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ベルリオールの花嫁  作者:
第二章
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ep25 孤独と喪失②



「部屋に連れていく。歩けるか?」


 淡々とした響きに、エルオーシュは怯えた。面倒な、とため息が聞こえそうなほどの硬い声音だったからだ。


「ひとりで歩けます、殿下。申し訳、ございません」


 その手をそっと振り払う。他人行儀に振る舞ったのは、もうエルオーシュに関わりたくないであろうアーウェスのためだ。これ以上、失望されたくはないとぎゅっと手のひらを握りしめる。

 しかし、アーウェスは苛立ったように再びエルオーシュの腕を掴んだ。


「アーウェスに連れて行ってもらって。エルオーシュ様」


 無言のままの二人の静寂を打ち破ったのは、アナソフィアの優しい声だった。


 アーウェスの手が腰に添えられる。行くぞ、と(うなが)しているのだ。


 本当は、私のことなんかどうでもいいくせに。

 どうなったって、困らないくせに。


 深い孤独感に、エルオーシュはもう一度その手を振り払った。


 ふたりして、優しいふりなんてしないで。私の目の前で。お互い、想いあっているくせに。


「ひとりで行ける!」


 泣きそうになりながら、必死にそう叫ぶ。


「義姉上もこんなに心配しているんだから、言うこと聞け」


 それはいったい、どのような意味なのか。

 王妃さまが心配しているから?王妃さまのため?


「放っておいてくれ!…私は…!」


 もう、これ以上ふたりの顔なんて見たくない。


「…申し訳、ございません。…騒ぎになるのは御免です。あとは侍女に世話をしてもらうから…」


 そのままドレスのすそを持ち上げたエルオーシュは、早足でその場を抜けた。


 背後からアナソフィアの声が聞こえたが、振りかえる余裕はなかった。泣いてしまいそうだったからだ。


 愛して欲しい人に、愛してもらえない。


 嫁いだときに、覚悟してきたはずだ。

 それなのに、いつから私は愛情を期待するようになってしまったのだろう。

 父のときと、同じではないか。


 また、間違えた。

 きっと孤独じゃない、とおかしな思い込みをしていた。最初から孤独なのに。


 体が揺れる。吐き気が込み上げる。冷たい汗が寒い。


 それでも王城へと続く階段を駆け上がる。


 上がりきったところに、ローネリアがいた。

 すべて知っているかのように、勝ち誇ったように彼女は笑った。

 そのまま、ローネリアはゆっくりと階段を降りる。

 微笑みに捕われたエルオーシュは、動きを止めた。


 頭が朦朧(もうろう)とする。背筋に寒気が走る。


 ぼんやりとしたとき、ローネリアの侍女のひとりがエルオーシュの肩にぶつかった。

 おそらくはわざとだ。


 軽い衝撃でも、今のエルオーシュを転ばすのには充分だった。

 はたから見れば、エルオーシュがひとり足をすべらせたようにしか見えなかっただろう。

 天地が逆になる。


 落ちる。


 そう思っても、どうすることもできなかった。

 悲鳴をあげる暇もなく、エルオーシュは階段に何度か体をうちつけながら、数段ころげ落ちた。


 静寂を打ち破るような、誰かの悲鳴が聞こえた。

 それはアナソフィアだったのかもしれない。


 その悲鳴に紛れて、ひとつ声がはじけた。


「エルオーシュ!」


 名前を呼ぶのは誰だろう。


 しかし、そんな疑問は下腹部に走る激痛にかきけされた。

 声も出ぬくらいの激痛に、返事もできない。


「エルオーシュ‥!」


 痛みにあえいでいると、再び身近で声が聞こえた。

 アーウェス…?


 違う。


 彼は面倒くさいからと、エルオーシュの名をこのように呼んだりしない。

 まして、彼は切羽詰まったような声なんか出すはずがない。

 しかし、その声の持ち主は力強くエルオーシュを抱きしめた。


「医師を!早くしろ!」


 聞き覚えがない怒鳴り声。

 戸惑ったように体をかき抱く腕は、いったい誰のものだろう。


「…っ…!…痛い…」


「どこが痛いって?目を閉じるな。こっちを見ろ!」


 その声に、応えることはできなかった。闇に捕われそうな意識の中、何度もこちらに呼びかけるその声音は鈍く響くだけだった。

 身がちぎれそうなほどの激痛に腹をおさえる。


 何が起こったのか分からない。


 しかし、足の間につたう生温いものを感じたとき、エルオーシュは悟った。


 私は、なくしたのだ。

 唯一、孤独から救ってくれる存在を。


 愛してくれたかもしれない、たったひとりの人を。

 永遠になくしてしまったのだ。

 何度も名前を呼んでくれる人の腕の中で、エルオーシュは絶望感に涙を流しながら意識を手放した。









 *******





「ロ、ローネリアさま…、ご命令の通りに私は…。ですが、あまりにも事が大きく‥、お、恐ろしいのです」


「うるさいわ。黙って」


 脅えながらこちらを見上げる侍女に向かって、ローネリアは冷たく言い放った。

 いらいらと爪を噛みながら、私室の長椅子に座る。


 罪に問われるのでは、と怯える侍女の言葉などどうでも良かった。ローネリアの脳裏に焼き付くのは、ただ一つだけ。


 あんな顔、一度だって見たことがない。


 今のローネリアの心に渦巻くのは、困惑と嫉妬だった。こんな屈辱を受けたことはない、と唇を噛み締める。


「でも…王家の御子が…」


「黙りなさいと言っているでしょ!?それくらい何よ。どうせなら、二度と子供を宿せない体になっていれば良いのに」


 花瓶をテーブルから滑り落とすと、若い侍女はびくりと震えた。

 今さら罪の意識を感じている女に、ふざけないで、と罵ってやりたかった。皆の前で無様に転ばせてあげましょう、と嬉々として提案してきた侍女に失笑を浮かべる。そうさせたのは、ローネリアの他にない。が、今さら被害者ぶる侍女に嫌悪感がわいた。

 自分の立場はいかに低いか、味方が周りにいないか思い知らせてやりなさい、と言ったローネリアの言葉に、嬉しそうに頷いていたくせに。


「早く片付けて、出てって」


 小さく返事をした侍女は、そそくさと部屋をあとにした。


 ひとり、部屋に取り残される。目障りな者を追い出しても、苛立ちは治らなかった。


 これもローネリアの嫉妬をおさめることはできなかったと、引き出しから折り畳まれた小さな薬包紙を出す。


 窓を開けてその紙を開くと、さらさらと白い粉が風に流れて消えていった。

 紙も破り捨て、風に流す。その行方を見届けながら、募る憎しみを感じていた。

 ローネリアが苛立っているのは、突然やってきた王女がアーウェスの子を宿していたからではない。

 激しく嫉妬するのは、あの顔。


 階段を転げ落ちたエルオーシュに駆け寄った、アーウェスの顔だった。

 あんな必死そうな顔、みたことがない。


 どんな女にも執着なんてしない、冷淡な男。

 当然、関係を持った女が大怪我しようが死のうがたいして気にしないのが、アーウェスという男だった。


 なのに、誰よりも先にエルオーシュの体を抱き上げて必死に名前を呼んでいた。

 あんな切羽詰まった顔など、見たことがない。

 きっと戦場でも、自分の命が危機にさらされても、アーウェスはあんな顔しない。


 あの女は、

 アーウェスにあんな顔をさせるのか。


 冗談じゃない。


 ローネリアはぎゅっと唇を噛んだ。

 私の方が、早く嫁いだ。

 ずっと前から恋焦がれてきた。追いかけてきたのだ。

 なのに、あんな小娘に。


 あんな小娘にアーウェスは、ローネリアには見せたことのない顔を向ける。


 あんな女、いなくなればいいのに。

 花瓶に手を伸ばしたローネリアは、その中で一番小さくて可憐な花を選び、ぽきりと莖を折った。



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