『山女の契約』
今日もまた、ラーナ・ナーヤの麓にて。
白髪の少年が、眉を顰め、東の方を指差している。
「ここの近くには緩衝地帯だってある。強くなりたいなら、あそこの基地の仲間になりに行って、帝国兵でも殺してこいよ」
「帝国兵は魔法を使えますか?」
クライスの問いに、少年がさも馬鹿にした態度で笑った。
「魔法? おかしなことを言うんだね。そんなの、使えるわけないじゃないか」
「それでは、貴方たちは?」
少年は、一瞬、口を真一文字に結んだ。
「お前、何をしに来た?」
低い低い声は、とても普通の少年が出せるものではない。クライスは正直に答えた。
「私は魔法に勝つ術を学びにきました」
舌打ちが聞こえた。かと思いきや、クライスの足元の地面が、唐突に捲れ上がった。
「お前も魔法否定派か」
憎悪が漏れ出る声を聞きながら、クライスは元いた地面を観察する。抉れた地面は、爆発に巻き込まれたかのように、クレーターを作っている。
なるほど、狭い範囲ではあるが、その威力は強大。これを数撃てれば、または大掛かりなものを撃てれば、地形すら変えてしまうのだ。
「やはり、魔法は凄いものですね」
感嘆して言えば、少年が妙な顔をした。
ここで、クライスは少年との齟齬をやっと認識する。
「私は、魔法を否定しに来たのではありません。魔法に勝ちに来たのです」
「……言ってる意味がわかんねーんだけど、つまり、俺たちの敵ではないってこと?」
「はい」
頷く。少年は、クライスに向けていた右腕を下ろした。
「調子狂うな。いつものだったら埋めようと思ったのに」
「ケィル・モアハ不要論ですね」
「そう、それ。この国の奴らは、あの馬鹿強え帝国に侵略されないのを、自分たちの実力だと勘違いしてやがる」
忌々しさに吐き出す、ケィル・モアハの少年。
ケィル・モアハとは、ラーナ・ナーヤ連峰の麓の地区全体を指す。意味は古語らしいのでわからないが、限界集落が多い。
いかに魔の山、ラーナ・ナーヤ連峰を隔てているとはいえ、帝国の隣が限界集落なのでは不安である。
ケィル・モアハ不要論とは、限界集落を取り潰して、新たにそこら一帯に基地を敷設しようという、この国の軍事に関わる人物にとっての常識だ。
そして、その不要論にはまた、この国の潜在的な魔法への忌避が存在する。
ケィル・モアハには、まことしやかに囁かれている噂があるのだ。
……ケィル・モアハは、魔法使いの里である。
『だが、ラーナ・ナーヤの意味はわかっている。ラーナとは山を指し、ナーヤとは険しいを指す。つまり、ナーヤは形容詞なのだ。それを当てはめれば、ラーナ・ナーヤと連なる山は、ラーナ・〇〇と呼ばれていたことになる』
「なるほど……」
寮の自室にて、ファニタは、王立図書館から借りてきた『王国の山々』と、学園で借りてきた恋愛小説を机の上に広げていた。その横には、各社の新聞が積んである。
新聞の内容は、「王都通信社狂言殺人」と、「施療院事件」、そして、今回の「孤児院放火事件」に関するものである。ジルトに言った通り、ファニタは公爵の世論操作を分析していた。もう分析し終わったので、隅に積んである。あとはジルトに報告するだけ。
ジルトの反応を楽しみにしながら、ファニタは自分へのご褒美に、愛読する恋愛小説を資料込みで読み込んでいた。
この恋愛小説は、架空の場所を舞台にしているが、元ネタが明らかであることで知られている。
作中で出てくる山は、ラーナ・ペルセ。王国の北東には、ラーナ・ナーヤ山があり、作中に出てくる地形的にも、おそらくそこを舞台にしている物語だと言われている。
ペルセの部分は作者の創作だと言われている。しかし、古語に通じている作者だからこそ、ペルセにも深い意味があるのではないかと、ファニタは思っている。
「ラーナ・ナーヤ山って、山が二つ入っているのね……」
感心しながら呟く。こうしてみると、なぜ小説内でラーナ・ペルセに山がつかないのかがわかる。
「やっぱり、シューエル先生は凄いわ……」
ネーベラ・シューエル。性別不明・年齢不詳の作者は、文学界に彗星のように現れ、強烈な光を残した後に消えていった存在である。
ファニタは、その作者の小説を、特に好んで読んでいた。
「誤植も気になるところなのよね」
とあるページを捲る。ペルセがペフセになっている。古語は時代によって変化することがあるから、混ざったのかもしれないが、シューエル先生に限ってそれはないとファニタは思う。
「きっと、何か伏線なんだわ……」
そう思いつつ、『王国の山々』を読み進める。ラーナ・ナーヤだけが、名称として残った理由はなんだろう。
残念ながら、その理由は不明とされていた。
ファニタは『王国の山々』を閉じた。シューエル先生のすごさを改めて知った。
「今度は、ペルセについて調べてみようかしら」
それでまた、ジルトを図書館に誘って、それで……。
ファニタの頬が弛みっぱなしになる。
とりあえず、明日学園に行ったら、ジルトに新聞記事の分析のことを話そう。
ファニタは、開いていた恋愛小説も閉じた。
『山女の契約』。表紙には、そう書いてある。
それっぽい単語を作るのがとても楽しい。




