ep10 裏切り①
ベルリオールを発った騎兵ばかりの強行軍は、国境を越え、四日もかからないうちにアルライドの王都に近づいた。
軍の数はおよそ二千。 小規模な軍団だが、トラファニアがアルライドに攻め込んできた時には、国境付近に集結し、後を追ってくる一万の兵がやってくる。 たとえ、いずれ攻め込もうと思っていただけだとしても、脅しになるくらいの軍勢だ。
アルライドの軍と合わせると、数は充分だ。
負けるわけがない勝ち戦。しかし、アーウェスは違和感を覚えていた。
「嫌な予感がする。慎重に行け」
配下の者達にそう言い放ち、アーウェスはゆっくりと谷間の道を進み出した軍列を眺めた。
ここを越えれば、都が見えるだろう。目と鼻の先に、目的地がある。アルライド軍と合流を果たし、まずは詳しい情報を得ることが先決だ。
トラファニアがどのような動きをしているのか、何を企てようとしているのか。それを正確に把握し、先手を打たねばならない。
「殿下!」
遠方から、騎馬に乗った男が一人、駆け抜けてきた。大声をあげながら、慌てた様子で必死に馬に鞭を入れている。
「どうした」
男は、アルライドの様子を先に見に行かせた配下の者だ。アーウェスも、自らその男に馬を寄せる。
「王都に、王都に軍が!」
ざわり、と周囲に緊張が走る。アーウェスでさえも、まさか、と眉を寄せた。
「トラファニアの兵が?アルライド側からは何の知らせもなかった。伝令を殺されでもしたのか」
「おそらく‥私がベルリオールの者だとわかったとたん、矢をむけてきました」
アルライドの王都は、制圧されているのだろう。
遅かったか、とアーウェスは舌打ちをした。
父と国を守って、と必死な目をしたエルオーシュを思い出す。
「すぐさま王都へ向かう。お前はそのまま後方の援軍を呼びにいけ。全員戦闘準備を」
アーウェスの言葉に、皆がせわしなく動きだした。
面倒なことになった。急がねばならない。しかし、そう思っていたのは束の間だった。
「殿下!王都の方よりこちらへ軍勢が攻めてくるようです!」
もうひとり、アルライドへ探りを入れさせていた伝令が息を切らして指をさす。
「なんだ、この計画的な速さは」
嫌な予感が背筋を這う。
「トラファニアの数は?」
「殿下、それが」
配下が口を開く前に、その青ざめた顔の原因が見え始めた軍勢のせいで明らかとなった。
掲げられた旗は、まさしく‥
「アルライド軍です!」
最悪だ。
アーウェスは、もう一度舌打ちした。アルライドは裏切ったのだ。
「それでも守れって?アルライドの王女さま」
ため息をついたのち、アーウェスは自軍へと振り向き声を上げた。
「撤退だ」
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「やはり、深追いしてきたな」
早々と軍を引かせたアーウェスに喰らいつくような執念で、アルライドの敵軍は追ってきた。
アルライド軍は、ベルリオールの援軍の三倍以上の数になる。
アーウェスは、すでに戦場となっている場を見渡した。
この数ならば皆殺しにできると過信して、追ってきたのだろう。
愚かな、と敵軍を見つめる。
細い道に入っていくことに気がつかずに、のこのことやってくるとは。
兵が多くとも、狭い道に入ればそれを活用できはしない。条件は互角になる。
さらに、ベルリオールのように戦慣れした手練ればかりの軍を相手に、敵軍は単純な戦術を仕掛けようとしている。無謀というより他はないだろう。
「死ね!忌々しい悪魔が!」
襲いかかる敵兵を、馬上から薙ぎ払い、またひとりまたひとりと命を奪っていく。
大人しく今から軍を引けば、被害も少ないだろうにと、死にゆくものたちに軽い同情を覚えながら、剣をふるっていく。
「貴様ぁ!」
目の前に現れたのは、騎馬に乗った若い男だった。豪奢な金髪も顔も土埃に汚れ、風貌はよくわからない。
「王子!お引きください!」
後方から駆けてきた騎士が、王子と呼んだ男の前に躍り出た。
「私がこの男の相手を!セドリック王子は、お逃げください!陛下のご命令です」
セドリックという名は、知っている。アルライドの第一王子で、国王に溺愛されているという噂の王子だ。エルオーシュの異母兄か、とその姿をながめる。身体は細く、貴公子然としているため、鎧がひどく重そうに見えた。
「そのとおり。王子様は退いたほうがいい」
状況がわからない中では、なるべく王族は殺したくない。なにしろ面倒なことになるからだ。 なぜ前線に出てきたのだ、と苛立ちを覚える。
「うるさい!俺を馬鹿にするな!」
剣が振り上げられる。
捕虜にでもするかと、しかたなく応戦しようとしたその時、ひゅんと風を切る耳障りな音がなった。
すべてはあっという間の出来事だった。
光がセドリックの喉元に突き刺さった。傾いた彼の体はそのまま馬からずり落ち地面にころがった。
流れ矢だ。
「王子!」
彼らの悲鳴は、喧騒にむなしく消える。 手を掛けてきた世継ぎを失うのは、彼らにとって絶望と言えるのだろう。
「おのれ‥!許さんぞ、ベルリオールの王弟!」
勝手に死んだだけだろう、と言うのをこらえ、アーウェスは剣をかまえた。
本当に面倒なことになった。ベルリオールとアルライドの関係は、もう元のようには戻れないだろう。
もっとも、先に仕掛けたのはアルライドのほうだ。向かってくるのなら、殺すまでだ。
「アーウェス殿下!別動隊が高台に到着いたしました」
駆けてきた兵が、小高い丘を指差した。
「なんだ、早いな。この戦を終わらせるときが来たようだ」
憎しみをおびた瞳でアーウェスを睨み付ける王子の騎士に向かい、アーウェスはにやりと笑った。
その笑みが合図だっかのように、アーウェスの指示を受けていた別動隊の騎馬兵が、断崖を下った。アルライド軍の横腹を薙ぎ倒す勢いで、次々と手練れた兵達が戦場に傾れ込んでくる。
後方で起きた悲鳴に、一瞬後ろを振り返ったセドリック王子の近衛兵達は、ガタガタと体を震わせながら、再びアーウェスに顔を向けた。
小さく唇が動く。悪魔、と。
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「今から貴方は、敵国の王女となった」
兵士を伴い、私室へ現れたカルロスは、緊張を孕んだ声でエルオーシュにそう告げた。
すべては、突然だった。
経緯を語るカルロスの話は、現実に起きていることだとは到底信じられなかった。
それでも、すべてを聞き終えた時、エルオーシュはひどい目眩におそわれた。
体中の力が抜け、その場にへたり込む。
「‥そ、そんな‥。嘘だ‥」
背後から体を支えてくれるロッソの腕も、かすかに震えている。
「アルライドは…、国王陛下はどうなったのです」
声すら出せなくなったエルオーシュの代わりに、ロッソがカルロスに向き直る。父上‥、と口の中で呟いた瞬間、心臓がつぶれるほどの強い痛みが胸に走った。
父上はご無事なのか。どのような処遇を受けるのか。聞かなければならない。しかし、聞きたくはない。 エルオーシュは、己の耳に震える手を当てた。もう何も聞かなくても良いように、耳を閉じてしまいたかった。
「アーウェスが捕え、こちらに連れてくるそうだ」
「この国で‥ベルリオールの地で、処刑されるのですか?」
「まだ何も決まってはいない。情報が少なすぎる。まずは、裏切った理由を本人に聞かねばならない。‥その事情は王女殿が知っていると思ったが」
カルロスの険を宿す鋭い声音に、エルオーシュははっと顔を上げた。
「‥私は、何も…。何も知らないのです」
父からは、何も聞かされてなどいなかった。知らせも来ない。ただ、嫁げとしか。
「父は‥、私に‥両国の‥良いかけ橋と、なるようにと‥おっしゃったんだ」
口の中が乾いていく。
なぜ父は、ベルリオールを裏切らねばならなかったのだろう。
娘を嫁がせた国だ。それなりの理由があるはずなのだ。
『かわいいエルオーシュ。お前だからこの任をまかせられるのだ。きっとどの娘より、わしの為に力を尽くしてやり遂げてくれるだろう』
そう言って、頭を撫でてくれた。
「裏切られたのは、我々だけではなかったということか」
カルロスが、憐れみをこめた瞳を向けた。
裏切られた。その言葉が、エルオーシュの胸を鋭く切り裂く。
そんなはずはない、とそればかり頭の中で繰り返えす。
父が私を裏切った。
そんなこと、あるはずがない。
「アーウェスからの伝令でも、貴方は何も知らないはずだと書かれてあった」
「‥アーウェスが?」
「ああ。私も王女殿を信じることにしよう。軟禁状態になるのは、他の者達に示しがつかぬゆえ、我慢してもらうしかないが」
「父は‥父とは話ができるのでしょうか」
「それは、難しいだろう。しかし、なるべく配慮はしよう。‥今後の、王女殿の待遇が決まるまでは自由にはさせてやれないが、理解していただきたい」
自分も処刑されるのだろうか。裏切り者の王女として。
父はこうなることも知っていたのだろうか。




