世界は彼に
ジルトが解放された、翌日。
学園の門番、フレッド・シュルツは、不審者を捕まえた。
「来い、警察に引き渡してやる」
それは、ボロ布を纏い、フードを被った男だった。
貴族や有力商家の子息令嬢が集まるこの学園には、よくあることである。浮浪者になりすまして同情を引き、子供たちを狙う。あまりにもわかりやすい手だが、こういう輩が後を絶たない。
フレッドは男を門番の詰め所に連行し、温かい紅茶と菓子を出し、ソファに向かい合って座る。
ボロ布を纏った男は、ようやく、そこでフードを脱いだ。
現れたのは、くすんだ金髪に榛色の目をした子爵。いや、元子爵と言った方が良いだろうか。後ろで束ねていた髪をばっさりと切り、短髪にしている。どのような心境の変化があったのかは、推して知るべしだ。
だいたい知っているフレッドは、まずはルクレールを労った。
「ご苦労様でしたルクレールさん。貴方のおかげで、最悪の事態は避けることができました」
「いやいや、礼には及びませんよ。俺も丁度、あれへの復讐をしたかったし」
ルクレールは、紅茶に口をつけて笑う。
「それにしても、まさかあれの初恋相手がジルトとはね。笑っちまいましたよ」
「ええ。だからこそ、今回はヒヤヒヤしました。ウォールカ家の元メイドが、アイツに女装をさせようとしてることにね」
そんなことをしたら、ガウナに一発でバレる。だからこそ、フレッドは……いや、正確に言えば、フレッドの背後にいるセブンスが、それを利用した。
「怖い先輩の思い通りになって良かったですよ。これで、ジルトと彼女は無関係。公爵絡みの厄介ごとに巻き込まれることもない」
「フランベルクさんの実力も測れましたからね。彼女がいれば、大抵のことはどうにかなるんじゃないですか?」
「そうだといいんですけどね、彼女はあくまでも、類稀な身体能力を持ち、商会を運営するほどの先を見る力があるだけ。魔法に対しては、からっきしだそうですよ」
「それだけあればいいと思うんですけど」
ルクレールの言葉に、フレッドは苦笑。
「なにせ、相手はクソッタレの神様に愛されてる人間ですから。先輩も不安なんでしょう」
「神様、ね……」
ルクレールは何かを考えているようだったが、「じゃ、これでお暇しますかね」と腰を上げる。
「これからどうするおつもりで?」
「とりあえず、寄るとこ寄って故郷に帰りますよ。そんで逃亡生活かな。然るべき力を身につけた後、王都に帰ってきますよ」
あれを殺しに。
ルクレールは、形容し難い表情をしていた。強いて言うならば、人生の終わりに差し掛かった老人がするような表情。
「気をつけてくださいね、死なないように」
「死にませんよ。それじゃ、ジルトによろしく」
ルクレールは、一瞬だけ目に光を浮かべて、ひらひらと手を振った。
ソフィアがその顛末を話すと、セブンスは愉快そうに呟いた。
「これでジルトと彼女は別物だとわかったわけだ。いやあ、よかったよかった」
一人で拍手するセブンスに、ソフィアは不満そうに頬を膨らませる。
「なにも、ミラ・ウィトメールを殺す必要はなかったのでは?」
「ルクレールなりのけじめだったんだろ。まあアイツの贖罪は正解だよ。じゃなきゃ、俺があれを殺してたからな!」
ははは、と笑うセブンスに、ソフィアの背筋が寒くなった。そんなソフィアに気付いているのかいないのか……いや、気付いた上で楽しんでいるのだろう。セブンスはなおも続けた。
「アイツが公爵を逃さなければ、こんな面倒なことにはならなかった。ジルトと出会うこともなかったんだよ」
「……え?」
「それを見越しての俺への仕打ちなんだろうな。あははははっ、つくづくクソッタレだよアイツは!! そう考えると、ルクレールは可哀想な役回りかもな? ……だが、あいつは糸を切った」
セブンスは、燃えるような瞳に暗い色を浮かべていた。それは、憎悪だ。
「クソッタレな神様の繰り糸は目に見えず、死んではじめて操られていたとわかる。それを生きてるうちに見る方法は、ただ一つ。
自分の周りを焼き払うことだ」
セブンスは、可憐な少女の姿のまま、声を上げて笑った。
「そんなことを、後輩を通して言ってやったのさ。四年前に犯した罪と併せて」
「と、当初の目的は? ミュール・フランベルクは、ジルト君を諦めてないですよ?」
これ以上聞いていたくなくて、ソフィアは話題を変えた。どうしてジルト君はこの人の弟子になれたんだろう、そう思いながら。
「表面上は諦めただろ?」
狂ったような笑いをやめ、セブンスは椅子の上であぐらをかいた。
「あ、コラ! はしたない!」
「お前は俺の姉ちゃんか。ミュールもジルトのことを用済み発言したからには、迂闊にあいつに近寄れないだろうし。少なくとも、ジルト・バルフィンに関しては諦めたわけだ」
「お嬢様とジルト君を別物にしたのは、そういう意味もあったわけですね……」
セブンスが窓の外を見ながら頷く。
「そう。ルクレール君にクライスのお手伝いをしてもらって、ジルトのアリバイを作る。アリバイの証明者は魔女信者。
そんで、ミュールは人質が逃げ出したことをクライスに悟らせるわけにはいかないから、女装したジルトのことを別物として扱わざるを得なかったってわけ」
もちろん、ジルトのことを用済みと言ったのは、人質としての価値を下げて解放させるため。クライスがジルトのことを評価しているのはミュールも目撃済みだから、そう言うであろうことはわかっていた。
セブンスはつまらなそうに言う。
「……肝心のジルトを助ける役は、あの可哀想なお姫様に担ってもらった。ジルトがあの公爵の初恋だとバレたら困るのは、女王と英雄信者もおんなじだからな。まあ、公爵を殺させるまでは許さなかったが」
「そのために、ルクレールさんを乱入させた?」
「公爵に恨みを持ってる人物として最適だったからな。案の定乱入してきたルクレールを、公爵側は不自然に思わない。本当の目的になんて、気付くはずもない。あと、あのクソ公爵と弟子がキスするところは見たくなかった」
「ああ、それはそうですね」
ソフィアは遠い目をした。浮かれていた公爵には悪いが、内情を知っているソフィアとしては、終始死んだ目で視てしまった。
「ま、それはそうと、これが予知の使い方。キーパーソンを遠隔で動かし、思い通りの結果を得る。お前が習得しなければならないことだ」
つまり、だ。
ソフィアはごくりと唾を呑み、窓の外……帝国の景色を見るセブンスを見つめた。
ーーつまり、私はこの人みたいにならなければならないということ。
“神”に等しい視点と、そして残虐性を持たなければならないということだ。
故郷に帰る前、どうしても、行っておきたいところがあった。
ルシャール森林地区。くすんだ金髪の壮年の男は、そこにいた。
彼女はルクレールのことを巻き込むまいと、この場所を教えてくれなかったけれど、一度、彼女の跡を尾けていったことがある。
一定間隔に並ぶ石は、多分墓石だ。小さな枯れかけた花が、それぞれの石の前に置いてある。それは、孤児院で彼女が一所懸命に育てていた花である。
ルクレールはその辺で摘んできた花を、それぞれの石の前に置いていく。
無心で置いていると、風が強く吹いた。せっかく置いた花が、風にさらわれていく。
ルクレールはそれを諦めたような瞳で見て……次の瞬間、目の前には、女が立っていた。
栗色の髪に、紫炎色の瞳。
「何かを手に入れるのに、失う必要があるなんて、大嘘なんですよ」
空中に舞い上がったはずの花を、すべてその手の中に納めて、メイド服の彼女は笑った。
「帰る場所を無くすのは、覚悟とは言いません。貴方のしたことは、無駄なことです」
「喧嘩売ってんのか?」
「いいえ?」
一歩踏み出し、ミュールは、ルクレールの目の前で、両手の中の花を落とした。ルクレールは、それを慌てて両手で受け止める。
「私は、あの孤児院で、ここに供えてあるのと同じ花を見たんです。それでわかったんです」
「何、を……」
「貴方が、孤児院から姿を消した後、私は彼女の願いを聞きました。“私の死後、貴方を守ってほしい”と」
なぜか、ミュールの笑顔は、彼女の、ミラの笑顔に似ていた。
「愚かな貴方の覚悟を、祝福してあげます。それが、私の彼女に対する恩返しです」
両手が、震えた。それでも、ルクレールは花を落とさないように、一つたりとも落とさないように、しっかりと持っていた。
「馬鹿ですね、貴方は」
「ああ、そうだな、俺は、馬鹿だ……」
ルクレールは、震える声で呟いた。
ロクな生まれじゃなかったし、ロクな人生でもなかった。ただ一つの善意は裏切られ、やっと見つけた居場所も、自分で喪った。それでも。
それでも、優しく笑うメイドは、ルクレールに一つのことを示していた。
世界は彼に、とっくに微笑んでいたのだと。




