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10.バスティーユ襲撃Ⅰ ~7月12日~

 1789年6月20日と23日の出来事に国王の罪はあっただろうか。

 6月20日に第三身分をムニュ・プレジールから締め出したのは確かだった。また改築作業をしていたのも確かだ。しかしそもそもここは第三身分の議場だったようだ。5月6日から7日の午後まで第三身分は第一、第二身分がムニュ・プレジールに来るものだと思って待ちぼうけしていた。

 比較的同情に足るが、第三身分の扱いが悪いのは身分制社会において当然だった。玉璽尚書バレンティンは回想録で彼らを常に見下している。


 6月23日には、国王は国民議会宣言の取り消しと身分毎の議会の強制を宣言した。

 国民議会の宣言は第三身分が勝手にやったことであるし、国民の代表としては、確かに最も多い庶民の中から選ばれたのは確かだが、彼ら自身限られた有権者から選ばれていた。また身分毎の議会は伝統的な見地によるもので、22日の会議において延々とその歴史性が説明されている。

 一方で、ムニュ・プレジールが第三身分の議場であるならば、親臨会議の後で彼らの会議をその場で行うのは大きな問題ではない。

 これらの権力者の示威行為は罪とは言えなくても、第三身分の態度の硬化を導き出す結果にはなった。



 ベルトラン・バレールは、テニスコートの事件に続いてバスティーユの事件について追及する。

「あなたは軍隊に、パリの市民に向かって行進するよう命じました。あなたの従者たちは多少の血をこぼしました。そしてあなたはバスティーユが奪取されるまでこの軍隊を撤収させることはありませんでした。7 月 9 日、12 日、14 日に制憲議会Constituent Assembly のさまざまな議員に向けて行った演説は、あなたの意図を示しています。テュイルリーの虐殺は、あなたに不利な証拠となります。何と答えますか?」


 元・国王は再び反論する。

「当時、朕は軍隊に進軍を命じる指揮官であった。しかし、血を流すつもりはなかった」




 1789年7月12日──バスティーユ襲撃の二日前、パリで騒乱が始まった。

 何が起きたのか。

 一方は無秩序な暴徒と呼び、他方は組織的で秩序立っていたと主張する。そしてこの事件にはどちらの側面もある。


 ともかく事件の起点を確認する。

 7月11日のネッケル解任、当時のパリの穀物の高騰、そしてに軍隊の動員に発端があることは共通の意見である。

 ネッケルの人気については23日の事件の所で記した通りだ。三部会にて第三身分や少数派貴族と連絡を交わしてきた成果だと言っていい。ネッケル自身も財政の難局を乗り越えるために彼らが必要だと感じていた。

 パリの穀物価格は、1789年には18世紀後半の平均指数の1.5倍に高騰している。具体的には当時の成人男性一日分のパン3リーヴル重(1.5kg)につき10~11スー。パンと違って菓子類には最高級の小麦を使うのでお菓子はもっと高い。

 パリでは穀物価格が暴騰するたびに暴動が起きていた。


 軍隊は、前述の通り6月22日から招集され始めた。22日のスイス人のライナッハ連隊がソワソンを出発した後、彼らは26日にパリに到着した。さらに26日に再び招集し、7月1日にはフランス兵12000人、ドイツおよびスイス兵5000人が集まる。

 国王は陸軍大臣ピュイセギュールと相談し、ド・ブロイ将軍を後任の陸軍大臣をノルマンディーから召還してパリの総司令官に任命した。

 4日、パリの包囲軍は陸軍大臣に就任したド・ブロイ将軍旗下に置かれ、ベザンヴァル男爵が前線指揮官になった。

 5日、ド・ブロイ将軍は、ベザンヴァル男爵にバスティーユの守備の再編と武器の整備を指示する。将軍は11日の時点で反乱の兆候に気付き、ベザンヴァル男爵に警戒するよう忠告した。

 バスティーユの守備隊長ロウネも35門ある大砲の点検、火薬樽の補充、跳ね橋の補修、そしてバリケードの構築を進める。また監獄の守備に就く82名の老兵や傷病兵たちの増援には、7月7日にルイ・ド・フリューの率いるサリス・サマデ連隊に属す32名のスイス兵が追加された。しかし長期的な包囲を想定した食料や水の備蓄は殆ど無かった。

 ド・ブロイ将軍はヴェルサイユに待機し、ベザンヴァル男爵は練兵場(シャンドマルス)に6個連隊を置いて野営した。



 事件の最初、つまり朝9時頃、ネッケルの解任がパリに伝わると、証券取引所が閉鎖され、群衆はパレ・ロワイヤルに集まった。ここはオルレアン公の膝元、警察の手の及ばない自由の場で、商売から博打まで取り締まられることは無く、花火大会と政治集会が活発だった。シャルロット・コルデーがマラーを刺したナイフを買ったのもここだったという。


 人々はここでネッケル解任に関する不満をぶちまけていた。

 熱狂の中で扇動家カミーユ・デムーランがテーブルの上に立つ。

「市民たちよ、もう一刻の猶予もない。俺はヴェルサイユから来た。ネッケルは解任された! この解任はサン・バルテルミーの愛国者への警鐘だ! 今夜も同じだ。全てのスイス人とドイツ人の連隊は、我々の喉を切るためにシャンドマルスから出て来るだろう! 我々に残された財産は一つだけ。それは自己防衛することだ!」


「我々のサインは何色にすべきか! 希望の緑か、それとも自由と民主主義の青か!」

人々は「緑だ!」と叫ぶ。

 デムーランは帽子に緑色のリボンを巻き付ける。彼は最初は何個かリボンを配っていたがすぐに無くなる。群衆らはその代わりに葉っぱを帽子に取り付け始めた。続いてデムーランは二挺の拳銃を取り出して「生きたまま奴らには捕まらんぞ、市民たちよ、俺に倣え!」と叫んだ。



 午後すぐ、群衆はクルティウスの蝋人形館からネッケルとオルレアン公の胸像を用意した。クルティウスの弟子マダム・タッソーは、胸像を取りに来た人々はとても礼儀正しかったと語る。クルティウスが胸像を渡したところ、彼らはクルティウス万歳と叫んだ。

 オルレアン公の胸像──バイイは、群衆がオルレアン公も議員除名されたと思い込んでいたと記している。


 群衆の一部は劇場の閉鎖を訴えてパリ市中を回った。

 別の群衆は黒い布で覆った胸像を掲げて行進する。彼らにはサンマルタンに派遣されたフランス衛兵の部隊がついて秩序を維持していた。彼らが目指すのはルイ14世の騎馬像の鎮座するヴァンドーム広場。



 ランべスク公率いる王室ドイツ人近衛連隊は、アルザス・ロレーヌで募兵されたドイツ人の騎兵部隊である。ベザンヴァル男爵が秩序回復のための行進を許可したとき、 彼らはヴァンドーム広場に集まりつつある群衆を追い払った。この衝突によってネッケルの胸像が破壊されて首だけになり、オルレアン公の胸像は行方不明になる。

 次いでフランス衛兵が乱闘に加わった。彼らは群衆に味方してドイツ人近衛連隊と乱闘を始める。一人のフランス衛兵が衝突の際に殺され、報復にドイツ兵一人が銃弾を受けたという噂が立った。

 数日前に、フランス衛兵はドイツ兵たちによって侮辱を受けていた。そのとき彼らは市民たちの投石によって助けられたのだという。


 ヴァンドーム広場を追い出された群衆は、軍隊に石を投げて対抗しつつルイ15世広場に集まる。この光景を見たオルレアン公の愛人グレースは、軍隊が集結していたと説明する。

 こちらにいたのはシャンドマルスから進軍してきたベザンヴァル男爵の部隊である。彼らはスイス兵200人で構成され、大砲4門を備えていた。男爵の回想録による弁解によれば、彼らも投石を受けるが威嚇も抵抗もしないよう厳命されていた。それらにドイツ人の騎兵100名が合流した。それからベザンヴァル男爵は深夜1時まで部隊を撤収させなかった。


 群衆はここからも逃れて、次は隣にあるテュイルリーの広場に集まった。王室ドイツ人近衛連隊が駆けつける。ここで64歳の無防備な老人が殺されたという噂が立った。

 セーヌ川を渡す橋の建設資材に隠れながら、群衆は石を投げて抵抗した。ランべスク公が橋を回り込んでくると、群衆が彼を取り囲み、救援のために近衛連隊が突撃をする。そのうち投石に怯んだ馬から落ちた一人の兵士が群衆に捕まって暴行を受ける。銃撃の音が響く。多くの群衆は市庁舎(オテル・ド・ヴィル)に逃れる。


 夕方の4時から5時頃、デムーランは再びパレ・ロワイヤルに現れる。彼は騒乱から急いで逃げてきた人々に対して今度は「武器を取れ!」と叫んだ。そこで残った群衆は武器を求めてパリを駆け巡った。



 市庁舎(オテル・ド・ヴィル)では朝から群衆は武装を叫んでいた。

 ここではパリで選ばれた選挙人たちが矢面に立つ。彼ら選挙人は三部会選挙でパリ市民に選ばれ、そして彼らの中からパリの第三身分議員を選出する立場にいた。

 パリの選挙人たちは、彼らの代表を三部会に輩出してからも市庁舎で度々集会を開いていた。彼らは本来は代表を選出してからその役割をすべて終えることになっていて、市庁舎への立ち入りも禁止されていた。

 この集団は6月17日の国民議会宣言の影響を受け、6月25日に市庁舎の広間に結集し、将来的に大きな権力を握るパリ市会の前身である選挙人議会が形成された。

 乱闘から逃れてきた人々も加わって、市庁舎に火を付けようという者まで出て来ると、選挙人たちは市庁舎の大広間を彼らに明け渡し、執務室で事態の解決を相談した。


 群衆が選挙人たちに武器を要求する一方、パリには無許可で武器を持ち歩く暴徒が現われていた。彼らは銃と鉄を求めて、鍛冶屋や甲冑屋から略奪していた。彼らの武器は主に槍や熊手、パン用スコップの類だった。そして第三身分万歳と叫び、他の第三身分にもそう叫ぶよう強要していた。

 深夜、パリを囲む徴税用の門54つあるうち大半が焼かれる。サンラザール教会からは特に食料品が略奪される。

 パリは内戦の様相を呈していた。

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