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ベルリオールの花嫁  作者:
第二章
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ep19 闇の王子

 


 かまっていられない、とアーウェスはエルオーシュの消えた戸口を見つめていた。


 こっちは朦朧とした頭で必死に意識を保とうとしていたのに、面倒な事ばかり舞い込む。腹立たしさがおさまらず、舌打ちしながらアーウェスは長椅子に体を横たえた。



 なぜかエルオーシュを見ていると苛立つ。

 それは、彼女が愚鈍なほど純粋だからだ。真っ直ぐこちらを見上げて、恐れることなく近付いてくる。


 その真っ直ぐさに、アーウェスは時折どう接していいのか分からなくなる。だから、面倒くさくなって、苛立つ。


 境遇は似ているようでも、性質はまるで違う。あちらがアーウェスのことを理解できないことが多いように、アーウェスもエルオーシュの胸中が分からないことが多いのだ。


 父親のことが最たるものだ。あのような扱いを受けながら、彼女はひとつも父親を恨んではいない。むしろ自分が悪いと責めている。


 その考え方に、いつもアーウェスは苛立っていた。

 エルオーシュの世界の中心が、いつでも己自身ではなく、父親や国のことだけなのがなぜか腹が立つ。


 ずりずりと地を這うような闇が身の内に迫り、意識を奪ってゆく。引きずられるように体を(とら)えられ、眠りに突き落とされる。


『王家の妨げになる前に殺すのだぞ』


 ささやく声が聞こえる。

 ああ、またこの夢か、とうんざりする。


 体調が悪いと決まってこの夢を見る。最初は夢だと認識しているくせに、いつも夢に囚われ現実に起こっているかのように意識を引き込まれてしまう。


 幼い自分は、息を潜めてその会話を聞いていた。

 声の主は、顔を思い出せないほどの印象しかない男だ。

 機嫌の良い日だけ、アーウェスを抱き上げ、頭を撫でてくれる男。そして、この国の王だと言う。

 父親だと聞かされても、ただ遠い存在でしかなかった


『おまかせください。陛下』


 エーベルトの声だ、とアーウェスは怪訝に思った。エーベルトは王からの信頼が厚い家臣だ。そして、アーウェスの育ての親とも言える男だった。


 物心ついた時からこの男の屋敷に居たため、城からの迎えが来るまでは本当の親だと思っていた。ずっとそう思っていた方が、幸せだったかもしれない。


 本当の母親のことはよく知らない。

 しかし、自分の容貌からは推測できた。黒髪、黒眼、白い肌の特徴を持つ人種。史書によると、その民は神に嫌われ国を追われた民族だという。


 国王を誘惑し、子を生むとすぐに、産んだばかりの子を捨てて何処かへ消えてしまったと聞いた。魔女のような、稀に見る美女だったと噂されていた。その美貌は、気味が悪いほどだったという。

 会ったことはないが、自分の容姿を見ると母の容貌は多少は想像できた。


『甲斐甲斐しく世話をしているようだが、必要ない。情などもつなよ』

『御意』


 二人は自分のことを言っているのだと、その時アーウェスは直感した。

 信じられない、と真実を恐れ、そこから離れてどこに行くのかも分からず、がむしゃらに駆けた。


 ――王家の妨げになる前に殺すのだぞ


 その言葉は、幼い子供を絶望へと簡単に突き落とした。父は、…育ての父も、自分を殺す気なのだと。


 まだ十年も生きていない少年には、理由がわからなかった。

 正当な王子が元気になれば、代わりの王子は必要ない。それどころか、王位を狙うやっかいな存在になるかもしれない。いずれ兄と弟で、国を巡っての争いが起こるかもしれない、と大人たちが深刻に話合っている事など、幼い少年には当然察することなどできなかった。


 国王の密命が下ったあとも、エーベルトは何事もなかったように変わらずアーウェスに接していた。

 夢でもみていたのだろうと、そう思うほどに育ての親には変わらない愛情がみえた。だから、自分の考えすぎだったのかと錯覚した。



 ぐるりと景色がまわり、場面が変わる。

 視界が真っ赤に染まっている。

 血だ。

 アーウェスの顔や、体中に飛び散っている鮮血。

 心が凍りつく。

 目の前には、血を流して倒れている見慣れた男の姿。

 そして自分は、もっと成長をした頃の少年になっている。

 アーウェスは、血がこべりついた剣を握っていた。


 ああ、そうだ。これで養父を刺したのだ。

 父が死に、いよいよ脅威になった末の王子を消しに、エーベルトはやって来た。夜中に忍び混んできたエーベルトを、王太后が仕向けた暗殺者だと思い込んでしまったのが悪夢の始まりだった。

 斬りかかってくる相手に、必死に応戦するしかなかった。

 エーベルトは、国で一番と呼ばれるほどの腕を持つ剣士だった。しかし、アーウェスはいつのまにか、自分の師さえも越えてしまっていたらしい。


 相手の肩を貫き、あたりに血が飛び散ったとき、アーウェスは初めて暗殺者の容貌を目に映した。

 それが、育ての親だと知って愕然とした。


 なぜ

 そう問う前に、エーベルトはなぜか笑い、自ら喉をついて果てた。

 飛び散った熱い血潮を、アーウェスに浴びせて、もう一言も喋らなくなった。

 なぜ。

 虚ろな、もう何も映さない、開かれたままの瞳を見下ろした。

 

 なぜ、自分は生まれたのか。母親はなぜ俺を生んだ?父はなぜ俺をここに連れてきた?

 捨てるのなら

 殺されるのなら

 死なせてしまうのなら


 汚れた血と忌み嫌われ、疎まれ、殺されるだけの存在なら


 何故、自分は生まれてしまったのだろう


 夢の中で、エーベルトに向けた刃を次は自分に向ける。

 生きている意味など、最初からアーウェスには用意されていなかった。

 この世に生を受けていい命ではなかった。


 己だとて、自分自身のことなどいらない。

 何のために生まれたのかなんて、死ねばきっとどうでもよくなる。


『私は、少なくとも殿下のように諦めてなんかいない。殿下のように生きる事から逃げていない!どんな境遇になろうとも戦うと決めている!』


 闇の中で、甘い声を聞いた。悪夢の中に響く声は、そこからアーウェスをひっぱり出す。


 何があきらめていないだ。とアーウェスは呟いた。

 自分だって、死ぬほど絶望していたくせに。

 力強くこんなことを言ったくせに、今は手を離せば消えて無くなりそうではないか。

 自分が抱きしめてやらないと、いつまでも震えているくせに。


 いつのまにか、眠りから醒めていた。

 耳に残るのは、父親たちの自分を罵倒する声ではなく、凛と響く甘い声。身に纏っているのは血の匂いではなく、優しく柔らかい残り香だった。


『私は、アーウェスの何?』

 そんなこと、こっちが聞きたい。




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