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ベルリオールの花嫁  作者:
第二章
16/48

ep15 正妃と妾妃②



 いつもは練武場にいるか、そうでなければ女に誘われて城にいないはずの王弟殿下の日常が、しばらく城を離れているうちに、様変わりしていた。

 それを知ったローネリアは戸惑っていた。


 なにしろ、この頃の王弟殿下の一日の大半は執務だったからだ。

 あれほど嫌っていた政務だというのに、いったい何が起こったというのか。


「お待ち下さい。殿下」


 ローネリアは回廊を歩くアーウェスを呼び止めた。


「ローネリア」


 鬱陶しそうにこちらを見つめてくるが、ローネリアはいっこうにかまわなかった。いつもの事だからだ。そんな顔をしてても、誘えば情を交わす事もある。この男は自分を無視することは出来ない。


 しかし、城に帰ってきてどのくらいの日数が過ぎただろう。

 久しぶりに会った夫は、一度もローネリアを訪ねることはない。


 しかも、小国からきた王女を自分の部屋に囲っているというのだから、当然ローネリアの心中は穏やかではなかった。


「冷たいのね。わたくしも殿下の妻よ」


「優しくしたことがあったか?」


 おかしそうに笑い、冷たく見下ろされるが、それはいつものことだ。


「ふふ、あるわ。あなたが覚えていなくても。もう三年も前からそばにいるのよ」


 上目使いでアーウェスを見つめながら、ローネリアは思い出していた。


 三年前、ローネリアは十八歳になったばかりだった。

 宰相である叔父の権力にすがってでも手に入れたいものがあった。見目麗しく、誰もが羨む王弟殿下の正妃の座だ。


 妃の立場は手に入れた。王族であるからには、婚姻は義務だ。アーウェスが嫌がっていても、その運命からは逃れられない。叔父の権力を使い、強引に妃の座におさまったローネリアを、アーウェスが面倒に思っていることは知っていた。

 いや、ローネリアだけではなく、この男は女に執着されることをことさら嫌う。


 そのため、妃となった女はローネリアしかいない。アーウェスの唯一の妃だ。いずれ、この立場は盤石なものになるだろう。


 しかし、いつかと願っていたその野望は、アルライドとの同盟が決まったときに奪われたのだ。

 いきなり現れたあの王女によって。

 かすかにローネリアの瞳に火がともる。


「‥知ってる?国を亡くした王女さまは正妃にふさわしくないからって、私か、別の新しい女を正妃に据える話があるのよ。叔父上が言っていたわ」


 アーウェスは目を細め、無言でローネリアを見下ろしている。


「後ろ楯のなくなった王女さまを、可哀想に思って傍に置いているの?らしくはないわね。でも、そんなことをしていたら、この私のように愛情を求める面倒くさい女になるわよ。あなたの嫌いなね」


 アーウェスの肩に、扇情的に手を這わせる。


 そのとき、アーウェスの肩越しに、噂の王女が立ち尽くしながらこちらを見ているのに気づいた。


 ああ…、お可哀想なご正妃様。裏切った国の王女。立場のない身の上のせいで、すがるのは夫しかいない哀れな妃。その寵愛も、いつまで続くか。


 ローネリアは笑った。エルオーシュを見つめながら。


 哀れな正妃は呆然としている。まだ青くささの残る小娘だ。あの子が、私に勝てるものか。気まぐれな寵愛は、そう長くは続かない。暗い感情を、胸から吐き出す。


 ローネリアは背伸びをし、アーウェスに顔を近付けた。

 唇が触れ合う。

 はっと顔を強張らせたエルオーシュが、やがて逃げるように走って行くのを見たローネリアは、微笑みを浮かべながらアーウェスから離れる。

 アーウェスは心底不快そうな顔をしていた。


「次はどんな思惑が?宰相閣下に何を言われている」


「久しぶりに会った私を、慰める気はないの?私を大人しくさせたいのなら、お抱きにくれば良いのに。いつも使う手でしょう?しばらく静かにして欲しいのでなくて?」


「誘いにのれば、お前を正妃にしたい者たちの思うつぼか?気分が悪いことこの上ない。そうでなければ、遊んでやるつもりだったがな」


 本当につれない男。


 ローネリアをひきはがし、遠ざかっていく長身の後ろ姿を、ため息とともにローネリアは見送った。




 ****




 大人しく部屋にいろ、と言ったアーウェスを待ちきれずに、探してしまったからいけないんだ、と飛びはねそうな心臓を押さえてエルオーシュは回廊を走った。

 軟禁の命が解けたとカルロスからの報告を受け、浮かれてしまっていたのだ。部屋でじっと待つことなく、次は自由に会えるだろうと。兵士の訓練場に行けば、姿を見られるだろうと愚かな行動をしてしまった。



 ローネリアとアーウェス。

 口づけをしていた。


 その場面が脳裏に浮かび、ずきりと胸に痛みが走った。

 久しぶりに会った妃なのだから当然だ、と自分に言い聞かせる。

 最初から側妃がいると知っていたのに、なぜこんなに動揺してしまうのか。自分の感情が不可解でしかたがない。

 乱れた気持ちを抱えたまま、アーウェスの部屋へと戻る。


「エルオーシュさま?何かあったのですか?」


 ナーナが驚いた様子で、部屋に突然駆け込んできたエルオーシュに声をかけた。


「‥なんでもないんだ」


 ただ、殿下と側妃が口付けをしてただけ。


「あの‥御髪(おぐし)が乱れています」


 沈みこんだエルオーシュの表情に、ナーナは戸惑っているようだった。

 鏡の前に立つと、髪をぐちゃぐちゃに乱し、蒼白になっているひどい顔をした自分が映っている。

 そんな自分に、ひどくがっかりする。

 もう少し唇がぽってりと赤く、目が大きく、まつ毛ももっと長かったら女らしかったのに。

 しかし、今さら自分の容姿に後悔してもどうにもならない。

 アルライドにいたときには、自ら鏡をのぞいてため息をつくことなどなかったのに。男まさりだった自分は、どこに消えてしまったのだろう。


 ふと、そんな自分に恐怖を覚えた。少しずつ変わっていく恐怖。どんどん自分は弱くなっていくようだ。


「ねえ、ナーナ。女らしくなるには、どうしたらいいんだろう」


 エルオーシュの髪を直す侍女を、鏡越しに見上げた。


「女らしく、ですか?エルオーシュさまは充分お美しいではありませんか」


 聞いた自分が愚かだったと反省する。侍女たちは主人の機嫌をとるのが仕事なのだ。はっきりと言ってくれるわけがない。

 それにナーナはまだ少女だ。女らしさを聞くのには成熟していない。


「‥だったら、他の姫君たちは普段はどのようにして毎日を過ごしているのかな?」


 エルオーシュがそう聞くのは、アルライドにいたころは一日中剣に励んだり、乗馬をして過ごしていたためだ。そのせいで、高貴な女性の過ごし方がわからないのだ。


 嫁いでばかりの頃も、一日中アーウェスを追うことにしか時間を使っていない。

 しかし、そんな必要もなくなった今、エルオーシュはどのように過ごしていいかわからなかった。

 ただ一日中ぼんやりと過ごし、アーウェスを待ちわびることしかできないのだ。


「おそらく‥、爪を磨いたりお化粧をしたり、刺繍をして過ごしていらっしゃると思います」


 ‥‥全部苦手だ。

 けれどアーウェスは、剣を使えるだけの、色気のない女を望んでいるわけはないだろう。やはり普通の女らしい女を望むに違いない。


「‥ナーナ、刺繍はできるか?」


「はい。母に教えてもらいました」


 嬉しそうに語る彼女は、故郷の母を思い出しているのだろうか。


「今度‥‥私にも教えてくれないか?」


「ええ、喜んで!」


 刺繍が得意なのか、ナーナはやる気満々に頷いた。


 そのとき、扉が開いた。

 アーウェスが帰ってきたのだ。

 端正な顔を見ると、先ほど見た情景が頭をよぎり、思わず顔を背けた。

 ナーナは慌てて挨拶をして出ていく。ふたりの邪魔をしてはいけないと、気をきかせているらしい。


「‥‥おかえり」


 どうにか絞り出した声は震え、目を見られずにエルオーシュはうつむいた。


「ご機嫌ななめだな」


 茶化すように言ったアーウェスに、いつもならむっとするのに、今は可愛げのない自分に落ち込まされた。アーウェスも、ローネリアと比べてうんざりしているかもしれない。


「せっかく軟禁がとけたのに、閉じこめていたから機嫌が悪いのか」


 少し笑いの含んだ声音に、子供扱いされている、と苛立ちがつのった。

 アーウェスではなく、自分に苛立つのだ。ローネリアの存在に心を乱されている自分に。彼女からしてみれば、エルオーシュの存在ははいきなり現れた邪魔者みたいなものだろう。アーウェスの気まぐれはエルオーシュの方なのに、動揺している自分が腹立たしい。


「遠乗りにでも連れて行ってやろうか」


 心が弾む思ってもみない言葉に、エルオーシュは暗雲たる気持ちを一瞬忘れ、顔をあげてしまった。


「え?」


 行きたい。すごく行きたい。

 勢いのまま、行く!、と返事をしようとして、はたと気付いた。

 普通の姫君たちは遠乗りなんて行かないのでは。

 遠乗りに行ったら、ますますエルオーシュは『女』に遠ざかっていくような気がした。


 そしてもうひとつ、素直に頷けない理由があった。一番胸につかえているのは祖国のことだ。父が幽閉されたというのに、エルオーシュだけが好きな事をして暮らすのは気が引けた。


「‥‥いかない」


 断腸の思いで呟くと、アーウェスは怪訝そうに片眉をあげた。


「もしかして、まだ父親のことを気にしているのか」


 エルオーシュが父のことを思うとき、決まって同じ顔をするのを、本人は気付かなかった。

 そのため、アーウェスが父のことに触れたことに驚いて、顔をあげる。


「おまえは犬のようだな」


「犬?」


 何を言われたのか、意味をはかりかねた。

 困惑して眉をひそめると、苛立った表情を浮かべたアーウェスがそんなエルオーシュを見下ろしていた。


「一度飼われたら、おまえをどうでもよく思っていた主人にだって、殺されかけようとも忠義を尽くすのか」


 そうだ。

 その生き方しか知らない。それなのになぜ、責められるように言われているのか。


「‥‥そうやって教育されたから」


 力なく吐き捨てる。


「もうそんな男、忘れればいい」


 父親も、国も。

 だから言っただろう、とアーウェスは囁くように続けた。


「俺だけのために生きればいいと」


 扇情的な眼差しを注がれ、頬をなぞるように触れてくる手に恐怖を覚えた。

 先ほど感じた、自分が少しずつ変わっていくような、弱くなってしまうような恐怖。


「アーウェスのためだけに‥?」


 消え入りそうなエルオーシュの声に、そうだ、とアーウェスが耳元でささやく。

 そのまま首筋に唇を押し付けられた。

 その証のように、ひとつ赤い痕をつけられたのにエルオーシュは気付かなかった。

 ただ、放心したようにアーウェスの肩越しに見える壁を見つめていた。


 犬のようだ、とアーウェスは言った。

 ならば、次の飼い主はアーウェスなのだろう。

 昔の飼い主など忘れ、今の主人に尽くせ、ということなのだ。

 ああ、本当に犬のようだ。

 その言葉が一番似合うと自分で心底思う。そして、アーウェスにとって自分は犬程度の存在なのだろう。


 自分の部屋で飼い、帰りを待ちわびている犬を可愛がる。

 今の自分の置かれた立場に、ぴったりだと思った。

 その的確すぎる表現の発見に、少し感動めいたものを感じながら、少し安心した。

 自分の置かれた立場が、はっきりとわかったから。もう変に誤解しそうにはならない。

 距離を間違ったりしないで、傷つかずにいられる。


 心の中でそう思いながら、ふと気づく。

 いったい何の距離だろう。何に、傷つくのだろうと。

 自分は何を恐れているのだろう。胸の奥でうごめくこの痛みは何という感情なのか、まだエルオーシュにはわからなかった。





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