首輪
寝取られが地雷ということを言いたかった
暗い庭を駆ける。駆ける。
途中から靴は脱いだ。ジルトは息を切らして、ドレスのスカートの裾をたくし上げて、走った。
『すべて、上手くいく方法があります』
天使のように微笑んだ年下の彼女は、ジルトの耳に唇を寄せて言った。
彼女が示したのは、ドレスと小刀。相反する二つのものをジルトに提示して、“抜け穴”を作ってくれた。
『これなら、公爵を殺して、あのメイドを助けられる』
色々と、問いたいことはあった。なぜ魔法を使えるのか、なぜ、ジルトの殺意を知っているのか……しかし、彼女は人差し指をジルトの唇にあて、ウインクした。
『全てが終わった後に、お話ししますわ』
リルウが言った二つのことについて、最初は半信半疑だった。
けれど、ガウナの態度から、ジルトはわかってしまった。彼の探し人は、自分だ。
それならば、夢を見せたまま殺してやろう。ジルトはそう思い、二人きりになれるバルコニーで、ガウナと星を見た。
失笑である。
何が、強い輝きを持つ星だ。ぼうっと光る星だ。果ては月と来た。
ジルトは、ガウナの愛の言葉に失笑を漏らした。
頬に手をかけられた時、鼓動が高鳴った。右手に隠し持った小刀を、その背中に突き立てる。それで、この男は絶命する。
この距離だと、拍子に唇が触れ合うかもしれないが、まあ、殺せればどうでもいい。
後悔するのはジルトではなく、目の前の男だ。
そんなことを思っていたのに。
なぜ、どうしてを問う時間など、ジルトにはない。
ガウナの暗殺が失敗した今、ジルトがすべきことは、ミュールに自分の安全を知らせること。
剣戟の音が、だんだん近づいてくる。王城の外れの森に近いところで、二人は戦っていた。
ジルトは、二人から少し離れた茂みに隠れた。
「あの売女、殺すっ!! 絶対に殺してやる!! うわああん!!」
なぜか半泣きで細剣を振るうミュールと、それを易々と躱すクライス。
「私は寝取られが一番嫌なんですよっ!! なんでよりによって、王家の血を引く者となんですかっ!!」
「別に、ジルト様は貴方のものではないでしょう」
「そんなのわかってますよ! お嬢様とだって、別に相思相愛だったわけじゃないし!」
クライスが投げた小刀を細剣で弾き落とすミュール。続く小刀は左手の人差し指と中指で受け止め、クライスに投げ返し、その間に接近。
「だけど、ポッと出に大切な人の貞操を奪われることが、いかにダメージがあるか! かわいそうにジルト様。あんな女王風情に貞操を奪われるなんて……!」
ーーいや、なに言ってんの!?
クライスが小刀を躱し、ついでに首に向かって横なぎに払われた細剣を靴底で受け止めるのを見ながら、ジルトは心の中で突っ込んだ。
さっきから、人智を超えた戦いをしているのに、言っていることがおかしすぎる。俺の貞操の話してんの!?
何がどうなってそうなったかはわからないが、ジルトはこの戦いを止めなければならない。たとえミュールとクライスが互角に戦っていようと、無駄な争いはやめさせるべきである。いや、本当に無駄だよ。ジルトはため息を吐いた。
そうと決まれば。
ジルトは茂みから飛び出して、持っていた靴を投げた。
実はこれも半信半疑なのだが、ガウナの探し人が不本意にも自分(女装)であるとわかった以上、リルウが言った二つ目のことも、確定されるしかない。
ーーミュールさんが、俺を母さんの代わりにしようとしていること。
なんだか複雑な気分だが、リルウが教えてくれたことによると、ミュールはもともとジルトにこのドレスを着させて、舞踏会にてウォールカ家の直系として紹介しようとしていたらしい。
『そうして、お兄様と幸せに暮らそうとしてたみたいですよ』
死んだ目で言っていたリルウを思い出す。
……ミュールがこのドレスを選んだのなら、ジルトに気付くはずだ。
ーー頼む!
祈るような気持ちでミュールを見るジルトに、彼女はゆっくりと口の端を釣り上げーー。
「……なんっと私好みのお嬢様! えへへうふふ、私と結婚しませんか!?」
一瞬にしてジルトの前に来て、両手を取る。ついでに抱きしめられ、頬にキスをされる。
「!?」
「驚いた顔も可愛いですね! どうです? 私とベッドの上でデートしませんか?」
ミュールの浮かれように、水を差すような金属音。ミュールはジルトから目を離していない。ノールックで、クライスの小刀を蹴ったのである。
ミュールの後ろのクライスが、険しい顔をするのがジルトにはわかった。
「貴方は、誰ですか」
ジルトを射抜くように、黒色の瞳で見てくる。ジルトは恐怖を悟られないように、笑みを浮かべた。ミュールはクライスにちらりと目を向け、ジルトの方に向き直った。
「怖がってるじゃないですかぁ。大丈夫ですよ、お嬢様。あんな烏、私がやっつけて晒し首にしてやりますからねぇ!」
その言葉を聞いたジルトは、ミュールの手を握り返し、首を横に振った。
ーー俺の復讐は、誰も死なせない復讐なんだ。
そう、アイツ以外は、誰も死なせない。ジルトは、草色の瞳で、真っ直ぐにミュールを見た。
「……そうですか〜、わかりました」
ジルトの意図を理解したのか、ミュールは少し残念そうに言う。だが、その口元には笑みが浮かんでいた。
「私の首輪は、尊い意思によって出来てるんですよ」
歌うように言うミュールは、紫炎色の瞳に光を浮かべていた。ジルトを背に庇い、クライスのことを見つめる。
「新たな首輪が手に入ったので、ジルト様は用済みです! ぐっばいということです」
「それはそれで、腹が立ちますね」
めんどくさっ!
クライスが珍しく本気で不機嫌そうなのを見て、ジルトは頬を引きつらせた。
「その方は、おそらくガウナ様の探し人です。こちらに渡していただけますか?」
「駄目ですよう。ジルト様で我慢してください」
どういう意味だよ。
別に高くなくてもいいが、急激に落ち込んだ自分の株にジルトが遠い目になりかかっていると、ふわりと体が浮く。
「さっお嬢様! 私の大切な大切なお嬢様! 逃げるが勝ちです! 撤退戦こそ難しいのですが大丈夫! お嬢様パワーで頑張りますね!!」
謎の概念を持ち出してくるミュールに、肩に担がれたジルトは苦笑いするしかない。
ぐんぐんと遠くなるクライスの姿。そして、爆速で流れる景色、ひっくり返りそうな内臓……。
ーーいや、もう無理だなこれ。
ジルトは晴れやかな気持ちで、動揺するミュールの声を聞きながら気絶した。




