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ベルリオールの花嫁  作者:
第二章
27/48

ep26 戦場へ…





「王女殿が流産したことは、世間には公表しないでおこう」



 ぽつりとつぶやいた兄の言葉を、アーウェスは静かに聞いていた。


 まだ何か言いたげに口を開くが、それ以後言葉は続かない。そんなカルロスの様子を知りながらアーウェスは早々に目礼し、(きびす)をかえす。きっとカルロスは弟に何か気の利いた言葉をかけたいのだろうが、アーウェスは立ち止まらなかった。


 退出の言葉を言い残し、王の執務室を出る。

 その足で、エルオーシュの部屋を目指した。ノックもせずに部屋へ入り、寝室の扉を開けると、すぐに老医師がこちらを振り返った。


「様子は?」


 寝台には相変わらず青白い顔をしたエルオーシュが眠っていた。

 倒れたあの日から、一日が経った。

 彼女はまだ目を覚まさない。


「今しがた薬を飲ませたばかりですから、まだ起きませんよ。お体にも疲労が溜まっていたのでしょう。よく眠れる薬も処方しました。しかし、妃殿下は驚くほど丈夫な方ですな」


 この医師は昨日から同じことを言う。大怪我を負わなかったのは奇跡だと。


「階段に打ち付けた体のあざも、もう薄くなっておる。骨折も脱臼もない。そして、殿下、安心してください。まだまだお若いのだから、かならずまた子も授かりましょう。目を覚ましたら、そう妃殿下に言ってあげてください」


 柔和に笑い、老医師は出ていった。


 その空いた椅子に座り、昨日からずっとそうしていたように、深く寝入る顔を眺めた。寝台に広がる柔らかい髪をそっとすく。


 彼女の体におきた事実を知ったとき、一瞬何を言われたのか理解ができなかった。今でも現実感がない。しかし、エルオーシュが傷つくことは容易に想像できた。


 なぜあの時引き止めなかったのだろう、とアーウェスはあの場面を思い出さずにはいられなかった。

 きっと、目が覚めたらまた泣くのだろう。


 あの時みたいに、子供のように脅えて、声をあげて泣く姿が容易に想像できてしまう。

 また、誰でもない自分のせいで。


 その可能性は、最初から充分に分かっていたはずだった。

 最初から手なんか出さなければ良かった、ともはや思っても仕方のないつまらないことを考える。

 わかっていたのに、どうして手に入れたくなったのか。


 嫁いでくる王女には、無関心でいると決めていたはずだった。

 きっと面倒くさいことになると。


 一度でも関係を持つと、正妃である立場をかざしてアーウェスの軽薄さを責め、これまでもなく面倒なことになるだろうと。


 そしてなによりも、避けたかったのは(まつりごと)だった。他国の王女を正当に扱えば、嫌でも国政に巻き込まれるだろうと推測していた。


 案の定、嫁いできた王女は見るからに貞淑で不義を許さなそうな少女だった。

 冷たくすればすぐ諦めると思っていたのに、それが随分な誤算だったらしい。

 嫁いできた王女は見かけと性格に驚異的な違いのある女だった。


 そこに多少なりとも興味を持ったのが間違いだったのかもしれない。

 暴力的なこととは一番縁遠そうな儚い見かけをしているくせに、剣技も性格も見るからに血の気の多いやり方を好む、随分変わった王女だと思った。


 その中で、一番興味をひいたのは、エメラルドのような輝きを放つ瞳だったかもしれない。


 儚い容貌にそぐわない、力強い光を少女は持っていた。真っ直ぐ前を見据える、素直な輝きを宿す瞳に目を奪われた。


 無垢で、真摯で、生きることを躊躇わない強者の瞳。

 自分に一番欠けていたものだったからかもしれない。


 しかし、それは危うい炎のようだった。消える前に激しく燃え狂う炎を思わせるその彼女の強さは、ひどく脆い土台の上に、必死で立っていたものだと気付いてしまった。


 だから思わず、抱きしめたくなったのだろうか。


 あのような価値もない男に命を捧げていたことに、腹立たしさを感じながらも。

 だったら、いっそ自分に命を捧げればいいと思った。そうしたら、今度はどんな色の瞳を自分に向けるだろうと。


 最初は毛色の変わった、気に入った玩具を、暇つぶしに眺める感覚だったはずなのに、なぜ居心地の良さを感じるようになってしまったのだろう。


 王族の反乱分子と呼ばれるがゆえに、常に張らざるを得なかった糸が、この女を前にすると自然と緩んでいってしまうような気がした。

 この感覚は何なのだろうと感じながら。


 エルオーシュがそばに居るときだけ、今までは苦痛に思わなかった自分の抱える孤独感が、かすかに癒される気がしていた。

 だからなのか。いつしか、あれほど遠ざけていた政治に絡んできても、手放そうという気は自分でも不思議に思うくらいわかなかったのは。


 だが、早く手放せばよかった。

 こちらを見るたびに苦しそうな顔をしているのは知っていた。

 触れれば、脅えたようにこちらを見上げ、 時折泣きそうにうつむく。


 それでもいいと思った。


 自分がそばに置きたいのだから、勝手に泣いていればいいのだと。

 強引に抱いても、あんな父親に命を捧げていたのだから、耐えられるはずだと。

 それでも、最後に抱いた時の、エルオーシュの顔を思い出す。

 こちらを拒絶するエルオーシュにたまらなく腹が立っていた。

 他の者と踊ったとき、アーウェスには見せない笑顔を見せたエルオーシュに分からせてやりたかった。


 お前は、俺のものなのだと。


 それだけは、決して変えられないのだと。

 俺のためだけに生きなければならないのだと。

 とまらない苛立ちに拍車をかける、愚かな女の言葉を思い出す。


 泣きながら、アーウェスといると苦しいといった言葉を。

 その言葉に、危ういほど理性が飛んだという自覚はある。


 泣き叫ぶ女を無理矢理抱くのは、まったく趣味じゃない。

 むしろ、そういう男を軽蔑すらしていたというのに、止まらない感情に気付けば乱暴に扱っていた。


 きっといつか、傷つけると、始まりから分かっていたはずなのに、なぜ手に入れたくなったのか。

 これ以上そばにいれば、壊すだろう。完全に壊れる前に、解放しなければならない。


 最初の頃のように(うつむ)くことなく、力強く前を見据えていた、憂いのない日々を与えられるかはわからない。しかし、己がそばにいるよりは、以前のように笑える日々が増えるだろう。

 もう関わらないほうがいい。もう泣かすことは無いだろうと、そう思っていた矢先だったのだ。


 昏々(こんこん)と眠るエルオーシュの白い頬を撫でる。


「泣かせるのは、これで最後だから」


 もう、二度と関わらない。

 もう泣き顔は見たくない。

 

 泣かせたくないなどと、そんな感情を持ったのは初めてかもしれない、と心の中で少し笑う。まるで、まだ自分の中に人の心が残っているかのような感情だ。もとから人でなしのくせに、と自嘲する。


「…せめて、夢だけは」


 ――彼女に幸福を


 握った手に口付けを落とし、アーウェスは席を立った。

 きっともう二度、言葉を交したりしない。

 叶うことなら、アーウェスの正妃という地位も取り払って、国に返してあげてもいい。好きに生きさせてあげたい。



 だが、そうするためには一つやらなければいけないことがある。

 せめて、エルオーシュの願いをひとつくらい叶えてやろうか。

 アルライドを救って、といつか願った言葉を。




「殿下!陛下がお呼びです」


 エルオーシュの部屋を出てすぐ、部下である騎士が息を切らせて駆けよってきた。


「わかった」


 なぜ再び呼ばれるのか、アーウェスは察していた。

 ようやく、戦いの火蓋が切って落とされたのだ。


 忌み子と蔑まれる軍神の出番だ。

 アーウェスは颯爽とカルロスの元へと歩き出した。





********





 夢を見た。

 どこか幸せな夢だった。

 ははうえ、と駆けてくる子供が見えた。

 あれは、幼いときの自分だろうか。

 転ぶことにも脅えず、全力で駆けてくる。見ていて危なっかしいなと思いながらも、どこか微笑ましかった。


 けれど、その様子に見かねた人物が呆れながらその子供をひょいと抱き上げた。

 あんな人、エルオーシュの幼い記憶にはいない。

 違う。あの子供は自分じゃない、と気付いたのは抱き上げた人物が背の高い黒髪の男だったからだ。

 無邪気に抱きつく子供の頭を、投げやりに、だが、しっかり撫でるのは、アーウェスだった。


 これは、何の夢?


 気付いたら、目を覚ましていた。

 決して現実に起こり得ないその夢に、エルオーシュは知らずに涙をこぼしていた。

 守れていたら、そうなっていたかもしれない。


 それが悲しくてしかたがない。

 目を覚ますたびに思い知らされる。


 気づきもしなかった命が、永遠に失われてしまったのだと。

 まさか、子ができていたなんて思いもしなかった。

 王弟の子を産むというのが目的だった嫁いだばかりの頃は、あんなにも切望していたのに。

 父が幽閉され、そんな役目も必要がなくなったためか、子供かできるという可能性を少しも考えてもいなかった。


 それが、悔しくて悲しくて仕方がない。

 少しでもその可能性があると気づいていたら、守れたかもしれないのに。

 私は、自分のことしか考えていなかった。


 自分のことで手一杯で何も考えてはいなかった。

 最初の頃、子供が欲しいとアーウェスに言いながらも、どこか自分に子供ができるという現実感はまるでなかった。男のように育ってきた自分には、そんなものは無縁のような気がしていた。


 でも、今は苦しいくらい感じている。肉体的痛みからくる、身篭っていたという現実感。産んであげられなかった悲しさ。自分の子を亡くしてしまった喪失感を。


 寝室の扉が開かれる音に気付き、はっとする。


 エルオーシュは慌てて涙を拭い、身を起こした。


「急に起き上がっては駄目です!まだ横になっていて下さい、エルオーシュ様!」


 慌てた声を出しながら駆け寄るのはナーナだった。

 たいそう心配している侍女の前で、弱気な顔を見せてはいけないと微笑んでみせる。


「大丈夫だよ。もうすっかりいい」


「いけません。もっとお体を大事にしてください。殿下も心配で戦にいけなくなります」


「いや、それはない」


「いいえ、心配なさっているはずです。急な出立となってお会いになられないのを残念がっているはずです」


 そうだろうか、とエルオーシュは怖くなった。

 まだ気を失ってから一度もアーウェスと顔を合わせてはいない。

 もう、エルオーシュに無関心なのかもしれない。

 最初からそうだったけれど。


 …怒っているというのもあり得る。

 大事な王家の子を産めなかったエルオーシュを、役に立たない腹だと怒っているのかもしれない。

 怒って、呆れて、愛想もつかしてしまったのかもしれない。


 そう考え、思わずため息がもれる。


 その時、ふいに外から音が聞こえた。兵士達の掛け声のようなものが聞こえる。


「…まもなく、出陣するようです」


 窓の方をちらりと見たナーナが、エルオーシュの方を心配げに見つめてくる。

 これから、ベルリオール軍はトラファニア帝国に向かうらしい。

 事の始まりは、エルオーシュが眠っている間に起こった。


 トラファニアがアルライドの領地に攻め入ったのだ。

 アルライドを配下に置いているベルリオールにとっては、己の領地に攻め入れられたのも同然だ。

 睨みあっていた両国が、ついにぶつかり合うのだ。


 当然ベルリオールの総指揮は、大陸一と呼ばれるほどの武勇を誇る国の英雄のアーウェスだ。

 言葉も交せないまま、戦場に行ってしまう。


 こうなってしまったことを、どう思っているのかも分からないまま。

 そっとベッドを抜け出し、エルーシュは立ち上がった。ナーナが制止の声をあげたが、構わずエルオーシュは窓まで歩みよった。大勢の兵が列をなして城門を抜けている。


 黒鹿毛の騎馬に跨った男が視界にちらつき、エルオーシュは思わず窓に身を寄せた。城門の前の広場から、鎧を纏った騎馬兵に囲まれながら王城を出る兵達に不備はないかと眺めているのはアーウェスだろう。近くのバルコニーへと続く窓をあけ、靴もはかないままエルーシュは手すりへと駆けた。


 大きな声を出せば届くかもしれないと、身を乗り出す。


 しかし、伝える言葉が見つからない。何を話したいというのだろう。そもそも、そんな事を許される立場でもない。愚かともいえる己の行動に動揺したまま、それでもエルオーシュは言葉を探していた。

 このまま、戦場に行ってしまうというのに見ていることしかできない。


 一言でいいから、言葉を交わしたい。抱きしめて欲しいなどとは言わない。


 ひどい言葉だって良い。そうしたら、エルオーシュも、どうか無事でと言えるだろう。

 


 途方にくれていた時、アーウェスがふと視線を上げた。首をめぐらせ、エルーシュのいる方角を見つめている。遠いため、アーウェスがこちらを見ているのかわからないが、エルオーシュの胸に引き絞られるような痛みが走った。

 彼は、エルオーシュの姿を見つけただろうか。まるで目線を交わしてるかのような錯覚にとらわれる。お互い、言いたいことに迷い、口をつぐみながら眼だけを合わせる。そんな情景が脳裏に浮かぶ。

 強い風がエルオーシュの淡い金髪を舞い上げたとき、アーウェスが視線を下げた。馬の首を返し、城門へと歩みを進めてゆく。


 その一瞬の時間に、なぜか救われた気がした。しかし、胸に渦巻く重い悲しみが消えてなくならない。


 颯爽とした後ろ姿に、涙が滲む。

 遠くに行ってしまった。そう感じていた。


 小さくなっていく軍勢を、もう何も宿していない腹を抱きしめながらエルオーシュを見つめていた。

 戦いは、始まった。


 それは、ベルリオール王国にさらなる混乱を招く、出来事の始まりだった。







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