『魔法魔術古語辞典』
館長はイメージ的にはワンちゃん
小首を傾げて、わざとらしく言ってやった。
これで、大抵の魔女信者はすごすごと帰る。中には暴力的なのもいるが、この図書館の性質上、書庫に入れてやれば一発で命を獲れる。
それなのに、目の前の少女は何かが違った。青い瞳を輝かせて、前のめりに聞いてくる。
「ネーベラ・シューエル先生の著書を、ご存知ですか?」
クライスが逗留している宿は、ケィル・モアハでも、最もラーナ・ナーヤに近い村にある。
実はそこの村に住む少年が、何度もクライスを止めていた少年であり、名をトアヒというらしい。
老師の元に行くまでにはまだ時間がある。と、いうか、クライスが勝手にこの時間に行くと決めているだけなのだが。それを聞いたトアヒは、クライスにあるものを見せてくれるらしかった。
クライスとトアヒは、山の入り口でせっせと枯葉を集め、積み上げていた。
「うん、これくらいでいいかな」
トアヒが頷き、呟く。突如、トアヒの手のひらに炎が出現した。その炎を、枯葉に移せば、枯葉が勢いよく燃え上がった。
「“神は人に魔法を賜うた、それは遊戯のためである”。これが、ケィル・モアハに伝わる伝説であり事実だ」
綺麗に削られた二本の枝で、中の芋を挟んで取り出し、皿に盛る。
「ほら」
ものの数秒で、火が通っていた。クライスは礼を言い、芋を食べた。ほくほくしていて美味い。風で冷えていた体が暖まる。
「魔法は忌避するモノじゃない。こんな風に、ちょっとしたことに使えるんだ。まあ、これは魔術だけど」
「知り合いが言っていました。魔法は魔術とは違うのだと。魔術は魔法の劣化だと」
クライスは、シンスの元にいた時に教えてもらったことを思い出す。パンケーキを焼きながら教えてもらったことだ。
トアヒは興味深そうに言った。
「ほう、それを知ってる奴がいるのか? だけどそれは八十点だな。魔法には魔法の良いところがあるし、魔術には魔術の良いところがある。
例えば、魔法は過程を弄れないが、魔術は過程を弄れる。芋を直接魔法で焼けば黒焦げだ。今みたいに、新聞紙に包んで、葉っぱを集めて間接的に焼かないといけない。
魔法という神からの贈り物を、人が改造した結果だよ」
彼の血のような赤い瞳には、深い喜びの色があった。
「同族を殺す力を、こんな、芋を焼く力にまで発展させたんだよ、人は。すごいよな」
自らも芋を食べながら、生み出した水で片手間に火を消す。燃え残りを靴で踏みにじりながら、トアヒは山を指さす。
「さ,行こうか。ジジイもあんたがいるならそんな怒らんだろ」
結論から言うと、怒りはしなかったが、ペルセは慄いていた。
トアヒを指差し、叫んだ。
「な、な、な、なんちゅーもん連れてきてんじゃお主!?」
「よっ、ジジイ。相変わらず脳筋釣りか? 精が出るねえ」
「うるさいわい! ワシの金儲けをとことん潰しよってからに!?」
そんなペルセの魂の叫びを、トアヒは悪気なく笑って受け流す。
「可哀想な脳筋たちが悪いジイさんに騙されないように、麓で止めてただけだっつの。だいたいアンタ、現世に戻る気ないくせに金貯めてどうすんの? 死んでからの渡り賃?」
「縁起でもないこと言うな!」
どうやら、トアヒの方が一枚上手らしい。ペルセを手玉に取って遊んでいる。ちょうど、祖父と孫くらいの歳の差なのだが。
「つーことで、その修行とやらを見せてもらおうかな。なあペルセ? お前、神を殺すんだろ?」
心底馬鹿にしたかのような口ぶりで、トアヒは笑った。
薄暗い灯りが頼りない階段を降りて行く。
「ここから、書庫三層です」
振り返り、ジルト達に言うのは、王立図書館の司書の女性である。スーツを着た彼女は、先程の態度から一変、協力的になっていた。
それというのも、ファニタがネーベラ・シューエルという名前を出してからである。
王立図書館の裏口から入ったそこは、急な階段が続く場所だった。
その階段を降り切った後に、扉が現れたのだ。
司書の女性が扉を開ける。
「わぁ……!」
ジルトの前にいたファニタが興奮した様子で声を上げる。
「もしかして、これって」
「そう。四年前の大火で焼失したとされる本たちです。もちろん、シューエル先生が資料に使っていた本もありますよ!」
「しゅ、シューエル先生をご存知なんですか?」
司書の女性はにっこり笑った。
「もちろん。我々の同志ですから」
ぎっしりと本が詰まっている、書架の間を歩く。
『古代魔法の神秘』やら、『魔術の心得』やら、怪しそうな本が並んでいる。
「館長。お客さんですよ、久しぶりの」
司書の女性が奥に向かって声をかけると、返事があった。
「はあ? また変なの連れてきたの? 嫌だよ私。処理も楽じゃないんだから」
奥から現れたのは、寝ぼけ眼の茶色の髪の少女だった。ぐしぐしと目を擦っている。
「今日は違いますよ、純粋なお客さん。シューエル先生の愛読者です」
手櫛で館長と呼ばれた少女の髪を整えながら、司書の女性は苦笑い。途端に耀く、館長の金の瞳。
「え? え? どっち? どっちが!?」
「女の子の方です。ほら、先週『王国の山々』を借りてた稀有な人がいたでしょ? たぶん、その子だと思うんですよ。シューエル先生のーー」
「てことは、『魔法魔術古語辞典』だね!? よし、行こうか君ぃ!」
ダウナー系の雰囲気からいっぺん、ファニタの手を引いて走り去る館長。取り残されたジルトと司書の女性は、顔を見合わせて苦笑い。
「ごめんね、彼女を取っちゃって」
「いえ、大丈夫です。たぶん、アイツも喜ぶと思いますから」
たぶん、あの館長とファニタは似たもの同士だ。ジルトはそう思った。
「そ、それで君、彼女とはどういう関係なのかな? お姉さんに言ってごらん? むふふ……」
「クラスメイトです。俺を助けてくれる、頼もしい奴ですよ」
「……うん、だと思った」
なぜか虚しそうに言う司書の女性は、とりあえず書庫三層ツアーをしてくれるらしい。ジルトはファニタに成果が得られることを願いつつ、彼女の声に耳を傾けた……。
『魔法魔術古語辞典』。年代ごとに、特に、魔法・魔術に関する古語の変遷が書かれている分厚い本だ。
近くの机にそれを広げ、館長とファニタは顔を突き合わせていた。
「そーなんだよ! これは後々伏線にするつもりだって、アイツは言ってたんだよ!!」
「アイツって、もしかして……」
「そう! シューエル! むふふ、気付いた読者がいることは朗報だ!」
ページを捲る。捲る。捲る。
「ペルセはだいぶ先だな。それこそ、四千年前ぐらいか? うん、あったあった」
「ペルセ、ペフセ、パーセ……」
「そう、その順番で、新しくなってるわけだね。つまり、ペフセが使われているところは、未来での出来事なんだと、シューエルは言っていたよ」
だが、ファニタはその伏線よりも、その意味に驚いていた。
「ラーナ・ペルセって、つまり……」
金色の瞳が怪しく光る。館長は頷いた。
「そう、ラーナ・ペルセは、“神の山”という意味なんだよ」




