ep14 正妃と妾妃①
翌朝、眠るエルオーシュを自室に残し、アーウェスは兄の執務室に向かった。
アルライドの裏切りを知ったベルリオールの王城には、緊張感が漂っている。トラファニア帝国との関係は、今や最悪といえる状況に陥ったからだ。
「トラファニアは何か考えがあるようだな」
執務室の椅子にもたれかかり、カルロスは腕をくんだ。
「企んでいる、と言ったほうがいいですよ。やはりアルライドをわざと唆し、ベルリオールに討たせたとしか思えない」
先ほど女官に出された熱い紅茶に口をつけ、アーウェスは目を閉じた。
今回のことは、どうも腑に落ちない。
劣勢であったアルライドに、トラファニアは援軍を寄越しもしなかった。アーウェスを殺せる良い機会だったはずだというのに。
遠くから静観し、アルライドが滅ぶのを黙ってみていた。
アルライドと、ベルリオールの関係をどうしても壊したかったのだろうか。
では、なんのために。
「兄上、どうであれ我々から戦を仕掛ける理由がない以上、軍は出せない。彼らが仕掛けるのを待つほかないようです」
「ああ。国境の警護を固め、アルライドには諜報部隊を派遣しよう」
「早く攻めてくればいいものを。そうすれば、皆殺しにできるのに」
「‥アーウェス。楽しみにするな」
アーウェスはくすりと笑い、立ち上がった。大国との戦が近いのならば、軍もそれまでに仕上げなければならない。
「では、陛下。訓練場にいるので、用があるのならご一報を」
「待て、アーウェス。その前に、あとで王女殿を謁見室に連れてきてくれ」
「‥あれを?伝言なら俺が伝えますが」
「それほど部屋から出したくないのか?王女殿も可哀想に」
カルロスはからかいのこもった笑いをもらした。アーウェスは、呆れのため息をつく。
「軟禁中の王女を簡単に部屋に出していいものか、と思っただけです。連れてくるのでご安心を。少し遅れますが」
彼女は、どうせまだ眠っているだろう。
「このように既成事実を作られてしまっては、白い結婚として婚姻を取り消せず、彼女を国に返せない。お前もひどい事をする。どこまで考えているのやら」
弟の真意をはかろうとするように、カルロスは探るようなまなざしを向けてきた。
「アルライドを完全なる属国とするのでしょう。ベルリオール王家にアルライドの血筋がいることで、アルライドの国民も多少は納得する。裏切った国の王女なりに、役に立ってもらわねば。慈悲深い仮面をかぶった兄上もそのつもりなくせに」
そう言えばカルロスは深いため息をついた。
「好きでそうするんじゃない。すべては裏切ったアルライド国王の‥。まあ、言っても仕方のないことだ。彼女が、身も心もベルリオールの王族の一員となる覚悟ができているのなら、軟禁生活から解放してやろう。‥彼女にとって自由というものは、いばらの道になるかもしれないが」
すべての思惑を遮断できた軟禁という優しい檻から出すべきか。
カルロスは義妹の身を案じているようだ。
「面倒くさい事をお考えになる。心労の元になるのなら、ずっと閉じ込めてしまえばいい」
「‥知ってはいたが、ひどい奴だ。なるべく早く王女殿を私の前に連れてきて差し上げろ」
じとっと睨む兄に礼を返したアーウェスは、さっさと部屋を後にした。
*****
「エル」
誰かが肩を揺する。
まだ寝ていたいという欲求は強く、その手がひどく腹立たしい。もう少し寝かせて、と毛布を被るとその毛布をはぎとられた。
「起きろ」
はっとして目を開けると、呆れ顔の王弟殿下がエルオーシュを見下ろしていた。
「兄上がお呼びだ。支度が済みしだい謁見室に行く」
目覚めたばかりの頭では、何を言われているのかすぐにはわからなかった。
窓を見ると太陽は高い位置にある。今日も昼近くまで眠っていたらしい。
「‥ドレスがない」
国王に会うのならば、それなりの恰好をしなければならない。当然、アーウェスの部屋には女物のきちんとしたドレスなどはなかった。
「侍女がおまえの部屋に取りに行っている」
自分は支度をすっかり終らせているアーウェスは、あっさりとエルオーシュから離れると、隣の部屋の大きな長椅子に腰をかけた。
「私が自分の部屋に戻ればいいのでは?」
その姿を追い、エルオーシュは唇を尖らせた。
昨日から疑問に思っていたことだ。なぜアーウェスは、エルオーシュの軟禁場所をこの部屋にしたのか。
「必要な物は全部こっちに持ってくればいい」
アーウェスはしれっと言い放つ。
なぜそこまで?と首を傾げてしまう。何をしでかすかと、信用されていないのかもしれないが、どうせ彼は寝るとき以外はほぼ部屋にいない。監視役として適しているとは言えなかった。
「どうして部屋を同じにするんだ?」
「毎夜、違う部屋に通うのが面倒くさいから」
淡々と言うアーウェスの言葉に、再び首を傾げてしまう。
どういう意味だろう、としばらく考えてから察した。
毎夜。毎日アーウェスは、あんなことを‥、と考えエルオーシュの顔に血が上っていく。
逃げ出したくなったが、これが今の自分の役目なのだと諦める。
しかし、それもいつまで続くだろうか。今はきっとアーウェスの気まぐれだろう。
女遊びが派手だという噂のこの男は、いつか自分に飽き、他の人のところに行ってしまうのだろう。
これはきっと、それまでの役目。
「エル。まだ寝ぼけているのか?」
急に沈黙したエルオーシュの顔色を、アーウェスは煩わしそうしながらも窺っている。
「‥なんでもない。すぐに支度する」
沈んだ気持ちに蓋をしながら、ドレッシングルームの洗面台に足を向けた。
******
「陛下、この度は陛下の慈悲深い対処にアルライドの国に代わって感謝いたします」
玉座にゆったりと座るカルロスに、エルオーシュは深々と頭を下げた。
「王女殿の心中をお察しする。つらい思いをしたな」
「恐れ多いお言葉です」
顔を上げると、哀れみをおびた優しげな微笑みを向けられた。
「今日、王女殿をお呼びしたのは頼みごとがあるからだ」
笑みを消し、国王の顔に戻ったカルロスに、エルオーシュも気を引き締めた。
「頼み、とは?」
「アルライドを我が保護下に置くため、第三王子をお呼びして話合いを催したいのだ。その事を伝えるための使者として、王女殿の侍女を貸してはくれないだろうか?アルライド出身の者のほうが警戒されないだろうから」
「侍女‥ロッソを?」
ロッソはここでは自由に動けない身だ。ならば、国に帰らせる方がよっぽど良い。
自分は、ひとりになるけれど‥。
「無理にとは言わない。使者ではなく、祖国の旧知のものに書を送ってくれるだけでもよいのだが。アルライド側がなかなか警戒心を解いてくれなくてね。いたずらに怯えさせるには気が引ける」
「ロッソを使者としてお使い下さい。私からもよろしくお願いいたします。祖国の様子を見てきて欲しいと、私からの願いでもあるとお伝え頂けますか」
「‥よろしいのか?」
ここで身動きがとれなくなるのは、エルオーシュだけでいい。
覚悟を決めて拳を握る。
「はい。よろしくお願いします。彼女を国に帰してあげてください」
再度頭を下げる。
ロッソはきっと怒るだろうなと、心の中で苦笑した。覚悟してエルオーシュに一生ついていくと、嫁ぐ事が決まった日に言っていたのに、エルオーシュにあっさり突き放されるのだから。
「エル。いいのか?」
アーウェスが意外にも、少しだけ不満そうに聞いてきた。
いいんだ、という思いをこめて微笑む。
国の犠牲になるのは、自分だけでいい。
「王女殿。ひとつ聞きたいことがある。‥もし、ベルリオールとアルライドが戦争になれば、あなたはどちらの味方をする?」
ふいに落とされた問いかけにエルオーシュは、はっと身構えた。
「たとえ話だ。もちろん私にはその気もない。そのような動きもない。今後無いように政策を進めるのが我らの使命だ」
カルロスの問いの真意が、エルオーシュにはわかる気がした。充分すぎるほどに、この脆い自分の立場を理解していた。
どうだろう、と考える。何も考えたくはない。けれど、今自分が生きている意味は‥。
隣に立つアーウェスを見上げる。
「その時は‥アーウェス殿下のお味方に。‥望み通りにいたします」
もう自分で物事を考えたくはない。あの時、斬り捨てられてもかまわなかった。これからの処遇は、アーウェスが決め、エルオーシュはただそれに従うのみだ。
答えると、カルロスは驚いたように目を見張った。
「‥なるほど。弟の味方に。つまり、ベルリオールの王族として生きる覚悟があるのだな」
「そうお望みならば」
カルロスが促す覚悟というものが、今の自分に備わっているのかは疑問だが、その道しか用意されていないのなら抗わずに受け入れる。まるで意思のない木偶の坊だな、とエルオーシュは心の中で苦笑した。
「承知した。話は以上だ。あとは追って報告しよう」
「はい。陛下」
カルロスに退出のあいさつをし、出ていこうと扉を開ける。その瞬間、エルオーシュはぎょっとした。目の前に人影があったからだ。どうやら、カルロスに面会を求めるものと鉢合わせをしてしまったらしい。
その人影は、中年の威厳をはなった男性と着飾った女性だった。
その女性に思わず見とれる。
波打つ艶やかな亜麻色の髪。女性らしい豊かな胸を強調したようなドレスが、色香をさらに際立たせている。
エルオーシュにないものをすべて持っているような、大輪の花のごとく美しい女性だった。
「ロベルト!領地の問題は解決したのか?」
カルロスが目を見開いて、中年の男性に呼びかけた。
「ご無沙汰しておりました、陛下。領地を襲っていた、流行り病も姿をひそめ、王都を脅かすこともないと判断し、再び国に戻ってまいりました」
「そうか。ご苦労だった」
誰だろうかとエルオーシュは、ふたりの様子を伺っていた。
「殿下。お久しぶりにございます」
「ロベルト殿」
アーウェスが敬称をつけるのを見るに、身分の高い人物なのだろう。
「ご正妃を迎えられたと聞きました。お祝いに駆けつけることができずに申し訳ない」
そう言ってエルオーシュをちらりと見る。値踏みしているかのような遠慮のない、視線。
鋭い眼力に怯みそうになったが、王女としてのなけなしの矜持を思い出したエルオーシュは、気丈にまっすぐと視線を受け止めた。
「ロベルト。そこにおいでになるのがアルライドの王女殿だ」
「おお!これは正式なご挨拶もなく申し訳ない。私は宰相のロベルトと申します。ここ三月ほど僻地へ行っておりました。王女殿とお会いすることができ、恐悦至極にございます」
そういえば婚礼のときには宰相代理という男がいたことを思い出す。そして、大陸の流行り病の噂も聞いたことがあった。それをこの宰相が鎮圧したのだ、と言葉の端々からエルオーシュは察した。
「エルオーシュと申します。宰相閣下殿」
エルオーシュが王女らしく腰を落として挨拶をすると、着飾った女性が前に進み出てきた。
「叔父上様。私も王女さまにご挨拶したいわ」
赤い口を三日月に歪めて微笑む。その仕草ははっとするほど美しい。
ロベルトは一瞬気まずそうな顔した。なぜか困ったようにカルロスを見るが、カルロスも気まずげに視線をそらす。
どうしたのだろう。とエルオーシュだけ首を傾げていた。
「‥王女殿。この娘は私の姪です。私とともに僻地へと行っておりました。これでも、医学や薬学に強いもので」
「ローネリア、と申します。どうぞお見知りおきを。エルオーシュさま」
なぜかローネリアは挑戦的な瞳を向けた。
なんだか嫌な予感がする。これが女の勘だとは、まだエルオーシュは気付けなかった。
そしてローネリアはすぐにアーウェスの方に顔を向けた。
「ご無沙汰しておりました殿下。わたくしの部屋はまだ残っていますでしょう?」
部屋、とは?と、一瞬考える。
そして、この気まずい雰囲気と、ローネリアが見せるアーウェスへの態度に、さすがのエルオーシュもぴんときた。
まさか、まさか‥‥
「さあ」
と愛想もなく言ったアーウェスに、ローネリアは余裕の笑みを浮かべている。
この女性は‥
『それにすでに一人、殿下には奥方がいます』
ロッソの言葉を思い出す。
「エルオーシュさまのお国のことは聞きましたわ。さぞお嘆きのことでしょう。王弟の正妃という役目も、今では重い枷でしょうね。でも安心なさって。わたくしも殿下の妃。そのために呼ばれたのですわ。エルオーシュさまのお力になればと思います」
艶やかな笑みと、決定的な言葉にめまいがしそうなほど、動揺する。
正妃の立場は、もはやお前には相応しくない。そう聞こえる。
冷や汗をかき焦り顔をしたカルロスとロベルトに対し、当のアーウェスは感情のこもらない瞳でローネリアを見下ろすだけだった。




