、それを暖炉に放り投げた。
*****
アルライド王国の高台からは、広大な森林がひろがるトラファニア帝国の領地が見渡せる。
栄えていない辺境の地が、お互いの国境であった。
そこが戦場となるのは、両国にとって良いことだろう。おそらく血を流すのは、国に命を捧げた者達しかいないのだから。
辺境の地とは言っても、何もないわけではない。
昔のアルライド国王が国境を守るために建てたという、堅固な古城が存在しているのだ。
そこを拠点としたベルリオール軍は、どっしりと古城に居座りトラファニア軍を待ち構えていた。
しかし、敵が姿を現す気配はまったくと言っていいほどない。戦地となる場所では、嵐のまえぶれのように静かな日が続いていた。
「アーウェス殿…」
不安気に声をかけてきたのは、アルライドからの援軍の総大将という男だった。
アルライド王国の第二王子である彼は、戦慣れをしていなく、毎日まだ見えぬ敵の存在に脅え、衰弱気味になっている。
アーウェスにしてみれば、これまでになくやっかいな援軍だった。
英雄と讃えられるアーウェスと話せば幾分落ち着くと言い、不安になるとこうして会いにくる。
実の兄のセドリック王子を、他でもないアーウェスに殺されたというのに、その事実を忘れたのかと思うほどの懐きぶりだ。エルオーシュもそうだったように、恨みなど感じていないのだろう。アルライドの王族の血族の繋がりはひどく薄い。
「ご心配なさらずとも、かならず勝ちますよ」
何度も言っている言葉を繰り返しても、第二王子のラマルクは、ほっとしたような顔した。
その顔に、エルオーシュに似ているところはまったくと言っていいほどない。血の繋がった兄とは到底思えないほどだ。
威厳もなく、度胸もありそうもない。
援軍の指揮官に選ばれたのが不思議なほどだ。王族でなくとも、もっと有能な家臣が指揮官になるべきでは、とアーウェスは呆れた。
「殿下!」
現れたのはベルリオール軍の兵士だった。
「トラファニア帝国の使者と名乗る者が…」
「使者?何人だ?」
何のつもりか、とアーウェスは眉をひそめた。
あからさまに戦がしたいと散々こちらを煽っていたというのに、使者とは滑稽だ。
「三人です。ふたりはただの護衛のようで、殿下に話があると申しております」
罠だろうか。
だが、会ってみなければそれかどうかもわからない。
「わかった。会おう」
「殿下、恐れながら城に入れるのは危険ではないでしょうか」
「いや。危険なのはこちらではない。きっと使者もわかっているはずだ」
アーウェスは腰につるした剣を握った。
冷酷で、無慈悲だと他国では呼ばれるベルリオールの王弟の噂をトラファニアが聞いていないはずがない。
「妙な真似でもしたら、二度国に戻ることはない、と使者に伝えてから俺の所に通せ」
「御意」
納得したのか冷静に答える兵士に対し、ラマルクは脅えたようにアーウェスから離れた。
それを気にも留めず、城の門を見下ろすと、ちょうど足止めされていたトラファニアの使者が目にとまった。
何かがおかしい、とアーウェスはほとんど本能のように感じていた。
ふと、戦場となる地を眺める。
今までの戦とは、何かが違う。
ふいに、なぜか城にいるエルオーシュのことが気にかかった。
嫁いできたばかりの、いつもつきまとっていた頃のように、彼女は今度は頭から離れてはくれないらしい、とアーウェスは心の中で苦笑した。
まったく、らしくない。
だが、この妙な胸騒ぎはしばらくおさまることはなかった。




