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ベルリオールの花嫁  作者:
第一章
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ep9 嵐の気配

 


 扉を軽く叩く音に、カルロスはにんまり笑った。今日は王城に大人しく留まってらしい。予想より来るのが早い。


「入ります」


 扉を開けて、入ってきたのは、予想どおり唯一の弟であるアーウェスだった。


「ご苦労」


 いかにも国王らしく言うカルロスに、嫌がらせなのか、弟も家臣らしく堅苦しい礼を返した。


「最近、どのように過ごしている?王女殿と仲良くしているか?」


「どのようなご用ですか?兄上」


「つれない弟だな。たまには世間話もいいじゃないか」


「そんなことで呼んだのですか?なら、これで失礼します」


 さっさと踵を返そうとしたアーウェスに、カルロスは苦笑した。


「まったく可愛げがないな、おまえは。大切な同盟の架け橋である王女殿の様子を聞きたいだけだよ」


 カルロスは、さきほどと同じようににんまりと含みのある笑みを浮かべた。


「仲睦ましいので、ご安心を。可愛らしい王女に一目惚れしましたから」


 眉を嫌そうにひそめ、あきらかに適当に言った言葉に、カルロスは小さく笑った。噂は色々と耳に入ってくるのだ。つまり、王女殿の一途な頑張りと、アーウェスのあしらい方が。


「へぇ、お前が?それは実に興味深い話だ」


「兄上と義姉上のような、運命的な恋に憧れていましたからね」


 そう言って、にやりと笑う彼は、ちっともひとめ惚れや、恋などをしている男の顔ではない。

 むしろ、そのようなものは馬鹿馬鹿しいと思っている顔だ。


「はあ‥、まったく面白味のない。お前に嫁いだ姫君は可哀想だな。健気な花嫁ではないか。少しは気持ちを返してあげたらどうだ。まだこの国に慣れない王女殿を、王城の外にでも連れ出して遊びに行ったりとか、そういう気遣いを見せてもいいだろうに。お一人で心細い思いをしているのではないか?お前しか頼れる相手がいないというのに」


 文机に座りながら、ぐちぐちと文句を言うカルロスを見下ろしたアーウェスは、尊大に腕をくんだ。


「兄上が決めたのでしょう?勝手に」


「もちろんそうだ。だから王女殿の心配をしている」


「心配しなくとも、アルライドの王女は政略結婚というものがどういったものか覚悟しています。形式だけで良いというのも、その内理解するでしょう」


 何を理解していると言うのだ、とカルロスはため息をついた。


「でも、お前も結構気に入っているじゃないか。美人だしね。私に感謝してほしいよ。アルライドの王女は、国境を越えて噂になるほどに美姫ぞろいだと有名だが、その中で一番美しい姫をと頼んだのは私だよ。ふふ、噂もときには当てはまる」


 カルロスは、王女の容姿を思いだす。

 輝く柔らかそうな金髪。エメラルドを思わせる美しい瞳。

 顔の作りも繊細で、透明感のある可憐な容貌の持ち主だ。

 どこか、儚げで消えてしまうのではないかと思わせる清廉さ。おとなしく、いつもおっとりと微笑んでいるような印象。


 しかし、噂では彼女は意外にも行動派らしい。

 これほど、見た目と性格に差異のある人物を初めて見た。

 そして、自分の美貌にまったく無頓着な王女は、どこかかわいらしく、面白い。


「おや?兄上は王女に興味がおありですか?愛人にしてもかまいませんよ。義姉上には内緒にします」


 アーウェスは軽薄そうな笑みを浮かべた。


「お前ね‥‥」


 呆れすぎて二の句が告げない。まったく、この弟の悪い所は昔から変わらない。


 しかし、恋など愛など信じず、女をただの欲情処理の道具くらいにしか思っていなさそうな男が、‥ちっとも他人に執着しないこの男が、噂では多少なりとも王女を気に入っていると聞く。


 二人きりで遠乗りに行ったと聞いた時には驚いた。無視をせずに、会話もしていると聞いている。

 

 会話を交わすほどには、気に入っているのだろう。

 それが、ただ珍しい玩具を見つけたような、子供じみた感情だとしても。

 多少、希望もある。


「彼女が、お前を救ってくれると信じているよ」


 この男の、誰も立ち入れないくらい固く冷めた心を溶かす、暖かい光に。

 自虐的なこの弟を暗いところから引き出し、すべてを受け止めて癒してくれる存在に。

 カルロスは、アーウェスの光となりそうな女性を奪ってしまったから。


 幸福を知って欲しいと、強く願う。一番の気がかりは、いつでもこの弟のことなのだ。

 しかし、当の本人はどうでも良さそうに、扉に足を向けた。


 この手の話をすると、弟はすぐこうなのだ。説教など聞きたくないと言わんばかりに、瞬時に逃げ出す。


「待て。本題がある。ここに呼びつけた理由が」


 深刻に声を発したカルロスに気づき、弟は振り返った。






 ***********




「これは殿下、ごきげんよう」


 回廊でばったりと出会った人物に、アーウェスはため息を覚えた。

 面倒の極みだ。


「…オルネアの王子殿下。今日も散歩とは、ベルリオール王城をいたく気に入ってもらえたようで嬉しい限りです」


 抑揚のないアーウェスの口調にも、オルネア王子は気にした様子もなくご機嫌に笑っていた。

 アーウェスがゆくこの回廊は、エルオーシュが住まう区画に繋がっている。

 当然、王女を世話する女官も多くここから出入りをするのだ。

 どの女を待ち伏せしているのかは知らないが、アーウェスにとっては迷惑極まりない。


「殿下は、奥方に会いにゆかれるのですか?やはり噂というものは当てになりませんね。あのような美姫ならば、放ってなどおけず毎夜通いたくなるでしょう。まったく羨ましいかぎりです。お世継ぎ誕生も近いようですね」


「さあ、それは授かり物なのでさすがにどうでしょう」


 とにかく、先を急ぎたいアーウェスは適当に言い放った。

 このお気楽な王子は、いつまでこの国に留まるつもりだろうか。 交易について話し合いを進めているのは、オルネアの家臣達だ。遊学と言いながら、勉学に励む事なく好き勝手に遊んでいるようだ。


「王子の方こそ、たくさんの美しい妃に囲まれて羨ましいかぎりです。オルネアは世継ぎには困ることはありませんね。喜ばしい事です。それでは、先を急ぎますので俺はこれで」


 まったく無駄な時間を費やした、と舌うちをしそうになる。


「それはそうと、王太后陛下が戻られようですね。ずいぶんとお怒りのご様子だったと、その様子を見かけた私の妃が話しておりました。殿下も大変だったのでは?」


 すでに歩き始めていたアーウェスに、嘲笑に似た響きを持つ言葉が投げ掛けられた。


「容貌が変わっているというのは、苦労するでしょう。母君を恨みたくなるほどに」


 歩みを止めたアーウェスは、改めて向き直り、ふわりと笑ってみせた。


「いいえ。大勢の敵を葬れる強靭な体に産んでくれた母には、いつも感謝しております」


 予想に反しただろうアーウェスの言葉に、オルネアの王子は気まずげに目をそらした。 自分も葬られるのではいか、と一瞬でも頭によぎってしまったのだろうか。その瞳には怯えが見える。

 汗をかき始めたその顔を見つめながら、アーウェスはさらに笑みを深めた。


「それはそうと、この国もそろそろきな臭くなってきたようですよ。早く安全な、ご自分の国へ逃げ帰られたほうが身のためです、王子」


 ゆっくりと王族式の礼をとり、アーウェスは今度こそ振り向かずにその場を後にした。




*********




「トラファニア帝国が、アルライドに攻め入る‥?」


「ああ。祖国から何か手紙は来ていないのか?お前の耳に入ってくるアルライドの情勢はどうなっている」


 夕暮れ前。結婚して初めてエルオーシュの部屋へ訪れたアーウェスは、開口一番で驚くようなことを言い放った。

 頭が真っ白になる。動かない思考の中で、父の顔ばかりが脳裏に蘇った。


「何も、来ていない。変わったことなどは…、何も知らない。そんなのは、噂なんだろう。また、私をからかうつもりか、殿下…」


「嘘などつくものか」


「それは、アルライドからの情報なのか?」


「ああ、国境近くでトラファニア帝国の軍を見たらしい」


 トラファニア帝国。と、エルオーシュは震える手を握りしめた。


 野心家で残虐な国王がいるという噂の、新興国だ。ここ二十年で領地を増やし続けている、広大な国である。まだ国領を拡大することを止めもせず、常に近隣の諸国に戦を仕掛けている国だ。


 そして、アルライドは、大陸最古の富めるベルリオールと、トラファニア帝国という強国に挟まれる少さな国なのだ。



「それが本当だったら、どうしてアルライドのような大きくもない国を」


「単純に考えたら、アルライドの金脈が目的だろう。だが、本音はこちら狙いだろうがな」


 アーウェスはすっと目を細める。それは、幾度となく戦を経験してきた将軍の顔をしていた。


「ベルリオールと戦をしたくて、煽っているということか?アルライドと同盟を組んでいると、あちらが知らないわけはないから」


 アルライドには数多くの金脈があり、その貿易目的でベルリオールは政略結婚を提案した。逆に、様々な国に囲まれているアルライドは、ベルリオールに後ろ立てを求めたのだ。

 同盟のため、アルライドが危機のときは、軍事的にベルリオールは協力しなければならない。

 アルライドに手を出せば、ベルリオールが当然出てくると相手は知っている。


「アルライドを落とせば、兵士を送り込む道が出来る。まあ、挑発の意味はあるだろう。よほど、こちらと戦をする理由が欲しいらしい。このベルリオールさえも奪おうとしているとは」



「そんな‥。そんなことにアルライドは巻き込まれているのか?」


 強国同士の勝手ないさかいに、アルライドが利用されているなど、あんまりなことだ。


「ベルリオールから嫌でも軍を出さなければならないんだ。アルライドが陥ちることない」


「アーウェスが、行くのか?」


「まあな。明日には出兵する」


 明日、とエルオーシュは青ざめながらその言葉を繰り返した。

 話は終わったと言わんばかりに、踵を返していたアーウェスの背に、思わず駆け寄る。


「私も連れていって!」


 ぴたりとアーウェスは足を止める。そして、心底嫌そうに振り返った後、聞かなかったふりをしてまた歩き出した。


「アーウェス!」


 立ち止まらない彼に、エルオーシュは小走りでまとわりついた。


 軍事関係では、アーウェスが一番立場が上なのだ。頼み込めば、なんとかなるだろうと思っていた。


「私も父上をお守りする!足手まといになるつもりはない。剣なら使える!乗馬も、弓も得意だ。私は、国を守るために今日まで励んできた。だから、私も連れていけ!」


 どうか、自分のこれまでの生き方を、無駄にはさせないで。 その想いを秘めて、アーウェスを見つめる。


「アーウェス!」


「無理だ」


 冷たく、きっぱりとした声音にエルオーシュは唇を噛んだ。

 本当は、わかっている。女である自分が戦場に行けるはずがないと。


「でも‥」


 言い続けると、今度は冷たく見下ろされた。ひるみそうになるが、負けじと見返す。


「大人しく待っていろ。アルライドは俺が守る」


 こちらを見下ろすアーウェスの視線は、相変わらず冷たいままだというのに、しかし、そこには有無を言わせない力強さが宿っていた。


 これでは何も言えない、と力が抜ける。


「心配するな」


 ぽんと、頭に何かが乗った。

 頭を撫でられたのだ、と気づいたときには、もうその重みは消えていた。驚いてアーウェスの顔を見上げる。いつものように感情の読めない顔だ。


「わかった。‥父上とアルライドを救って」


 大人しくそう言ってしまったのは、アーウェスの手が暖かかったせいだろうか。きっと守ってくれる。この男を信じてみたい、とエルオーシュは重苦しい胸をおさえた。











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