22.ヴェルサイユへの行進Ⅴ ~10月5日~
1789年8月、地方からの小麦は事態を緩和させたかのように見えた。8日にはパンの最高価格も12スーに引き下げられた。
しかし地方からの小麦が滞り始め、パン不足の問題が再燃した。
9月から収穫が始まってからパン不足を巡る問題は解決しなかった。議会はパリ近郊の農民に毎週穀物を持ってくるべしという法令を出したが、買い占めと買い溜めに対する措置は行われず、分配の不平等も解決されなかった。そして何よりも旱のために粉屋が穀物を挽くことが出来なかった。
9月10日には議会が委員会を設置して農民たちに穀物の脱穀と輸送を促す。
16日と29日に輸送されてきた小麦粉は一部の地区で妨害された。18日には市庁舎に突入した群衆が古小麦の袋を持ち出し、穀物の品質が悪い原因が古い小麦を提供している市政府にあるとして糾弾した。
人々の批判対象はパン屋ではなく、市政府に向けられていた。
続いて24日、パン屋によるコミューン批判をテーマにした冊子が出版される。これによってパン屋集団は生存委員会への苦情申し立てを行うようになった。28日にはマラーが市庁舎までやってきて生存委員会を批判する。
10月2日、議会は事態の解決のために、パン屋の為の小麦粉の購入費支援、パン屋に向けた無利子での資金貸与を決定し、また品質の悪い小麦は外国産だと宣言した。
10月4日の夜、サン・タントワーヌで集会が行われ、そこから集会はパリ各所に広まった。
10月5日、雨の日。
朝5時、商人たちが市庁舎前のグレーヴ広場に集まっていた。彼らは小麦粉の不足とコミューンの怠慢を訴えていた。国民衛兵が市庁舎前でその入り口を守備していたところ、集まって来た群衆が石を投げ始める。
8時半、女たちは通りがかる女性を引き込んで自分たちに同行して市庁舎ら向かうよう強制していた。
1時間後、女性たちは市庁舎に集まり、訴え出た。彼女たちは男性抜きでヴェルサイユに向かうことを望んでいて、その許可を求めた。ラファイエットは要求を承認するが、便乗してきた男たちが市庁舎に入ることを防ぎきれなかった。パリの通りでは警鐘と太鼓が鳴らされる。彼らは市庁舎のドアを壊し、800挺のライフルを持ち出そうとする。市庁舎を焼き払おうという者まで現れていた。
「我々は武器を持つのではなく嘆願すべきだ」
スタニスラス・マイヤールという男が制止した。黒服を着たこの大柄な老人は、シャトレの執行吏で国民衛兵の一隊を指揮していた。バスティーユ監獄に突入した元軍人の一人だという。彼の言葉に人々は武器を置いた。
午後すぐ、パリ女たちはヴェルサイユへの行進を始めた。
「ヴェルサイユへ、パンを!」
パリのパン不足を国王に直訴するためだ。国王にもう力が無いことは知られていなかった。各通りに散らばっていた女たちが集合し、これに何百人かの男たちも加わった。
ヴェルサイユへと向かう彼女たちの最前列に立つのは男性──スタニスラス・マイヤールだった。行進は太鼓の音とともに行われた。
午後3時、女たちはヴェルサイユに到着した。6000人近い、様々な年齢の、様々な階級の女たちがいた。ヴェルサイユの人々は彼女らに「パリ女たち万歳Vivent les Parisiennes」と叫ぶ。
マイヤールを含む何人かが議場へと入り込む。国民衛兵たちは殆ど抵抗しなかった。
彼は訴える。
「パリでは全くパンが足りない。そのために私たちはヴェルサイユに来た。そしてそれに加えて愛国的な帽章を侮辱した護衛隊を処罰することを要求するために!」
「貴族たちは私たちを飢え死にさせたがっている!」
女の何人かはかびたパンを王妃に食わせて首を切ると言い出したり、議員たちにキスを迫ったり、「パン!」と叫んだりしていた。
夕方、国王が行進の知らせを聞いて狩りから戻って来た。国王は門を閉じてフランドル連隊を中庭に配備するよう指示する。そして閣僚たちは王家のランブイエへの移住を検討するが、国王はまたも拒否した。
ムーニエの発案で、女たちから代表の6人が選ばれ、国王に謁見することになった。
当時17才だった花売りの娘ルイゾン・シャブリが国王に面会し、「パン…」とだけ告げる。
国王は答える。
「朕はヴェルサイユの全てのパンを集めることを命じる。朕はそなたにその全てを委ねよう 」
その言葉に意識を失いかけた娘は、国王に身を委ねて手にキスする許可を求めた。
「国王と王家に万歳Vive le roi et sa maison ! 」
そして保証するものなしに議場から戻って来た女たちに、待っていた女たちが不満の声を上げ、王の書簡が無ければお前たちの首を吊ると言い出した。国王の書簡を得た後、マイヤールや一部の女はパリに帰っていった。
間も無くギーシュ・ド・グラモン率いる国王護衛隊はヴェルサイユのパリ通りで女たちと衝突した。騒ぎを聞きつけてきた国民衛兵の一隊が国王護衛隊と交戦する。
中庭に入ろうとした女性たちのグループもまた抵抗を受けた。彼女らはパリ衛兵に率いられていたが、パリ衛兵が中庭にいた護衛隊と口論になり、争いになった。
騒動が拡大する前に、国王は護衛隊にサーベルと銃撃の禁止を命じる。王妃は銃撃の音に怯えて馬を用意することを求めた。国民衛兵がこれを妨害し、門を閉じて馬車を引き帰させた。
女たちには食料が配られる。彼女らはその場で寝た。議場で。廊下で。そして屋外で。
一方パリでは、ターゲットが彼らからヴェルサイユに移ったと見て、コミューンは市庁舎で議論を始めた。
朝9時、ラファイエットがグレーヴ広場でヴェルサイユには行かないと宣言する。群衆は「ヴェルサイユへ!」とだけ叫んでいた。11時頃、元のフランス衛兵たちがラファイエットを説得し、彼に摂政になるよう勧めて来た。
「我らの将軍閣下、人々はパンが足りていないのです。生活委員会はあなたを騙しています。私たちはあなたが背信者であるとは信じない。しかし私たちは政府が裏切り者であると信じています。私たちはパンを求める女たちに対して武器を向けることはできません。故に私たちは任務を続けることか出来ない状況にあります。それを止めるための一つの方法があります。行きましょう、ヴェルサイユへ。国王は愚か者だと言われています。私たちは王冠を彼の息子に与え、摂政委員会を任命します。フランスはよりよく統治されるでしょう」
ラファイエットは動揺して答える。
「国王に戦争を起こす計画により、私たちを見捨てるように強いるのか?」
「将軍閣下、国王は私たちからは離れません。もし離れたとしても、私たちには王太子がおります」
彼は9時間耐えたが、議会がヴェルサイユに行くことを承認したこと、そしてヴェルサイユに向かう行進の知らせを受けたことで方針を転換し、夕方4時にヴェルサイユへと向かうことを決めた。群衆は彼と2万人の国民衛兵を拍手喝采で見送った。
行進は7時間でヴェルサイユへと到着した。先頭部隊の到着は11時半、そして本隊の到着は1時半だった。国民衛兵たちは一旦休養を取る。午前2時、ラファイエットは国王への訪問を求めるが拒否され、議会に合流した。
10月5日の議会にはパリの熱気が波及していた。
先日の国王の回答が議場で読まれる。
「諸君、新しい法律はそれらの全体でしか判断することは出来ない。この全てが重要な仕事で占められている。しかし朕が国家の救援に来た国民を招待する瞬間に、その関心を向ける主要な事物を安心させる信頼と愛国心を協定によって示すことは自然であると判断する」
「したがって、そなた等が提示する最初の憲法条項を信頼し、朕の国民の願いと、幸福の保証、そして王国の繁栄を満たすというそなた等の仕事の結果と結びつく、そなた等の願望に従って朕はそれを許可する。しかし明白な条件として、憲法条項への朕の参加においては、全体として執行権限は君主の手中にあり、そして朕はそれを一度も分配しない。これはそなた等の討議の全体的な結果である。一連の事実と観測は、そなた等の目下にその場面を提示している。そなた等にそれを通達する。現在の事物の秩序において、朕は法的な課税の回復や食料の自由な流通、そして市民の安全を効果的に保護できていない。それにもかかわらず朕は、本質的な王族の義務を果たしたい。それは朕の臣民の幸福、公共の平穏、そして社会秩序の維持に依存している。したがって、朕はそなた等に要求する。望ましく、そして必要な目的を妨げる可能性のあるあらゆる全ての障害を取り除くことを」
「そなた等はきっと現在の司法制度とその手続きは、新しい秩序に置き換える瞬間にしか変更を経験できないと考えるであろう。従って、朕はそなた等に、この点に関してどんな意見もする必要が無い。只、朕にはそなた等に証言することが残っている。率直に言って、その全てが例外なく完璧なアイデアを提示しているというわけではないであろう。しかし、朕は現在の国民議会議員の誓願を考慮することを延期しないという点──即ち朕に非常に強く押し寄せる憂慮すべき状況と、秩序と信頼、迅速な平和の回復──は、賞賛に値すると信じている」
「朕は、そなた等の作品を導くのに適した非常に良い格言を含む人権と市民権についてのそなた等の宣言には、自らの考えを説明する点は無い。しかしその様々な適用と解釈の可能性がある原則は、公正には評価できない。最初の基礎として機能すべき法律によって、実際の意味が決定されるときにのみ、公正さを評価する必要があるのだ」
当然、議論になった。国王の回答をどのように解釈すべきなのか。
ミラボーは国王が憲法を認めていることを評価し、ぺチオンは否定的に取る。
ロベスピエールは「真の憲法を持つことを諦めること無しに、王の答えに見て見ぬ振りをすることは出来ない。如何なる人間の力も自ら与えようと望む人々の憲法を妨害する権利は無く、保留付拒否権は立法行為に制限されなければならない」と言った。
夕方になると、議会はパリのパンや穀物自由化の問題に移った。
そのとき、ヴェルサイユにパリ女たちが到着した。女たちが議場に溢れかえり、議会は一時中断される。
午後10時に再開されるが、午前3時半、刑法議論の最中に群衆が騒々しかったとして議会は閉会した。
10月6日午前6時、太鼓の音でヴェルサイユの広場に群衆が集まる。
侮辱されたことに怒った護衛隊の兵士が窓辺から群衆の一人を撃ち殺すと、逆上した群衆が見張り番2人を撃破し、王妃の棟に突入した。彼らを先導するのは国民衛兵だ。駆けつけてきた国王護衛隊と階段で戦闘になる。すぐに王妃の部屋のドアが破壊される。
「王妃を救え!」
護衛隊の一人ミオマンドルが王妃の侍女に向けて叫んだ。すぐ国民衛兵との戦いに入り、ミオマンドルは頭を銃底で打ち据えられて昏倒する。
群衆が王妃のベッドを槍で突き刺すが、既に蛻の殻だった。続いて国王の部屋へと突入した。見張り番をしていた2人の護衛隊は中庭に連れて行かれ、髭面の男ジョルダンに斧で首を断たれて殺される。中庭では、他の15名の護衛隊たちも彼らの処刑を待っていた。
国王は別室にいた王太子を抱えて自室に戻り、王妃は隠し階段を通って国王に合流する。
ラファイエットはほんの1時間程度睡眠していたが、目を覚まして宮殿に赴き、国民衛兵たちを説得した後、護衛隊を助けるために国王にバルコニーに姿を見せるように勧めた。
王妃とラファイエットがバルコニーに出て、「王妃万歳」「将軍万歳」との声が上がる。
そして閣僚との相談を終えた国王がバルコニーに姿を現す。
「国王万歳!」「国王よパリへ!Le roi à Paris !」と群衆が叫ぶ。
「朕の友人たちよ」と、国王は言う。その声はとても力強かった。
「朕は、我が妻と我が子たちと共にパリに行く。朕の善良で忠実な臣民の愛のために、朕は最も貴重なものを委ねる。人々は我が護衛隊を中傷しているが、彼らは国民と朕に忠実であり、そして彼らは朕の国民の尊敬を保たなければならない」
こうして国王は一家でパリへ向かうことに同意したのだった。
国王一家の馬車は午後1時にヴェルサイユを出発する。合図の大砲が鳴り、議員たち100名が後に続いた。この行進の先頭には2人の護衛隊の首が掲げられていた。
パリの市庁舎には夜8時半に到着した。




