14.バスティーユ襲撃Ⅴ ~革命の日のパリ庶民の支出~
生存に必要な最低限の出費は衣食住である。
食料はパンが第一にある。貧しければ肉を食べずとも、とにかくパンさえあれば飢えることは無い。理想的なパン価格は1リーヴル重(約500グラム)につき2スーだった。パンは基本的には4リーヴル重で販売されるが、0.5リーヴル重の少量のものから8リーヴル重のものまで各種ある。
1789年のパン価格高騰時は4リーヴル重につき14.5リーヴルという当時の最高価格ぎりぎりの価格で販売されていた。
パンには小麦粉のみで作られた白パンと、雑穀を混ぜたパン、黒パンからなる三つの等級がある。一等級の白パンは大体二等級の3割増し、三等級の六割増し程度の価格のように見える。卵やバターを加えたさらに高級なパンも作られた。
資料の一般的な価格表示は恐らく二等級のパンであり、他の二つの等級であれば特記される。
水は1杯につき1スー支払って確保する。水の運び手が一度に2杯運んでくるので、実際には2スー支払う。
旧体制時代のパリの公共水道は汚染されているので、飲料にはセーヌ川で汲んできた水を購入することが望まれた。水は飲料としてだけでなく、パンやスープを含め調理にも用いるが、調理の際も井戸水より雨水や川の水が好まれた。
メルシエが「パリの人々の半数は風呂に入らない」というように、裏を返せばパリ市民の半数程度は少なくとも一生に一度は風呂に入っていた。
旧体制末期のパリには僅かながら公衆浴場がある。中世パリの公衆浴場は中世末期に大半が閉鎖されてしまったが、18世紀半ばから浴場が増加し始めていた。
少なくとも中世の頃から継続的に手と顔と足は洗っていたし、近世からはビデで鼠径部も洗っていた。全身浴の復権は18世紀からで、ウィリアム・リッチー・ニュートンの書籍は主に貴族の入浴について説明する。
風呂に入ることは快適で、衛生的で、健康的とされた。
またディドロの百科全書は、家庭用の風呂と共に、18世紀半ばにあった川辺の銭湯を説明する。
当時パリに8件あった公衆浴場のうち、2件は個室の浴場を提供し、1件は高級銭湯で、残りは庶民向けの安価な川辺の銭湯だった。
川辺の銭湯はセーヌ川そのものであり、杭で仕切られた大きな布で覆われるスペース(※一例では長さ15m、幅6m、深さ1.2m)に、ボートからロープ梯子で降りて入浴した。1760年代にはブルジョワ向けに蒸気機関を備えたボートで川の水を温める個室浴場サービスが始まった。
個室浴場には浴槽が備えられ、蒸気で満ちていた。ブルジョワの人々は少なくとも一時間は温かい風呂に入り、疲労感たっぷりで風呂を上がった。
飲み物としてはミルクを飲むこともある。ミルクの価格は1パイント(※1リットル弱)当たり5スー。壺を頭に載せたミルク売りの女からその時に飲む分だけ買うことになる。裕福なら1リーヴル重につき1リーヴル超するコーヒーと合わせてカフェ・オ・レにもなる。
その他、前回使った表から幾つか食品価格を提示する。1リーヴル重は500グラム弱。1キンタルは50kg程度。
鶏 一羽 5スー~11スー6ドゥニエ
豚肉 1リーヴル重あたり 9スー ~11スー3ドゥニエ
羊肉 1リーヴル重あたり 7スー ~11スー3ドゥニエ
牛肉 1リーヴル重あたり10スー 6ドゥニエ
子牛肉 1リーヴル重あたり 7スー 6ドゥニエ~11スー3ドゥニエ
バター 1リーヴル重あたり16スー 9ドゥニエ
チーズ 1キンタルにつき6スー4ドゥニエ
卵 1000個で36リーヴル※一個につき単純計算で9ドゥニエ。新鮮なものは2割ほど高い
調理油 1キンタルで100リーヴル近くだが、低品質のものは3割近く安い
塩 1キンタルで1~3リーヴル
胡椒 1リーヴル重あたり1~2リーヴル
砂糖 1リーヴル重あたり1リーヴル4スー6ドゥニエ ※粗糖は18スー。糖蜜は7ドゥニエ
この頃の食費も家族が多ければ多いほど掛かる一方で、まとめて買うことで安くなるものもある。
庶民の基本的な支払いは銅貨なので、ドゥニエの価格単位はそれが用いられなくなってからも庶民に長く親しまれた。
衣類は高価な出費である。庶民の粗末な服一式ですら、買えば10リーヴルを超える。
自分で縫ったり家族で使い回すのは当然として他人の服も引き受けた。パリでは毎週古着市が開催されていた。女ならば大抵は襤褸を手直しすることが出来る。ブルジョワであっても高価な古着を買って縫い直す。
汚れたら洗うのは見た目の清潔さを重視するブルジョワ以上の人々に限る。
パリの洗濯業者はセーヌ川の畔で石鹸を使って洗濯し、パリの大通りに洗濯物を干した。
洗濯用の石鹸は既にある。灰汁とオリーブオイルから作る固形石鹸にはグラース石鹸とマルセイユ石鹸があり、前者は1キンタル当たり37~40リーヴル。後者は41~42リーヴル。
住居は借りることになる。パリの建物は安い物件で年間200リーヴルを下回る程度だが、庶民は貸家の一部屋だけを借りる。ブルジョワや三部会議員も大抵部屋を借りた。ネッケルのように邸宅自体を借りることもある。高層建築の場合、低階層は金持ち向け、高階層は大昔から貧困者向けで、時には屋根裏部屋だった。
リューデの推定する庶民向け賃貸の家賃平均は一日3スー。
家賃の支払いは、1月、4月、7月、10月の年四回で、その月の8日に支払う決まりになっているので、一度に支払われる額(※約90日分)は13リーヴル10スー。
メルシエは女同士でルームシェアするパリの流行に触れている。いずれにせよ結婚には負担が付き物だし、複数人で同居する方がコスパは良い。
家具類のうちで安価なものとしては、木の椅子は1~4リーヴルで、テーブルは2~7リーヴル。ベッドは10~24リーヴル。箪笥は2~24リーヴル。安物の鏡は1リーヴル。
それ以外の出費は、例えばワイン一瓶4スー6ドゥニエ。当時はブドウが豊作続きだったので比較的安かった。
蝋燭は1リーヴル重当たり8スー。
薪は1ステア(1m^3)につき22~24リーヴル。
樽は1リーヴル。
書籍は2スー~10スー。
テーブルナイフは12本セットで6リーヴルから18リーヴル。
散髪は10スーで、髭を剃るのに1スー。
高価なものでは、時計が60リーヴル。ドレスは20~100リーヴル。マスケット銃は30リーヴル。廃兵院で奪われたマスケット銃は約3万挺だから、90万リーヴルの損失だった。
7月12日に国王軍のデモ鎮圧に対して暴動を引き起こした暴徒と、7月13日に暴徒に対する治安維持および国王軍に対する自衛のために設けられたブルジョワ衛兵とは経済的な線引きがあるが、7月14日の群衆とは線引きされない。
徴税の為のパリ市門を焼いたのは入市税を嫌う小規模な商人たちで、サンラザール教会で食料を奪ったのは貧しい労働者や徒弟。ただ武器屋を略奪したのは武器を必要とした愛国者だが、パリ市の選挙人たちからすれば彼らの勝手な武装は認められなかった。
7月13日、ブルジョワ民兵が結成されると暴徒は鎮圧される。少なくとも失業者と無職が民兵になることは認められなかったし、略奪された武器の返却が求められた。
しかし7月14日にはド・ロウネを殺した失業中の肉屋がいたように、あるいは何人かの女性がいたように、民兵ではない群衆も集まっていて、その一部は監獄の中にも突入した。
武装したところで軍隊の代わりにはならないのはバスティーユの戦果を見れば明らかだろう。攻城戦とはいえど防衛側の死者1人、群衆側の死者98人という結果は彼らブルジョワ民兵が役立たずだったことを示す。彼らの大半は相変わらず武器の扱い方を知らなかった。
バスティーユの戦局を変えたのはフランス衛兵だった。しかしパリの庶民とブルジョワは、彼らの味方となったはずのフランス衛兵にパリの防衛と治安維持を委ねようとはしなかった。




