食わねば何も分からんさ
見知らぬ土地で目覚めて約半日、何だか色々あり過ぎて頭の回転が追い付かない。
とにかく日本に帰る手段を見つけるまでは、青髪の美女ルーリの厚意に甘えてこの館で厄介になるしかないだろうな。
彼女にはまだまだ聞きたい事が沢山あるが、とっぷり日も暮れて来たところで食事を頂く事になった。
そう言えば今日は目覚めてから何も食べていない。あの旨からぬお茶を飲んだくらいだろう。本当に色々あり過ぎて食欲もブッ飛んでいたようだ。
ルーリの案内に従って食堂のような部屋に移動し席に着く。
白いテーブルクロスが敷かれた長テーブルに2人分の食器、恐らく俺と彼女の分だろう。
そう言えばこの館に来てから、ルーリと侍女のオバチャンしか見ていないが、他に人は住んでいないのだろうか?ルーリの家族はいないのか?新たな疑問が次々と湧き出て来るが、今は食事に集中しよう。
これでも俺はいっぱしの料理人だ、料理を見れば何か分かるかもしれない。
しかし、あの旨からぬお茶の事を考えると期待と不安のフィフティーフィフティーだな。
リアクションに困る料理だけは勘弁願いたい。
そんな事を悶々と考えて待つ事しばし。大きな木製のトレンチを持った侍女のオバチャンと金属の水差しを持った少女が料理を運んできた。
初めて見る少女に軽く会釈をするが、彼女は淡々と配膳を進めている。
恐らく十代半ばくらいの年頃だろう。そばかすが目立つが健康的で可愛らしい雰囲気の少女だ。少し赤みがかった髪の色と顔の雰囲気がオバチャンと似ているような気がする。
恐らく親子なんだろうな。
配膳が終わった彼女達は部屋の隅に控えてルーリに会釈をすると、今日の晩餐が始まった。
テーブルに並ぶ料理は3品。まずは、麦か何かを煮た粥。まあこれが主食で間違いない。
そして少し焦げ目の付いた拳大の肉の塊。干し肉か燻製肉を炙ったものだろう、見た目と匂いでは何の肉なのかは不明だ。
最後に薄い緑色のスープ。中央に黄色い繊維質の細い野菜が乗っている。
全品見た事もないから味の想像はできない。
空腹は最高の調味料と言うし、多少口に合わない料理でも、このぐらいの量ならペロリと完食する自信がある。
郷に入っては郷に従え。この国のテーブルマナーなんて知らない俺はルーリの所作を盗み見つつ並べられたシルバーを手に取る。
用意されていたシルバーはフォークとスプーンのみ。フランス料理のように沢山のシルバーが並べられていたら食事どころじゃなかったな。
と言うか、塊肉があるのにナイフを使わないのか?いや、あの見た目からは想像できない程柔らかいんだろうか。
早速粥を口に運んでいるルーリを見ると食前の祈りや挨拶なんかは必要無いらしい。
とにかくモジモジしているのも変だし、特に変わったマナーも無さそうだ。
食わねば何も分からんさ。
「いただきます。」
俺はルーリに倣って主食の粥を口に運ぶ。ドロリとした汁に少しだけ芯の残った麦のような穀物。食感は悪くない。むしろ絶妙な煮込み加減と言って良いだろう。味付けは塩とハーブ…いや、少しヨモギに似た風味がするな。塩味のヨモギ団子と言った感じだろうか?これはこれで悪くない。
次は緑のスープを味わってみる。…何と言ったら良いか、青臭い胡瓜のような風味の中にほんのりと酸味が加わってるな。
スープの上に乗ったこの黄色い繊維は何だろう?俺は黄色い繊維だけを掬って味を確かめる。ああ…酸っぱいな。スープの酸味はコイツが原因だろう。レモンに似た感じだな。
このスープを形容するなら暖かい胡瓜の浅漬け風ってところだろうか。
本当にギリッギリ食べられなくもない、反応に困る料理だ。
そして最後にメインの肉塊だが…
チラリとルーリの方を盗み見た俺は驚嘆せずにはいられなかった。
妙齢の美女が肉塊にフォークをブッ刺し、眉間にシワを寄せながらかぶり付いている。
やっぱり見た目通り硬いんだろうな…とりあえずルーリの顔は見なかった事にしつつ、俺も肉塊にフォークを突き立てる。
うん、硬い…すんごく硬い。フォーク刺した時点で分かるもん。コレ、アゴやっちゃうヤツだ。
でもやっぱり出されたものは食べないと失礼だし、バチが当たっちゃうよね。
はぁ…よし、覚悟は決まった!オラァ!!
うん、痛い…アゴ、すんごく痛い。塩っ辛いビーフジャーキーの塊と言うか、もう岩塩に近いよね。
俺、無事に日本に帰れるかな…
溢れ出る涙とアゴの痛みを愛想笑いで誤魔化し、その日の晩餐は終始無言のまま幕を閉じた。
もちろん提供されたものは残さず頂きました。文化の違いの恐ろしさを痛感しつつ、日本人のこう言うところがワールドワイドになれない要因なんだろうな…と考えさせられ、トラウマに近い記憶を俺に刻み込んだ。
さて、夕食が終わると歓談の時間もなく俺は寝室に案内された。案内してくれたのは侍女のオバチャンで、ルーリは食事の後そそくさと食堂をあとにした。仕事でもあるんだろうか?
オバチャンは始終俺に何か話しかけて来るんだが、何を言ってるのかサッパリ分からん俺はルーリと同じように首を傾げるばかりだった。
オバチャンもだいぶイラついてきたんだろう、言葉が通じない俺に向かって真っ赤な顔で身振り手振りジェスチャーを交えながら俺に何かを伝えようとしてきた。
あれ?何か見覚えがあるような…と言うかルーリに遭遇した時の俺と同じだな。
そうだ、このオバチャンは使えないのか?意思でコミュニケーションを取る不思議なヤツ。
そう思い立った俺はオバチャンに向かって光殺法のポーズを何度も繰り返すが、今度はオバチャンが首を傾げるだけだった。
そうか…やっぱりあんな魔法みたいな事できる人間なんてそうそういないわな。
とりあえずオバチャンのジェスチャーをなんとなくザックリと理解した俺は大きく頷き、オバチャンにサムズアップを決めて見せる。
少し訝し気な顔を見せたオバチャンだったが、諦め半分といった感じでおずおずと退室して行った。
まあ、分かる範囲でオバチャンが俺に伝えたかった事としては、今着ている服を渡せば洗濯してくれるって事、寝る時には明かりを消せって事、用を足す時には部屋の隅にある壺を使えって事、あとは寝る時には靴を脱げって事かな?
そう言えば何の違和感もなくこの屋敷で半日過ごしてきたが、靴を履いたままだったな。まあ海外じゃ当たり前の事なんだろうけど、日本じゃこんな家に住む事なんてないから新鮮な気持ちになるな。
それに、このご時世で電気もなくロウソクで過ごすなんて人里離れ過ぎって事か?これじゃあ携帯の充電できないだろ、クソ。
クソと言えば壺に用を足すって、トイレは無いんかい!
あ、でもルーリはともかく、オバチャン達の服装ボロボロだったな…食事の内容もそうだし、もしかしたら貧しい国なのかもしれないな…
ああ、イカン!独りになると余計な憶測であれこれ考えちまうな。特にやる事もないし考え事は明日にして今日はもう寝よう。体力的にもヘトヘトだしな。
こうして俺の一日は幕を閉じた。そう、俺はこの時まで完全に忘れていた、いや考えないようにしていただけかもしれない。俺に襲い掛かって来たモンスターの存在、それはここが日本どころか地球ですらない事の証明に他ならなかったのだから。