21.ヴェルサイユへの行進Ⅳ ~パンが無ければブリオッシュの作り方・近世のレシピから~
10月5日のヴェルサイユへの行進は、パンを求めるパリ女たちの行進である。フェリエールは1789年の秋の収穫は豊作であったというが、パリの市場のパンは未だ下がらなかった。
さて、パンが無ければブリオッシュを食べればよいのではないかと誰もが思うだろう。
ここではブリオッシュとはそもそも何なのか。いつ頃生まれたのか。どうやって作っていたのかについて書く。
一言で言えばブリオッシュはパンの一種である。もう少し言うならば、ケーキと見做されることもあるし、菓子パンに見えることも否定出来ないが、製法は確かにパンである。要は割と高級なタイプのパンだった。
その語源は「潰すbroyer」で、生地を長く捏ねることを示しているという。
オックスフォード料理辞典にはブリオッシュの名称が最初に登場するのが15世紀頃で、ノルマンディーが発祥だったとある。これは1404年のルーアンにおける商業契約証書にある「2つのパン、4つのブリオッシュ」が出典だという。
トゥーサン・サマはパンを作るときに生地を棒で潰すbroyerことがブルターニュ伝統のパン・ブリエだと言ってこれを結びつける。かつて硬い生地を捏ねるときに10~12ピエ(※1ピエ30cm)の長さの木の棒が使われていたようだ。
16世紀の史料としては1579年に出版された「新しい作り話」において、ブリオッシュは酒場で提供される食べ物の一つで、切り分けて皆で食べるものとして描かれている。
一部の資料はフアスがブリオッシュの類型だとしてフランソワ・ラブレーと結び付けるが確証は無い。
1611年の辞書には香辛料の利いたパンとあるが、1690年には良質の小麦粉とバターと卵を使った生地で、パティシエの作るケーキgâteauの一種だと説明されている。
中世の頃、裕福な市民は祝日や日曜日のために教会にパンを捧げていた。教会に捧げられたパンは聖職者が聖水を振りかけることによって祝福され、切り分けられて信者たちに与えられた。この切り分けられたパンのことをシャントーchanteauと呼んでいた。
近世以降、地域によってはシャントーではなく、ブリオッシュが配られるようになった。勿論シャントーが相変わらず配られ続けた地域もあったが、17世紀のパリではクザンcousinと呼ばれるようになり、18世紀の主な都市ではブリオッシュが配られていたという。ディドロは百科全書において、この豪勢なパンを一つ作るのに40スーの費用が掛かるといった。
エゼック伯の回想録によれば、日曜日や祝日にはルイ16世や王室に祝福された大きなブリオッシュが献上されていた。国王は自分の分だけをナイフで切り分けたり齧ったりして、残りの大半を廷臣に譲っていたという。国王はタンプル塔に幽閉されてからも家族と一緒にブリオッシュを食べていた。
ルソーが言うように、近世においてブリオッシュはパティシエの店で売っていた。そして教会のイベントに限らず、何かしらの式典や会合、祝いの場でも沢山振舞われていた。ルイ15世の晩餐会のメニュー表にはブリオッシュが食事のコースの後半に提供されていたことが示されている。またディドロはパリの共同体の祝宴で22個の祝福パンが提供されていたと書く。
近世のブリオッシュの形状はアンヌ・ヴァライエ=コステルやジャン・シメオン・シャルダンの絵画にあるように帽子のような形をしていた。ヴァライエ=コステルのブリオッシュと共に書かれる桃やラディッシュ、シャルダンのブリオッシュの近くに置かれるリンゴとサクランボ、そして両方に描かれるパンに刺したオレンジの花(※結婚式の披露宴を示す花言葉。ブリオッシュは結婚式のお菓子でもある)は、ブリオッシュの大きさがどの程度かを分かり易く示している。(※Nature morte à la brioche, fruits et légumes; Anne Vallayer-coster及び La Brioche; Chardin, Jean Baptiste Siméon)
革命期にもブリオッシュは個人的に食べたり、公的な祝いの場において振舞われていた。バイイの回想録にあるように、祝福されたブリオッシュは革命の式典の最中、新政府の議員たちに捧げられた。
続いて作り方を見てみよう。
最も古いものでは、少なくとも1654年に出版されたニコラス・ボンヌフォンの「田舎の楽しみ」の中にブリオッシュのレシピが書かれている。
これは「一番良い小麦1ブッシェルを用意し、その1/4でパン種を作ってビール酵母とお湯を加え、木のお碗に入れて寝かせる。その間に残り3/4の小麦粉をお湯に浸し、塩1キャールトン(※1クオート)、バター1リーヴル、柔らかいチーズを加える。2時間後にパン種と混ぜる。そして手の平で延ばすか木の棒を使って延ばし、オーブンで焼く。溶き卵と水を混ぜてドリュールしておく。少量のハチミツを加えても良い」
またここではより高級なブリオッシュとしてクザンのレシピが挙げられている。
これは上記のレシピを改変して「パン種を二回作り、また小麦粉をお湯に浸すときにバター3リーヴル、柔らかいチーズ2つ、卵半キャールトンを加える」という。
ラ・ヴァレンヌも1653年出版の「フランスのパティシエ職人」で祝福用パンpain beniftのレシピを書いている。
これは「まず卵二個分の大きさのパン種、小麦粉半ブッシェルを用意する。小麦粉の1/3をテーブルに広げて輪を作り、輪の中にパン種を入れて水と小麦粉を加えてとても柔らかくなるまで捏ね、季節に応じて2~5時間ほど発酵させてオーブンで30分焼く。このときパンを焼くより低い温度にする。大抵のパティシエはパン種に酵母やビール酵母を使うが健康に悪い」という。そして大型の祝福用パンを作るには、ブリエbroyeと呼ばれる木の棒で生地を延ばすというが、ヴァレンヌはその品目をブリオッシュとは呼んでいない。
パリではクザン、その他の地域でシャントーと呼ばれるより高級なパンのレシピもあり「良い小麦粉の1/3を使ってパン種を作り、テーブルに広げた小麦粉の輪の中に入れる。水または牛乳1パイントに2オンスの塩と1リーヴルのバターを溶かして輪の中に注ぎ、クリーム状でないチーズを0.5リーヴル加える。卵3~4個を少量の牛乳で薄めて加える。捏ね終えたら布で覆って30分休めてから、パンが硬くなるまでオーブンに入れる」という。
1750年出版のムノンの「ブルジョワの料理人」にはケーキとしてのブリオッシュのレシピが見える。
この「ガトー・デ・ブリオッシュ」は「テーブルに小麦粉を1リットル分置き、少量のお湯、半オンス超のビール酵母を加えて捏ねる。いずれも無ければパン酵母の小さな欠片を加える。この生地を布で包んで発酵させてパン種にする。夏は15分、冬は1時間。テーブルに小麦粉2リットルとパン種、バター1.5リーヴル、卵10個、水をグラスに1.5杯、良い塩1オンスを用意し、全部まとめて手の平で三度捏ねる。小麦粉を振りかけ、布で包んで9時間から10時間寝かせる。その後で生地を作りたい大きさに切り、手で濡らして転がし、上の方を平らにして卵液でドリュールする。小さければ30分、大きければ1時間半オーブンで焼く」という。
前述のアンヌ・ヴァライエ=コステルは、桃とブリオッシュという絵画で比較的小さめのブリオッシュを描いている。(Nature morte aux pêches et à la brioche, Anne Vallayer-coster)
その他、この料理書には小さなブリオッシュを甘いクリームやジャムにつけた後で生地に包んで揚げ、仕上げに溶かした砂糖を注ぐブリオッシュのベニエも紹介されている。
19世紀には、カレームやエスコフィエがブリオッシュのレシピを書き、エドゥアール・マネほか何人かの画家がブリオッシュの絵画を描いた。
そして現代においてブリオッシュは、ヴァンデ地方風にブリオッシュ生地を編んでから焼いたり、パリ風にドーナツ型と棒型を合わせて焼いたり、北海道風の食パンみたいなブリオッシュが作られている。




