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ベルリオールの花嫁  作者:
第一章
2/48

ep1 花嫁の憂鬱





 最悪の気分だ。


 長い間、馬車に体を揺すられ、エルオーシュは心身ともに疲弊していた。


 いつもならば、髪が乱れるのも気にせず馬で快速で駆けていくのに。と思えば、たらたらと進む馬の歩みにどうしても苛立ちを感じてしまう。すでに我慢の限界は超えていた。


 しかも、なんだ。この服は。

 ヒラヒラふわふわしたとした生地は頼りなさ過ぎる。


 いつもは動きやすい男物しか着ないため、花嫁衣装はひどく息苦しかった。


 

 馬車の小窓からのぞく街の景色は、祖国より遙かに富んでいる。圧倒的な差に、エルオーシュはますます苛立ちを感じた。いや、正確には感じているのは不安だ。臆している己自身に苛立つのだ。



 目的地に着いたらしく、馬の足並みがゆるりと止まる。

 あたりがやけに騒がしい。


 祖国から付いてきた従者が、やけに重々しく馬車の扉を開けた。

 彼らとも、今日でお別れだ。きっと二度と会うことはないだろう。


 ふう、と一息つき、すべての感情を遮断する。従者たちの(おご)かな空気感に合わせ、ゆっくりとした動作で馬車から降りると、騒がしさが増した。国民が、群がっているのだ。


 エルオーシュが、守ってゆきたいと思っていた民ではなない。()()()の、民たちだ。

 そうだというのに、皆が明るい表情を浮かべ、異国の花嫁に注目をしている。


 なぜだ。どうしてこんなに歓迎してくれるのだろう。

 エルオーシュはあまりの歓声に呆然とした。


「我が国へようこそ。姫君」


 はたと我に返り、目の前に現れた物腰の柔らかな青年に顔を向ける。目が合うと、男は優雅に微笑んだ。


 栗色の髪が風に揺れている。おそらく三十歳前後の青年は、穏やかな空気を(まと)いながらも、どこか威厳を感じさせる男だった。

 人に緊張を覚えさせるような堂々とした(たたず)まいに反し、人懐っこい表情でエルオーシュに気安げな微笑みを向ける。


「貴女がベルリオール国の花嫁となる、アルライド国第四王女で間違いはないな?」


「はい」


 もしかすると、この男が結婚相手の王弟殿下だろうか。温厚そうな性格が滲んだ瞳を、まじまじと見つめてしまう。


 ベルリオールの王弟といえば、大陸一と呼ばれるほどの剣の腕前だと聞く。


 将軍として指揮した戦は負け知らず。彼の名を聞いただけで、敵は恐れをなし怯む‥、大陸にそのような噂を轟かす、戦上手な猛者だと聞いている。


 しかし、目の前の青年はとてもじゃないが、大国の英雄には見えなかった。


「遠いところより無事に輿入れされたことを、嬉しく思う。私の名はカルロス・ラース・イブン=ベルリス。今日より、姫君の義兄となる」

 

 カルロス。

 御年二十八歳のベルリオールの国王だ。

 結婚相手ではないが、一気に緊張を覚える。

 

 カルロスはエルオーシュの手をとり、身をかがめると、そこにそっと口付けを落とした。


 父の声が蘇る。

 決して、いつもの自分を出さないように。

 王女らしく振る舞うように。


 つまり、猫を被れと言うことだ。


「国王陛下。エルオーシュと申します。歓迎して頂き、光栄に思います。両国の良き橋渡しとなれるよう、尽力いたします」


 頭をさげ、ふわりと広がる純白の花嫁衣裳の(すそ)をつまみ、膝をまげる。しとやかで、従順な仕草にカルロスは慈愛に満ちた笑顔を浮かべてくれた。


 ‥やればできるものだな。

 王女らしく、と何度も練習をさせられた礼はエルオーシュの難点を隠してくれたようだ。

 

 当然のように差し出された国王の手を、遠慮がちにとる。ゆっくりとした足並みに合わせ、城内へと足を踏み入れるまで、エルオーシュは周囲の視線を慎重に探っていた。


 己のすべてが、祖国の印象となる。侮られるか、尊重されるか。すべてが、己にかかっている。

 そんな心情など知らない大国の民は、エルオーシュが見えなくなっても歓声をあげていた。


「王女殿。これより婚礼の儀となるが、その前にひとつ、謝らねばならないことがある」


 城内に招き入れられたとたん、カルロスは申し訳なさそうに口を開いた。


「それは、どのような事でしょうか」


 城の建築の素晴らしさに魅入っていたエルオーシュは、国王の様子に首をかしげた。


「実は‥‥我が弟が」


 そこで国王はため息をもらしながら言葉を切った。

 弟ということは、エルオーシュの結婚相手だ。


「陛下?」 


「‥朝からつかまらないのだ」


 つかまらない。

 およそ王弟殿下にふさわしくない言葉だ。

 まるで、罪人が逃げ出したような言い草だ。


「はい?」


 意味がわからない。


「陛下!殿下をお連れしました」


 息を切らしてやってきた衛士に、カルロスは安堵したように顔をあげた。


「何?ご苦労だったな」 


 その衛士の後に続き、気だるそうな足取りで男が入ってきた。

 まさか‥


「アーウェス!今日はお前の花嫁が輿入れしてくる大事な日だと言っただろう」


 アーウェス。


 その名前に、エルオーシュは男を見つめた。

 目があう。

 鋭い黒い瞳、白い肌に映えるくせのない黒髪。

 美しい男だ。そう思うと同時に、なぜか背筋がぞくりとした。

 ひどく退屈そうな目をしていたからだろうか。


「申し訳ありません、兄上。すっかり忘れていました」

「嘘だろう」

「まさか」


 とんでもない。とアーウェスは肩をすくませた。

 アーウェスは、それだけ言うと呆然と立ちすくんでいたエルオーシュに歩み寄る。

 王族の正装は着くずしたままで、大国の王弟の威厳などまったくない風体だ。

 しかし、長身のためか不思議とだらしないという印象はなかった。


「名は?」


 いきなりの無礼な問いかけにエルオーシュは唖然とした。

 むっとエルオーシュは目の前の男を睨んでしまう。


「エルオーシュ・リージェ・アルライドと申します。殿下」


 アーウェスは睨まれことなど、これっぽっちも気にしていない態度で、口のはしをつり上げるだけの笑みを浮かべた。

 そして、エルオーシュの前で騎士のように(ひざまず)く。


「アーウェス・ディーク・イブン=ベルリス。王女殿の夫となる男の名前です。どうぞよろしく」


 アーウェスはエルオーシュの手をとると、挨拶にしてはやけに情熱的な口付けを手に落とす。それは、軽薄という印象をエルオーシュに植え付けた。


 






********




『ベルリオールに嫁いでくれるな、エルオーシュ』


 ベルリオールとの政略結婚という、祖国の念願だった同盟。その担い手として、エルオーシュはまさか自分が選ばれるとは微塵にも思ってはいなかった。


 なにしろ、エルオーシュの王女としての身分は、末席に近い。母親が落ちぶれた貴族の生まれというのもあるが、父の寵愛を一身に受け、一時のあいだ栄華を極めた母は、もうすでに亡くなっている。

 後ろ楯のない、忘れ去られた王女。


 そう囁かれ、エルオーシュは生きてきた。


 婚姻が決まったときも、「やっかいばらい」と噂をたてられたほどだった。


『本当に私ですか?』


 父に呼ばれ、エルオーシュはまっさきにそう聞いた。


 噂にあるように、父に疎まれているとは思ってはいなかった。


 なにしろ、父はエルオーシュが幼いころから、末席の王女にはもったいないほど、寵愛してくれたからだ。どの王子よりも武勇があると、喜んでくれた。


 初めて馬に乗れたときも、抱き上げて褒めてくれた。

 初めての剣術大会で、貴族の息子に勝ったときも膝にのせて頭を撫でてくれた。


 ダンスも、刺繍も、王女としての教育すべてがまったくできなくとも、怒ったことなどなかった。むしろ、お前はおもしろい娘だ、と喜んでくれた。


 いつしかエルオーシュは、父の側に立ち、学ばせてくれた剣術と武術で、父の片腕になりたい、と夢見るようになった。いつか、役に立ちたいと。

 こんな自分に、婚姻という役目は、一番向いていないと思っていたというのに。


『お前しかいない、エルオーシュ。わしの願いを叶えられるのはお前だけなのだ』


 懇願するように、エルオーシュの手を握り、父はまっすぐにこちらを見つめた。


『お前ほど、信用できる娘など他にはいないのだ。この父のために、ひたむきに稽古に励んでいた娘が他にいようか。かわいい、エルオーシュ。国のため、父のために、必ずや寵愛を得て、一刻も早くベルリオールの世継ぎを儲けてくれるな?』


 こんな自分を、必要としてくれる。

 大事な役目に、自分を選んでくれた。

 この人のためなら、どんなことでもできる。

 剣術で父の役に立つ、と夢見ていたが、 違う守り方もあるのだ。





「‥かならず、お役に立ってみせます」


「王女さま?緊張なさっていますか?」 


 案内された客間で、エルオーシュの花嫁衣装を整えていた女官が、怪訝そうに首を傾げた。


 心の中での決心が、無意識に漏れていたらしいと察したエルオーシュは、慌てて口元を押さえた。


「ええ、少し‥」

「無理もありません。たった今ご到着されたばかりだというのに、すぐに式典ですもの」


 そうなのだ。

 これから、盛大な結婚式が行われるという。

 エルオーシュは、ため息をぐっとこらえた。

 このきついドレスとも、しばらく付き合わなくてはならないのか。





 大聖堂の巨大なステンドグラスに、やわい光が差し込み、純白のドレスを照らす。

 

 天井に描かれる女神たちは、優しげに微笑み、まるで今日という日を祝福しているようだった。

 ベルリオールの長く続く歴史を表したような、重厚で深い音色を奏でる鐘が空気を振るわせ、同時に爽やかな風が、舞い込んだ。


 その中で、白い花弁が、いくつもまいおちる。

 ひらひら、ゆっくりと。

 大聖堂に集う大勢のものたちは、思わず感嘆のため息をもらした。

 赤い絨毯におちる様は、幻想的で美しい。

 ‥と皆は思うだろう。


 ごくり。

 知らず、喉がなる。


 しかし、主役であるにもかかわらず、エルオーシュには戦場に続く、血にまみれた道にしかみえなかった。


 響き渡る鐘の音も、楽士たちの優雅な演奏も、まるで開戦の合図にしか聞こえないのだ。

 なにしろ、エルオーシュにとって結婚というのは、想像すらしたことのない、未知の出来事だ。


 普通の少女たちのように結婚を夢見たことなど、ただの一度もないどころか、少しの恐怖すら感じる。


 前を見据えると、神官の傍らには、これからのエルオーシュの人生をかける相手が待ち構えている。

 聖堂にあるいくつもの男神、まして女神の彫刻も恥じらうような、美しい容貌をした男を、エルオーシュは恐る恐る見つめた。


 ベルリオールの王弟、アーウェス殿下。

 わたしは、この男の妻となる。

 そして、父上。わたしはかならず、あなたのお役に立ってみせる。


 寵愛を得、早く男児をもうけてみせる。

 エルオーシュは燃え上がる闘志を白いベールに隠し、相手を睨み据えた。


 夫となる男は、エルオーシュのその闘志に気づいたそぶりはない。

 ただ、艶やかな笑みをつくりゆっくりと、手を差しのべる。


 エルオーシュも、なんとか微笑み返し、慎重に手を重ねた。

 

 そのまま男に導かれ、二人で神官に向き合う。これから、神の前で誓うのだ。

 これは、エルオーシュが必ず父の願いを叶える、という誓い。

 神官の言う愛の誓いなどでは、決してない。


「‥‥汝、この女を生涯の妻とすることを誓いますか」

「誓います」


 さらりとした、低い響きにエルオーシュはなぜだかあっけにとられた。

 こうもあっさりと相手に誓われると、さすがに肩の力が抜ける。

 結婚に前向きなのだろうか。

 だとしたら、こんなに嬉しいことはない。


「‥汝、この男を生涯の夫とすることを誓いますか」

「誓います」


 気持ちが軽くなったエルオーシュは、たからかにそう誓った。

 




 初夜というものは、やけに女官たちが張り切るものらしい。

 エルオーシュの体を何時間もかけて磨き、着るものをあれやこれやと何着も並べていた。

 やっと終わり、広い空間の中央に寝台が置かれた寝室にひとり置かれた。ここで夫を待てばいいらしい。


 怖くないと言えば、嘘になる。

 だけど、父の命だ。

 私はこのためにここにいる。


 父から下された命令ならば、内容はどうであれ完璧にこなしたいと思っている。これが、父上と国のためになるならなんだってする。


『国王は体が弱いためか子がいない。だからそなたが王弟の王子を早く産むのだ』


 なんだってやる。

 何人だって産んでやる、とエルオーシュは覚悟を決めていた。

 膝においた手を握りしめ、寝室のドアをじっと睨み据える。

 来るなら、早くくればいいのに。そう思うほど、なかなか夫はやってこなかった。


 コンコン

 ノックの音に体がびくりと震えた。


 やっと来たか。

 しかし、予想がはずれ、入ってきたのは女官だった。


「申し訳ありません、王女様。殿下は婚儀で疲れたようで‥あの、王女さまにも長旅の疲れを癒してほしいと仰せになっていました。」

「つまり、殿下はこないと‥?」

「は、はい」


 なぜか女官が申し訳なさそうに、頭をさげた。


「わかりました。お下がりなさい。世話をしてくれてありがとう」


 エルオーシュは知らずに声根が低くなっていた。

 女官が去ったあと、怒りがふつふつと沸いてくる。なんて人だろう。


 これは同盟のための政略結婚だ。

 婚儀の夜に花嫁を放っておくなんて、故国であるアルライド王国を軽んじているとしか思えない。

 緊張して待っていたのがバカみたいだ、とドアから視線をそらす。


 窓を見ると、ふてくされた自分がうつっていた。

 アーウェスはエルオーシュを気に入らなかったから、来なかったのかもしれない。


 空気を含みやすく、もつれがちなくせ毛の金髪。気の強そうな緑の瞳。

 自分が美しい部類なのか、違うのかさっぱりわからない。

 自分の容姿なんて今まで気にしたことはなかった。


 たぶん、美しいと言われたことなどないから、そうではない部類なのだろう。

 しかし、アーウェスに気に入られなきゃ困る。


 その夫の顔をふと思い出す。端正な顔だった。

 先ほどの女官も並以上に美しい女だったが、アーウェスの前ではただの普通の女にしか見えないだろう。


 それが腹立たしい。


 自分なら、ただの小娘以下に見えるかもしれない。

 窓を見つめて、しばし悩む。


 しかし、なんであれエルオーシュは命令を遂行しなければならないのだ。

 ぜったい、殿下に気に入ってもらわなくては。

 エルオーシュは布団をかぶり、怒りに枕を握りしめた。







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