それなら、私が
リルウは寝る前に、とある本を棚から取り出した。
それは古ぼけた絵本だ。表紙には、『英雄アルバート物語』と書いてある。
ベッドに座り、慎重にページを捲る。捲る。捲る……目当てのページを探し出す。
『あなたを愛してしまったから、私は変わってしまったのです。私は炎でばらの花をつくり、村の人たちを喜ばせるだけでしあわせだった。けれど、私の心は、あなたを愛して、みにくさを覚えてしまったのです』
それは、英雄アルバートに焦がれた薔薇の魔女、ローズが言った言葉。その言葉は、リルウを表している言葉だと、彼女は思う。
容姿が似ている云々もそうだが、ローズが決して叶わない恋をしているからこそ、感情移入してしまう。
『やっと、笑ってくれた』
幼い日の、彼の言葉が蘇る。今はもうリルウだけの思い出となってしまった言葉。
魔女と同じように、愚かな呪いをかけてしまったリルウだけが、知る言葉。
それからまたページを捲る。物語が終わりに差し掛かる頃だ。
『お姫さまと、しあわせになって下さい。あなたにかけた呪いを解いてあげます』
本を投げ出して、リルウはベッドに倒れ込んだ。
これは、子供向けに流通しているハッピーエンドの物語。薔薇の魔女ローズは改心し、英雄と姫の幸せを願って森の奥へと消えていく。
リルウは昔から、この物語が嫌いだった。
もともと暗い森の奥に住んでいた魔女が“良心”を覚え、そして“醜さ”を知って散る物語。それは、誰にも見放されていたリルウにとっては、絶望でしかなかった。
どうあっても自分は魔女なのだ。そう嘆くリルウに、だけど、彼は優しく言ってくれたのだ。
『それなら、私がーー』
「ん」
いつの間にか、寝てしまったらしい。リルウは幸せな気持ちのまま、笑みを浮かべて絵本を見た。
嫌いだった物語は、実はもう、そんなに嫌いじゃなくなっている。それはきっと、彼の言葉のおかげだ。
地獄行きを約束してくれた、彼のおかげ。リルウは本棚に絵本を戻し、幸せな夢を見れることを祈って、本格的な眠りについた。
ガウナはあらかた仕事を終わらせた後、シンスに予知能力について聞いてみることにした。
「お、切りますか英雄信者を」
突然訪問してきたガウナに嫌な顔をしていたシンスは、渋るかと思ったが案外ノリノリで、しかもこちらの考えも理解してくれていた。俗っぽいが、基本的に頭は回るのだ、この男は。
ガウナはこれまでのことを話した。
自分は予知をして“彼女”を見つけたいが、全く未来が“視えない”こと。そのかわり、夢では彼女に会えていること。
施療院にいた人々を焼き殺して、実際魔力は蓄えたが、何も作用していないように思えること。
そして、最近孤児院を見張らせている部下から、“彼女”と思しき人物の目撃情報を聞いたこと。
それらを聞いたシンスは、うんうんと頷いた後、にこりと笑って言った。
「天才は死ね」
「……?」
「わかんねーみたいな面してんじゃないですよ。それって明らかに予知夢じゃないですか」
「いや、確かに正夢だといいなと思ったりはしたよ。でも、自分で言うのもなんだけど、僕は“彼女”に恨まれてるから、あんな良い雰囲気は出せないと思うんだ」
「れ、冷静な分析……」
ちょっとかわいそうなものを見るような目で見られる。シンスの口調が少し優しくなる。
「でも、一度目の夢を見た後に、孤児院にそれらしい子が現れたんでしょ? それって、あんたの魔法で引き寄せてるってことなんじゃないですか?」
「じゃあ、二度目の夢を見た後は?」
「さあ? もう一回現れるんじゃないんですか?」
雑な答えである。
「現実世界のストレスで、願望見たってのもあるんでしょうけどね。あんたは腐ってもローズ様と同じ魂を持つお方。たしか、ローズ様も予知夢は見ていたはずですよ。あれは確か、『魔女列伝』の三十四ページ……」
信者トークを始めようとしたシンスに礼を言って、ガウナはさりげなくそこから退避した。
“抜け穴”を使って、王城へ戻る。
予知夢。そう言われれば、“彼女”と会った場所は、照明から窓の形まで、ずいぶんはっきりしていた。見覚えがありすぎた。そう、あそこは……
今は暗いダンスホールに赴き、ガウナは手のひらから炎を出した。
天井から下がっているシャンデリアを照らす。夢と同じだ。彼女の金の髪をキラキラと輝かせていたものだ。
それから、バルコニーへと続く窓。両開きのそれを開け放てば、やはり、夢の中と一つも違わぬバルコニーの手すり。そして、満点の星々。
その中にいると思っていた“彼女”が、もしかしたら、自分の隣で笑ってくれるかもしれない。
一体夢の中の自分は、未来の自分は、何を“彼女”に話していたのか?
それを考えるだけで、ガウナは明日も生きていけそうな気がした。“運命”とは違う何かを、もう一度掴めそうな気がした。
そう、喪ったものをもう一度。
黄昏と似た空を眺めて、リルウは思い切り伸びをした。
実はこの明けの空も、嫌いだけど、嫌いじゃない。リルウが嫌いだと思ったものは、彼が好きにさせてくれるから。
「それでも、私は」
貴方を光に導くことができなくても。貴方を不幸にするとしても。
たとえ地獄に堕ちようとも。たとえ地獄に堕とそうとも。
それでもリルウは、彼の言葉に救われて、彼を欲しいと思ってしまう。
魔女と自分を重ねて嘆くリルウに、彼は寄り添って、優しい声で言ってくれた。
『それなら、私が魔女になってあげる。そうしたら、あなたはお姫様でしょ?』




