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殺しから始まる恋がある  作者: 夏の大三角関係
3/5

3話 滾り清む身躯

 突然扉が開いてニ人は入口へ振り返った。


「ミ、ミルカちゃん?」


 小太りの少年が顔を顰め、足をガクガク震わせている。誰が見てもそうなるだろう。

 彼が見たものは首が千切れかかった男の死体と、頭から血を流す女の死体。加えて少女に跨る血塗れの少年の姿だったのだ。


「ひっひぃ……うぷっ、おえぇ」


 少年が徐々に後退りする。ロートは何も考えられなかったがミルカは少年を呼び止めた。


「待って! レビー、違うのこれは……」


 ミルカの声が止めになったのか分からない。少年は叫び、逃げ出していた。


「人殺しだああ!」


 遠去かる少年の声。ロートは既に諦めていた。自分の人生はここで終わりだと思った。元々、彼の中の母親という存在が崩壊した時、死んだ方がマシだと思っていたのだ。

 それでも心残りはあった。いや、出来てしまったというのが正解だ。


「ミルカ……」


 ミルカが辛そうに唇を噛むのを見て、自分は今酷く情け無い顔をしているんだとロートは思った。

 けれどもそれは一瞬で、その綺麗な瞳と繊細な金色の髪が、胸の中で熱くなり、心の全てを塗り替えていた。

 

「ロート君……?」


 ミルカが目を見開いた。ロートが両手をそっと、ミルカの頬に添えたからだ。その指先から伝わる酷い震えと、彼がぎゅっと目を瞑り、歯を食いしばっている表情から、ロートが何かを葛藤しているのがミルカには分かった。

 その葛藤の答えが聞きたくて、ずっと黙っていた。


「……」


 日々生きる事が精一杯だったロートは、母親の存在が全てだと思い込んでいた。

 それを失った事で、心に消えぬ傷を負った事は間違い無い。しかしそのおかげで、様々な感情が解放された事も事実だろう。

 ロートは今宵初めて、恋というものを知ったのだ。


 ロートはずっとミルカを苦しそうに見つめている。

 抱き締めたいと、キスをしたいと、その先もしたいと思ったに違いなかった。

 そして同じ時を過ごして、もっと彼女を見て、知って、理解して、と嫌でも想像を膨らませた事だろう。

 何よりも、自分の中で激しく燃え上がるこの想いを、時間をかけて伝えたい筈だった。

 全てが初めての経験で、かけがえのない時間で、今までの人生では考えられない幸せなものだと期待してしまった。


「……なのに、どうしてっ……こんな事に」


 潰れそうな細い声を、集中していたミルカの耳は聞き取っていた。見たこともない、ロートの涙ぐんだ顔を見ていた。


 そのロートの顔の力がふっと抜ける。そして彼はミルカに優しく微笑みを向けた。彼女は嫌な予感がした。


「俺は……」


 ミルカは首を振っていた。


「罪を償うよ」


 ロートの涙がぽろぽろとミルカの頬に落ちた。ミルカも泣いている。罪を償うとはつまり、絞首刑を意味している。


「ありがとう、ごめんな」


 その言葉が、どれだけの苦渋の決断によるものなのかミルカは計り知れなかった。それでもミルカは想像し、胸が熱くなった。


 ロートが身体を起こした時だった。

 ミルカも、ロートの唇目掛けて起き上がった。

 二人が離れた時、ロートは動揺していて、ミルカは決意に満ちた顔をしていた。


「二人で逃げよう。あたしも、ロート君と同じ、人殺しだから」


 ミルカの中では同じ罪を犯したという想いだった。しかしロートは、自分とミルカは絶対に違うと理解していた。

 この村でも、人を殺そうとしている人間を止める為に殺すというのは罪にはならないという取り決めだった。逆に勲章ものの功績だ。ミルカは完全に当てはまる。

 対して自分は、男を殺す為に強力な酒まで用意している周到ぶりだ。言い訳する余地は無い。


「誰かを守る為にやった事が罪になるなら、あたしもロート君と同じ道を行く。ロート君が絞首台に登るなら、あたしもそこに行く」


 ミルカにとってはどっちも地獄だ、とロートは思った。そんな所へ連れて行けないと思った。

 一方でミルカは、ロートのその考えが手にとる様に分かった様だった。

 ミルカは泣きながらも、満面の笑みと白い歯をロートに見せた。


「ロート君と一緒なら、地獄でも天国だよ」


 数秒ミルカを見つめた。

 次の瞬間、ロートの瞳が鋭い眼光を宿す。

 息を呑み込み、稼ぐ為に鍛え抜いた体全身に一気に血液を送り込む。瞬く間に、ミルカを軽々と抱き上げて外に繋がれた馬の方へ走り出した。

 ミルカの鼓動は、また一層早くなっていた。



♢♢♢



 血の匂いが消えない、と感じたのはその時だった。服を脱ぎ、川の水で顔を洗っても未だに鼻を覆う悪臭。ロートがこの匂いを外的要因によるものではないと気付くのにそう時間はかからなかった。

 もう身体に染み込んでいるのだ。


「大丈夫?」


「え?」


「大丈夫って。だって、辛そうな顔してる」


 そう言うミルカにロートは、君は辛くないのかと言いたくなった。ミルカは少しだって顔を歪めることはない。はつらつとしているとさえ感じる。


「あっ、ごめん。辛いに決まってるよね。あたしの方は、ロート君といれるだけで幸せだから……」

 

 ロートははっとした。今の自分の態度は、地獄を承知で共に道を歩んでくれるミルカになんて失礼だったんだと痛感したからだ。ミルカに孤独だと思わせる事は許さないと自分に言い聞かせた。

 同時に、誰かに対してそんな風に思える自分が異様に恥ずかしくなる。昨日までは考えられないことだった。


「ミルカ……俺、俺だって、今、本当はすごい浮かれてて……」


 上手く言葉に出来ない。謎の感情が次から次へと、思考の回路を妨害している様だった。

 自分だって彼女といる事が……等とそのまま口走りそうになり、ロートの脳は沸騰寸前だった。


「ロート君。顔、真っ赤だよ」


「えっ、ごめん。いや、なんでだろう。くそっ」


 ミルカは微笑み、ロートに体重を預ける。

 ロートは自らの心臓に、騒音がうるさいと文句を言いたかった。

 昨夜の事を思い出す。


 瞼を閉じても眠れない夜だった。

 いくら森の中で野宿といっても、今まで自分が寝てきた小屋の寝心地と大差ない。柔らかい土がある分、こちらの方がマシかも知れないくらいだった。

 身体は砕ける様な疲労を訴えていたが、精神が眠りにつく事を許さなかった。頭が何から処理して良いか判らずに、同じ思考を何度も反復した。

 そこへミルカが一言「こうやって寝たいよ、ロート君」と腕を背中に回してくる。次に足を絡ませて、胸に頬を擦り付けてきた。

 ロートはミルカに愛の言葉を囁きたくて堪らなくなった。その経験があればやっていたに違いなかった。「抱き締めたい。いいか?」と聞くので精一杯だった。

 ミルカはロートの胸の中で頷いて、すりすりと頬を擦り付けた。

 女の子というのはこんなに繊細で、柔らかいものなんだと発見し、ロートは好きなだけそれを味わった。

 気付けば、そのまま朝になっていた。

 

「そうだ! 身体、洗わないと」


 ミルカは自分の匂いを嗅いだのか、焦った様に起き上がる。確かに、昨日から二人は汗だくだ。ロートは服を脱いだが、ミルカはそのまま寝ている。

 それも身体を密着させた状態でだ。

 ミルカは指で服の首元を引っ張って谷間の臭いを嗅いだ後、「うっ」と眉を寄せた。


「ごめん。臭ったよね?」


 ロートは首をぶんぶんと横に振る。


「臭ってない! いや、臭ったけど、そうじゃなくて……。昨日は眠れなかったんだ。でも、ミルカの、その、汗の臭いが、なんか、落ち着いたって言うか……」


 ロートは言葉に詰まってから、自分が変態みたいな事を言っていると気付いた。

 ミルカにどう思われただろうか。俯いていると、白い指がロートの手を取る。


「ありがと……でも身体は洗わないと。行こ」


 ミルカがもう片方の指で川の方を指した。ロートは赤くなっているミルカの顔を見て安心した。




 一通り洗い終わったロートは濡れた半裸のまま、森の道を見張った。手にはナイフが握られている。

 早く去ったほうがいいとは思いながらも、水の確保は最優先であり、自分達にはなんの物資もない。

 近くの村には既に指名手配されている可能性がある以上、遠くの街まで行く他に選択肢はなかった。

 それまでの食料調達はこの森で兎なんかを狩ればいい。一番の問題は衣類だ。

 血塗れの服は一応洗って干してあるが、あんなものを身につけて行動する訳にはいかない。いっそ熊でも狩って毛皮を剥ごうか。


 これから先の事を考えていると、後ろで水の音が鳴った。ミルカが上がった様だとロートは想像した。

 だが足音が近づいてくる。ロートの心拍は早くなった。


「ロート君」


 動揺を悟られぬ様。前を向いたまま返事をする。ミルカは今、全裸の筈だ。


「なんだ」


「背中、洗ってあげる。それに、あたしも洗って欲しいの」


 ロートは背中まできちんと洗っていない。固まってとれていない血も付いているだろう。


「あぁ、わかった」


 出来うる限りの平常心でそう答えて振り返ると、ミルカの身体を直視して数秒固まってしまった。

 気付いた頃には顔が真っ赤になっていた。

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