ep17 王位と陰影
――国王陛下、重篤。
今現在、王城を混乱に陥れているその知らせを、エルオーシュもすでに耳にしていた。
陛下の寝室には、母親である王太后が居座り、エルオーシュはもちろん、王弟であるアーウェスでさえも出入りを禁止されていた。
おそらく、王太后にアーウェスが毛嫌いされているためだろう。
アーウェスは、ここしばらくエルオーシュが待つ部屋に帰ってこない。いや、正確には部屋で会わない。
エルオーシュが眠っている間に帰ってきて、エルオーシュが目覚める前に部屋を出ていくのだ。
エルオーシュはとにかく、アーウェスが心配だった。忙しくなる前の彼の様子がおかしかったからだ。
陛下の病臥の報を聞いたエルオーシュは、まっさきにアーウェスの姿を探した。しかし探すまでもなく、彼がすぐに自室に戻ってきたときには驚いた。カルロスのところに駆けつけていると思っていたからだ。
王太后にカルロスの寝室から追い帰されたらしい王弟は、その日は一日、監禁でもされているように自室に閉じ込められた。出入り口に見張りまでつけられ、まるで疑わしい罪人のような扱いにエルオーシュは愕然とした。
そんなアーウェスに、エルオーシュは何度か声をかけたが、ろくに返事も返してくれなかった。
なにかを考え込むように、口を閉ざしたままだったのだ。
そして、小さく呟いていた。
――倒れるべきは、兄上じゃない
誰にも聞こえないような声だったが、その言葉はエルオーシュの耳に届いてしまった。
それでも、カルロスが倒れたのはアーウェスのせいではないと王太后も納得したのか、自由の身となったアーウェスは兄の政務の穴埋めのために、多忙の身となってしまったようだ。
「エルオーシュさま!」
ドアに体当たりするくらいの勢いで部屋に現れたナーナは、息を切らしたまま口を開いた。
「どうしたんだ」
「召集会議が開かれるようです!」
「召集会議?」
アルライドの国ではなじみのない言葉だ。
「王権を移動し、殿下に、アーウェス殿下に王位を譲るための会議です!」
アーウェスに王位。つまり、ベルリオールの国王に?
「陛下は!?カルロス陛下は、もう‥?」
王権が移るときは、国王が命を落としたときだけ。
まさか、と思いながら聞かずにはいられなかった。
「いいえ。陛下はまだご存命でございます。なぜ、殿下に王権が移動するのでしょう」
ナーナはおろおろと不安げに、エルオーシュをのぞきこんだ。
当然、エルオーシュにわかるわけがなかった。
だが、ひとつ思いつくのはベルリオールを狙っているトラファニア帝国や他国のことだ。
国王が病床にあるのなら、今が戦をしかける絶好の機会だ。指導者をなくし、混乱に陥っている国に攻めようとする国はあるかもしれない。
それを防ぐため、早々にアーウェスに王位を継がせたいのだろうか。
でも、アーウェスは?
王位を譲られ、いったい何を思うだろう。
彼はカルロスの代わりに、王城へ連れて来られた自分の立場を呪っていた。
今、守るべき兄の王権を、無理矢理継がされるアーウェスは、いったいどんな気持ちだろう。
*******
――いい気なものだ。
アーウェスは、自分に跪くベルリオールの家臣に、冷たい眼差しを注いでいた。
これまで散々と、下賤な者とアーウェスを見下していた面々が、次の王はアーウェスと決まったとたんに早々と頭を下げにくるからだ。
馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
彼らも正式ではない王子に頭を下げるのは、心底面白くないに違いない。
だが、そこまでする彼らの目的はわかっている。
王位を継ぐ者が、己しかいないからというわけではない。
王家直系にこだわらねば、傍系の血筋などいくらでもいる。その中でアーウェスを選んだ理由はただひとつ。
――傀儡をお望みか
鼻で笑いたくなる。母親のいないアーウェスには後ろ楯となる家系がない。さぞかし操りやすいだろう。
しかし、アーウェスには王位を継ぐ気などさらさらなかった。さらに言うと、国の行く末もどうでもいい。
ただ、兄が国を豊かにしたいと言っていたから、代わりに戦ってきたに過ぎない。
兄の治世ではなくなったら、国なんかどうでもいい。
自分は兄の影、兄がいるから自分は存在する。
兄がいなくなった世界に、自分は必要ない。
王城はアーウェスのいるべき場所ではないと、自身も含めて誰もがそう思っているだろう。
「政務は国王陛下の名代が必要でございます。畏れながら、殿下にはそのお役目を引き受けていただきます」
「断る。皆の総意でも、俺は納得しない」
宰相ロベルトは、アーウェスが断るとは予想もしてなかったらしい。あきらかにたじろいでいた。
「殿下。案じることはありません。我ら重臣がしばらく政務をいたします」
それほど操り人形が欲しいらしい。
「俺ではなく、他の公子を立てることを考えたほうがいい」
きっぱりとした拒絶に、ざわりと家臣達に動揺が走った。
調子にのりおって、と老臣たちがこちらを睨むがアーウェスは歯牙にもかけなかった。
彼らにしてみれば、選んでやったのに、という気持ちが強いのだろう。アーウェスにとってはありがた迷惑だ。
「王子!黒の王子!」
しわがれた声が響く。
アーウェスにすがりつくように足元に跪いたのは、先々王から仕えている老臣だった。
この男は、なぜかアーウェスを昔から気にかけている。
幼い頃から、声をかけ、世話を焼き、アーウェスを崇拝するように頭を下げる。
「私は、王子がこの城に参られたときから、この国の王にふさわしいのは、黒の王子ただひとりだと確信しておりましたとも。今がその時にございます」
「なにを馬鹿げたことを」
「いいえ。馬鹿げたことではありませぬ。類まれな戦の才、聡明さ、どれをとっても王にふさわしい。それに、」
老臣は涙をこぼしながらアーウェスにすがりついた。歯が抜け落ちた口を震わせている。
「先王陛下に似ておられるのです!」
ありえない。とアーウェスは思った。
なにしろこの顔は、どこをとっても母親譲りだからだ。
アーウェスがそう思ったのが分かったのか、老臣は首をふった。
「お顔ではこざいませぬ。纏う空気です。為政者としての素質が似ておられる。尊大で高貴な空気をもっておられます」
アーウェスはため息をついた。それは、ただ単に先王が自分と同じくひねくれた性格だったからでは、と呆れたからだ。先王も戦狂いだったと聞く。
性格だけは遺伝したらしい。
ますます王位につきたくなくなる。
「俺は為政者にはなりえない」
老臣がまだ納得しなさそうに口を開こうとしたとき、扉の向こうに気配を感じた。
そちらへと視線を移したアーウェスに、列席者が不審そうな眼差しを向ける。しかしすぐに皆、異変を察したようだった。
微かに漏れ聞こえるのは、何を言い争うような声。それが止んだ時、扉が開け放たれた。
重大な会議に突然やってきた人物を、叱責する者はひとりとしていない。
それどころか、頭をさげて迎えたのは、現在では一番高貴な人物だったからだ。
上品なドレスに身を包んだ、兄と同じ栗色の髪を持つ女性。
女は不愉快を隠そうともせずに、室内を睥睨する。
若かりし頃の美貌の面影を残す細面の顔立ちは、やはりどこか兄に似ていた。
「‥王太后陛下‥!」
誰ともなく声をあげた。
王太后はただひとり、アーウェスを睨み見据えるだけだ。
アーウェスも静かに、その怒りに燃えた瞳を見返えす。言いたいことも、彼女の心中もわかっている。
「そなたたちは王家の恥であるあの者に、なぜ頭を下げる!」
彼女はいきなりそう切り出した。
誰も、その威厳に満ちた叫びに口をはさむ者はいなかった。
「なぜ、その者が王権を決定する会議にいるのです!」
「それは‥王太后陛下。殿下は唯一先王陛下の血を引いたお方。次に王位を継ぐのは殿下がよろしいと‥」
宰相が曖昧に返したのは、上手くやり過ごしたかったからだろう。
先王を巡って、正妻と隠し子という関係が、良好でないのは国中が知っていることだった。
「はやく、はやく、これをどこかにやってちょうだい」
王太后は半ば狂ったように、激昂していた。
かといって周りの者は戸惑うだけで、王太后をいさめることもできず、ただあたりは混乱に陥った。
「卑しい魔物に国を奪われるつもりなのか!わたくしのカルロスが倒れたのも、この魔物のせいに違いない!呪われた悪魔だわ!誰か、誰か、この者を閉じ込めておしまい!」
――閉じ込めておしまい!
ああ、何度も聞いた言葉だ。とアーウェスは人事のように王太后の様子を眺めていた。
―その顔、虫唾が走る。陛下を誘惑した魔物の女と同じ顔!
このように狂ったよう叫んでは、よくアーウェスを鞭で打ち、召し使いに命じて地下牢に閉じ込めるのだ。
「王太后陛下」
穏やかに呼びかけると、王太后は憎悪が滲みでる顔でこちらを睨んだ。
「俺は王位を頂く気はありません。国王陛下の王権は、陛下が生きている限り侵していいものではない」
アーウェスは王太后ではなく、家臣たちを見渡して言い放った。気まずそうに皆、視線を離す。
「それに、ご安心を。陛下が死ぬことがあれば、俺も後を追って死にましょう」
今まで、別に生きたくて生きてきたわけじゃなかった。
むしろ、生きるのが面倒くさかった。
だが、自分が死ねばあざ笑う者が多いのが癪に触るから、生きてきた。
ただ意味もなく、どこかで死ぬくらいだったら、兄をかばってこの命を使おうと思っていた。戦場で果てるのもいいと。
カルロスの影は、カルロスが存在しなくなったら消えてなくなるのだ。それが、摂理だ。
「ならば、今、死なせてあげましょう!」
愛する唯一の息子が倒れたせいで、王太后は正気を失っていた。
アーウェスはその異変に今更気づき、近づいてくる王太后を黙って見下ろすしかできなかった。
王太后の手の中に光るものを見ても、まるで現実感がなく、ただ佇む。
王太后がアーウェスに体を当てる。
無意識のままそれを躱すように体をひねると、腕に焼けるような痛みが走った。
「殿下!」
滴り落ちた赤い雫に、家臣たちはどよめいた。
予想すらしていなかった事態に、あたりは騒然とする。
その時、扉が勢いよく放たれた。強い光が室内に差し込んだようにアーウェスには見えた。
「申し上げます」
急いだ様子で姿を表した王宮の侍従は、さっと姿勢を正した。
「陛下がご回復され『王権の譲渡は認めない。現国王は自分である』とおっしゃっております」
皆が驚きの声を上げた。
カルロスが回復をしたのだ。
その口上に、王太后はアーウェスからふらふらと離れ、ナイフを床に落とし、歓喜に満ち溢れた吐息を漏らすと一目散に部屋を出た。
「殿下‥!お怪我を!?だ、誰か、王太后陛下を連れ戻せ‥‥!」
「ロベルト殿。必要ない。‥皆も聞いただろう。陛下はご回復され、王位はこのまま」
アーウェスは床に落ちたナイフを拾い、外した正装の手袋でナイフの血を拭った。
「そして、この件は見たことはなかった事にするように」
「殿下‥」
アーウェスは唖然とする彼らを置いて、扉に向かう。
「殿下、医師を呼びましょう」
扉の近くにいた重臣が、アーウェスの腕をとった。しかし、その手をはらう。
「必要ない。陛下の命に従い、各々方もお早く解散なさるように」
まだ何が言いたげな家臣たちを残し、アーウェスは召集会議の場から悠々と去った。
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斬られたのは左腕だった。
しかし、それほど深い傷でもなく、自分で手当てができる程度だ。
自室に戻り、痛み止めの薬と一緒に酒をあおる。
窮屈なタイもはずし、シャツの首元もある程度くつろげ、疲れきった体を長椅子に投げ出した。
飲んだ薬は、良く効くが頭を朦朧とさせる成分がある。
徐々に重くなる頭で、そういえばエルオーシュはどこに行ったんだ、とぼんやりと考えた。
じっとするのが苦手な彼女は、ひとりでどこにでも出歩く。普通の女なら、いつでも役に立つ侍女を連れていきたがるのに、彼女は一般的な貴婦人にはあてはまらない。
無鉄砲で危なっかしく、鈍感なくせに、余計な細かいことに気をまわす。
しばらく顔を合わせていないから、様子もわからない。意外に寂しがり屋だったと思い出し、急に気にかかってくる。
先ほど、兄が死んだら自分も死ぬと言ったが、そうなったらエルオーシュはどうなるのだろうか。
ふと考え、おかしくなった。
死ぬと言ったのは嘘ではなかった。
この世に思い残すことなどないし、いつでも死ねる。
だが、ひとりの少女の行く末を思い出しただけで、少し死ぬことにならなくて良かったと思っている自分が不可解で、おかしかった。
やがて扉が開くとともに、衣擦れの音が部屋へとすべり込んだ。
視界に入ってはいても、その人物の容貌はまるで頭に入ってこなかった。
近づいてくるのが、ただ女だという、それだけの認識しかない。
「‥エル?」
帰ってきたのか、と多少の安堵を感じながらその手を引く。
すぐにアーウェスの胸に倒れかかる女に、今日はやけに素直だな、と奇妙に思った。
寂しくても、ますます意地をはる彼女らしくはない。
それどころか、自ら慣れたように手を這わし、アーウェスの首にすがりつく。
そこで違和感を覚える。これはエルオーシュではない。
よく見ると、髪の色も香りもまるでちがう。
この香りは媚薬だろうか。さらに意識は朦朧としてくる。
なぜ勝手に、知らない女がこの部屋ににいるのだろう。
「殿下」
媚る声に、ああ、と得心する。
ローネリアだ。
強引にアーウェスの最初の妻となった、物好きな女。
「殿下。体の調子が悪いのですか?」
「別に。何の用だ」
「殿下はさぞ、苛立っているのだろうと慰めにきたのですよ」
赤い唇が三日月に歪められ、妖艶な香りとともにローネリアはアーウェスの首に腕を絡み付けた。
「お可哀想な殿下。これで王位は割れてしまったでしょうね。殿下と陛下。皆はこれからどちらにつくのでしょう」
先ほどの召集会議を思い出す。
彼らは、アーウェスの存在は大いに利用できるものだと気づいたらしい。今の国王より、もっと甘い蜜を吸えると気づいたのだ。国政を意のままに操れるのだから。
兄が倒れたことで、すっかり家臣たちの心が割れた事だろう。
アーウェスに取り入って、己の私腹を肥そうとするもの、もしくは、今の国王にとってアーウェスは極めて目障りな存在だと再認識したもの。
「ねぇ、殿下は王位を望もうと思えば、国王になれるのよ。興味はおありになるでしょう?」
王位など馬鹿げている。
嘆息しながらローネリアを睨むが、彼女は楽しそうに笑みを深めるだけだ。
「‥ローネリア」
「あら。怒らせてしまったかしら。私はてっきり殿下にその気があるのかと思っていたわ」
「‥‥‥なぜ?」
ローネリアは知っているはずだ。
アーウェスがベルリオールの王位継承権を持っていることすら、疎ましく思っていることを。
「だって、あの王女さまを未だにお側において正妃にしているでしょう?つまり、殿下は自分の御子を王女に生ませ、アルライドの世継ぎにする気があるのでは?そうしたら、ベルリオールだけでなく、アルライドの重臣達まで殿下につくのでしょうね」
唇が頬に触れそうな距離で囁く声は、人間をたぶらかす魔女のようだ。
「アルライド?世継ぎを欲しがっているのはこの国だろう」
ベルリオールの国、というよりカルロスが、と言ったほうが正しいが。鈍く回る頭のせいで、意図のわからぬ会話にため息をつく。ローネリアは、ふふっと笑い声をもらした。
「敵国の王女の子をこの歴史ある国の世継ぎに?皆は認めるかしら。国内の女が産めば良い話でしょう?だけど、アルライドだってそう。自国の女が良いに決まっている」
「国を離れた、‥たかが第四王女の子を国王にはできないだろう」
鼻で笑い、相変わらず聡く策略好きの彼女の髪に指をうめる。荒唐無稽な話であっても、ローネリアはひどく真剣に語りかけてくる。
野心の強い彼女は、おそらく夫にする男を間違えた。出世をしたい男にとっては、最高の女だろう。しかし、そんなものに興味がない男にはただ無駄なだけ。
「いいえ。アルライドの世継ぎにもなれますわ。なぜなら、王女さまは‥」
――アルライドの王位継承権を持っています。
アーウェスは目を細めてローネリアを見た。
ありえない。
正妃の子ではない王女に、そのような待遇がされるわけない。
しかし、ローネリアは満足そうに微笑んだ。
その顔は嘘を言っていないと物語っている。
「驚いたでしょう?叔父上からこっそり教えて貰ったのよ。アルライドでは、王位継承権を持つ親から生まれた子もまた、優先的に権利を持つのですってね。アルライドの第三王子はまだ幼い。ベルリオールの後ろ盾のある子の方があちらでも有難がれるでしょう。‥殿下。貴方が高い地位を望むのならこのままでよろしいですけど、これ以上王位に巻き込まれたくなかったら、子ができる前に王女を手放すべきね」
「‥‥なるほど。それがおまえの望みか」
「ええ、そう。よく考えて。‥といっても貴方が何を望むのかわかっていますけど」
ふふ、と艶やかに笑ったローネリアはアーウェスの唇に噛みついた。
獣のように、扇情的に、アーウェスの胸に指を這わす。
こちらを激しく求める唇がうっとうしく、乱暴に引きはがすが、彼女はそれすら楽しそうに笑った。
「殿下。私も貴方の子を産めるのよ。未来のベルリオールの国王を」
微笑んではいたが、瞳には炎が宿っていた。
燃え狂う野心、それとも嫉妬の炎だろうか。
一番アーウェスが面倒くさいと思う感情。
お互い離れた時、後ろに佇む少女に気が付いた。
エルオーシュだった。




