しっかりと仕込みをしないとな
まだまだ時間もある事だし、いきなり本番に取り掛かれるほど自信過剰ではないから、まずはちょっとずつ試作していこう。さっきから熱心に観察しているサレアさんとロラン君にも協力してもらって試食をお願いしよう。
宗教的にアウトな事だったり加熱時間が足りなくて食中毒になったり、なんて事になるかもしれないしな。それに、リアクションを見てこの世界の人達の口に合うのかも確かめるのも大事な事だ。俺の居た世界だって国によってだいぶ味覚に違いがあったんだから、世界を飛び越えちゃった分、味覚の違いがどれほどのものか想像できないからな。
まあ、俺が味わった二回の食事を振り返れば、そこまで違いがあるとは思わないが…
と、その前に料理の構成を確認しておこう。ルーリ先生がいないからサレアさんに聞いてみるしかないか…
大げさなジェスチャーにシンパシーを感じつつ、カタコトの会話で何とか確認する事ができた。この国では一般的に食事は三品、冠婚葬祭とか特別な時にはそれぞれに何品か増えるそうだ。主食は基本的にオーヌと呼ばれる麦っぽい穀物の粥で後の二品に決まりごとは無いらしい。
栄養バランスなんて概念は伝わらなかったが、無意識に朝は野菜で夜は肉を食べるようにしているそうだ。
ならば、今日の晩餐は主食、主菜、副菜の三品で決まりだな。
まずは主食だが、正直あの粥でも良いと思っている。食べ慣れない主食ってのは、どうしても違和感というか物足りなさというかを感じてしまうものだ。現に俺達日本人はどうにも米が無いと落ち着かない。
が、今日はせっかくだから粥以外のものを食べてもらおうと思う。日本人だってたまにはパンやラーメンを食うしな。
という事で、オーヌを炊いてみようと思う。保管状態から見て去年の秋に収穫されたものだろうから、だいたい一年近くが経過しているハズだ。表面の糠から劣化するからたっぷりの水で手早く研いでゆく。籾摺りの技術がそれほど発達していないのか結構な量の籾殻が出るな。
少し水を吸わせた後、鍋に入れて火にかけよう。今回は試作だからだいたい一合くらいの量だ。計量カップがないから、飲料用の銅のカップを使って計量した。水の量は米を炊く時と同じ感覚でオーヌの二倍にしてみよう。ただ、米よりも粒が大きい事と去年の穀物だという事を考えて水の量は少し多めの三割増しくらいが良いだろうか?
米もそうだが保存期間が長くなると少しずつ水分が失われて行くから、気持ち水を多めにすると美味しく炊けるんだ。
鍋に蓋をして、かまどに薪をくべて、いざ点火…
点火か…どうやって火を点けるんだろうね?オイルライターは寝室に置いてきたし、発火できそうな器具も見当たらないな…
俺がかまどの前でオロオロしていると、サレアさんが颯爽と現れて俺を押し退け薪の前で何やら準備を始めた。クシャクシャに丸めた枯草、灰色でゴツゴツとした石、それに穴の無いメリケンサック?のような金属を取り出し、石に金属を叩きつける。
ガチンッという音と共に大量の火花が散り、丸めた枯草に引火、小さな炎は薪に燃え移り瞬く間にゴウゴウと燃え始めた。
凄い、こうやって火を起こすのか…
サレアさんは呆然と見守っていた俺の手に石と金属を押し付けて来る。
「ありがとう。これ、借りる、了承?」
カタコトの言葉で感謝の気持ちと、石と金属を借りても良いのか確認したが、サレアさんは鼻を鳴らして俺の背後に戻り、再び後方腕組みを決め込んだ。
「まったく、見てられないねぇ!」なんて小言が聞こえてきそうな気がする。
それはさておき、鍋の状態を確認しておこう。鍋の周囲の温度から見て火加減は強火で問題ない。今回は試食用で量が少ないからもう少し弱くても問題ないかな?
近くにあった火ばさみで火加減を調整しつつ、待つ事10分くらい。鍋の中がブクブクと沸騰する音が聞こえて来た。ここで薪を調整して弱火にする。
クツクツと軽快な音を立てながら、次第に穀物が炊ける良い匂いが広がって来た。
音を聞き逃さないように鍋の中の水分が完全に蒸発するのを待つ。蒸発したら、かまどから下ろし蓋をしたまま10分ほど蒸らす。はじめちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣いても蓋取るなってやつだな。
10分といっても時計があるわけじゃないから、放置しておいて次の作業に移ろう。
次は主菜、肉料理だ。倉庫の食材を確認していた時に予めルーリ先生に聞いていた事だが、いつも干し肉を食べているわけではないらしい。肉が手に入った時は食べる分だけ生のまま調理して、残りは日持ちする干し肉にしてしまうそうだ。
干し肉を炙るにしても、もう少しサイズを考えて欲しいものだが、調理前の干し肉を切り分ける手段がなかったんだろうな。だってあの切れないナイフじゃ無理だろ。
だから俺は干し肉を水でふやかして切り分ける事にする。鍋に水を張って干し肉をブチ込む。水の量は干し肉が浸かる程度にしておこう。
その間に野菜を準備するか。正直に言うと肉料理に使う野菜は冒険に近い部分がある。そのための試作なんだが、名前も味も分からないから香りとフィーリングで選ばせてもらった。
一つ目はひょろ長いゴボウのような根菜。これは水洗いして泥を落とし、ぶつ切りにする。
次は茶色のカブのような根菜。香りが人参に似ているような気がしたから選んだ。皮を剥いて厚めのイチョウ切りに…ってサレアさんが目をひん剥いて驚いてるな。
ちょっと気になったのでどうしたのか聞いてみると、ナイフを使ってこんなに薄く皮を剥いている事に驚いたみたいだ。
次はマイタケのような茸とマッシュルームのような茸だな。干されていないって事は比較的簡単に館の近辺で採取できるって事なのかな?
マイタケの方は手で割いて、マッシュルームの方は薄切りにしておく。
んで、最後は要のトマトっぽい実だな。シュートと言うらしいが、こいつはこの国で生産量が多く安価で大量に手に入れる事が出来るらしい。庶民の味方だ。
トマトよりも少し小ぶりな実で、一つ生で試食させてもらったが味は薄味のトマトだった。
こいつは皮を湯剥きして粗みじんにしようと思うが、その前にそろそろ炊いたオーヌの蒸し加減が頃合いだろうから試食してみようか。
オーヌを炊いた鍋の蓋を取り外し、木べらでざっくりとかき混ぜる。
うん、良い香りだ。おこげもいい具合で出来ているな…ってあれ?鍋にべったりくっついてんな。洗うのが大変そうだが、まあ良い。とりあえず試食してみよう。
小皿に三等分し、スプーンを付けてサレアさんとロラン君にも提供する。
さて、お味はいかがなもんだろう?
「いただきます。」
熱々のオーヌを冷ましながらパクリと口に頬張ると、穀物の香ばしい香りが鼻に抜ける。噛むとプチプチとした食感が面白い。だが少し水分が少なかったのか芯がかなり残っている。炊く前にもう少し水に漬けておかなきゃならんな。
噛めば噛むほど口の中にほんのりと甘味が広がり、後を引く旨さがある。こりゃあ手が止まらんな。米が無くてもやっていけそうだ。
さて、サレアさんとロラン君の反応はどうだろう?
サレアさんはしげしげと観察し、匂いを嗅いでいる。ロラン君は初めて見る料理に目を輝かせて、早速口に運んだようだ。目を閉じて味を噛みしめているロラン君を俺とサレアさんはじっと見上げ、そして突然放たれた歓喜の言葉にビクリと肩を震わせてしまった。異国の言葉でしかも早口に捲し立てているから何を言っているのか分からないが、お気に召してもらえたなら何よりだ。
ロラン君の言葉を聞いたサレアさんも恐る恐るといった感じで口に運んでいたが、満更でもないご様子。どうやら粥を煮る時に水加減を間違ったり煮過ぎて失敗した時にこのような見た目になるらしいのだが、それとはまったく別物で驚いたらしい。まあ、俺としてはこれも失敗作なんだけどね…
さて、炊きオーヌの手応えを掴んだところで肉料理を仕上げて行こう。
沸騰した湯にシュートの実を潜らせ、皮が弾けたところで水に入れ皮を剥いて行く。今回は4個使おうか。
次に湯剥きしたシュートの実をザックリと粗みじんにする。
干し肉をふやかしておいた鍋から肉を取り出し、肉の旨味と塩気が溶け出した水の中に野菜や茸類、そしてシュートの実をブチ込む。普通なら火の通り具合で入れる順番やタイミングなんかを考えなきゃならないが、まだ異世界の野菜たちの特性を理解していないから今回は全て最初に入れてしまう。そこは試食してから決めた方が良いからな。
あとは柔らかくなった干し肉をなるべく薄く食べやすい大きさにカットして、こいつもブチ込む。
さて、ここで登場するのがハーブ類だ。何度も言うが全く分からんから、俺の世界と似たような香りのものを選んでみた。ローリエ、バジル、オレガノ、タイム、ローズマリーがそれに当たる。胡椒やナツメグ、コリアンダーみたいな香辛料も欲しかったが、見付からなかったので諦めよう。
あとはこいつを火にかけて煮込めば完成だ。だいたい水分量が三分の二程度になるまで煮込めば良いだろう。あまり強火で煮込むと焦げてしまうから火加減を調節しつつ、こまめに灰汁も取らないとな。
さあ、煮込んでいる間に最後の一品を作ってしまおう。
ここで使うのは玉ねぎに似た皮突きの根菜と、鶏卵より一回り大きい何かの卵だ。
玉ねぎもどきの方は皮を剥いてナイフで半分に割ってみると、中はビッチリと身が詰まっていた。ナイフに付着した汁を舐めてみたが、俺の知っている玉ねぎと同じような味がする。若干辛みが強いだろうか?構造が違うだけで狙い通りの使い方ができそうだ。この玉ねぎもどきを細切りにして準備完了だ。
鍋に水を張り、今までに出た皮や茎などの野菜くずたちを綺麗に洗ってブチ込んで行く。もちろん玉ねぎもどきの皮もだ。
鍋を火にかけて出て来る灰汁を取って行く。案の定、もの凄い量の灰汁が出てきたな。でも根気よく取っていかないと苦みや渋みが出てしまうから頑張ろう。
程良く色付いたら綺麗な布で濾す。これで野菜のブイヨン完成だ。
塩で味を調えたら、玉ねぎもどきの細切りとタイムっぽいハーブを加えて、玉ねぎもどきがしんなりしたところで溶いた卵を回し入れ、沸騰させたら完成だ。
丁度肉料理の方も程良く煮詰まったようだな。
じゃあこの二品を三等分して皿に取り分けよう。
命名するなら主菜の肉料理の方が干し肉のトマト煮込みで、副菜のスープの方は玉ねぎもどきと卵のブイヨンスープってところかな?
スプーンを添えてサレアさんとロラン君の前に並べると、サレアさんは何やらブツブツと呟きながら料理を観察している。ロラン君はキラキラと目を輝かせて、すぐさま料理を口に運んだ。
どれ、俺も味を見てみるか。ちょいちょい汁の味見はしていたが、具材を合わせた完成品を食べてみると、なかなかの出来栄えだ。調味料不足で若干物足りない部分もあるが、現時点の食材の知識ではここら辺が限界だろう。本番ではもう少し微調整が必要だがな。
さて、二人の様子だが…ロラン君は美味しい美味しいと叫びながらペロリと完食したようだ。サレアさんはじっくりと味を確かめるように少しずつ口に運んでいる。時折俺に向けて来る鋭い視線は何だろうな。カタコトでしか言葉が通じないから怖いよ。
念のため今日の晩餐で出しても問題が無いか尋ねてみると、二人共二つ返事で了承してくれた。
問題がないならそれで良いか。よし、じゃあ本番に向けてしっかりと仕込みをしないとな。
ん?何だろう、サレアさんが指を七本立てて何事か訴えてるな。
えーと、晩餐を七人前作れって事かな?
この館に住んでいる全員分って事だよな?お世話になっているんだから、俺からお願いしたいくらいだ。
俺は笑顔で了承すると、早速作業に取り掛かった。
もともとサレアさんが毎日料理を作っていたらしく、色々と手伝ってくれたお陰でスムーズに調理を進める事が出来た。
ルーリ先生は喜んでくれるだろうか?今日の晩餐が楽しみだ。