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ベルリオールの花嫁  作者:
第二章
23/48

ep22 秘められた恋

 


 寝言で名前を呟くほどの女とは、どのような存在なのだろう。


 この頃、そればかり考えているエルオーシュは、頭がおかしくなりそうだ、と額をおさえた。ずきずきと頭痛がする。


 ローネリア、ソフィ―

 エルオーシュという名は、少しでも彼の頭の中に残っているのか。一時でも、思い浮かべることなどあるのだろうか。


「エルオーシュさま。このドレスでよろしいですか?」


 ナーナの声にはっと振り返り、持ち込まれたドレスを眺める。


 今日は建国記念祭という催しの日だ。

 平民から王族まで、国中の人々が祝い合う日らしい。


 王城でも、盛大な舞踏会が開かれるとアナソフィアが言っていた。

 その舞踏会では、年頃となった令嬢をお披露目する場でもあるのだという。

 つまり、社交界デビューと呼ばれるもので、王侯貴族達の社交会の季節の始まりなのだ。


 お披露目された令嬢たちは、貴族の子息たちと交流をし、ダンスを楽しみ、やがて結婚を申し込まれることもある。


 そのせいか、女官や侍女達がそわそわと浮ついていた。


 女官とはいえ、ほとんどが由緒ある名家の娘達なのだ。うまくゆけば、貴族や高官と結婚できるチャンスがある。

 そのように城の娘達は楽しげにささやきあっている。まるで、城中に恋の季節が巡っているようだった。


 この催し物を皮切りに、冬になる季節まで、たくさんの舞踏会が王城でも開かれると聞いた。


 そのため、ナーナ達、王族に関わる者に仕える侍従達は大忙しだった。


 公の場に出すための支度を整えるだけでも大変だろうに、新たなドレスを仕立てるための準備にも忙しそうだ。毎回、衣装を変えなければならないらしい。

 人々に注目される王族は、皆の憧れとなるようなドレス着なければいけないと、ナーナは力説していた。


 ナーナが持ってきたのは、品のある色味が落ち着いた青いドレスだった。

 いつもの傾向とは違う。エルオーシュがいつも着せられるドレスは、レースがふんだんに使われている、人形が着るようなドレスばかりだったのに、今回は珍しく好みのドレスだった。

 無駄な装飾がなく、すっきりとした形が大人っぽい。


 すぐに一目惚れをして頷く。

 これなら着てみたいと、初めてドレスを前にして心が踊った。


「うん。それがいい。とっても」


 そう言うと、ナーナがくすくすと笑った。


「さすが、殿下はエルオーシュさまの好みがお分かりになるのですね」


「ん?何の話?」


「このドレスは、殿下が選んだものですよ」


 ナーナが言うには、どのドレスが良いかとアーウェスの部屋に色々と並べている時に、彼が『部屋がドレスで埋まる』と文句を言ったのだという。そして、これにしろ、と悩むナーナに差し出したのがこのドレスらしい。


 ‥絶対適当に違いない。


 エルオーシュはそう思ったが、やはり、選んでもらったと言われるドレスを着るのは、どこか嬉しかった。


「今、周りがやけに浮き立っていますけど、新婚のお二人にかないませんね」


 なぜか、ナーナが嬉しそうに言った。

 新婚‥。

 そういえば、婚儀を交してからもう半年近くも経つのか、とぼんやりしている間に、女官達がほどこしてくれる仕度が終わっていた。


「できましたわ」


 鏡に映るのは、リボンもレースもコサージュも上品に仕上げた、華やかなドレス姿。


 苦手なコルセットで持ち上げなければ豊満に程遠かった胸元には、繊細な銀細工につながれた、瞳と同じ深い色のエメラルドが輝いている。


 首を動かせば、耳飾りがしゃらりと揺れ、髪飾りの白い薔薇が香りを放った。

 細かく巻かれた金髪は艶やかになり、化粧を丹念に施されれば、元の寂しい顔立ちを大輪の花のように華やかに輝かせている。


 鏡に映る自分は、別人に見えた。すましてじっとしていると、王族の気品に溢れた貴婦人に見える、と安心しながら立ち上がる。


 そのとき、くらりとめまいがした。

 立っていられなくなり、鏡台に手をついて耐える。


「エルオーシュさま‥!」


「だ‥大丈夫。ちょっとめまいがしただけ」


 鏡に映る自分は真っ青な顔をしていた。

 この頃、体が不調だった。めまいと、微熱が続いている。

 この不調は、昔、感じたものと似ている。

 毒に抵抗力をつけるため、少しずつ含められていた子供の頃と同じ不調。

 ‥‥毒?

 恐ろしい考えに行き着いて、必死に否定する。

 ただ疲れただけだ、とエルオーシュは忘れることにした。



 *******



 歴史ある舞踏会は、この世のものではないほどに華やかなものだった。

 黄金色に輝く大きなシャンデリアの下がる広間には、既に大勢の人が集まっている。

 扇子を手にした淑女たちが、若い男性を見ては何かしら囁きあっている姿があちこちで伺えた。


 王城は多くの明かりに照らされ、夜闇を退け、真昼のように明るかった。


 エルオーシュはそんな様子の舞踏会に圧倒されながら、壁際の長椅子にひとり座っていた。

 

 最初はアーウェスやアナソフィアの隣にいたが、しばらくしてエルオーシュから、疲れた、と言ってその場から離れた。


 挨拶を交わした皆が、腫れ物を触るような態度でエルオーシュに気を遣っていたからだ。すぐに存在感を消すように中央を避けたエルオーシュは、今は立派な壁の花と化していた。


 目立たない隅のほうで休憩しているエルオーシュには、誰も目を向けない。内心、ほっとする。


 誰とも会話を交わさないエルオーシュだったが、嫌でも人々の会話は耳に届いていた。大きな声では言えないような、噂話だ。

 

 紳士淑女の別を問わず、ささめき声はあちらこちらから聞こえてくる。


 果実酒で喉を潤しながら、エルオーシュは、聞かないようにしていても自然に耳に入ってきてしまう内緒話に、しだいに耳を傾けていた。


 どこだかの夫人が、若い愛人に逃げられただの、侯爵閣下は、妾宅を増やしただのと、下世話なことばかりだった。


 ――そういえば、アーウェス殿下のお姿をごらんになりました?


 囁かれた声のひとつに、ぴくりと耳が反応してしまう。


 ―――ええ。いつみても見目麗しいわね。‥ほら見て、穢れた血だと親たちの評判が悪くても、あの社交界に初めて出てきた令嬢達、先ほど殿下と挨拶してから目が離せないみたい。


 見目麗しい王弟殿下は注目の的だ。

 アーウェスを探すと、彼は意外なほど社交的に振る舞っている。猫をかぶっているときの彼だ。

 ‥いや、もしかして、優しくなくてそっけない態度をとるのはエルオーシュにだけかもしれない。


 いずれにせよ、アーウェスは女性たちの視線を集めているようだ。異国の血を忌み嫌う者は、アーウェスを見つめる娘をたしなめ、国母にと狙う者は、必死に娘を紹介している。


 優雅とも言える仕草で、様々な者達と会話をするアーウェスを眺めていたエルオーシュは、落ち込んでいくのがわかった。


 堂々と、隣に並べない正妃。まだそんな待遇を受けているのかと、会う人みなに驚かれる立場。


 それを、ものともしない強さなどなく、暗がりに逃げ込んでいる自分。


 あの男の正妃が自分なんかで良いのかと、エルオーシュの気分はどんどん沈んだ。

 不相応だと思った。


 何度目かのため息をついたところに、軽やかな音色が聞こえてきた。ダンスが始まるのだろう。

 男女がどちらともなく中央に集まっていく。


 色とりどりのドレスが舞う様子は花畑のように鮮やかだ。


「妃殿下」


 その声に、うつむきかけていた顔をあげる。

 目の前に差し出されていたのは、手だ。


「王族の義務らしい」


 心底面倒くさそうに手をさしのべているのは、アーウェスだった。目立たない暗がりにいたエルオーシュを、彼は見つけていたらしい。


「つまり、‥私に踊れと?」


 ぽかんと見上げて、手に手を重ねる。


「お互い面倒くさいなら、さっさと終わらせたほうがいい」


 強引に立たされ、腰を引き寄せ密着される。はたから見れば、実に円満な夫婦の姿だ。


 アーウェスはわかっていてやっている。

 これも王族の義務だから。


 当然のように、婚儀を結んだばかりの王弟夫妻に視線が集まる。


 エルオーシュにはそれがたまらなく嫌だった。

 自分が王弟殿下にふさわしいのか値踏みをされているように感じた。

 だから、アーウェスの目を見られない。

 重ねられる手に脅えて、びくりと体を震わせてしまう。


 それに苛立ったのか、アーウェスは乱暴にエルオーシュの手を掴み、さらに腰を引き寄せる。


 アーウェスの苛立ちが怖かった。

 アーウェスに、おまえはふさわしくない、と言われたようで心が痛かった。


 楽器の音が始まる。

 王族に生まれた者は、幼い頃からダンスを習わされる。下手ならば、公の場所には永遠に出させないと言われるほどに、踊りの技術に力を入れる。


 男まさりなエルオーシュでも、厳しい教育をうけた。

 そのため、ダンスの出だしには反射的に足が出る。音が始まると同時に、苦もなくエルオーシュは無意識に足を踏み出していた。


「‥‥なぜお前が俺をリードする」


「え!?ご、こめ‥‥。くせで」


「癖?いったい何をしていたら、男をリードするのが癖になるんだ」


 普通のダンスは男性が、女性をリードするものだ。普段から好んで男装をしていたエルオーシュは、ふざけ合って舞踏会が行われる会場の外でロッソや他の侍女達と踊ることのほうが多かった。王妃に嫌われていたため、公の場にはほとんど顔を出さなかったせいだ。


 ため息をついたアーウェスに、エルオーシュは脅えた。義務とはいえ、あまりアーウェスに近づきたくなかった。

 これ以上失望されたくなかったからだ。


 それが伝わっていたのか、音の終わったとたん、アーウェスは突き放すようにエルオーシュから離れた。


 ひどく、投げやりに。

 ‥脅えすぎたかもしれない。エルオーシュは謝ろうと背を向きかけたアーウェスに手を伸ばした。


 だが、それはかなわなかった。


「義姉上」


 アーウェスの視線の先には、アナソフィアが人懐っこく笑っていた。


 タイミングを失って、宙に差しのべられていた自分の手を、エルオーシュは慌てて引っ込めた。


「まあ、アーウェス。せっかくのお祭りなのだから、少しは楽しそうにしたらいかが?ほら、エルオーシュ様さまも」


 にっこりと、明るく笑いかけるアナソフィアに、エルオーシュも笑顔をつくろうと努めて口の端を持ち上げた。

 ‥ぎこちない笑顔に見えたかもしれない。


「義姉上は、はしゃぎすぎないようお気をつけ下さい」


 仏頂面をくずさないアーウェスは、目礼をしてさっさとこの場を去ろうとする。

 しかし、その袖をアナソフィアは不満気に捕まえた。


「ほら、もっと楽しそうにもう一曲ぐらいダンスを踊りなさいな。せっかくエルオーシュさまがこんなに可愛いのに」


「そういう義姉上も踊っていないくせに」


「しょうがないじゃない。カルロスがまだ療養中なんだから」


 二人のやりとりに口をはさめないまま、エルオーシュは戸惑っていた。

 アーウェスと踊るのは注目を浴びて嫌だが、あからさまにそんな態度をとったら駄目だろうし‥。それでは、楽しんでと言ったアナソフィアのせっかくの助言を無駄にしてしまう。


「では、王妃さま。殿下と踊ったらいかがです?」


 悠々と現れたのは宰相のロベルトだった。

 ロベルトの申し出に、アーウェスは苦い顔し、アナソフィアは目を丸くしている。


「あら、エルオーシュさまに悪いでしょう?」


「では、妃殿下は私と踊りましょう。麗しい妃殿下に、このような年かさな男が申し込むのは、少々気がひけますが」


 柔和な笑みを浮かべるロベルトに、先ほどまでアーウェスに感じていた緊張感を払拭され、思わずエルオーシュも微笑んでしまった。


「エルオーシュさまがいいのなら。ロベルト殿ったら、どうしてもエルオーシュさまと踊りたいみたい。さあ、アーウェス。踊るわよ」


 くすくすと笑うアナソフィアに、一瞬嫌な顔をしたアーウェスはエルオーシュの顔をふと見た。

 そしてすぐ、視線をそらす。


「一曲だけなら」


 その言葉にアナソフィアは嬉しそうに微笑み、アーウェスの手をとった。ふたりで音を待ち、寄り添う。


「では、我々も」


 エルオーシュも差し出されたロベルトの手をとった。


 ちらりとアーウェスたちを見る。寄り添うふたりは驚くほどお似合いだった。

 ダンスが始まる。

 ロベルトにリードされ、軽やかに踊りながらも、エルオーシュの視線は何故かアーウェスを追っていた。


 手を引かれくるりと回ると、アーウェスとの距離がいつの間にか近くなっていた。

 それに囚われたエルオーシュは、ステップを踏み間違えた。よろけて、アナソフィアにぶつかってしまう。


「きゃっ」


 アナソフィアのバランスがぐずれる。

 転びそうになったアナソフィアに、アーウェスは手を伸ばした。


「ソフィー」


 耳が一瞬、遠くなった。

 今、ソフィーと呼んだ気がする。

 王妃さまのことを。


 信じられない気持ちで、アーウェスを見上げる。アーウェスは、そんなエルオーシュなどに気がつかず、腕を回しアナソフィアを支えていた。


「エル‥」


 何をしているんだ、と眉をひそめるアーウェスに、エルオーシュは呆然とすることしかできなかった。


「エルオーシュさまは悪くないわよ。私がよろけただけ」


「あの‥ごめんなさい‥」


「いいの。ほら、ダンスを楽しみましょう」


 にこにこ笑うアナソフィアは、何事もなかったように踊りはじめる。

 エルオーシュは整理できない思考を抱えたまま、ロベルトに導かれるままに踊っていた。


「陛下と結婚なさる前までは、王妃さまは殿下と結婚するのではと、囁かれていたのですよ」


 驚いてロベルトを見上げる。

 ロベルトは先ほどの柔和な表情ではなく、やけに鋭く光る目を細め、微笑んでいた。


「お小さい頃から、仲がよろしくてね。いつも一緒にいたのですよ。王妃さまが殿下になついて追いかけまわしていたのです。まあ、歳の近いふたりですからね」


 アーウェスはたしか二十三、アナソフィアはひとつ歳上の二十四。

 エルオーシュの動機が激しくなっていく。

 まさか、と。


 アーウェスが寝言で言った、ソフィーという名。

 王妃さまに違いない。


 では、アナソフィアは‥


『苦しいほうが多かった』


 寂しげに初恋を語ったアナソフィアが脳裏をよぎる。相手は、陛下ではないと言った。

 実らなかった初恋。

 それは、

 アーウェスだ。


 めまいがした。

 二人は、相思相愛だったのだ。

 ただ、国のために叶わなかっただけ。


「妃殿下?疲れましたか?」


 ロベルトが心配そうに蒼白なエルオーシュの顔をのぞきこんだ。


「‥‥少し」


「では、休みましょう」


 ロベルトに支えられながら、エルオーシュはダンスの輪を抜けて、壁際の長椅子へと導かれた。


 まだ、アナソフィアとアーウェスは踊っている。

 ふたりはどんな想いで踊っているのだろう。

 決して、心を通わせてはいけない存在のふたりは。


 ああ、そうか。

 だからアーウェスは愛情を求める女が嫌いなのか。


 自分に愛情がないのではなく、あるべき愛情をひとりの女性に捧げているから。

 女はどれも同じ、と言うのは特別な人以外どうでもいいから。


 皆、アナソフィアの代わりだから。そして、エルオーシュも。


 エルオーシュも、アナソフィアの代わりだ。


 絶望感に、胃がしめつけられた。ひどい吐き気が込み上げる。


「妃殿下?気分でも悪いのですか?」


 ロベルトの発した言葉に、エルオーシュは返事もできなかった。

 声を出したら、泣いてしまいそうだったからだ。


「‥殿下を呼んで来ましょう」


 いやだ!それだけは‥

 その訴えは声にならず、エルオーシュはぎゅっとロベルトの上着の裾をつかんだ。


「私は、‥‥大丈夫です。じっと、していれば‥‥治りますから」


 泣きそうになりながらも吐き気に耐え、エルオーシュはただうつむくことしかできなかった。





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