ep12 涙の契り
目が覚めると、見慣れない天井が見えた。
仰向けに寝そべったまま、首をめぐらせてみる。暗闇の中、やけに広い寝室の、静まった様子が目に映った。エルオーシュが横たわる寝台も、大人四人が余裕で眠れるくらいの広さがある。
いったいここは、どこだろう。
私は何をしていたのか。
いまだ、夢の中にいるように頭が霞む。
暗いと言うことは、夜なのだろう。
時間の経過に頭を悩ませていた時、ノックの音もせず、突然寝室の扉が開いた。
入ってきたのはアーウェスだった。
「起きたのか」
相変わらずの無愛想な顔を、エルオーシュに向けている。
「‥‥ここは?」
「俺の部屋」
「え‥?」
「丸一日寝込んでいた。アルライド王が拘束された後、気を失った。俺にしがみついて離れないから、連れてきた」
最後の記憶の中で、父の背中を見た気がした。アーウェスにしがみつきながら、その胸に隠れるように震えていたのを思い出す。
そして、何が起こったのかも。悪夢のような場面が、ゆっくりと頭を巡ってゆく。
暗かった室内が、蜜色に浮かび上がった。アーウェスが、寝台の側の灯りに火を灯したのだ。
その横顔を見つめる。どうして彼は牢屋ではなく自分をここへ連れてきたのだろう。しかし、今はそんなことを考えるのも億劫だった。
「そうか‥すまない。‥それで、父上は?」
父のことを思い出すと、じわりと目に涙が浮かんだ。叫び出しそうなほどに、心臓が痛みを訴える。
「今は、殺すことはできない。トラファニアに唆され、騙された傾向があるからな。こちらは情報が欲しい。とりあえず監禁という処遇だ」
王弟に剣を向けたというのに、ずいぶんと軽い刑だ。その場で首を跳ねられてもおかしくないのに。
「‥そう」
ぎゅっと、たまらず毛布を掴む。それでも、いつかは聞かされるだろう。父の処刑の日を。
アーウェスがゆっくりと歩み寄り、寝台の上に腰を下ろした。そして、エルオーシュの顔を無感情に見下ろしてくる。その顔は美しく、そしてどこまでも冷徹に見えた。
「私は‥どうなる?」
ここで殺されるだろうか、と予感する。アーウェスは、戸惑うこともなくエルオーシュの喉に剣を突き立てるかもしれない。
もう、いらない‥、ただの捨て駒だった王女だ。
「別にどうにもならない」
しかし、そんな言葉が届く。あっさりすぎるくらいに、軽い口調だった。
「どうして?裏切った国の王女だ」
「処刑されたいのか?」
嘲笑するような吐息が、彼からもれる。
「見せしめに、殺す価値もないのか?父にとってはどうでもいい王女だったから?国王陛下もどうでもいい?誰にとっても、私は‥!」
「エル」
がばりと身を起こしたエルオーシュの肩に、アーウェスの手が触れる。だが、エルオーシュはその手をはねのけた。
「そうだよ。私には価値がない!‥何も守れなかった。すべてを失った。子供の頃から、父のためにと生きてきた。女であることを忘れ、強くなって、すべてを守れるようにずっと‥‥。そうすれば、父は母のことを思い出してくれると思った。私を、見てくれると‥‥」
本当に私は愚かだ。父は母の死を一度も嘆いたりしなかった。父は最後まで、エルオーシュのことなど見ない。
いらなくなれば、捨てられる駒だった。
うつむいて、涙をこらえる。肩を震わせていると、頬を撫でられた。
驚きながら、涙をためた瞳でアーウェスを見つめる。そのまま、はしたなくも涙を一筋こぼれ落とした。うつむいて、隠す。だが、涙は止まってくれない。
「私には、もう何も残っていない‥‥。ベルリオールにもいられない。‥‥アーウェスには、良かったかもしれないな。次は、もっと可愛らしい正妃がくるよ」
そう言って、小さな笑いをもらす。私は本当に、どこに行っても価値がない。
アーウェスにも、当然必要とされてない。ベルリオールにだって、やっかいで目障りな存在になっていくはずだ。
「生きる意味も、もう、なくなった」
そう呟いたとき、肩を押された。アーウェスが背中の傷をかばうように手を回しながら、エルオーシュを押し倒した。
「アーウェス‥‥?」
驚いている間もなく、唇が重ねられる。
とっさに顔を背けるが、今度は首筋に唇が落ちた。
やわらかく、あたたかい感触に、エルオーシュは硬直する。
「アーウェス、やめ‥」
「俺に殺されようとしたくせに」
「え?」
あの時だ。
父にアーウェスを殺せと命令され、剣を構えたとき。アーウェスは気付いていたのだ。
いくつも、首筋に口付けを落としていくアーウェスに得体の知れない恐怖を感じた。ようやく首筋から離れた唇は、再びエルオーシュの震える唇にたどり着く。
さきほどとは違う口付け。
深く、深く口付けられる。
やわらかく生ぬるいものが、奥で縮こまっていたエルオーシュの舌を絡めとる。
「ん‥」
無意識に、鼻から抜けるような声が漏れた。息ができない。頭がぼんやりとしてゆく。本気で苦しくなってきたとき、アーウェスは離れた。
枕元の灯が、小さく揺れた。
ゆらゆらと影が揺れる蜜色のなか、アーウェスの姿が浮かびあがる。
長めの真っ黒な前髪からのぞく瞳と出会ったその刹那、背筋にぞくりとした悪寒が走った。堕落を促す魔物のような、濃い色香を匂わせる男に、言いようのない恐怖を覚える。それと同時に、甘美な高揚感を。
「俺に命を差し出そうとしたのか?」
静かに、穏やかに問いかけてくる。
「生きる意味がないと?」
「アーウェス‥?」
なぜだか、とてつもなく苛立っているように見えた。エルオーシュは本能で身を固くする。
「だったら‥‥」
アーウェスが己のシャツに手をかけた。胸元をはだけさけると、それを一気に脱ぎ捨てる。その艶やかな動作は、見とれるほどに妖艶だった。
「俺のためだけに生きればいい」
何を言われたのか理解できないまま、男の顔を見上げる。ただただ呆然とするエルオーシュの唇に、また深い口付けが落ちる。ゆっくりと衣服の下に無遠慮に忍びこんできた手に、びくりと体がはねた。
何をしているのだろう。なぜ、いきなりこんなことが始まるのか。
ただ、甘い吐息を漏らす自分にひたすら戸惑う。
「アーウェス‥‥やめろ‥」
服を脱がせようとする動作に、さすがに抵抗する。
「嫌だなんて言わせない。俺のことだけを考えてろ」
なんて、傲慢で一方的な男だろう。
それでも、すべてを失ったエルオーシュはその言葉にすがるしかなかった。
『俺のためだけに生きろ』
新しい、生きる意味。
信じてみたいと思った。
エルオーシュは、重なる人肌を感じながら、ゆっくりと全身の力を抜いた。




