別れと山中
突然の修行編
セント・アルバート学園、応接室。
アリア・ソリュースは、目の前に座る自分の主、ミュール・フランベルクのとんでも発言に目を丸くした。
「と、いうことで、フランベルク商会の経営は、当面副会頭のランド君に任せて、私は旅に出ます」
何がどうしてそうなった。アリアは頭を抱えそうになった。
「じ、ジルト君は? どうするんです?」
「もちろん諦めていませんよ。でも、おおっぴらにラブコールを送ると、うるさいのが来てしまいますからね。そのうるさいのを始末するために、私は旅に出るのです」
さっぱりわからないが、ミュールの紫炎色の瞳は、穏やかな色を湛えている。それに、アリアは安心した。
明日を見ているとは言い切れないが、少なくとも、過去を見る目ではない。目的が見つかってよかった。
「それで、アリアには頼みたいことがあって、こちらに来たんです」
「なんでしょうか?」
ああ、ジルト君のことかな。私が戻るまで、ジルト君を守ってくださいとか?
そんなことを思いながら、ミュールの言葉を待つ。
「ジルト様の貞操を、守って欲しいんです」
「そちらですか」
思ったより冷静に突っ込むアリアは、伊達にミュールの秘書をやっていない。ミュールはこくりと頷く。
「今回のことで、私は思い知りました。腕や足を斬りとばす、喉を潰す。そんなものよりも、私の精神を脅かすのは、寝取られです」
「ねと、られ……」
ミュールは真摯な瞳をしていた。流石に飲み込むのに時間がかかったアリアと、目を合わせる。
「しかし、例外は許します。女王陛下でしたら、いくらそのような関係になっても放っておいて結構です」
アリアは目を瞬いた。
「意外です。失礼ですが、ミュール様は王族に嫌悪感を持たれているはず」
「ええ。しかし、彼女の心意気に、心を打たれてしまいまして。彼女ならば、ジルト様を任せられますわ」
慈愛を少しだけ瞳に宿している。なるほど。
「……承知しました。つかぬことをお聞きしますが、それ以外の女性は? 例えば、クラスメ」
「駄目です」
にっこり。一瞬にして応接室が極寒の地になる。
ーーアドレナちゃん、がんばれ!!
アリアは、心の中でファニタを応援した。とんでもライバルの出現である。それにしても女王陛下とは、いやはや。
そんなことを考えていると、ミュールが徐にアリアの手を取った。
「アリア、ランド君を支えてあげてね。そして、この場で礼を言います。ありがとう、私に目的を与えてくれて」
「ミュール様……」
「だから、もう少し待っててね。この国が、少しだけよくなる未来を、私は掴んでくるから」
相変わらず、毒花の綻ぶような笑みだったけれど。きっと、何か種類の違う笑みが混じっていた。
アリアには、それが何なのかわからない。けれども、主人のことを思うからこそ、彼女にはそれが感じ取れたのである。
放課後。
規制線の張られたそこに、ジルトはファニタと共に来ていた。本当は一人で行こうとしたのだが、今日はファニタが門番のフレッドに無理を言ってついてきたのである。
焼け焦げて、崩れ落ちた孤児院。声だけで、見ることがかなわなかった子供達。そして、優しく笑った彼女。
それらが、全て奪い去られていた。人混みの隙間から覗いたそこは、ジルトの知っている場所ではなかった。
集まった野次馬たちが、声を上げて憶測を話していた。
「ここの設立に関わった、なんだっけ、ほら」
「ヘッジ子爵だろ、あの変わり者」
「そうそう。噂では、ここの美人院長に振られて火をつけたとか」
拳を握りしめた。あの人が、そんなことするわけないのに。
「ジルト」
ファニタの声で、拳を解く。息を吐く。
「……帰るか」
ジルトはできるだけ力を抜いて言った。また死んだ。殺された。そんなことを頭の片隅で考えながら。
「あ、じゃあ、図書館に寄って行かない?」
ファニタが努めて明るく提案する。
「図書館?」
「そう! 王立図書館! ここからちょっと歩くけど、読みたい本があるの!」
ぐいぐいと腕を引っ張られるままに、ジルトは歩き出す。ファニタは早足で歩きながら、呟く。
「いい、ジルト。ここからよ」
「ここから?」
「そう。公爵が、どの方向に世論を操作するか。それを見ておくの」
ファニタの表情は見えない。しかし、彼女は力強く言った。
「やられっぱなしじゃ、理想を達成できないからね」
そう。自分は弱い。
だから、ここに修行に来たのだ。
「なあ兄ちゃん、帰りなよ。ここで修行しても、強くなれねーよ。ジジイの金蔓になって終わりだってば」
白髪の少年が呆れ気味にそう言うのを聞かず、クライスは今日も山の中の師匠に会いに行く。
王国北東に位置するラーナ・ナーヤ連峰。切り立つ山々は、難所中の難所が目白押しであり、帝国から王国を守る自然の城壁ともいえる。そのため、人の手がつかず、整備されることもない。
登山家と称する者たちが登っては、運が良くて白骨で帰ってくる、そんな場所なのである。
獣道すらない、死の山。それが、ラーナ・ナーヤ。一説には、獣がいないのを山の魔力だとする説がある。“魔法”を忌避するこの国の人々は、それで余計にここに近づこうとしない。
だが、クライスにとっては好都合だった。
“魔法”に長けた主人を支えるには、“魔法”にさえ勝つ力が必要だ。ここが魔の山であるのなら、この山に“勝てば”力を得られる。
登っているうちに、だんだん傾斜が急になっていく。鬱蒼とした山の中、シダ植物が生い茂るそこに、老人が座っていた。
彼こそが、クライスが師匠と仰ぐ老人。名をペルセというらしい。彼は、自分で作った植物を編んだ敷物に座り、大木の根元で休息をとっていた。
クライスは彼を起こさないように近づき、徐に脚を上げ、ペルセの頭を狙う。
かくん、とペルセの頭が傾ぐ。脚は、さっきまでペルセの頭があった場所を虚しく蹴った。風圧で、ペルセの残り少ない毛がふわりと泳ぎ、目を覚ます。
「びっっっくりしたぁああああっ!! な、なんじゃい! て、お主か。相変わらず物騒じゃのう!」
「こんにちは老師」
「昨日も言ったけど、お主マイペースすぎない? まあいい。ん」
差し出された右手。クライスは迷うことなく懐を探り、ペルセの手に金貨を落とした。
「毎度あり。さて、今日も迷える子羊を最強に導いてやるとするかのう」




