精一杯の誠意は伝わるもの?
「へっくしょい・・・」
うぅ、寒い。それに身体中が痛い。何より酷い頭痛で頭が割れそうだ。
頭や背中の感じからすると地べたに寝転がってるんだろうな。
俺は小さく体を丸めて冷え切った体をさすった。
朦朧とした意識が凍り付く寒さで徐々に覚醒し、ぼんやりとした視界が次第に周囲の色と形を認識する。
まあ予想通り視界に飛び込んできたものは草と地面、それとまばらに生えた木々…
ハッキリ言って見覚えがない。
ズキズキと痛む頭、見覚えのない地面で目覚めたこの状況から察するに、飲み過ぎて二日酔いの挙句、見知らぬ場所で酔い潰れ、おまけに記憶も無いと…
幸い今日は休みのハズだ、早く帰って寝直そう。
「イテテテテ…」
頭を抱えながら、のそりと起き上がった俺は注意深く辺りを見回してみる。
少しでも知っている道や建物なんかがあれば場所の見当は付くだろう。
が、建物どころか道すら見当たらない。どこまでも広がる木と草、そして遠くに連なる山々…
何度も辺りを見回した俺に悪寒が走る。ひょっとして遭難…いやいや、いくら酔っ払っていたとは言え遭難するような場所に行き着く事なんて無いハズだ。
「そうだ!」
俺はポケットから冷たくなった携帯を引っ張り出して、ホーム画面からブラウザを選択した。
使った事なんてないが、確かGPSで自分の現在地がわかるハズだ…
「インターネットに接続できません…?」
画面の左上に小さく表示されている圏外という2文字を見た俺は愕然とするしかなかった。そして何より充電が残り僅かしか残っていない。
これは本格的にマズいぞ…
冷え切った背中に流れる冷や汗を感じながら、俺はポケットからクシャクシャになった煙草を取り出して火を着けた。とにかく冷静になって考えよう。
まず昨日の記憶だが、仕事を終えて職場を出てからの事がどうやっても思い出せない。
職場の連中と飲みに行ったわけじゃない。完全に一人で帰路に着いたハズだ。
そして俺は普段からあまり一人で飲みに行ったりしない。
家で晩酌したのなら、その後家を出るような面倒な真似はしない。
ダメだ…今の状況がサッパリわからない。
俺は深く煙草を吸い込み、溜め息と共に吐き出した。
もし何らかの理由で遭難したとして、下手に動き回るのは危険だとテレビか何かで見た覚えがある。
幸い愛用のオイルライターがあるから助けが来るまで焚き火でもして暖を取れば死ぬことはないだろう。
明日になれば職場の連中も出勤して来ない俺と連絡が付かず、捜索する流れになるだろう。
そうなれば救助が来るまで時間の問題だ。日本の警察は優秀だからな…
さて、そうと決まれば乾いた木を集めて焚き火をしよう。煙が上がれば狼煙にもなるしな。少し腹も減ったし、ついでに木の実や山菜なんかも探してみようか。
一日や二日食わなくても死にゃしないが、それ以上になる可能性も無いわけじゃ無いからな…
そうして俺は、俺が目覚めた場所を中心に乾いた枯れ木と食料を探して散策を始めた。
まず僥倖だったのは、小一時間ほど歩き回ったところで見つけた非常に小さな小川だった。
幅30センチ程度の小川の周囲には苔も生えているし、飲んでも体に悪影響はないハズだ。
これもテレビかなにかの知識だが、毒性のある川の水は周囲に苔が生えないらしい。
もちろんエヒノコックスだとかの病原菌は怖いから、しっかり沸かしてからじゃないと飲めないけどな…って、鍋もないのにどうやって沸かすのかという問題もあるが、そこは石と木を使ってどうにかするしかないな。
さて、肝心の食料の方だが、大きな問題が発生した。
結論から言うと、まるで分らない。
まずそこらに生えている木だが、何の木なのか分からない。白樺だとか公孫樹だとか見た事がある木はなんとなく分かるが、その他の木の区別なんて俺の知識には無い。
そして、そこらに生えている草だが、よく見るとどれもこれも見た事が無い植物ばかりだ。
俺の生活圏には無い、どこか外国の植物としか思えない。
食べられるかどうかも分らない植物は、いくら火を通しても口に入れるもんじゃない。
良くて食中毒、最悪死ぬ可能性だってあるからな…
野生の動物でも見付けて餌にしているモノでも分かれば、食ってもそれほど酷い事にはならないと思うんだが…
いや、それよりも野生の人…じゃない、地元民でも見付かればこんな苦労なんてしないで家に帰る事もできるだろうに…
そんな事を考えながら散策を続けていると、何やらガサガサと背の高い草をかき分ける音が聞こえてきた。
風に揺れている感じではなく、何かが確実にこちらへ向かって来ている。
「あの、すみません!」
俺は意を決して声を張り上げた。地元民ならば助けを求めれば家に帰る事ができる。もし野生の動物なら警戒して逃げ出すだろう。
危険な野生の動物、身近なところだと熊なんかは、よほどの事が無い限り人間を警戒して襲って来る事はない。
もしアレが腹ペコ熊さんだった場合、俺の命運はここで尽きるだろう。
走って逃げようにも、あの巨体なのに時速50キロの速度で追いかけて来るそうだ、とても逃げ切れるとは思えない。
それに奴らは木に登る。逃げ場なんてありゃしない。例え武器があっても素人の俺に追っ払う事なんて出来ない。
さて、鬼が出るか熊が出るか…
俺は集めていた枯れ枝から長くて丈夫そうなモノを選んで握りしめ、物音のする草むらを凝視した。
俺の呼び掛けに応える声は無い。逃げて行く気配も無い。むしろ近付いて来る速度が早くなっている気さえする。
そして遂に草むらをかき分けて飛び出して来たのは、地元民でも野生の動物でも熊でもない、鬼だった。
おいおいおい、マジかよ。特撮?コスプレ?そんなレベルの話じゃない。俺より二回りほど小さな体躯に血走った黄色い眼球、ガサガサでひび割れた緑の皮膚に、額に生えた二本の角。ファンタジー映画で見たモンスターが俺を睨んでいる。
しかも三匹もいらっしゃる。
「あ、あのー…」
ダメ元で会話を試みたものの、彼らは何やらギャイギャイと合図を交わし、チラリと鋭い牙の見える口からヌタヌタとした涎を垂らし、ゆっくりとこちらに近付いて来る。
彼らは、木の棒の先に鋭い石を括り付けた原始的で恐ろしい武器を構えながら、三匹で俺を取り囲むように陣形を作りつつ、俺との間合いを確実に詰めて来ている。
恐らくと言うか、ほぼ間違いなく彼らは俺を襲うつもりだろう。
俺も木の棒を構えながらジリジリと後退するが、果たしてダッシュで逃げ切れるだろうか…
あれほど肌寒かったのに、恐怖と興奮で額から滝のような汗が流れて来る。
よし、あと二歩後退したら全速力で逃げよう。
意を決した俺は握りしめていた木の棒を正面のモンスターに投げつけ、走り出した。
が、次の瞬間モンスターに背を向けた俺の顔面に青くて柔らかいものが激突した。
「ぶほっ!」
強い衝撃を受け、青い何かに突き倒された俺はグルグルと回る視界の中、強烈な青白い光と無残に飛び散るモンスターの肉塊が見えた。
グチャグチャに引き裂かれた内臓と濃い緑の体液、それに世界中の悪臭をブレンドしたような酷い匂い。グロい。もしこれが映画ならモザイクどころか放映禁止レベルだろう。
俺は吐き気を感じる間もなく空っぽの胃から胃液を垂れ流していた。
「#&$)'&'FE)CDOI()"?」
俺は、不意に頭の上から投げかけられた言葉に嗚咽を漏らしながら顔を上げる。
そこには青くゆったりとした服を着た人間が立っていた。
透き通るような白い肌、切れ長の青い眼、青く艶やかな長い髪…目鼻立ちからすると間違いなく日本人ではない。青い髪…外国人のコスプレか?
声のトーンと体のラインから恐らく女性だろう。
というか恐ろしく造形の整った顔は絶世の美女といっても過言じゃない。
「#&$)'&'FE)CDOI()"?」
彼女は呆けている俺に再び声を掛けて来た。
うん、分からん。何語だろうな?英語でもフランス語でもロシア語でもない気がする。
聞きたい事は山ほどある。が、その前に助けてもらって礼を失しては日本人として失格だ。
俺は正座をして背筋を伸ばし、深く頭を下げた。
「危ないところを助けて頂いて、ありがとうございました。」
言葉が通じるかなんて関係ない、精一杯の誠意は伝わるものだ。
ゆっくりと顔を上げると彼女は一瞬口元で小さく微笑んだ。
そして彼女はすぐさま怜悧な表情に戻ると、いくつか俺に言葉を投げかけて来るが、俺には理解できず、せめてジェスチャーでもとカタコトの英語で応戦してみるも、互いの意思疎通は絶望的なまでに上手くいかなかった。
とにかく彼女に協力してもらわなければ家に帰る事は出来ない。
必死になった俺は地面に分かり易い絵を描いたり、派手なジェスチャーを試みるが、彼女は首を傾げるばかりで何も伝わらない。
精一杯の誠意は伝わるものじゃないのかよ!
「だーかーら、俺、リターン、ホーム、オーケー?」
息を切らせながらジタバタする俺に呆れたのか、彼女は小さく溜め息を漏らし、右手の人差し指と中指を唇に当て、なにやらゴニョゴニョと呟くと彼女の二本の指先が光り出し、そしてその指先を俺の汗だくの額にそっと突き刺した。
俺は突然起こった不思議な現象に動きを止め、淡く光る指先を見上げていると、頭の中に形容しがたいものが浮かんできた。
それは言葉でもなく、イメージでもなく、意味を持った何か。
彼女の意思とでも言えばいいのだろうか、とにかく頭の中で彼女は俺にこの現象が理解可能かと問いかけてきている。
俺は彼女の目を見て小さく頷くと、頭の中に再び意思が流れ込んできた。
ここに居るのは危険、そして彼女の家に案内してくれると。どうやら詳しい話は安全な場所で聞きたいそうだ。
願ってもない申し出だが、果たして俺の意思を彼女に伝える方法はあるのだろうか?と一瞬悩んだが、彼女は小さく頷くと指を引っ込めてスタスタと歩き出した。
どうやらあの光る指は一方通行ではなくお互いの意思を伝える事が出来るのではなかろうか?
兎にも角にも彼女を見失うまいと俺は必至に彼女の背中を追った。