あれ
ルクレールがあれを初めて見たのは、くらやみの中だった。
あれは、なにをすることもなく、ただ生きていた。たぶん、生きていた。
「あれが、この国の深部だよ。お前はこれからあれの面倒を見るんだ」
ルクレールが尊敬する先輩は、疲れ切った顔をしていた。
「私にはもう無理だ。これ以上は。だから、お前に託すことにする」
「はあ……」
勝手に託してきた先輩は、その日のうちに故郷に帰ってしまった。
あの日と同じ。だが、いくぶんか生気がうかがえるあれは、黄昏を背負ってルクレールの前に佇んでいた。
「君は、僕を知っているかい?」
「知ってるよ。五年前から。立派になったじゃないか」
ルクレールは隠さずに、にやりと笑ってやった。
「立派に人間らしく笑えるようになった。少し演技が入ってるがな」
「皆、殺したと思ったのに」
「俺は逃げたからな。それで? お前は俺を殺すのか?」
たぶんその目的で来たんだろう。ルクレールはその気でいた。だが。目の前のあれは、その問いには頷かなかった。
「実のところ迷っているんだ。どうしたらいいのかな」
「知らんわ」
ルクレールはため息を吐いて、灰色の髪の少年や、金色の髪の少女を思い出した。迷子ばっかだ。俺は案内人じゃねえんだぞ。
「俺としては殺さないでいてくれると助かるかな。今の人生楽しいから、お前のことも言わないでいてやるよ」
「良かった。脅そうと思って来たんだ。君がよく行ってる孤児院でも燃やそうかと思って、仕事を頑張ってきたんだ」
「そんなことのために頑張るんじゃねえ」
少々奔放に育ちすぎたあれは、やはりよく笑う。昔とは大違いだ。
「うん。良かった。やっぱり俺は、お前に生きていてほしいよ。正直いつ殺されるかヒヤヒヤしてるけどさ」
「生きていてほしい?」
首を傾げるあれ。ルクレールは頷く。
「そうだ。この国は間違ってるから、お前にはそれを正してほしい。夢みがちなガキに夢を見せたまんま」
「君は変わり者だな。悪役に生きていてほしいなんて」
「お前、あの頃と違って神経図太くなったからな。それに……まあいいや。なんかいいことがあったんだろ?」
ルクレールはそれを濁した。今更言ってもしょうがない。それは、罪悪感から逃れる術に過ぎない。
今度は、あれは嬉しそうに頷いた。
「素敵な出会いがあったんだ。僕が運命を全うするための」
「そっか、お前が笑えるようになったのは、その出会いのおかげか」
「そうだね。優しいあの子に“良心”を教えてもらったからかな」
本当に優しく、あれは笑った。きっと、とても良い出会いだったんだろう。ルクレールは“あの子”とやらに感謝する。
きっと、“あの子”は素敵な女の子なんだろう。一丁前に恋もするようになって。
「それで、あの子って?」
「うん、それが、殺したからわかんないや。いや、正確には生きてるんだけど」
「……そういうとこだぞお前ぇ!」
ルクレールはあれの肩を掴んで揺さぶった。あんまり成長してねえ!
「お前にはその子が必要だ。死に物狂いで探してこい!! 生きてるんなら全力で謝って許してもらってこい!」
「え、あ、はい……」
目を丸くしたあれを見て、我に帰る。咳払いをして、ルクレールはこれだけは、とあれの藍色の目を見て言う。
「とにかく、お前は生きろ。俺はお前贔屓なんだから。ぽっと出のガキよりも、お前を優先してやる」
「はあ……」
気の抜けたような返事しかしないあれ……彼に、ルクレールは微笑んだ。
「幸せになれ」
なにも、言い返せなかった。ルクレールの言ったことは、すべて正論だった。
ジルトは寮の自室で、窓に反射する自分に苦く笑った。
「でもさ」
誰にともなく言う。窓を開ければ、風が吹き込んできた。
死んだ人が、星になると言うのなら。
「自分が殺した人たちを見ないで、一人だけを見るなんて、そんなのずるいだろ?」
ここから見える星々には限りがあるが、一つだけではないのだ。
「お前だけがのうのうと生きて、幸せになるなんて、絶対許さない」




