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ベルリオールの花嫁  作者:
第一章
12/48

ep11 裏切り②


「父上が、どういう状態におかれていたのかは知らないが、絶対にどうしようもない深い理由があったに違いない」


 カルロスが退出したあと、エルオーシュは閉じたばかりの扉を見つめ、小さくつぶやいた。


「はい。姫さま」


 ロッソに、そっと手を握られる。彼女も、混乱しているのだろう。無表情の時が多い彼女の顔は、今は困り果てているように見えた。


「父上に直接、話を聞かねば」


 それまでは、どんな人の言葉も信じまい。と、エルオーシュは侍女の手を握りかえした。




 軟禁を強いられた数日間は、エルオーシュにはひどくつらいものだった。生活には特に不便はないが、父を思って過ごす日々は身を切られるような時間だった。


 何日が経っていたのはわからない。 息苦しく過ごしていたある日、エルオーシュは目の前に広げられた食事に手をつける気分にもなれず、ただぼんやりと椅子に座っていた。夏の日差しは暑く、ロッソが窓を開けて風を入れようと薄い生地のカーテンに手をかけた。


「姫さま!」


  珍しくロッソが声を上げた。


「ベルリオール軍が戻って参りました」


  エルオーシュも窓辺に駆け寄り、ロッソが指差す景色を見下ろしてみる。行列を成して、王城に帰還してくるベルリオール軍の数は、出発するときとなんら変わっていない。それだけ、圧勝だったということだろう。

 そして、その先頭を進む男は、疲れた様子なども見せず、颯爽と軍を率いていた。 それを確かめ、エルオーシュは部屋を飛び出した。きっと、父があの中にいる。


「お待ちください。妃殿下」


  部屋を監視している衛士が、慌てたようにエルオーシュの目の前に立ちふさがった。 軟禁中の身だった、と今さら自覚し、心の中で舌打ちをする。


 父上が‥。と、焦りに突き動かされる。

 こうなったら強硬突破しかない。


「妃殿下…!?」


 ふらりとよろけたエルオーシュの体を、衛士がとっさに支えた。その隙をついたエルオーシュは、衛士の腰につってある剣に手を伸ばす。と、柄に手を掛け、それを素早く抜いた。すぐさま柄の方で、驚いている衛士のみぞおちをつく。


「すまない」


  短く謝っている間に、衛士は崩れ落ちた。懐かしく手に馴染む剣を、無意識に強く握りながら、エルオーシュは駆けた。


  父上‥、父上!


  泣きそうになりながら、ひたすら走った。すれ違う女官たちから驚きの声や、静止の声が聞こえたが、止まることは出来なかった。


  きっと罪人となった父は、国王陛下の御前に一度連行されるだろう。エルオーシュはそう確信し、ベルリオール国王の玉座が置かれる、謁見の間をひたすら目指した。


「‥ち、父上!」


 扉が開け放たれていた謁見の間には、目当ての人物がいた。衛士達に囲まれ、拘束されている。その懐かしい姿を見たとき、エルオーシュはなにも考えることなどできなくなった。悪夢のような光景に、喉から慟哭のような悲鳴がほとばしった。


  エルオーシュの叫び声に、父が振り向く。記憶にあるよりずいぶんと、やつれた顔の父と目が合った。


  別れたあの日と、変わらない眼差し。永遠に忠誠を誓った人が、目の前にいる。そのまま駆け寄ろうとしたとき、それを止める声が響いた。


「待たれよ。王女殿」


  カルロスの声だ。エルオーシュははっとして、足を止めた。敵国の王女に、まったく手荒なことはしようとしなかったカルロスを、裏切りたくはなかったのだ。


「‥父上を、どうなさるおつもりですか?」


 愚問だと自分でもわかる。アルライドは裏切りを犯したのだ。

 その判断を下した国王に、どのような処罰が下されるのかは像がつく。そして、その王女も‥

 泣きそうになりながら、カルロスをまっすぐ見つめる。


「それは、これから審議をする」


 哀れむようなカルロスの眼差しに、胸に重い空気が溜った。


 苦しくて、仕方がない。

 エルオーシュの知らない所で、滅びの道を辿ってしまった祖国。その現実が、今さらエルオーシュを襲った。


「父上の命だけは‥‥」


 無意識に呟いていた。

 どうにもならないと思っていても。


「はっ。そんな父親をかばうのか?」


 その声に振り向くと、軍服を来たままのアーウェスが、戸口のそばで冷ややかにエルオーシュを見つめていた。

 嘲りの色をおびた微笑みを浮かべて。


「お前の父親は、最初からベルリオールを裏切るつもりで、お前を捨て駒同然に嫁がせたらしい。父親の口から聞いてみろ。ベルリオールの王弟を殺せば、トラファニア帝国から膨大な褒美が与えられるはずだったとか。この男は自分のことしか考えていない」


「‥嘘だ。私は信じない!」


 唇が震える。そんなことは、あってはならない。

 エルオーシュは父を信じようと、うつむく父の顔を見つめた。


「これが、真実だ。目の前で起こっていることが」


 アーウェスは非情にも、エルオーシュを追い詰める。目の前に繰り広げられているのは、拘束されたまま(ひざまず)くようにカルロスの審判を待つ父の姿だ。


「父上!なにか仰ってください‥!嘘なのだと!裏切るつもりなどなかったと‥!」


「私にも真実を語って貰おう」


 エルオーシュの叫びとカルロスの静かな声が交錯する。裏切りの国王、‥エルオーシュの父の口が、ゆっくりと開いた。


「忌々しい悪魔を飼う狂国め。古来より大陸は自分たちの物だと言うようにつけ上がり、当然のように威張り散らし、我ら小国を揺るがす。その気持ちが貴様に分かるものか!」


「父上!」


 聞きたくない、とエルオーシュは耳をふさいだ。

 ベルリオールを裏切ったと、明白な罵りはエルオーシュを絶望へとつき落とす。


「俺が説明しても?陛下のお耳に汚らわしい言葉が入る前に」


 アーウェスは呆れたように嘆息し、カルロスの前に歩み寄った。


「ああ。説明してもらおう」


「先ほど言ったように、トラファニアと前々から同盟を組んでいたようです。ベルリオールに王女を嫁がせ虚偽の和議を結び、油断させ、のちに俺を殺せば、トラファニアの王女とアルライドの第一王子セドリックとの婚姻が約束されていたとか。アルライド国王はこの通り、我が国を忌々しく思っているので、トラファニアと組んで我が国を滅ぼそうとしていたようです。そして、嫁がせたこの王女は捨て駒で、事情をいっさい知らされていない憐れな娘だと言うことですよ」


 聞きたくない。聞きたくない!


 耳をふさいでも聞こえてくる低い声に、エルオーシュは怯えた。

 捨て駒。その言葉が、頭に鈍く響く。


「貴様が平然とセドリックの名を口にするな!殺した息子は、もう記憶に残っていないというのか!」


「息子の心配はしても、娘の心配はしなかったのか。どうでもいいと?」


 セドリックがアーウェスに殺された。

 その事実を聞かされても、エルオーシュはどこか他人事のように聞いていた。


 ああ、大事な父の息子が死んでしまったのだ‥。だから、父はあんなにやつれて‥


「何を言っているのだ」


 父が低く笑いだした。


「息子はわしの分身そのもの。わしの意思を継ぐ後継者。娘を心配だと?嫁ぐことしか使い道のない女のことなど知らん。私の娘であるからには、せめて父のために命を捨てるのが義務だろう。私がいなかったら、ここにはいない人間だ。私がどう扱ってもいいのだ」


 高笑いをする父を、信じられない思いで見つめた。


「父上‥。あなたは、私がいとおしいと、母を思い出すと、頭を撫でてくれた」


 父は正気ではないのだ。だから、このような‥


「おまえの母など、顔も名前も覚えておらん!どうせわしの権力に群がった女たちのひとりだろう。それより、セドリックを殺したこの男をなんとかしろ!」


 この人は誰だろう。ずっと信じていた父だろうか。母の顔も覚えていないと‥。最初から、父はこのような人間だったのだろうか。


 ‥私が間違えた。きっと、最初から。

 ただ、勝手に期待をしていたのだろう。自分のために。愛してくれる人がいると、‥この世界にたった一人でもそんな人がいると、ただ盲目に信じたかったのだ。そうでなければ、生きていけなかったから。


 セドリックほどではなくとも、私も愛されているのだと、いつか一番に役に立つから、もっと愛して欲しいと、何を馬鹿なことを思っていたのだろう。


 霞がかってゆく重たい頭の中で、そんな思考を遮るような舌うちが聞こえた。

 アーウェスだ。


「たいそうな父親だな」


 もう興味など失せたように、アーウェスは父から目を離した。


「エルオーシュよ」


 突然聞こえた父の声に、びくりと体がはねた。

 名を呼ばれたのはいつぶりだろう。


「良いものを持っているな。さすがはわしの娘」


 にやりと下品に笑う父の目線を追う。

 父が見ているのは、手にした剣だった。

 エルオーシュは剣を手にしていることに今さら気付き、自ら驚いた。


「エルオーシュ。目の前にいるのはセドリックを殺し、父の命を狙う憎い仇!そなたの剣で殺せ!ベルリオールの王弟を!」


 アーウェスを?

 殺す?

 父の言葉以外、なにも聞こえなくなった。

 混乱した頭は、エルオーシュの判断をにぶらせる。

 ぼんやりとアーウェスに視線を移すと、彼は不快そうにエルオーシュを見て眉をひそめていた。


「‥父上」


 無理だ。


「何を迷っておる!そなたは何のために剣に励んできた?わしを守るためではないのか!?国のため、アルライドの王女なら、憎い仇を殺せ!」


「‥王女?本当にそう思っておいでですか‥?」


 声が震えた。

 王女だと、…娘だと思っていているのに、嫁いだ国の、その夫を自ら殺せと命じているのだろうか。


「ふ…。そうだったな、そなたは王女ではなく、わしの命を守る駒。剣をふれないそなたにはなんの価値もない!!役たたずが!」


 父は微動だにしないエルオーシュにしびれをきらし、つばを飛ばして罵倒する。


「くだらない!お前も所詮、女だったということか!ベルリオールの王弟は、女を誑かすのが上手いと聞く。男のように剣術に励んでいたお前も、簡単に懐柔されたか!いままで可愛がってやった父への恩より、己の男をかばうのか。情けないものよ!」


『エルオーシュ。いつか、あなたが陛下や国を守るのよ』


 母上‥‥


 涙がにじむ。

 涙にぼやけた瞳で、アーウェスに向き直り、エルオーシュは剣の鞘に手をかけた。

 

 手がカタカタと震える。

 アーウェスは凪いだ瞳で、エルオーシュをただじっと見つめていた。

 剣を抜く様子もない。


 父上。

 私は今まで、あなたのためだけに生きてきた。ともに国を守りたいと。それなのに、その国を、あなたが滅ぼそうとしている。


 私の生きる意味は、最初から父上しかなかったのに。でも、その父上を、信じることができない。


 鞘を抜き、刀身をアーウェスに向ける。

 アーウェスに、勝てるわけがない。エルオーシュに、死ねと言っているのと同じことなのだ。

 けれど、相打ちを覚悟で飛び込めば、勝てなくともアーウェスを殺せるだろうか。


 アーウェスを殺す。

 なぜ、こんなに心が痛いのか。心が叫んでいる。殺したくないと。

 ならば、エルオーシュが殺されればいい。

 アーウェスに殺されればいいのだ。父もきっと諦めてくれる。

 

 エルオーシュは剣を振り上げながら、男の元へと駆けた。大きく足を踏み込み、懐へ飛び込む。


 アーウェスが剣を抜き、エルオーシュを斬り捨てる。‥というはずだったのに。

 彼は剣をまったく抜こうとはしなかった。


 馬鹿な、黙って殺される気か。と、身じろぎもしない男の冷たい瞳を見つめる。

 

 男の体に振り下ろせないまま、エルオーシュは剣をゆっくりと下げた。

 アーウェスは冷たさの宿る漆黒の瞳で、静かにエルオーシュを見つめていた。


「なぜ‥‥剣を抜かない‥‥?」


 その言葉にも、男は答えなかった。


 茫然自失としていた時、後ろから腕を捕らえられた。衛士に囲まれたエルオーシュは、もぎ取られるまま剣を振り落とした。


 しかし、エルオーシュの代わりに自由になった父がその剣を拾った。

 一気にその場に緊張が走る。アーウェスが、いち早くカルロスの元へと身を翻した。


「待たれよ。アルライド国王。まだ命をとるとは言っていない。これ以上罪を重ねる気か?」


「兄上。お下がりください」


 カルロスを己の背後に隠したアーウェスは、次は迷うことなく剣を抜き、それをアルライド王に向けた。


 咆哮をあげたアルライド王は、剣を手にしたままアーウェスに向かっていく。


 駄目だ。父上が殺されてしまう!

 エルオーシュは衛士をふりきり、とっさに二人の間に踊り出た。

 現れたエルオーシュの姿に反応し、すぐに剣を下ろしたのはアーウェスだった。しかし、父はそのまま振り上げようとする。


 娘ごと、アーウェスを斬るつもりなのだ。

 アーウェスがエルオーシュの体を受け止めるために、剣をやすやすと手放した。

 何故、とエルオーシュは目を丸くする。

 アーウェスこそ、自分ごと父を斬るべきなのに。

 熱い刃が、背中に走った。アーウェスがエルオーシュの体をとっさにひく。

 アーウェスの胸に倒れこみながら、父に殺されそうになった現実を知り、体に重い絶望感が襲いかかった。呼吸の仕方すら忘れ、短い息を何度も吐く。

 背中から、どくりと血が溢れて出てくる。それを意識するよりも、エルオーシュは目の前が白んでゆくのがわかった。


「衛士!その男を捕えよ!」


 国王の鋭い声に、衛士が数人アルライド王を取り囲み、おさえる。


「連れて行け」


 父の荒い息づかいと、罵倒の声を聞きながら、エルオーシュはアーウェスの腕の中で意識を失った。








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