09.テニスコートの誓いⅤ ~銃剣と軍隊~
6月23日、国王の親臨会議。4000人の兵士たちがホールを厳重に取り囲んでいた。貴族や僧族がホール内で着席する一方で、第三身分は一時間近く雨の降る外で待機していた。
この会議の目的は三つの身分──特に貴族と第三身分を仲裁することにある。
宣言文草稿の修正を受けて、ネッケルは国王に告げることなくこの会議を欠席していた。ただ第三身分にはこのことを前夜に伝えていた。
11時頃、会議の冒頭で国王は三つの身分の代表に告げる。
「諸君、朕は朕の国民の幸福のために、朕の力で出来ること全てを行ったと信じていた。朕があなた方を招集することを決心して実行したとき、いわば国民の願いの前に朕がその幸福のために行いたかったことを事前に示すことによって」
「あなた方は、朕の仕事を終えるだけで良いと思われた。そして国民はしばらくの間その時を待ち侘びていた。彼らは、彼らの慈悲深い君主の協力と熱心な教養ある国民の代表者たちによる団結がもたらす繁栄を享受すべきだった」
「三部会は始まってから二ヶ月経ったが、その作業の下準備でまだ意見が一致できていない。完全な知性は、唯一祖国への愛から生まれるべきだった。そして不幸をもたらす分割が、全ての精神に警戒を投げかけている」
「朕は、フランスが変わったわけではないと信じたいし、そう考えるのを好んでいる。しかし、あなた方がどんな叱責を受けることもないようにするため、朕は長い期間の後に、三部会の再開を検討した。それよりも先に起きた騒乱、この召集の目的、あなた方の父祖とは異なる招集方法、権力への疑義、そして他の幾つかの状況が、必然的に、対立、論争、過度の要求を引き起こしたと考えている」
「朕は朕の王国の共通の利益に責任を負う。朕は自分自身に対して、過ちを齎す分割を終わらせる責任がある。これはその決意である。諸君、朕はあなた方を私の周囲に新たに招集する。全ての朕の臣下の共通の父として、朕の王国の法律の擁護者として、あなた方の真実の機知を再確認し、法律が被った可能性のある侵害を抑圧する」
「異なる身分のそれぞれの権利が明確に擁立された後、朕は、朕個人のために、彼らの忠誠心を期待する。朕は彼らが切迫した国家の病を知ることを期待する。そして一般的な利益を注視する事柄において、彼らは国家の救済を行わなければならない現在の危機において必要であり、意見や感情の統一を最初に提案することになるだろう」
会議において国王は仲裁案を示す。三部会による予算作成、地方三部会の拡大、王室賦役や農奴制などの廃止が決まる。貴族の名誉特権、僧族の特権は、身分毎の投票に委ねられる。司法制度改革、公証書の廃止、報道の自由の拡大も約束される。国民の同意なしの増税も禁止された。自由な融資の借り入れは1億リーヴルを上限とする。
一方で、第三身分の宣言無効化も明らかにされた。
会議の締めに国王は宣言する。
「朕はあなた方に命じる。諸君、あなた方は今すぐ解散し、そして明日の朝それぞれの議場に戻り、あなたの会議を再開すること。したがって式部長官に議場の準備をするように命じる」
身分毎の議会は国王によって正当化された。
第一、第二身分が席を立つ。勝利した貴族たちは早速アルトワ伯に報告に行き、歓待される。他方、第三身分はホールに残り続ける。この前日に第三身分は会合を行い、親臨会議の後に議場に留まることを決議していた。
間も無く王命による議場の解体が始まる。30人ほどの作業員がホールに入ってきた。退去しない第三身分に対して式部長官ド・ブレゼ侯は言う。
「諸君、そなたらは王命を承知したのだろう」
第三身分代表のバイイは応える。
「閣下、親臨会議の後に議会は延期されたのです。議会によって検討されない限り、彼らを解散させることはできません」
「それがそなたの返答か。では、陛下に申し伝えるが宜しいか?」
「勿論です、閣下」
バイイはド・ブレゼ侯に答えた後、周りの議員に伝える。
「私は、国民議会はこうした形で解散命令を受けるものでは無いと考えている」
続いてミラボーが議場に上がって雄弁を振るう。
「フランスの議会は、討議することを決定した。私たちは国王が勧める真意を心得てします。そしてあなた方は、国民議会のもとで代弁者になることが出来ない。ここではあなた方には資格は無く、発言権は無く、命令権も無い。あなたの主人に伝えるように。私たちは民主的な権力によってここに存在する。私たちの権力は、銃剣の力によってでなければ奪い取れない」
(※ミラボーの息子による伝記)
あるいは
「あなたを送り出した方に伝えるように。銃剣の力は国民の意志に対して何も出来ない、と!」
(※バイイによる回想録)
国民議会は開かれた。議員たちは解体作業を打ち切らせた。まず国王の裁定に関する議論が行われる。第三身分議員アルマン=ガストン・カミュの提案が採用され、これまでの方針を堅持することが決定された。
そしてミラボーは議員の不可侵について演説する。つまり議員による国民議会への如何なる提案や演説に対しても、それを追求し逮捕することは重罪であると訴えた。
この動議は採択された。その後、第三身分はネッケルの辞任の噂を聞きつけて彼の邸宅へと向かった。
一方その頃、国王は帰りの馬車に乗ったところでアルトワ伯に制止される。
「第三身分が会場から出ない! 衛兵に命じて彼らを刺し殺すべきだ!」
今、会場前の大通りには大勢の群衆が集まっている。馬車を取り囲んだ群衆が国王万歳と声を上げている。ベルトラン・バレールが伝聞として記すこの内容は場違いなことだ。事実ではないのだろう。
国王は無視して御者に伝えた。
「宮殿へ」
アルトワ伯は前かがみになり、険相な顔を国王に近づける。
「彼らを切り殺すよう命じるように! さもないと全てが失われてしまう!」
国王は冷淡に突き放し「自分でやれ」と応えた。
アルトワ伯は執拗に懇願する。
国王は耳を貸さず苛立ちを込めて命じる。
「悪魔よ去れ! さあ、宮殿へ、宮殿へ!」
親臨会議におけるネッケルの不在はパリの群衆に知られていた。彼が辞任するのではないかと疑った5000の群衆が彼の邸宅の門前に詰め掛け、第三身分の議員たちも合流する。ネッケル自身翌日の会議以降に辞表を出すことを決めていたが、群衆の声が彼の心を引き留めた。
その後、王妃アントワネットがネッケルを宮廷に呼び出した。群衆たちも彼に続いて宮殿に向かう。彼女はネッケルに辞任しないように求め、ネッケルはそれを約束した。一方で、国王は欠席したネッケルに怒りの声を上げたという。
そして夕方、宮廷の中庭に集まる群衆の前にネッケルは姿を現し、無事であること、そして辞任しないことを告げた。人々は彼に拍手喝采を浴びせる。パレードが行われ、彼の名を掲げて群衆がヴェルサイユの通りを練り歩く。
その夜、彼の安全を祝って花火が打ち上がる。そして聖ヨハネの篝火Fête de la Saint-Jeanが彼のために灯された。
24日に僧族の殆どが、25日に47人の貴族が第三身分に加わる。
26日には王室での顧問会議。国王は軍隊の更なる動員を命令する。
6月27日、国王は僧族と貴族それぞれに手紙を送った。
「朕は、忠実なる聖職者たちに、猶予なしに他の二つの身分に合流するように勧める。朕の父なる願いを迅速に実現するために。この制約に結び付くとき、新たな権力を授かるまで議論の余地なく前進することが出来る。これは聖職者たちが朕に対する彼らの愛情を示す新たな印になるだろう」
「朕の諸卿たち、ただ朕の王国に善を齎すことに専心しているそなた達に対して、全ての国民が関心を向ける課題に取り組む三部会議会開催を何よりも望んでいる。そこで朕の今月23日の宣言の自発的な受諾に基づいて、朕は忠実なる貴族たちに対して猶予なしに他の二つの身分と共に結集することを勧める」
加えて多数派の貴族たちにアルトワ伯の指示が齎される。
「第三身分と合流しなければ国王の命は守れない!」
三部会の三身分はとうとう集合を果たし、三日間の祝宴が行われた。
7月4日、三部会全身分の代表議長としてオルレアン公が選ばれるが、彼は辞退してヴィエンヌ大司教ド・ポンピニャンが選ばれた。議員たちは30の部署(各定員40名)に分かれて業務を分担した。
その間にも軍隊は続々と召集されていく。7月頭までに2万5000人の兵士がパリに到着していた。ネッケルは自ら辞任を願い出て軍隊の撤収を求めるが聞き入れられなかった。国王は今後の争乱に備えるため、1億リーヴルの資金融資を受けた。
軍隊の動員の意図はわからない。国王寄りのテキストでは擁護されている。少なくとも三部会を一網打尽にするつもりはなかっただろう。軍隊を動かすことでヴェルサイユを威圧し議会を力で取りまとめるという危険な判断だったかどうかは分からない。
しかし三部会の議員──特に第三身分の議員は動揺し、ミラボーは憤慨していた。
7月8日、ミラボーは国王に軍隊の撤退を求めて宣言する。
「既に多数の軍隊が私たちを取り囲んでいて、さらに多数の軍隊が連日あらゆる方向から多数駆けつけている。3万2000の軍勢はパリとヴェルサイユの間にいる。さらに2万人が到来していて、砲兵隊も追って来ている。ここは砲兵のための的に指定されている。全ての報告は確保された。全ての道路は遮断され、道路や橋は軍事拠点に変えられた」
「紳士諸君、軍隊の存在は群衆の想像力に激しい印象を与える。彼らに危険という考えを与え、彼らは恐怖と警報に縛られ、普遍的な興奮をかき立てる。平和な市民たちは家庭の中で、あらゆる種類の恐怖terreursに脅かされる」
「陛下に忠実な臣民を安心させるように懇願します。これらの無益で危険で憂慮すべき措置の即時停止のために必要な命令を出すことをそして軍隊と砲兵隊を、彼らが駆り出された場所に迅速に帰還させることを!」
7月9日、国王自ら三部会を脅かす意図もなく、軍隊の動員はパリの秩序回復のみが目的であると説明したが、その前後に起きた暴動への対応力の無さはその真実性を薄める。例えば6月30日にはパリの群衆がアベイ監獄への襲撃を実行し、軍務拒否で投獄されていたフランス衛兵10名を解放していた。
7月10日にはクレルモン・トネールら何人かの議員がミラボーの作成した演説を読み上げる。
国王は、要請があれば三部会をノアイヨンかソワソンに移し、朕はコンピエーニュに移ると答える。それに対してミラボーはそれではパリを包囲している軍隊と今まさにフランドルやアルザスから迫っている増援の間に我々を置くことになると敢えて反駁した。
7月11日午後3時、夕食中のネッケルの下に解任の通知が送られた。そしてネッケルはそのまますぐ三部会議員にも知られずにヴェルサイユを離れた。しかしこの知らせは一日でパリに伝播してバスティーユの事件を起こす引き金になる。