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ベルリオールの花嫁  作者:
第二章
24/48

ep23 離れゆく心

 




「エル」


 聞き慣れた声に、恐る恐る顔を上げた。


 私のことになんて構わず、楽しく踊っていればいいのに‥、と知らずに卑屈になってしまう。しかし、それすら言葉に出来ないまま、エルオーシュは口を堅く引き結んだ。


 そんなエルオーシュの顔色を見たアーウェスは、眉をひそめながら手を伸ばし、エルオーシュの腕をとった。


「部屋に行くぞ」


 立たせようとするアーウェスの動作に、エルオーシュは迷ったあげく、抵抗した。


 それでも、行動と心は一致してくれなかった。


 エルオーシュの様子に気づいて来てくれたのだと思い至れば、こんな状況でも胸に嬉しさが広がった。


 なんて愚かだろうと、自分を叱責したくなった。まだ期待するつもりか、と。


 きっと、アーウェスは心配といった感情ではなく、エルオーシュが公共の場で失態を犯さないように、こんな行動に出たのだろう。これ以上、迷惑はかけられない。いや…、何もこなせない無能な姿を見せたくない。

 そばでこの姿を見られたくはない。二人きりにはなりたくない。


 未練を断ち切るように、男の腕を弱々しく押す。


「いいよ。ひとりで行ける」


 腕を掴む手を振り払って、自力で立ち上がる。

 気分はそれほど悪くない。痛いのは、心だ。

 吐き出しそうなのは、弱音と涙だけだった。


 けれど、そんなエルオーシュの心を無視した手が、強引に手首を掴んだ。


 きしむほど強く、乱暴に掴んで引っ張るようにエルオーシュを連れていく。

 足がもつれても、いっこう気にする様子はない。

 その痛さに、心の痛さにエルオーシュは涙を流していた。


 声もなく、涙が溢れていた。

 アーウェスはこちらを見ない。苛立ったように、足を進めるだけだ。


 どんな顔をして、エルオーシュの手を掴んでいるのかわからない。


 伝わるのは、苛立ちだけだ。その背中から、ひしひしと伝わってくる。


 こぼれ出した涙は止まってくれず、歩みが遅くなる。ぼやけた視界のまま、その冷たい背中を見つめたエルオーシュは、つい鼻をすすってしまった。


 その音に、アーウェスは投げやりに掴んだ手を放した。

 かすかなため息とともに、こちらに振り向く。

 アーウェスの顔に視線を向けることなど出来ずに、頬をつたう雫を拭いながら視線をそらした。


「そんなに俺に触れられるのが嫌か?」


 硬い声が響く。

 エルオーシュは、声すら出せなかった。

 止まらない涙にお咽がもれそうで、必死に唇を噛んでいたからだ。


「エル」


 鋭く響く声音。あきらかに怒っているその響きに、びくりと体が震えた。

 こんなの‥もう、耐えられない。

 深く息を吐く。ひどく弱弱しく吐息がもれた。


「‥もう‥いやだ‥。‥いやだ、アーウェス」


 涙につかえるその声で訴える。


「‥っ、‥苦しい‥」


 苦しくて、苦しくて、もう、耐えられない。

 毎日、毎日、アーウェスのことだけを考えては苦しくなる。


「アーウェスといると‥、苦しくなる‥‥」


 どうしてこんなにも胸が痛いのか。

 ふくらんだ想いは、もう自分ではかかえきれない。

 どうしていいのかわからない。

 この心を伝えると、アーウェスは離れてしまう。心を求めると、エルオーシュの傍から消えてしまう。


 アーウェスの心は、すべて別の女性に捧げられているから。


「もう‥‥、いやなんだ」


 ひっくと喉を鳴らしながら、アーウェスを見上げる。

 彼は目を細めてこちらを見下ろしているだけだった。その冷ややかな黒い瞳に、エルオーシュは脅えた。


 とっさに、一歩後ずさりしてしまう。

 その様子に、アーウェスは一瞬深く眉根を寄せる。苛立ったのではなく、傷ついたような顔だった。


 どうして?

 なぜ、アーウェスがそんな顔をするのか。

 苦しいのは、エルオーシュだ。


 呆然としている間、もういつもの冷ややかな顔つきに戻っていたアーウェスは、強引に腕をつかんだ。

 苛立ちと怒りがにじみ出ているその強引さに、エルオーシュは悲しくなった。

 引きずられるように、乱暴に部屋までつれていかれる。


「いやだ‥!」


 叫んだ声にも答えてくれない。

 もがいても、何をしても離してくれなかった。


 暴れるエルオーシュをやっと放したのは、自室の寝台の上だった。

 物でも扱うように、エルオーシュを軽々とその上へ投げ捨てる。


 抵抗しようと起き上がろうとしたときにはもう遅く、アーウェスの重みに体の自由が奪われていた。


「い、いやだ‥!」


 泣きながら暴れるエルオーシュの体を組み敷き、宙をかく両手を片手で捕える。


 首筋に生ぬるい感覚がつたい、エルオーシュは震えた。

 しぐさもすべてが乱暴。こんなこと、一度たりともなかったのに。いつもは、優しかったのに。


 エルオーシュが、怒らせた。


 布が引き裂かれる音を、エルオーシュは絶望の中で聞いていた。


 怖い、と初めて男に恐怖を覚える。

 まるで、エルオーシュのすべてを拒絶しているようだった。


 怒りも苛立ちもすべて、エルオーシュにぶつけるように扱う。

 愛情なんてものは、これっぽっちもない。お前は要らないんだ、と拒絶されているようだった。


「アーウェス‥‥!」


 泣き叫ぶ口を、アーウェスは乱暴にふさいだ。

 ただの道具みたいだ、と感じた。

 人形のように、何も話さず居ればいいのか。ただの欲情処理のための道具のようだ。


 私は、何?どういった存在?アーウェスにとって、私は‥


『面倒くさい女はごめんだ。おまえまで苛つかせるな』


『あなたは、たくさんいた殿下の気まぐれの女に過ぎないの』


 ただ、都合のいいだけの、女?


『そなたは王女ではなく、わしの命を守る駒。剣をふれないそなたにはなんの価値もない!!役たたずが!』


 ただの、駒?

 剣がない私には、価値がない?

 価値がない存在。

 誰も、必要としない。ただ苛立ちをぶつけられるだけ。


『俺のために生きればいい』


 そう言ってくれは人も、今はエルオーシュを乱暴に扱う。きっと、エルオーシュが必要なくなったから。もう、いらない存在だから。


 エルオーシュは泣き続けた。

 アーウェスが離れても、うずくまって泣いていた。ずっと我慢していた感情が、すべて流れ出るようだった。


 母が死んだとき

 初めて父がいる王城に足を踏み入れたとき

 ずっと見ていた夢を奪われ、不安に襲われながら、慣れない異国に嫁いたとき

 国が侵略されたとき

 父の本心に触れたとき

 そして、叶わぬ想いを抱いたとき


 本当は、いつだって泣きたかった。

 感情のままに。

 しかし、弱い自分を認めたくなくてずっと抑えていた。


 本当はいつだって脅えていた。

 孤独に脅えて、不安を押し込めていた。認めたくなかった。独りが怖いのだと。

 臆病で弱い人間なのだと。


「‥‥エル」


 闇夜に響いた声に、エルオーシュはびくりと体を震わせた。さらに、小さくなって子供のように泣く。

 暗闇が怖いと思った。


「‥落ち着いたら、自分の部屋に戻れ。もう、ここには来なくていい」


 それは、拒絶の言葉。

 エルオーシュはもう、必要ないという言葉だった。彼がエルオーシュを拒絶するなら、次は何のために生きればいいのだろう。


 俺のために生きろといった彼が拒絶するならば、どうすればよいのだろう。


 静かに寝室の戸が閉まる音がした。

 それがやけに寂しく響き、エルオーシュはさらに泣いた。


 本当は、独りの暗闇が怖いのに。ひとりに、しないで‥。

 お咽がもれ、やがて、それは声になる。


 初めて声をあげて泣いた。一生分の涙を流すほどに泣いたと思うのに、まだまだ涙はとまらなかった。


 暗闇に、取り込まれる。怖い、と身を縮める。

 助けて、誰か傍にいて。そう呟いても、答える声などない。


 ぎゅっとシーツを掴み、暗闇に脅え、声をあげながら、いつまでもエルオーシュは涙をこぼし続けた。





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