表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/24

18.ヴェルサイユへの行進Ⅰ ~パリの平穏を求めて~

 裁判記録には9日、12日、14日の演説で議会にその意思を示したとあるが、史料には8日夜、10日の夜、13日、そして14日と15日に議会に向けてメッセージを送っている。このうち軍隊撤収を意図しない演説は、8日夜、10日の夜、13日行われたので、後日議事録に記録されたのだろう。

 またテュイルリーの虐殺は7月12日のテュイルリー広場での乱闘を示す。死者の確認はできないが、少なくとも負傷者が出ているのでこの責任だろう。ライナッハ連隊と揉めた老人はパリの学長で、負傷したものの存命だったという。


 血を流すつもりは無かったというのは実際現実的ではない。既に4月のレヴェイヨン事件で多くの死傷者を出していたからだ。




 裁判は続く。

 バレールは次の複数の事件について問いかける。

「こうした出来事の後、15 日の制憲議会Constituent Assembly、そして17 日のパリの市庁舎であなたが誓った約束にも拘らず、あなたは国家の自由に反対する計画を手掛けていました。あなたは8月11日の奴隷制および封建制、十分の一税の廃止を尊重する法令の執行に長い間反対してきました。あなたは長い間、基本的人権を認めることを拒否してきました。あなたは近衛騎兵連隊を倍増させ、フランドル連隊をヴェルサイユに召還しました。あなたは目の前で開催された乱痴気騒ぎの中で、花形帽章が踏みにじられること、白い花飾りFleur de lysが掲げられること、そして国家が冒涜されることを許可しました」


「そして最後に、新たな反乱が訪れました。数人の市民の死を引き起こし、スイス衛兵が打ち破られた後、あなたが契約を更新するまであなたはその主張を変えませんでした。これらの事実の証拠は、9 月 18 日の意見、8 月 11 日の布告、制憲議会の議事録、10 月 5 日と 6 日のヴェルサイユ事件で、そして、同じ日に制憲議会の議員に向けた演説において、あなたは自分自身を啓発し、その主張に固執し続けましていました。何と答えますか?」


 元・国王は答える。

「最初の2つの点については朕自身で考えた意見を表明した。また花形帽章に関しては誤りである。事実、私の目の前でそのようなことは起きていなかった」




 1789年7月15日の議会演説の後、国王はミサに赴き、王妃と共に祈りを捧げた。

 そしてその日の夜に国王会議が行われ、16日にはブルトゥイユを通じて議会にパリ訪問を告げた。


 7月17日、バスティーユ襲撃の3日後、国王はパリにいた。


 バスティーユの陥落という象徴以上に、パリ市民の武装と抵抗、さらにヴェルサイユにおいて国王一家の護衛として配置しているフランス衛兵の反乱のために、国王にはパリ市民との和解が必要だった。

 リアンクール公は軍隊を連れて東部の都市メスに向かうよう進言するが、国王は内戦を起こしたくないと答えた。

 1789年のメス駐屯地にはトロワ司教管区総督ブイエ将軍の指揮下に王立ノルマンディー騎兵連隊やザルム=ザルム歩兵連隊など2万人の兵力が駐留していた。しかし国王はパリの軍隊と合わせれば群衆とフランス衛兵にも勝るはずの戦力を利用しなかった。


 朝10-11時、ヴェルサイユからパリへ。一部の議員が先行し、また他の100名近い議員が国王に同行した。国王の馬車には5人の宮廷貴族が同乗し、またもう一台の馬車にも5人の貴族が乗り、少数の護衛が附いた。


 パリ郊外のシャイヨ地区では先行したバイイ含む80人の議員が待っていて、パリの市門の鍵を国王に渡して宣言する。

「陛下、良きパリの都市の鍵を陛下に持参いたしました。これはアンリ4世に提示したものと同じものです。彼は人々を再征服しましたが、ここでは人々が国王を再征服しました」


「陛下は、首都が取り戻した平和と、忠実な臣民の愛を享受されました。彼らの幸福のために国民の代表たちは陛下のそばに招集され、そして公共の自由と繁栄の土台の設置に、共に取り組むのです。この一つにまとまった家族の中で、陛下が父のように座るこの日は、なんと思い出に残る日でしょう!」


「陛下は国民議会の面々によって宮殿に送迎されたのです。国民の代表者によって守られ、大勢の国民によって取り囲まれながら、陛下は威厳ある顔に思いやりと幸福の表情を宿しています。陛下の周りでは、喜びの歓声しか聞こえず感動と愛の涙だけが映っていました。陛下も、そして陛下の臣民も、この大切な日を忘れることはないでしょう。今日は王政で最も美しい日、そしてこれからは君主と国民の、永遠の同盟の時代です。歴史上のこの比類ない特性は、陛下を不滅にします」


「私はこの美しい日に見えました。そして、あたかも私のためになされた永遠の幸福かのように、私の同胞の願いに導かれたこの場所での初めての働きは、陛下に尊敬と愛をお伝えすることです」


 この演説の冒頭部分は常に独り歩きしてきた。

 それからパリ選挙人代表の演説があり、続いて行進が始まる。パリまで同行してきた王の護衛はラフイエットの命令で解散し、代わりにフランス衛兵が付き従った。バイイが先頭に立ち、立憲議会議員、パリ選挙人の集団が二列になって続く。国王の馬車は行列の真ん中にいた。その馬車の前を歩くのは衛兵を従えたラファイエット。トランペットと太鼓、そして大砲の音が鳴り響いていた。

 誰もが「国民万歳vive la nation !」「自由万歳vive la liberté !」と叫んでいた。

 目指す市庁舎(オテル・ド・ヴィル)まで、至る所に武装した衛兵が二列に並んでいた。その数は記録上10万人から26万人。各々がパイクやマスケット銃、その他の武器で武装していた。その後方には膨大な数の群衆。王を一目見るために屋根に登る者までいた。


 夕方4時頃。

 国王が市庁舎に辿り着くと、建物の前に並ぶ衛兵たちが武器を掲げて交差させる。国王はその下をくぐり抜けなければならなかった。

 続いてバイイが帽章を差し出し、国王は受け取って帽子の上に載せる。パリの色である赤と青、それに国王の白を加えた三色の花形帽章である。

 それから国王は市庁舎のホールに迎えられる。用意されていた玉座に国王が座ると拍手と歓声が上がった。

 市庁舎にて国王は、 14人の選挙人の近衛兵就任、ラファイエットの衛兵司令官就任、バイイのパリ市長就任について承認し、そして「あなた方はいつでも朕の愛情を期待して良い」と付け加えた。

 最後に国王は市庁舎の窓から、グレーヴ広場に集まる群衆の求めに応じて帽章を付けた姿を現した。再び慣例通りの拍手と歓声。ここでようやく「国王万歳!」の声が上がった。


 行進が逆順で行われ、パリ来訪の式典は終わる。国王がヴェルサイユに着いたのは夜9時だった。パリ行きを強く反対していた王妃を抱擁して無事を告げる。

 この日、あらゆる財政改革に頓挫し続けてきた旧体制(アンシャンレジーム)は終わった。



 この出来事の前日の7月16日、議会は新閣僚たちの解任を決定した。そして議会が国王へ向けて閣僚解任文書を作っている最中に国王から閣僚の解任が伝えられた。議会が新たな閣僚を決定する動きに先駆けて、国王はネッケルへ手紙を書いていた。


「ムッシュー・ネッケル。朕はそなたに手紙を書き、もっと落ち着いたらそなたに朕の思いやりの証拠を渡すつもりであった。しかしそれにもかかわらず三部会とパリ市の表明した要望は、そなたの帰還を急がせるようにと促している。そのため朕は、可能な限り早くそなたの居場所を取り戻すために帰還するよう招待する」


「そなたは朕から離れる際に、そなたの愛情について話された。朕の求めている証拠はこの状況下でそなたが与えられるもっとも大きなものだ」

 国王の意思はパリ訪問に関する連絡と共に議会に伝えられた。


 スイスのバーゼルにいたネッケルの返事は7月23日に書かれる。

「陛下、私は多くの騒動に掻き立てられて目的地に差し掛かっていた時、光栄に余る陛下の手紙を受け取りました。私は御命令を受けるために、陛下の元に戻ります。そして私の根気ある熱意と惜しみない献身によって、まだなお陛下に仕えることのできるかどうか、より注意深く判断しようと思います。それは私が必要とされていると信じられ保証してくれているからであり、そしてその良き信頼は周知だからです」


「しかし私は、私の言葉においてもまた同じように信じることを懇願します。高位に上った大抵の男たちを誘惑する全てのものは、私にとって魅力的ではありません。そして国王の尊敬に値する美徳の感情がなければ、唯一引退することでのみ、陛下の栄光と幸福に浸透することを辞めずに愛と関心を養っていたでしょう」


 そして7月28日の夕方にネッケルはヴェルサイユに到着し、議員とそして(彼を歓迎するために持ち場を放棄した)フランス衛兵が彼を歓迎した。29日には議会に現れ、拍手で迎えられた。


 7月30日にネッケルはパリを訪れる。庶民は彼のことを「国民の父le père du peuple」「国家の救世主le sauveur de la nation」と呼んで称え、ある者は花束を、ある者は王冠を彼に渡した。

 市庁舎の階段でラファイエットと選挙人たちが彼を迎える。ネッケルは帽章を身に着けると、捕らわれていたベザンヴァル男爵の釈放を宣言した。

 ところがパリの幾つかの地区では、この釈放に対して反対の声が上がった。そしてグレーヴ広場に詰め寄せ、市庁舎の扉をこじ開けた。7月25日に結成されたパリのコミューン議会は、この反対の声を恐れて釈放を撤回した。立憲議会はこれに介入して男爵を裁判にかけることに決定し、法の保護下に置いた。


 8月7日、ネッケルは閣僚に復帰した。財務総監ではなく、財務宰相Premier ministre des Financesという特別な役職が与えられた。新たに閣僚が再編され、ネッケルは財政問題に取り組むことになる。



 国王の日記では、7月22日からの一週間ほど記述が無い。つまり狩りには行かなかった。

 この日、パリでは騒動が起きていた。

 元・財務総監フロンが逃亡中に、暴徒によって捕らえられてパリ市庁舎に送られたのである。彼には穀物を買い占めたという疑いが掛けられていた。そして市庁舎においてラファイエットが彼を裁判にかけるべきだと説明したにもかかわらず、暴徒は彼を市庁舎の向かいの街灯に吊るした。その後、首が切られて口の中に干し草を詰められ、槍の先端に掲げられた。

 コンピエーニュからパリの市庁舎に送還された元・パリ市長ベルティエもまた、市庁舎から修道院の刑務所に移送する矢先に殺された。

 騒動はパリに限らず、多くの地域で発生する。農村では領主の館が襲撃されて封建的権利の書かれた証書が焼かれ、都市部では穀物略奪が繰り広げられた。


 7月31日、バスティーユの後も国王への忠誠を維持していたレヴァル男爵率いるフランス衛兵の中隊が前夜のうちにヴェルサイユを引き払った。国王の護衛には国民衛兵が充てられることになった。

 この日、パリのコミューン議会の代表が国王に謁見した。パリ市長であるバイイが先頭に立って言う。


「陛下、パリコミューンの代表は、陛下に良きパリの都市の尊敬と賛辞を齎します。この町は、常に国王への愛と忠誠心を示してきました。陛下、敬意の表明は、国民の苦しみを嘆き、常に彼らの幸福のためにかかりきりだったあなたの善良さに向けられています。この賛辞は、真の君主制国家において保持すべき権利、そして人間が持つべき権利を私たちに返すことを望んだあなたの正義に向けられています。貴方の良き町、そして国家は、このような原則と忠実に繋がれています。もし政府を選ばねばならないのならば、彼らは王政を確立するでしょう。同じくして王権を委ねるならば、ルイ16世に授けるでしょう」


「私たちは目の前にある幸福を与えて下さった陛下に、感謝する責任を帯びています。それこそがパリの平穏を復旧させたのです。高潔な大臣の召還によって、歓喜と希望が広まりました。陛下、あなたの首都の住民を忘れませんように。時折、歓喜と愛の捧げものを受け取りに来て下さい。そして忠実な国民の只中に、良き国王をお連れ下さい」


 国王は答える。

「朕は、朕の素晴らしきパリの町のために、諸君らが示してくれる思いやりを嬉しく思う。彼らは、朕の慈愛そして朕の庇護を常に頼りに出来るだろう」

 つい先日にベザンヴァル男爵の事件が起きたように、パリの平穏は未だ勝ち取られてはいなかった。ただ国王にはどうすることも出来ない事実だけが示された。


 8月3日、議会は憲法制定作業を一旦停止し、事態の対応のために貴族の譲歩が必要だという結論に至った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ